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ログ010 安堵

それからの出来事は、これまでのイオの人生には無かった経験だった。


イスカに送り込まれた湯屋では、精霊術で体中を浄化されると、従業員の女性達に裸にされ、治癒の術を施された後、薬湯の風呂に漬けられた。

その間に、柔らかな木綿の服としなやかな皮の靴が用意されていた。


風呂上りのイオは、混乱のままに乾かされ、服を着せられ、そして等身大の人形のように運ばれて、今は眺めの良いカフェのテーブルでイスカの前に座らされている。


(な、なんか、いろいろ見られたっていうか、洗われた……)


放心状態のイオを前に、イスカはくすくすと笑いながら細いグラスで何かのお酒を飲んでいた。


「ご苦労さま。」


イオを脇に抱えて運んできた二人の従業員に声を掛けて軽く手を上げると、イスカは改めてイオの姿を眺める。


泥と埃で覆われていたイオの姿は、すっかり美しい少年のものとなっていた。

混乱を隠せずキョロキョロと周囲を伺う様子は小動物のようだったが、その目には興奮と好奇心の色合いも含んでいる。

長く伸びた髪はまとめてわえられ、少し切りそろえられた前髪がサラサラと揺れている。


「すっかりキレイになったじゃないか。さ、ご飯にしよう。」


「……えーっと……」


挙動不審は収まってきたものの、まだ言葉が浮かばない。

そんなイオに微笑みかけて、イスカはカフェの店員にお勧めを適当に注文していく。


(ああ、いい匂いがする……)


イオの目の焦点が、ようやく戻ってくる。


「ん? どうしたの?」


「い、いえ、この服……? あ、さっきの薬湯が、いい匂いがするなあって。」


「うんうん、いいだろう。私の大好きな、カミツモレだね。」


イスカも、イオに顔を近づけてクンクンと匂いを嗅いでいる。

イオは、顔を赤らめながらのけぞり、距離を取ろうとする。


(こんなに、他人ひとが近くにいるなんて、何か月ぶりだろう……)


一人で採集を行うようになって、ずっと渋熊の毛皮をかぶっていた。

川の水ですすぐ位では、渋熊の臭いはとても落ちない。

何度か街中で先ほどのようなトラブルに遭ってから、他人と距離を取る習性が、体に染みついていた。


(それにしても、こんな風に笑う方だったんだ。)


ヒトツリアまでの道中、イスカはほとんど無表情なままだった。

ある程度、喋りはしたが、大体はぶっきらぼうだった。


「ええと、失礼かもしれませんが、イスカ様は、街の外にいたときと、ずいぶん雰囲気が変わりましたね……?」


「あはは、それはそうだ。任務中の勇者は、ほかのことを考えてる余裕がない。特に回収中は、世間話ひとつ出来ないってやからも多い。」


「そ、そうなのですか。話し方だけではなくて、なんというか、お姿も……」


「後で、ちょっと野暮やぼ用があってな。だらしない格好はしていけないからね。」


「はあ。それにしても、一体どういう……?」


早速運ばれてきた、美しく盛り付けられた料理を目の前に、イオは困惑して目をぱちくりさせている。

イスカは愉しそうに眺めながら、イオの前に料理を盛り付けていく。


「たまにはいいだろう。気持ちいい格好して、美味しいものを食べる。元気が出るじゃないか?」


「あ、はあ。……あ、僕の荷物!」


「あー、服は悪いが処分した。」


「えーっ!」


「代わりに、その服を進呈するよ。薬草を集めていた鞄は涼しい場所に置いてあるし、例の毛皮は、臭いが漏れない魔道具の袋に詰めておいた。」


「あ、ありがとう、ございます……。」


「そんなことより、食べる、食べる! 美味しい料理を美味しい時に食べないのは、食べ物の神への冒涜なのだよ。そのようなことは、されないんだ。」


「でも、こんな料理も、服も、あのお風呂屋さんだけだって、とても僕には支払いができませんよ……?」


遠慮と戸惑いをない交ぜに口にしているものの、その視線は鮮やかな色合いの前菜アンティパストにくぎ付けになっており、鼻はひくひくと具だくさんのパスタやシチューの香りに反応している。


「いいから、いいから。イオ、君に払えなんて、言わないよ。」


「で、でも、僕には、イスカ様に何かを恵んでいただく、理由がありません。」


「そうだな。私も、君を物乞ものごいとして扱う気はない。

じゃあ、その服は、私をかばって泥まみれになったことへの感謝ってことで。あのお風呂も、ここへ連れてくるために必要な通行料みたいなものだから、セットだな。

そして、このご飯は、後で私の提案を前向きに検討してもらうための、ま、言ってしまえば接待だ。断ったっていいんだから、まずは食べることだ。」


「は、はい。」


ようやく意を決したように、イオは銀のフォークを手に取ると、ゴクリと喉を鳴らした。


こんなにも人間らしい食事は、お師さまのもとを離れてから、初めてのことだった。

いったん食べ始めると、イスカと会話をするいとまもなく、口と手を動かし続けた。

イスカも、微笑みを浮かべたまま、料理を口にしていく。


四半刻は、静かな時が流れただろうか。

いつの間にかフォークを止めたイスカが、イオの顔をじっと見ていた。


「美味いか。」


イオは、コクコクと頷いている。

その目尻には、涙の粒が盛り上がっていた。


「あんな過酷な暮らしに、よく堪えてきたな。」


イスカが静かに述べる。


温められた身体の芯、満たされ消え去った飢餓、襲われることのない安心感。

沢山の感覚が波のように押し寄せて、イオの身体と心に根を張っていた緊張を、解きほぐし、洗い流していった。

イオは、嗚咽を止められなくなり、涙が一気にあふれ出した。




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