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ログ002 イオ



辺境都市ヒトツリアのさらに西の郊外。針葉樹林の間を抜ける街道からも、いくらか離れた林の端。

時刻は、まだ日の出から間もない。

三日ぶりに顔を見せた太陽が、木立に漂う濃い朝霧の中に、無数の光の筋を射し込んでいる。


そこに、黒い毛むくじゃらの姿が一つあった。

遠目に見れば熊のようだが、その動作は少々不自然なもの。

二十メルテルほどにも近づけば、人が上半身に毛皮をかぶっているのだと知れる。


「えっと、これは、ヒマネタケですね。

ヒマネ茸は……『悪寒シ、後微汗ヲ発シテ止マヌトキ』……そう、干したものを粉にすれば、フールイ風邪に効くのでしたね。

うん。三株ほどは残しておきましょうか。」


中身は少年である。

記憶をなぞるように口にしながら、木々の根元をあさって薄茶色のキノコを集めている。


「こっちは、コクチゴケ。『傷膿ミ、奥熱ヲ発ストキ』……でしたか、これも、煎じ薬に使えるはず。

やっぱり、雨の続いた後の朝は、いつもと違う収穫がありますね。」


少年は、水溜りを気にもかけず地面に膝をつき、簡素な小刀で苔の先端を削り取る。


摘み取ったキノコやコケを丁寧により分け、泥を落としてから、水気を切り、柔らかい布に包んでいく。

一連の動作は滑らかで、手慣れたものと見える。


包みを袋に収めて一息つくと、湿度の高い空気の中、前髪から額に滴り落ちてくる汗を、袖口で拭う。


少年の名はイオ。


クロシブグマの皮を頭から被り、中のシャツやズボンは、正体も分からぬような染みだらけ。

靴も、粗末な皮を乱雑に縫い合わせただけのもので、歩くたびに隙間から泥水が出入りしている。


襤褸(ぼろ)としか言いようのない格好のわりには、明るく丁寧な口調。

十歳ほどの見た目でも、口にしているのは多彩な植物の知識。

不思議な少年だった。


クリっとした黒い瞳は、長いまつ毛に飾られて、低い視線でゆっくりと周囲を見回している。

何かを見つけるたび、トトトと早足に歩いたかと思うと、しゃがみこむ。


今度は、華奢な指先が、木の枝を削って作ったヘラを上手に操って、黄色い花の咲くほっそりした草を根の周りの土ごと掘り出していく。


「良かった、ナルキサの花が見つかるなんて。

カミノさんが、薬草園に欲しがってましたもんね。

買い取ってもらえたら、今日は、ちょっとだけぜいたくして、お肉の入ったシチューが食べられるかな?」


イオは、その草を大切そうにしまい込むと、誰が聞くでもないのに、語り掛けている。


「お師さま、いつか僕も、一人前の薬術師になってみせますから。」


その目はまっすぐで、その言葉の響きは祈りの文句のようだった。


やがて太陽が角度を上げていき、温められた風が朝もやを吹き散らす。

急に広がった青空のまぶしさに、イオは目を細める。


ヒー……リョロロ、と頭上の空から鳥の声が響いてきた。

イオの表情が、少し(かげ)る。


「あ、ヨモツトビですね。嫌だなあ。

ナルキサの株も採れたし、もう引き上げようか。」


 ―― ヨモツ鳶の声には、注意を払え。

   声が聞こえぬ場所までさっさと離れてしまえば、何事もない。


お師さまの言葉を、イオは思い出す。


 ―― 特に、(つがい)のヨモツ鳶が目に入ったら、急いで離れろ。

   近くには、巣がある。

   一度でも巣に近づいた者に、奴らはしつこいぞ。


耳の奥で蘇ってくる声を懐かしく思いながら振り仰いだイオは、頬を強張らせて動きを止める。

その目には、ほんの数メルテの距離をおいて頭上の枝に止まる、もう一羽のヨモツ鳶を捉えている。


黒に近い灰色の羽根に覆われて、その鳥は静かにたたずんでいた。


鳥竜のすえとも云われるヨモツ鳶。

その脚は鱗に覆われ、爪は鋭く尖って木肌に食い込んでいる。

小さな宝玉のような赤い瞳が、怒りに満ちて縄張りへの侵入者を見下ろしていた。



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