ログ021 イオの始動
イオが最初に向かったのは、カミノの店だった。
横手の戸から声を掛けると、カミノ自ら戸を開けて顔を出してきた。
軽やかにスカートを翻して、イオの元へ駆け寄る。
明るい声が、溢れんばかりの笑顔とともにイオを迎える。
「イオ! 話をつけてきたのね。早かったじゃない。」
イオも、微笑みを浮かべて口にする。
「はい。僕は、あの方と組んで、探索者になるつもりです。」
カミノの唇がそのままの形で固まり、美しい眦が吊り上がって口走る。
「なんでよ! 薬術師になるんじゃ、なかったの!」
イオは、静かな口調のまま、それを受け止める。
「いずれは、薬術師にも、なります。薬術師になるために、探索者になるのです。」
「……それで、私にはお別れを言いに来たってわけ?
いまさら、お礼なんて要らないわよ。」
「いいえ。僕とカミノさんの契約は、まだ生きていると思っています。」
「……どうするの。」
カミノは、腕を組んでイオのことを見つめている。
「薬術に使える素材は、これからも、カミノさんに買い取ってもらいたい、です。」
「あの女は、探索者ギルドに納品しろって言うでしょう。」
「僕が薬術師としてこの辺りで一人前に仕事ができるようになるためには、カミノさんに教えてもらうことが必要です。
探索者ギルドは、依頼のあっせんや買取はしてくれても、指導はしてくれませんから。
だから、カミノさんのところに、持ってきます。」
「安く買い叩かれてるって、思わないの。」
「授業料だから、仕方がないですよ。カミノさんが後ろめたいというのなら、その分、もっと色んなことを教えてくれても、いいんですよ?」
カミノは、しばらく目を細めてから、ふわりと笑ってみせた。
「分かった。じゃあ、私もイオに、色んなことを教えることにするわね。」
「はい。これからも、よろしくお願いします。」
ぺこりと頭を下げるイオ。
「うん。それじゃ、早速、授業その一。こういうときは、『先生!』って言いながら、師匠に抱きつくものよ。」
「え?」
「ほら、早く。」
両手を広げて、待ち構えてみせるカミノ。
「えぇ? うーん。」
困惑しながら、そっとカミノのもとに近づくイオ。
ゆっくりとその小さな身体を包むように迎えるカミノ。
カミノの胸元で、イオは囁く。
「ところで先生、さっき持ち込んだ素材の買い取り、お代をまだ戴いていないのですが。」
続いてイオが向かったのは、拠点からほど近い、冒険者向けの下級の宿だった。
「メルさん、メルさん。僕です。イオです。」
イオは、ここでも裏手の勝手口から中に声をかけている。
少し間があって、戸が開く。
「イオ?」
顔を出したのは、二十歳前くらいの、調理人らしい格好の娘だった。
凛々しい目付きは鋭く、筋肉質の体と相まって、俊敏そうな雰囲気をたたえている。
「メルさん。こんにちは。」
いつもは浮浪者よりも酷い姿をしているイオが、やけに小ざっぱりした出で立ちをしてる。
「イオ、その格好、どうしたの! まさか、どこかの貴族にでも、買われちゃったの!?」
「いいえ、そんなことありません、大丈夫ですよ。」
「じゃあ、どうしたの……。ああ、聞かないでっていうなら、聞かないけど……。
そっか……。」
ひどく落胆したような娘の反応を見て、イオが慌てている。
「どうしたんですか、メルさんこそ。何かあったんですか。」
「え……? だって、イオは、お別れを言いに来たんでしょう。」
「なんでですか。むしろ、挨拶とお願いに来たんですよ。」
「挨拶?」
「今度、この近くに住むことになったんです。」
「ああ、そっちか……。よろしくね……。」
やはり、メルという娘は沈んだ顔で首を振っている。
「そっち?」
「この近くっていうと……エストさん? それともレギーナ? 誰と一緒に住むことにしたの。」
「いえ、誰かと一緒に住むって話でもないですよ。
探索者仲間の借りてる倉庫で、寝泊まりさせてもらえることになったんです。でも、水回りも何もないので、宿の設備を時々借りられないか、お願いをしに来たんです。」
メルは、ようやく表情を緩める。
「へー、探索者に。そうなんだ。
それにしても、ずいぶん小ざっぱりした格好じゃない。早速ひと稼ぎしてきたってこと? それとも、出資者付きの探索者にでもなったの?」
「うーん、依頼はまだこれからですね。探索の出資者というか、この格好はまた別な話というか……。」
「確かにねー。あの熊皮をかぶってたんじゃ、パーティーを組むのは難しかったもんねぇ。
依頼人にも会わせられないし、何かを狩りに行くわけにもいかないし。」
「あはぁ……、そんな風に見えてたんですね。」
「なんたって、渋熊だからねぇ。普通の人なら、近づいただけで逃げ出すよ。
近所にいるのなら、今度、そのお仲間も連れてご飯でも食べにいらっしゃいな。
駆け出しなんだから、危ない場所に行っちゃだめよ。」
「はい。」
「うん、待ってるよ。よし、これ持って行きな。」
「あ、お金、おいくらですか。今日は、少し稼ぎがあったんです。」
「何言ってんのよ。これから探索者になるんなら、最初は入用ばっかりよ。
これは引っ越し祝いにしておくから、その分で少しでも装備を整えていきな。」
メルは、手元に抱えていた紙袋を押し付ける。
焼きしめたパンと、ベーコンの燻製の香りが、紙袋から立ち上ってくる。
「メルさん……。」
「女将さんにはあたしから言っておくから、お風呂でもトイレでも、いつでもおいで。
少なくとも、週に一度はあたしのご飯を食べに顔を出すこと。いいわね。」
メルが、イオをギュッと抱きしめる。
「はい!」
メルの胸元で勢いよく返事をするイオを、遠くから眺めるイスカであった。
(この街の連中は、何なのだ……)