ログ001 イスカ
細かな雨が曇り空から絶え間なく降り注ぐ、荒れ野の只中。
岩がちな丘は薄い草地に覆われ、ひび割れのような大小の渓谷が延々と続く。
風化が進み、崩落の痕も露わな石灰質の白い岩肌。
その狭間の一つに、少女が身を潜めていた。
名は、イスカという。
暗灰色のマントにくるまり、フードも目深に、雨を避けて座り込んでいる。
岩を背に、身じろぎもしない。
生乾きの泥が跡を残したままの頬、湿気で張り付いた前髪。
前屈みに背を丸め、町の裏路地の浮浪者のような姿勢。
遠目には、生気も無く膝を抱えているかに見える。
だが、注意深く観察すれば、その瞳は静かな興奮に満たされている。
手にしているのは、小さな紙の本。
じっと目を落とし、読みふけっている。
イスカは、読書家だった。
細く白い指が、新たな頁をめくる。
その時、岩場の裂け目の底で、同じパーティーの、最後の勇者が息絶えた。
イスカの胸の奥に、いつもの感触が伝わってくる。
細い花火が燃え尽きるように、何かがパチパチと最後に弾けて、それから「つながり」が煙のように拡散して消えていく。
「あ、死んだ。」
呟きながらも、その目線は紙の上から動かなかった。
表情にも、変わりはない。
段落を読み終えてから、ようやく顔を上げる。
軽く目を閉じ、ふう、と息を吐く。
満ち足りたような、しかし多少の未練があるような表情を現わしている。
あたかも、勇者の死よりも、物語の続きの方が、気になるかのように。
イスカは、薄く延ばした白金のしおりを丁寧にはさむ。
植物の紋様が、透かし彫りとなっている。
本は、雨煙の中でも濡れていない。
水弾きの術を施した魔道具は珍しいものではないが、娯楽の読み物に施す例は稀であろう。
肩掛けの布の袋に本を収める。
座ったままマントを揺らして溜まった水を払い落とすと、ゆっくりと立ち上がる。
フードをつまんで持ち上げると、遠くを見やった。
耳の下程であっさりと切り揃えた銀の髪。
黒い瞳は、光の射した時だけ緑を浮かべる。
小柄な体躯は平坦で、まだ育ち切らぬ十代の半ばか。
少し尖った唇はやや横を向き、睨むような三白眼の目付き。
事情を知らぬ井戸端の女どもであれば、せめてもう少し愛嬌でもあればと評するかもしれない。
高台にある岩場からは、遠くまで見通せる。
日は翳り、雲は厚く、細かな雨や靄が眼下の風景をにじませている。
胸に手を当てて、裂け目の方角を一瞥する。
旅の仲間は、イスカを残して全滅した。
勇者達の記憶を、魂の器の中に確認する。
(こいつら、相変わらず弱い。)
イスカの脳裏に、嘲りにも近い感情が浮かぶ。
が、それと組んでいる自分がどれほど上等なのか。
ほの暗い感情が、フワフワと宙を漂ったあとに、今度は自身に向けて降ってくる。
(帰るか。)
首を振って、踵を返す。
残った水滴が、マントのひだに小さな流れを作って落ちた。
歩みは数歩のうちに走狗ほどの速さになり、さらに滑るように脆い断崖を迷いなく踏み分けていった。
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