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先生は箒がお好き

作者: 豊川颯希

「君のことが好きなんだ、レティ。どうか、僕の妻になってほしい」

 そう言って、彼はレティに指輪を差し出した。銀色に光るそれは、宮廷魔術師として働く彼であっても、おいそれと手を出せない高価な物であることは、瞬時に分かった。

 ──ああ、とうとうこの時が来てしまった。

 胸に去来する相反する感情──このまま彼の言葉を受け取りたい本音と、彼との身分差を考えればそれは決して容易いことではないという冷静な判断──に激しく胸の内をかき乱されながら、レティは俯く。震える唇を叱咤して、何とか言葉を紡いだ。

「あの、急なお話で……それに、私と先生では、身分が違いすぎます」

「身分なんて、関係ない。僕はレティ、君自身が好きなんだ」

 彼は真剣な声で言い、不意に表情を和らげた。

「急に話して、ごめん。君の返事は、いつでもいいよ……ただ、いつか必ず、聞かせてほしい」

 熱心に言いつのる彼に、どうして否が言えようか。

 本心を隠してレティは頷き、そして──。

 彼女はその日を境に、彼の前から姿を消した。




 全体的にきっちり整えられた室内だけに、それらはやけに目立っていた。

 昨晩、レティが家に帰る前に準備した食事は口をつけられないまま冷めきっているし、用意した寝間着は袖を通されることがないまま、きっちり折り目正しく鎮座している。

 この家の家政婦として雇われ、家事の一切を取り仕切っているレティは自分の眉根が寄っているのを自覚しながら、エプロンを身に付けた。主の着替えと掃除用の箒を手にしながら、ため息をつく。

「ここしばらく、規則正しく生活されていたのに、また不規則に戻るなんて……」

 レティは愚痴をこぼしながらあまり広くない廊下の突き当たりの部屋──レティの雇い主の仕事部屋へ向かうと、軽く扉を叩いた。

「先生? いらっしゃいますか?」

「……あ、うん、いるよ!」

 返事があるまで、しばらく間があった。レティが扉を開けると、両側には薬草が入った棚が整然と並べられており、それとは真逆にごちゃごちゃと物で溢れた机に、主はついていた。

