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ファンタジスタ・ガールズ

第四章

季節は十一月の下旬を迎えた――。

 暑かった夏が、遥か昔の出来事であったと感じる程、寒い一日であった。来週から、もう十二月である。今年も、もう残り少ない。同時に、万代フットサルクラブの少女たちのトレーニングも佳境を迎えていた。

 今日は土曜日ということもあり、練習試合が行われていた。万代FCの小学生たちを相手に、万代スポーツクラブは練習試合を行い、三対二で勝利を果たした。

 十一月に入ると、毎週土曜日は本格的な練習試合を、数多くこなして来た。およそ十五試合程度を重ね、戦歴は五勝 ― 十敗と大きく負け越してはいたが、チームプレーを重ねて行くにつれて、少しずつであるが勝てるようになって来たのであった。

 残すは、万代スポーツクラブで行われる大会だけになった。

 栞ら五人は、練習試合での勝利で自信を付けはじめ、この大会で優勝して、最高の気持ちでお別れしよう、ということを約束していた。

 来週の日曜日は、いよいよ本番の大会である。

 参加チームの受け付けは、すでに締め切られており、男子は十六チーム、女子は六チームが参加することになった。

 二十二チームが一日で試合を行う関係上、試合形式は一発勝負のトーナメント方式に決まっていた。

 一試合の時間は、二十分ハーフの計四十分で行われる。ルールは国際ルールと同じものが採用され、レフェリーは明彦を始め、フットサルスクールのコーチが担当することになった。


 最後の練習試合を終え、クールダウンを行っている少女たちのもとへ明彦が向かう。

「おーい。聞いてくれ。いよいよ、来週の日曜日は大会本番だ。だから、次の水曜と土曜はあまり激しい練習はしない。セットプレーやシュート練習を中心に行うつもりだ」

 栞が言う。

「ねぇ先生。対戦相手とかもう決まったの?」

 明彦は答える。

「ああ、そうだった。決まったんだ。ええとな、君たちは長岡の高校生が相手だ。チーム名はエスペランサ長岡って言う」

 香織がボソッと言う。

「エスペらんさってなんだろう?」

 それを聞いた唯が答える。

「Esperanza。スペイン語で希望って意味」

 明彦が答える。

「そう、良く知ってるじゃないか。スペインってサッカーが有名だろう。だから結構こういう名前を付けるチームが多いんだ。もしかすると、エスペランサってことは、スペイン系の攻撃的なサッカーが得意なのかもしれないな」

 栞が下を向き、何かを思い出したかのように答える。

「エスペランサ……長岡……」

 それを聞いた明彦が答える。

「お、栞はこのチームを知っているのか?」

 栞はどう答えるか迷った。

 前に一度、新経大フットサルサークルの横光に出逢った時、同じ名前のチームを聞いたことがあった。

 あの時、横光は言っていた。エスペランサ長岡は栞たちの年代の中では、非常にレベルが高いということ。そして、中越地域は新潟女子サッカーのパイオニア的な地域であるということ。しかし、そのことを今目の前で言っても良いのだろうか?

 言うにしろ、言わないにしろ。栞は横光から情報を聞いただけで、このチームの姿を実際に目にしたわけでない。そのため、本当に強敵なのかいまいちはっきりしなかった。

 そんな中、葵が答える。

「高校生? サッカー部ってこと?」

 明彦は答える。

「いや、長岡の地域のサークルらしい。女子高生が中心に集まって、サッカーチームを創ったみたいだ」

 歩が答える。

「先生、そのチームって強いんですか?」

「う~ん。わからないな。恐らくだけど、女子は実力が拮抗していると思うんだ。だから、君たちにも優勝のチャンスは大いにあると思うよ」

 優勝と聞いて、少女たちは色めき立つ。栞はその様子を見て、エスペランサ長岡というのが強敵かもしれないということを言えなかった。勢いに水を差すような気がしたからだ。


 少女たちの最終週の練習は、明彦の言ったとおりセットプレー中心であり、その他にも今まで鍛えてきた、カウンターの最終調整があった。

 フリーキックは、すべて栞が担当する。コートが小さく狭いので、距離的にどこからでもゴールを狙えるからだ。

 コーナーキックは、主に香織が担当する。キーパーとディフェンスの間に鋭いボールを送る。これを香織は三カ月間、徹底的に練習して来たのだ。

カウンター練習では、ゴールキーパーからのカウンターを練習して来た。

 攻め込まれた時は、唯がコースを切ったディフェンスを行い、シュートコースを制限する。制限されたシュートコースに放たれたボールを、葵が正確にキャッチする。

 キャッチしたボールを、葵はサイドにいる香織に素早く送る。

 香織は対角線上のコーナーフラッグに目掛けてスルーパスを送る。

 歩はそのボールを目掛けて走る。歩は短距離の選手だけあって、初速のスピードが誰よりも速い。これで相手ディフェンダーを振り切り、ゴール前にセンタリングを上げる。

 最後に栞がゴールを決める。

 決まれば僅か五秒ほどでゴールすることができる。まだ一度も決まったことはないが、このカウンターは、全員の意志が一つになって初めて完成する。

 一度は途切れかけた絆を復活させた万代フットサルクラブにとっては、ピッタリのカウンターであった。

 その他にも、歩が走り開いたスペースに栞が走り込むプレーや、栞がボールを持った際、歩や香織が、彼女を追い越し、スペースを作るプレー。さらにカウンターの際、唯がセンターライン付近から意表をついたシュートを行うパワープレー等を練習してきた。

