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INSIDEOUT  作者: 佐倉蒼葉
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第3章

 二日目。朝のミーティングの直後に和泉と宇田川が衝突した。

 先に声を荒げたのは宇田川だった。「社に戻ります」という声が耳に飛び込んで、どうした、と振り向くと、和泉がデスクの上のファイルにバンと手を置いた。

「なら俺を納得させてみろ」

「させますよ」

 睨み合う二人に、古田が小声でのんびりと「あらまあ」と言うのが後ろから聞こえた。宇田川は「あんたと組むのはごめんだ」と言い捨てて部屋を出ていった。坂口が困惑の顔でドアと和泉を交互に見ていたが、

「あの、連れ戻して来ます」

「いいって。好きにやろうと言ったのはこっちだ。宇田川君もああ言う以上はそれだけの物を作ってくるでしょう」

と河上は苦笑した。和泉はファイルを手にしてパラパラとページを繰っていたかと思うとパンと閉じてデスクに叩きつけ、「クソッ」と呟いた。苛立った時の癖の早足で部屋を横切り、「ちょっと出てくる」とドアノブに手を掛けた。坂口が「どこへ行くの」と訊ねると、彼は険しい目をこちらに向けた。

「コーヒー牛乳買って来る」

 ク、と古田が小さく笑った。バンとドアを鳴らして和泉が出ていった後、坂口は「…え?」と首を傾げた。反応が遅い。

「出たな。マシンとセットで一台の男」

「もう誰も和泉を止められないねえ。フフフ」

 笑い合う俺達に高橋が「何ですかそれ」と訊いた。古田は「まあ見ててごらん、面白いから」と答えた。

 十分程で戻った和泉はコンビニの袋からコーヒー牛乳のパックを取り出してデスクに置いた。一リットルのパックである。無論、皆で飲もうなどという心遣いではない。その横に置いた袋はまだ何か入っていて膨らんでいる。おそらくカレーパンやおにぎりで、これで彼は便所と一服に立つ以外はマシンから離れずに済む事になった。

 和泉はボールペンのしっぽを口にくわえてひたすらキーを叩き続けていた。何を話しかけても「うん」としか言わない。意見の対立した和泉と宇田川がそれぞれに仕事を進めている為、どちらに合わせる事も出来ないこちらは大まかにしか進められない。昼前には行き詰まってしまった。坂口が本社に電話を入れると言って出て行くと、古田が俺の肩を指でチョンチョンとつついて無言でドアを指差した。俺達は昼飯を口実に部屋を出て、坂口の後を追った。

 俺もずっと気になっていたのだ。

 廊下を抜けた玄関先で坂口は電話をしていた。話を終えて俺達を見つけると、彼は苦笑いで首を横に振った。外で食事をしようと彼を誘い、近くのカフェテリアに入った。

「宇田川君ってどんな人?」と古田が口火を切る。こういう事は、彼の方が上手い。

「中途で入って来ただけあって、実績もありますよ。だからかな、若いけどプライド高いかもしれません」

「フフ。プチ和泉」

「何や気色悪いな、それ」

 三人で暫し脱力して笑った。クスクス笑いで古田が訊ねる。

「いや、彼は意見が通らなかっただけで臍を曲げるような人なの?」

「…いえ…」と坂口は口ごもった。

「和泉は意見が合わないくらいで怒る奴じゃないでしょう。実際彼が帰っちゃったお陰で僕らの方も仕事にならない。だから奴も怒ってる」

「すみません」

「おまえが謝る事と違うやろ」

「うん。僕が気になっているのはね、宇田川君がなぜ和泉を気に喰わないのかって事なのね。前に会った事ないでしょ?昨日『はじめまして』って挨拶してたんだから」

 ───気になっていたのはそれだった。今回の企画の人選にあたって中心に立ったのは河上である。築地に和泉を伴って来たのは、単純に『古巣』だからだ。大阪本社も『古巣』ではあるのだが、その時は河上一人だったという。昨日からの様子では、特に滞りなかった筈だ。少なくとも和泉の手際は悪くなかった。「組むのはごめんだ」とまで言われるような事などあっただろうか。

「…和泉が築地に異動になる少し前に、彼が一週間休んだのは覚えてる?」

「ああ、そういや…」

 俺は頷いた。和泉がまとまった休みを取るのは珍しい事だったから、すぐに思い出せた。坂口は言い難そうに俯いた。

「あの時にね、どうやら妙な噂が流れていたらしいんだ」

「噂」

「和泉が何か事件を起こして築地に飛ばされたっていう」

 ───え?