「やあレティ、今日は早いね」

 きっと机に突っ伏して寝ていたのだろう、主の額には痕が残っている。纏っている服は言うまでもなく、昨日レティが帰宅した時と同じものだ。

「いつも通りの時間ですよ」

「あれ、そう? それなら、──もう朝!?」

 はっとして目を瞬かせ、窓からさんさんと降り注ぐ日差しを確認して、ようやく主はとうの昔に朝になっていることに気付いたらしい。

「先生」

 レティが静かに名を呼ぶと、主の肩がびくりと震えた。おそるおそる振り返る主に、レティはにこりと笑う。

「先生、いいですか、一度しか言いません」

 レティから漂う怒りの冷気を敏感に感じ取ったのか、主は青ざめる。

「ご飯にします? 湯あみをされます? ……それとも……」

 レティは持っていた箒の柄で、どんと強めに床を叩いた。主はうひぃと首をすくめる。

「この箒で叩かれないと動けませんか?」

「する、今すぐ動くよ、レティ! だから箒は勘弁してくれ!」

 慌てて立ち上がった主に、レティは着替えを渡した。

「ご飯は温め直すのに時間がかかりますから、先に湯あみをなさってください」

「ああうん、そうするよ」

 罰が悪そうに頬をかきながら着替えを受け取る主に、レティは釘を刺す。

「本当なら、昨晩のうちに自主的にどちらもされてから、就寝していただきたいのですが」

「ごめん、つい夢中になっちゃって」

 素直に謝る主に色々言いたいことを飲み込んで、レティは一言だけ付け加えた。

「お仕事が忙しいのも分かりますが……どうか、ご自分の体をもっと大切になさってください」

 案じるレティの言葉に、主の動きが虚をつかれたように止まった。それから不器用に、だが嬉しそうに微笑んでから、着替えを受け取る。

「うん、気を付ける……ありがとう、レティ」




 レティが雇い主──シュトル・ヴィーノに引き合わされたのは、今から一年ほど前になる。一見うだつのあがらないお人好しな青年のシュトルだが、薬草学においては他者の追随を許さないほど造詣が深い。そんな彼は二年前、王族でさえおいそれと手に入らない高価な難病の薬を、より効果が高くて副作用も少なく、安価で身近な材料を用いて簡単に調合できるものに改良し、多くの命を救った。この功績から、彼は魔術の腕はかろうじて及第点でありながら、宮廷魔術師の位を賜った。レティが彼を“先生”と呼ぶのも、このためだ。本来なら、彼も他の宮廷魔術師同様宮廷内に研究室が割り当てられる筈だったが、彼が王都郊外の家で希少価値の高い薬草を育てていたことから、そのままそこで過ごすことになった。そのため彼に仕事が割り振られるときは、魔術学院時代の友人であり宮廷魔術師のシド・リーヴェッジを通して伝えられる。そこでシドが一年間彼の家に訪れて発見したのは、友人の生活力の無さであった。

 薬草に関することならば、常人以上にこだわり、いっそ神経質なまでに整理整頓するシュトルは、自分の身の回りことに関しては無頓着の一言に尽きた。

 そこでシドが紹介したのが、レティである。レティは自分の裁量で行っていいことの線引きをシュトルと予め打ち合わせてから、家の家事を取り仕切った。正直レティがいなかったら、シュトルはそのうち餓死していたのではないかと、シドは冗談まじりに口にする。

 レティが食事を温め直している間に、呼び鈴がちりんちりんと鳴った。レティが玄関に行くと、宮廷魔術師を表す黒地に銀の刺繍が施されたローブ姿の青年──シドがいた。シドはレティの姿を見ると、気安い仕草で片手を上げる。

「よう、レティ。シュトルはいるか?」

「おはようございます、リーヴェッジ様。先生は、ただ今湯あみをなさっていて……」

 レティの言葉にシュトルの甲斐性の無さをよく知っているシドは鷹揚に頷く。

「そうか、ならどうせあいつのことだ、飯もまだだろ? 飯食いながら話すから、待たせてくれ」

「承知しました、どうぞこちらに」

 レティがシドを部屋に通してからしばらくして、シュトルが髪を拭きながら現れた。シドの姿を認めたシュトルの目が点になる。

「あれ、シド、もう来る時間だっけ?」

「そうだぞ、シュトル。……その様子だと、まだ前回依頼した薬の調合はできていないみたいだな?」

「うん、ごめん……」

「しっかりしてくれよ、少し多目に依頼を引き受けたのはお前なんだからな?」

「面目ない、今日中には仕上げるから」

 そのまま自室に向かおうとしたシュトルの前に、レティはすかさず立ち塞がる。

「食事の準備ができましたよ、先生?」

「レティ……」

 自分よりも頭ひとつ分低いレティを見下ろしながら、シュトルは決まり悪げに頬をかいた。しかし、レティが退く気配はない。その様子を見て、にやりとシドは笑う。

「レティから聞いたぞ、シュトル。飯がまだらしいな? 別に腹ごしらえの時間くらいは待ってやってもいいぞ」

「何だ、事情を知っているなら先に言ってよ」

 ぶつくさ言いながら、回れ右してシュトルは席につく。レティは主の前に温め直した料理を手際よく置いていった。食卓に好物のシチューが並んだのを見て、シュトルは子供のような屈託のない笑みになる。

「ありがとう、レティ。いただきます」

「はい、どうぞ」

 シュトルが食事をしている間、レティはそっとシドに耳打ちする。

「リーヴェッジ様、少しよろしいでしょうか?」

「ん? 何だ?」

「先生のお仕事の内容に私が口を出すのは失礼だと思いますが、どうしても気になって……先ほど、“少し多目に依頼を引き受けた”っておっしゃいましたよね」

「ああ、言ったな」

「先生、最近また夜を徹して作業されることが多くなって、体を壊されないか、心配なんです。厚かましいお願いかと思いますが、リーヴェッジ様の方から、依頼を引き受けすぎないように言っていただけないでしょうか?」

 眉を下げて頼むレティの表情は、シュトルをとても気遣っているのがありありと窺えた。シドは顎に手をあてて考え込む素振りをする。

「うーん、そう言ってやりたいのはやまやまなんだが……今回は、あいつの意志を尊重してやりたいもんでね」

「先生の、ご意志ですか?」

 目を丸くするレティに、シドは片目を瞑る。

「ま、これ以上は本人がそのうち言うからさ」

「……そう、ですか」

 レティはまだ納得していなかったが、食い下がるのはやめた。シドの性格上、こう宣言したらそれ以上話すことはないからだ。

 シュトルに目を向けたレティは、僅かに微笑んでから布巾を取る。

「先生! 頬にパンくずがついてますよ」

「え、どこ?」

「反対です。今取りますから、動かないで」

 食卓の反対側のほのぼのとした光景を見ながら、シドは頬杖をつく。

「知らぬは本人ばかりなりってな」




 シドから受けていた依頼を、シュトルは何とか当日中に仕上げた。機嫌良く帰っていったシドをシュトルと見送りつつ、レティも一安心する。どうやら、今日は主は徹夜せずにすみそうだ、と。

