ログ012 薬術師カミノ
「僕が素材を買い取ってもらっているのは、このお店です。」
小じんまりとした、瀟洒な石造りの建物だった。
「薬術師カミノの店」という小さな木製の看板がドアの上に掲げられ、その脇には立派な樹が育ち、壁は蔦が覆って様々な葉を茂らせている。
「カミノさんは、一年位前にこの街に来たばかりなのに、大物のお客さんもいっぱいいる、人気の薬術師なんです。そちらの壁を見てください。
この蔦は、ヒューデラ草とアルセロ葡萄ですよ。どちらも病気に弱くて育てるのが難しい貴重な素材なのに、カミノさんは魔道具もなしに外で栽培できちゃうんです。
裏手の薬草園に行ったら、もう皆がビックリですよ……!」
イオは、興奮ぎみにまくし立てる。
イスカは、冷めた目でイオの話を聞き流していた。
(若者の憧れに乗じて搾取とは、カミノとやら、度しがたい。)
「イオ、いいか。まずは普段通り、今日の素材を納品するのだ。あとは、私が自分で話す。いいな。」
「あ、はい。」
(何を話すんだろう……?)
イオにはピンと来なかったが、店で集めてきた素材を買い取ってもらうことには変わりはない。
店の横手から、裏口の方へ歩いていく。
「素材の納品は、こっちなんです。」
イオが別のドアの前に立ち、ノックする。
「カミノさーん、入りますよー。」
イオがドアに掌を触れるだけで、かちりという音の後、招くようにドアが内側に開いていった。
(魔道具の錠か。贅沢な使い方だな。カミノとやら、良い稼ぎがあると見える。)
イスカは、やや憮然とした顔になりながら、イオの後に続いてドアの中に入っていった。
南に面した店の正面には窓らしい窓がなく、外からは中の様子は分からなかった。
が、北側の高い位置に明かり取りの窓が大きく採ってあり、店の内部は意外と明るい。
「イオ、今日は早かったね。今終わるから、ちょっと待ってて。」
朗らかな女性の声だ。
作業台に向かい、乾燥させた何かの材料をすり鉢で扱っている。
(女か。)
イスカはドアの前で腕を組んで、その姿を上から下まで眺めていく。
片側で束ねた蜂蜜色の豊かな髪にゆったりとしたワンピース、作業用の前掛けは職人風のそれだ。
歳の頃は二十ほどか、柔らかなシルエットの体躯。
壁一面に作りつけられた棚には種々の素材が少しずつ並べられ、複雑な香りが交じり合って漂っているが、嫌な感じではない。
作業台には素材や薬剤を加工する道具が、雑然としながらも主の意思に従って配置されていることが見て取れる。
(上手にやっているだけのことはある。)
イスカは、ふん、と鼻を小さく鳴らした。
「あれ? いつものクマの匂いは? それに、なんだかいい香り……。」
コトンと白い陶器の擂り棒を置くと、カミノは振り返り、イスカの姿に目を留める。
「あら。お嬢さんはイオのお友達かしら。」
カミノは、豊穣の女神像に生命を吹き込んだと言われても、さもあらんという笑顔で少し首を傾げている。
イオは、布袋から今日の収穫を取り出しながら笑顔を浮かべ、誇らしげに黄色い花をカミノに捧げるように差し出す。
「こちらは、イスカ様です。
あ、カミノさん、今日は収穫がありましたよ。まだ花の付いているナルキサ草を、株ごと回収できたんです……」
が、カミノの瞳が普段見たことのない光を帯びているのに気付いて、イオの言葉が途絶えた。
「イオ、その格好は?」
「あ、これですか。イスカ様が、見つくろってくださったんです。」
「イスカ……様……に、買ってもらったの?」
奇妙な響きを含んだカミノの声に応えたのは、イスカだった。
「馬車が跳ねた泥から、私を庇ってくれたのでね。単なる謝礼だよ。」
イスカの声も、イオにとっては何故だか首筋がチリチリとする気配を含んでいた。
イオは、室温が急速に下がっていくような錯覚を覚えている。
(なんだろう? 妙な寒気がする……)
「イスカ様は、僕の命の恩人なんです。」
「そう。うちのイオがお世話になったようで、それなら、お礼を差し上げないといけないわね。」
カミノは、棚からガラスの器を手に取ると、中から花びらの形をした欠片を取り出し、薄紙に載せてイスカ達のもとへ歩み寄ってきた。
紫がかった半透明のその欠片は、鉱物のようでもあり、有機的な艶も備えている。
イオが、驚いて目を見開いている。
「え、カミノさん、それはアズサアイの香油結晶では!?」
「失礼、世知に疎いものでね。イオ、どういうものか、教えてくれるかい?」
「ア、アズサアイの香油結晶は、邪眼毒蛇の血石毒さえも解毒できる、物凄く強力な毒消しの素材なのです。非常に高価なものでして、先日も、男爵様が娘の病を癒す薬のために家宝の一つを処分したとか……。」
「貴重な薬の素材か。生憎だが、私には必要ない品のようだ。お気持ちだけ受け取っておこう。」
イスカは、腕組みを解かないままに片手を少し上げる。
カミノは、残念そうに肩をすくめながら、しかしその目はかすかに邪な笑みを浮かべていた。
「ああ、こちらこそ失礼を。イスカ様は、勇者でいらっしゃるのですね。王国の民草を守るそのお姿、なんと尊いことでしょう。我々のような無駄な血肉が無ければ、蛇の毒も薬も届きませんわね。」
(こいつ……)
イスカは、自分の胸の裡に、ゴウっと熱量が高まるのを感じていた。