 耳を疑った。

「澤田も聞いた事ないだろう。僕らはほら、大抵奴と一緒に居た訳だから。和泉が去年、名前だけうちに戻って第三に移った時に、またその話が浮上したらしくて…。それを宇田川君は聞いたんだそうだ」

「…事件て何や」

「刃傷沙汰」

 坂口は溜息と一緒に吐き出した。

「…って言うのかな。被害者か加害者か知らないけど。和泉も相手も怪我したらしいね」

 知らない。

 古田が冷静な声で「怪我ってどんな?」と訊ねた。

「判らない。ただ、休みが明けて彼が出社した時に…、澤田、和泉は怪我していた?」

「いや?気がつかへんかった」

「僕も」

「飛ばされたんなら加害者だね。和泉の怪我は大した事なかったとして、相手はどうかな」

「古田」

「その噂が本当ならね。それにしても噂に留まるなら、事実として疑わしいじゃない。宇田川君はそんなものを鵜呑みにして和泉と組めないって言ってるの?」

「うん、だからそういう経歴…噂だけど、その和泉が今の地位に居るのが気に入らないみたい」

「フ、なるほどね」

 古田は思い出したようにコーヒーに砂糖を入れた。

「まあいいじゃないの。ライバル意識結構。彼がどこまでやるか見てみよう」

 食事を済ませて戻ると、和泉は相変わらずボールペンをくわえてマシンに向かっていた。彼の横では赤いアロハシャツの高橋が、コンビニの弁当を食べながらモニタを覗き込んでいる。戻った俺達に「古田さん、おもろいですわ」と言った。

「本当に見てたの?」

「おまえの方がおもろいわ」

「古田、ちょっと見てくれる?」と和泉が椅子から立ち上がった。古田がそこに座り、確認をする後ろで彼はおにぎりの包みを開けて立ったまま食べる。古田は「ふん、ふん、へえ」と言いながら画面をスクロールさせていたが、突然「フフフフフ」と笑った。

 出来は上々らしかった。和泉はそのせいか食っているせいか満面の笑みを浮かべ、次のおにぎりの包みを開けていた。

「この言語センスがどうして実生活に活きないのかしら」

「そんな言語で生活する奴がおるかい」

 おにぎりをマッハで食い終えた和泉は「もうちょっとだから待って」と古田と交代し、再びボールペンをくわえて手を動かし始めた。邪魔にならないように少し離れて、全員でその様子を見守る事にした。する事がなくなってしまったのだ。

「あのボールペンには意味があるんですか」

「煙草の代わりだろう」

「ひもじくなったら食う」

 ぴたり、と和泉の手が止まった。皆黙り込んだ。和泉はフッと楽しげな笑みを浮かべ、モニタに向かって頷くとまたキーを叩いた。

「気色わる」

「久しぶりに見るとねえ」

 古田が鞄からポラロイドカメラを取り出して一枚撮った。フラッシュに驚いて和泉は顔を上げた。

「何?」

「ヒマで」

「ああそう」と頷いて作業を再開する。古田はジーと吐き出された写真を手に取ってパタパタと振った。無意味な行動。本当に暇だ。

「少し外を歩こうか。天気も良いし、和泉を観賞してても仕方ないしね」

 和泉の作業が終わるのを待つ間、近所を散歩した。特に何もない街を、古田は写真を撮り、高橋が案内する。坂口もついてきた。近くの公園のベンチに腰を下ろす。───思考はどうしても先刻の話に戻ろうとする。