 晩ご飯の支度を終え、レティはエプロンを外した。

「それでは先生、私も帰りますね」

「あ、ちょっと待って、レティ」

 レティが大人しく待っていると、シュトルは外套を羽織って戻ってきた。

「今日、いつもより帰るのが遅いだろう? 送っていくよ」

「でも先生、お疲れでは……」

「ずっと机にかじりついてたから、むしろ歩きたいくらいなんだ」

 にこっと笑うシュトルにつられて、レティも微笑む。

「それでは、お願いします」

 レティがこうやってシュトルに送ってもらうのは、はじめてではない。はじめに会った頃の不規則な生活が改善する前も、帰宅時間が遅くなるときシュトルは必ず送ってくれた。

 二人で夜道を歩きながら、レティはシュトルを見上げる。少し子供っぽくて生活にだらしないところはあるが、何気に他人をよく見ていて、細やかな気遣いができる彼に、レティは好感を持っていた。

「君には、いつも迷惑をかけるね」

「迷惑ではありませんよ?」

「え?」

 きょとんとしたシュトルに、レティの唇がゆるく弧を描く。

「私は家政婦ですから。先生が不規則な生活を送らないよう手助けするのがお仕事なので、私にとって迷惑ではないです」

「レティは真面目だね」

「ええ、真面目ですから、先生が不摂生を続けられるようでしたら、遠慮なく箒をお見舞いしますよ?」

 とう、とレティが片手をあげると、シュトルは頭を抱える真似をする。

「うわあ、それは勘弁……おっと」

「あっ」

 近くを通りすぎた馬車が、泥水をはね飛ばした。シュトルが盾になってくれたおかげでレティは無事だが、シュトルの外套は大惨事だ。

「やっちゃったなあ……ごめんレティ、君の仕事を増やしちゃったね」

「そんなことはどうでもいいですよ! 私の家はもうすぐなんですから、汚れるくらいなんともなかったのに」

「いやいや、これが原因でもし君が風邪でもひいたら大変だ。僕にとっては死活問題だよ」

「先生……」

 だから僕は大丈夫、と穏やかに笑うシュトルに、レティは困ったように笑う。

「先生は優しすぎて、時々ちょっと不安になります」

「あーそれ、シドにもよく言われたなあ。人が良すぎて詐欺に引っ掛かりそうだって」

「……そういうことじゃないですよ」

「へ? そうなの?」

 本気で分かっていないらしいシュトルに、レティはこっそりため息をついた。

 他愛ない会話を交わしながら歩いていると、レティの家につく。レティには、一人で帰る時よりも二人で帰る時の方が、いつも短く感じていた。

「それでは先生、お気をつけて」

「ああ、また明日、レティ」

 小さくなっていくシュトルの背を見えなくなるまで追いながら、レティは静かに祈った。

 どうかこのぬるま湯のような居心地の良い時間が、できるだけ長く続けば良いのに。

 



 レティの祈りは、予想より早く終わりを迎えた。

「レティ、ちょっといいかい?」

「はい?」

 どこか緊張した面持ちのシュトルに、レティは嫌な予感を覚えた。それはむしろ、一種の直感だったかもしれない。

「好きなんだ、レティ。どうか、僕の妻になってほしい」

 シュトルの愛の告白が、嬉しくないわけではない。贈り物の指輪を見て、シドの言葉がよみがえる。

“今回は、あいつの意志を尊重してやりたいもんでね”

“これ以上は本人がそのうち言うからさ”

 シュトルが、最近無理をしてまで依頼を多めに受けていたのは、これをレティに贈るためだったのだ。

「ただ、いつか必ず、聞かせてほしい」

 熱心に、しかしどこか不安を滲ませて、それでも言い切った彼に、レティの胸は痛んだ。

「わかり、ました」

 レティが頷くと、シュトルはほっとしたようだった。そんな彼の表情を、レティは嘘をついた罪悪感を抱えながら、目に焼き付けるようにじっと見ていた。




「ん、シュトルか? お前が宮廷に来るなんて珍しいな?」

 シドは滅多に登城しない同僚の姿を認めて、片手を上げた。一方のシュトルは、シドを探していたらしく、彼が声をかけたと同時に近寄っていく。その足音がやけに荒いことに、シドは違和感を覚えた。

