ログ004 回収者
明け方の森の辺縁をなぞって、吹き抜ける風のごとくに草原を移動していく小さな人影が一つ。
シルエットを掴ませぬ不思議な紋様のマントをなびかせ、四つ足の獣のような速さで走り続けているが、息の乱れた様子も無い。
王国の秘術によって、人間が、人の領域を超える強靭さを備えた身体に作り変えられる。それが勇者。
イスカも、その一人。
だが、その顔色は優れず、時折、胸元に片拳を押し当てている。
(気持ち悪い。……魂憶が重い。)
唇も眉間の皺も、不機嫌な曲線を描いて固まっている。
自らの魂が、肥大した他者の記憶に押し潰され、圧迫されている。
そんなイメージが、心臓とも胃の腑とも付かない処で、重苦しさを感じさせてくる。
イスカは、勇者達の中にあって、回収者の役割を与えられている。
回収者の任務は、遠征途上に斃れた旅の仲間の魂の記憶、「魂憶」を拠点へ持ち還ること。
魂憶さえあれば、拠点の教会で再び勇者達を蘇らせることができる。
そのため、回収者は、自らの魂を小さく押し縮め、空いた魂の器に、仲間の魂憶を写し取って運ぶ力を与えられている。
勇者の旅の仲間が、長い探索の先で、魔物に襲われたとして。
戦線が崩壊し、何人もの仲間が息絶えた、そのような時。
残る仲間は、回収者に全てを託して、血路を拓き、殿を務める。
回収者は、その時のためだけに同行している。
故に、回収者は、戦わない。
危険から、距離を置く。
仲間の身も、救わない。
ただ、魂憶を抱えて、逃げ帰る。
それが、回収者の唯一にして最優先の、役割だ。
イスカの、少し横を向いた唇が、いつもにも増して尖っている。
顔に吹き付ける霧雨と風。
無為に魂憶を重くしていく旅の仲間に対しての不満。
内からも外からも、倦怠感が鉛のような冷えた重みを胸の奥にもたらしている。
(使いこなせもしないくせに、新たな術ばかり覚えて。)
術を覚えれば、手っ取り早く手数が増やせる。
下位の勇者は、術を使いこなすための地味な訓練よりも、魔物を狩って肉体を強化したり術を増やしていくことを好む。
武技であれ精霊術であれ、使いこなせなければ真価のほんの一部しか発揮できないが、術の練度を他者が測ることは難しい。
どの遠征に編成されるかは、持てる術の内容と、それをどう「審査」で見せられるかで決まる。
より上位の遠征に同行できれば、より多く魔素を取り込んで、より速く成長できる。
下位の遠征など、どれだけこなしても大した力にはならない。
だから、まずは少しでも上位の編成に入ることを目指す。
そのためには、駐屯地での審査できっちり術をアピールする。
本当に術の熟練度を上げるのは、実戦で困ってからでいい。
そんな発想が、駆け出しの勇者達の中に蔓延している。
回収者は、他の勇者と比べ、自分自身のために使える魂の器がごく小さい。
魂の器の大部分は、抱えた仲間の魂憶で埋め尽くされるからだ。
抱えた魂憶が嵩張れば、自分の魂をさらに圧縮しなければならなくなる。
自然、携えていける術はごく限られる。
どの回収者も、一人での帰路を数少ない術で切り抜けるために、個々の術の応用を深く突き詰めることを怠らない。
イスカからすれば、この勇者達は、散漫に術を増やすばかりで、どう使うかという訓練を怠けているようにしか見えない。
それがどういう結末を迎えるかも分かっていない、愚か者達だ。
(どうすんだろうね、こいつらは。)
身に付けた術が増えるほどに、魂憶も膨張する。
回収者の魂の器には、厳しい限度がある。
実力も無いままに魂憶が膨張していった勇者は、やがて回収者とパーティーが組めなくなる。
そうなれば、回収や蘇生を前提としない、単独行の任務を受けることになる。
それが、体のいいお払い箱であることを、イスカも知っている。