ログ020 拠点
イスカは、自分が勇者になった頃のことを、思い出していた。
そして、目の前の少年と、何かを重ねていたのかもしれなかった。
私は、新しい未知の物語を、手に入れたいんだ。誰もまだ知らない、物語を。
イオ、私と一緒に冒険をしろ。私に、新たな物語をもたらしてみせろ。
(……勢いとはいえ、恥ずかしい台詞を語ったものだ。しかし、この少年の可能性を見てみたいのも事実。)
イスカとイオは、街の中を移動していく。
「とりあえず、イオはここを拠点に過ごすといい。」
イスカが案内したのは、小ぶりな石造りの建物の、半地下の部屋だった。
「ここは……イスカ様の、お部屋なのですか?」
「まあな。駐屯地に自室はあるんだが、一人で静かに過ごしたいときは、ここに来ている。」
「ああ、そういうことですか……。」
「なんだ、歯切れの悪い。」
(だって、この部屋、本とベッドしかありませんよ……。)
その部屋は、石の壁や天井がむき出しのまま、無骨な棚がところ狭しと並べられ、棚には雑多な書物が隙間なく並べられている。
あとは、片隅に簡素な子供サイズのベッドと、本を置くような小さなテーブルが置いてあるだけなのだ。
イオは今でこそ浮浪者以下の生活をしていたが、一般市民としての暮らしの常識も持っている。
少し呆れた心持を隠しつつ、一応聞いてみる。
「ええと、元は、倉庫か何かなのですか?」
「そうだ。ちょうど造作の棚があって、都合が良かったのだ。」
(そりゃ、外で夜を明かすよりは、天と地ほどの差がありますけど……。)
少し思案した後、イオは意を決して口にする。
「あの。」
「ん、どうした。」
「この中だけでは、僕は暮らせません。ここはありがたく使わせていただきますが、まずは生活の基盤を整えたいと思います。」
「そうか。必要なものがあれば、言ってみろ。」
(うむ。生活を変える決心はできたようだな。)
イスカは、鷹揚に答えてみせたが、イオは苦笑している。
(イスカ様は、生身でお一人で生活したことがないのですね。)
「ここには水回りもありません。日々の暮らしにはトイレも洗濯も必要ですし、そこはイスカ様の力だけでは片付きません。これから、知り合いの伝手を頼って段取りをしてまいります。」
イスカは、虚を突かれたように目を丸くしていた。
「そ、そうか。そうだな。生身の身体を離れて長いからな。感覚を忘れてしまっていたようだ。」
イスカは、田舎の里の出身で、この街に来た直後から駐屯地の寮で暮らしていた。
その後は勇者になってしまったから、街の一般人の生活のことなど、良くは知らない。
この部屋も、ウェーリに頼んで手配してもらったものだ。
「君の給与から引き去っておくからな」と言われ、鍵を受け取ったほかは、詳しい契約内容さえ知らない。
サインをした覚えさえないことからすると、ウェーリの名義なのだろうか。
イスカは、ひょっとして自分には、市民生活の知識に欠けている部分が多いのではないかと疑念を抱きつつ、それでも声を掛ける。
「……力になれることがあるかもしれん。私も同行しよう。」
「いえ、私一人で大丈夫です。自分で交渉して足場を固めるのも、大事な経験ですよね。
帰ったら、本を読むつもりだったとおっしゃっていましたね。どうぞ、イスカ様は、本をご覧になっていてください。」
イオの言葉に、イスカは黙ってうなずくしかなかった。
「それじゃ、行ってきます。」