「おい、どうしたシュトル?」

「レティがいなくなった」

「は?」

 いつもより幾分か青ざめた表情で、シュトルは言う。

「突然、家に来なくなったんだ。もう一週間音沙汰がない」

「待て待て、風邪とかひいて来れないんじゃないのか?」

 シドの問いを、シュトルは否定した。

「レティの家には行ったけど、もぬけのからだった。まるで、雲隠れしたみたいに」

「それは……」

 シドが絶句していると、シュトルが逆に質問する。

「シド、レティの行方、知らない?」

「すまん、分からん。俺がお前に紹介したとは言っても、俺も知り合いの知り合いに紹介されたからな……」

「そうか……悪い、邪魔したね」

 踵を返そうとしたシュトルの肩をシドは慌てて掴む。

「おい、どこいくんだ?」

「どこって、まずは王都中を捜して、それでもいなかったら国中をまわるつもりだよ」

「あては?」

「ない」

「ないってお前……」

 呆れるシドに、シュトルは一瞬ためらってから、告げた。

「僕、レティが失踪する前に、告白したんだ」

 レティのことは、ずっと頼りになる家政婦だと思っていた。彼女と過ごす時間は楽しくて、──その気持ちは彼女といる時にしかわき上がらないと分かって、シュトルは決心したのだ。彼女に想いを伝えようと。だからこそ、次の言葉はひどく言いづらかった。

「ひょっとしたら、レティはそれが嫌で、僕から逃げたくて、いなくなったのかもしれない。……でも、それでも」

 シュトルはぐっと拳を握った。

「僕がレティの口からはっきり嫌って言われないと、諦めきれないんだ」

 シュトルの決意に、シドは目を見張る。

「そうか、お前……」

「だから僕は行くよ、シド。いい加減放してくれる?」

「おう、お前の覚悟は分かった。だが、少し待て」

 振り払おうとするシュトルを押さえ、シドは口を開く。

「今のお前は宮廷魔術師だ。おいそれと王都を離れる訳にはいかないぞ?」

「なら、宮廷魔術師をやめるよ」

「まあまあ、そう短気を起こすな。お前にはとっておきの強みがあるだろ?」

 シドは、にやりと笑った。

「そう、薬学だ。宮廷やお前の家の薬草園には多種多様な薬草が揃っている。しかし、国中の薬草全部って訳じゃない」

 シドの指摘に、シュトルははっとする。

「取り扱ってない種類の薬草を、僕が採取して王都でも育てられるようにすることを口実に、国中を巡ってレティを捜せるってことか!」

「その通り! 珍しく冴えてるな、シュトル」

 シドはシュトルの肩を持つと、宣言した

「さ、そうと決まれば、宮廷魔術師長と陛下に許しをもらいに行くぞ!」




「いつまで待つんだ!」

 シュトルは小声で苛々と叫んだ。今、シュトルとシドがいるのは、宮廷の大広間だ。あの後宮廷魔術師長にはすぐに会えて許可がもらえたが、一国の王となるとそうもいかない。

 その上、どこから聞き付けたのか、王女がシュトルに会いたいと行ってきたのだ。詳しい経緯を聞くと王女は二年前、シュトルが改良した薬で病から回復し、いつかお礼を言いたいと思っていたそうだ。早くレティを捜しに行きたくていてもたってもいられないシュトルには、正直迷惑だった。こんなことになるなら、二年前の功績を表彰する式典を辞退せず、そこで王女と顔を合わせておけば良かった、と思うも後の祭りだ。