 『何か事件を起こして築地に飛ばされたって』

 そうして初めて、幾つかの疑問が生じた。またそれは如何に彼が自分について話す事がなかったかという再認識でもあった。

 和泉が一週間休んだのは、まだ真冬だったという印象が残っている。一月か二月だったとして、確かに人事決定の時期にあたるが、坂口の言ったような傷害事件で『飛ばされる』のであれば、処分はもっと早急に下された筈である。

 また、現在の会社に移る話は当時からあったのだから、かなり早い時期から和泉本人に打診があったと思われる。そう、『飛ばされた』とは考え難い条件が揃っているにもかかわらず、……何故そんな噂が立ったのだろうか。

 誰かが故意に───誰が、何の為に?

 『二年ぶりの大阪は変わる事なく憂鬱です』

 去年の春、和泉が大阪へ赴いた時のメールの書き出しだ。

 現在の職場からの誘いは決して悪い話ではなかった。だが彼は迷っていた。いや、むしろ最初は断っていたのだ。もったいないではないかと彼に言った覚えがある。

 もしもその噂が事実で───それで大阪に戻りたくなかったのだとしたら……

「澤田さん、怒ってます?」

と高橋が古田のカメラをこちらに向けたので笑ってみせた。

「何で」

「そんな顔してますわ」

「頭痛いだけや」

 本当に頭痛がしてきた。彼はニヤリとして言った。

「遅れた分は僕らと宇田川さんで何とかなりますよ。て言うよりウダッチに何とかしてもらいますわ」

「ウダッチて、仲良かったんか」

「いえ?昨日初めて会いました」

 かくんと頭が下がった。

「坂口さん、宇田川さんてどんな人なんですか」と高橋も同じ事を訊ねる。坂口は苦笑して「一昨年に中途で入ってプライド高そうな…」と曖昧に答えた。

「ウダッチもひっこぬいて欲しいんですかね。さっき和泉さんに嫌味たらしく言うてましたけど」

「へえ、何て?」

「自分はコネで入ったのと違うって。和泉さんそれ聞いてプチーッてならはって」

「…コネ?」古田がぽつりと聞き返した。

「引き抜きの事と違いますの?そういうのもコネ言うんですか?確かに、どんな人でどんな仕事して、いうの知ってる人が引き抜く側に居てる訳やけど」

「まあねえ。でも断っているものを説得してまでアホは引き抜かないでしょう。上もアホなら別だけど」

「そんな古田さん、あんまりです」

 高橋は、当時、和泉の引き抜きの話を持って来た篠原開発部長が第三開発に所属していた人間の賛同を得ていたと話した。あくまで現場に実績を認められての抜擢だったという。

「篠原部長が目をかけてはっても一緒に仕事するんは僕らですし。…誰が何言うても、関係あらしませんでしょ。出来ひん人はこぼれるし、出来る人は認められるし、それは誰が決める事でもないですよ」

 フ、と笑う古田と顔を見合わせた。あの噂を高橋も聞いているのかは判らないが、彼なら和泉の人となりを自分で判断するだろう。坂口が微笑で頷いた。

 日なたに居て汗が出てきた。ぞろぞろと戻ると、廊下の途中にある喫煙所の長椅子に和泉が上半身を倒して眠っていた。電池が切れたらしく、火を点けないままの煙草が口の端から落ちそうになっている。坂口が「和泉」と肩を叩くと彼はぼんやりと目を開けた。

「終わった?」

「…うん」

 のっそりと起き上がる彼に「どや、勝てそうか」と訊ねると、彼は目を丸くした。

「何が?」

 本当に判らないという顔だった。

 古田が「出来はどう?」と和泉の口から落ちた煙草を拾って渡す。それを受け取りながら「現時点でベスト」とニッコリした。

「じゃ、後はウダッチ待ちね」

「うん」

 ニコニコ顔のまま、拾った煙草に火を点けた。

 やりたい事を思うさまやって気が済んだというさっぱりした顔だ。あんなに怒っていたくせに、宇田川の事はまるで気にしていない。

 ───和泉諒介はこういう奴なのだ。


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