「静かにしろ、いらっしゃったようだ」

 シドの言葉に、シュトルは頭を垂れる。早く、早くレティを捜しに行きたい。そう思っていたから、思いすぎていたから、幻聴を聞いたのかと思った。

「面を上げなさい」

「……え?」

 その声は、愛しい人のものに瓜二つだった。よろよろと頭を上げ、呆然と目を見張るシュトルに王女──クレティア姫は麗しい相貌に笑みをはいた。

「あなたがシュトル・ヴィーノですね」

「……は、はい」

 シドに脇を小突かれて、シュトルは慌てて返事をする。それでも信じられない、とばかりに視線は王女に固定されていた。

「あなたには、ずっとお礼が言いたかったのです。薬を改良していただき、ありがとうございました。わたくしばかりではなく、国民の皆の分も含め、お礼申し上げます」

「いえ……」

「それに、もうひとつ。わたくしは、あなたに謝らなければなりません」

 王女はゆっくりとシュトルに歩み寄った。シュトルの元につくと、シュトルと目線を合わせるように身を屈める。

「先生、王女であることを隠していてごめんなさい」

 口調と共に雰囲気の変わった王女の別の名が、シュトルの口からぽろりとこぼれた。

「レティ」

「あなたを騙す形になってしまっても、あなたの役に立ちたかった。病でろくに動けなかった私が、誰かのために動けるほど回復できたのは、あなたのおかげなんです。その恩を、どうしても返したかった」

「それじゃあ、君は、本当に」

 頷く代わりに、レティは絹の手袋を外した。その下から出た指や手のひらは、丁寧に手入れがされているものの、あれていた。その手を、シュトルはそっと包み込む。

「レティ、なんだね?」

「はい、先生」

 レティが首肯すると、ぽたりとシュトルの目から涙があふれた。

「先生、どうされたんですか?」

 驚くレティをよそに、シュトルはぼたぼたと涙を落とした。

「よかった、……本当に、よかった」

「先生?」

「君がいなくなって、何か事件にでもまきこまれていやしないかとも思ってて、……危ない目にあってないか、ずっと心配していたんだ」

 えぐえぐと泣きながら無事でよかった、とシュトルは繰り返した。そんな彼に、レティは聞いた。

「怒らないんですか? 私、あなたを騙していたんですよ?」

「僕は、君に何度も助けられたけど、騙されたことは一度もないよ」

「……先生は、本当にお人好しです」

 レティは微笑みを消して、真剣な顔つきになる。シュトルに告白され、姿を眩ませたのは、元々レティがシュトルの元で働く条件に“恋仲とならないこと”があったからだ。それはレティの本当の身分──王女であることを考えれば当然のことである。シュトルがレティが王女であることを知った今、自分に対して態度が変わってしまうのではないか、レティは恐れていた。隠していたのはこちらで、身勝手な思いだとは分かっている。まさか王女だとは思わなかったと告白を撤回するシュトルの姿を予想して辛く思いながらも、レティは口を開いた。

「先生、……私が王女であっても、同じように私を求めてくださいますか?」

 間髪入れずに、シュトルは首肯する。

「もちろんだ。僕は、君自身を愛してる」

「でも私、王女ですよ?」

「王女でも、この一年間僕の世話を焼いてくれて、駄目なところを怒ってくれたのは君だよ、レティ。そんな君が何であろうと、僕は君のことが好きなんだ」

「先生……」

「よし、よく言ったシュトル!」

 今の今まで存在を忘れていたシドに二人が視線を向けると、シドは呪文を唱えた。淡い光とともに、シュトルの側に分厚い本が現れ積み重なる。

「これは……」

「お前が国内をめぐって採取してくる薬草の一覧だ」

 当惑するシュトルに、シドは説明する。

「お前は二年前、その薬学の知識で数多の人を救った。確かに、その功績は大きいが、王女を降嫁させるには足りない。足りない分は、その本に記載されている薬草を集めきることで、ちょうど良いそうだ。──そう、陛下はおっしゃっている」

 よどみないシドの言葉に、シュトルはようやく気付く。

「陛下はってことは、君もレティのことを知っていたのか?」

「ああ。レティは知り合いの知り合い(魔術師長や国王)から紹介されたと言っただろ? お前のお陰で、しがない子爵家出身の俺が上層部と顔見知りになれて、ありがたかったぜ」

「……君にはいつか、禿げる薬を飲ます。絶対に」

「おっと、いつものお人好しはどうした?」

 シドから視線を外し、シュトルはレティに向き直る。レティの手を改めて握り、シュトルは真摯な表情になった。

「レティ、少し時間がかかってしまうけど、必ず君を迎えに行ける僕になるから……どうか、待っていてほしい」

 シュトルの言葉に、レティは頷く。

「ええ、いつまでも待ちます。……ただ」

 レティは悪戯っぽく笑った。

「私が見ていない間にご無理をされていたら、箒で叩きますからね?」

「……ああ、その時はぜひ頼む」

 シュトルは笑って、レティを抱き締めた。

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