 少女たちは最後の試合に向けて、一つ一つを確認するように、練習を行った。

 午後五時半 ――。

最後の練習が終わり栞は香織と、歩と葵と唯は三人でそれぞれ家路に着いた。

 

 栞と、香織は歩らとは反対方向に歩いて行った。

 十二月というだけあって、辺りは暗く、かなり寒い。その上、星がほとんど見えない真っ暗な空から雪がちらちらと舞っていた。

 栞が言う。息が白く消えていく。

「ねぇ。香織、今までありがとうね。あたし、皆とフットサルできて本当に楽しかったよ」

 香織が言う。

「そ、そんなことないよ。私なんて最初は協力するなんて言っていたのに、途中で一回逃げ出しちゃったもん」

「でも、今こうやってフットサルをしてくれてる」

「うん、明日で終わりなんだね。あ、そうだ、栞ちゃんは、ユースの試験を受けるんだっけ?」

「あぁ、うん。試験は再来週の土曜日に聖籠町 (新潟県北蒲原郡にある地名) であるんだ。まぁ受かると良いんだけどね」

「栞ちゃんなら大丈夫だよ」

「うん、ありがとう」

 二人は雪化粧を纏った地面の上を歩き、それぞれの家へと消えていった。


 香織と別れた後、栞のケータイに由香里から着信が入った。慌てて、栞はケータイに出る。

 ケータイの向こうから由香里の声が聞こえた。

「お疲れ、明日は試合だね。最近そっちはどう?」

 栞は答える。

「調子ですか。良いですよ。多分、今度は新経大には負けないと思います」

「言うねぇ。まぁお互い決勝まで当たらないからね。でも一回戦の相手、かなり強敵だぞ」

「やっぱりそうですか。エスペランサ長岡って、前に由香里さんが教えてくれた長岡のチームですよね? 確か、大江さんっていう人が所属している」

「そうそう、大江の奴にも少しだけ言っておくよ。向こうは全員が経験者だからな」

「分かってます。でもあたしたちもこの半年でかなり進化しました。それに……」

「それに?」

「それにこの大会が、皆でフットサルができる最後の大会だと思うんです。だから絶対に負けたくないんです」

「……。そうか、じゃあさ、決勝戦で会おう。私たちも決勝まで負けないから。とにかく明日頑張って」

「はい、ありがとうございます」

 電話を切り、空を見上げる。雪が頬に落ち、体温でゆっくりと溶けていく。

 明日は最後だ。そして、絶対に負けられない。みんなで最後優勝して終わるんだ。栞は無言で、そう心に誓った。


 葵と、歩と、唯は三人で駅を横切るように歩いていた。駅前は僅かだがクリスマスに向けたイルミネーションがキラキラと輝いている。

 葵が言った。

「あれ、ユイマールってこっちなの? もっと早く言ってくれれば、いつも一緒に帰れたのに」

 唯が答える。

「いつもは自転車だったから。ただ、今日は雪が降ったからバスで来た。だから、たまたま」

 雪が降っていて、会話をする際の少女たちの息は白かった。

 葵が言う。

「ねぇ、ユイマールはさ、フットサルスクールが終わったらどうするの?」

 唯が答える。

「終わったら?」

「うん。だって明日の大会でスクールの日程は全部終わりでしょ?」

「葵や、歩は?」

 葵が目を細め答える。

「ウチは、終わったら普通の生活に戻るよ、学校行って調理部へ行って。だから、万代スポーツクラブへ通わなくなるとは思うけど。まぁ多分だけど……」

 唯は答える。

「歩は?」

 そう言われた歩は、遠くを見つめ答えた。

「あたしは、フットサルスクールは終わりだけど、あのスポーツクラブへはトレーニングで行くと思う」

 唯は答える。

「じゃあ本当に、明日で離れ離れになる。皆は同じ中学だけど、私は違うから。でも私はサッカーを続けたい。楽しかったし、もっと上手くなりたい。本当はこれでお別れにしたくはない。でも、皆それぞれ違う生き方があるし、無理は言えない」

 葵が驚いて言う。

「ユイマール。サッカー続けるんだ……。でも、付属中っていってもそんなに遠くないし、会おうと思えばいつだって会えるさ」

 歩もそれに倣い答える。

「そうそう。あたしだって結構頻繁にあのスポーツクラブへは行くから、直ぐに逢えるよ」

 唯は柄にもなくにっこりと微笑み答えた。皆と出逢えて良かったと思えたのだ。

「うん。そうだね」

 唯の言葉を皮切りに、三人はそれぞれの道を歩いて行く。

 

 葵は唯や歩と別れた後、一旦家に戻った。

 弟の悠貴はまだ帰っていない。母親に聞くと、まだ蒲原FCの練習だという。それを聞き、葵は蒲原小学校まで赴くことにした。

 理由は、芥川に明日の試合のことを伝えるためである。

 万代スポーツクラブで大会が開かれることが決まった時、悠貴経由で一度教えてあったが、最後に自分の口から言おうと思っていた。

 蒲原小学校は、公立の小学校の分際で照明設備がある。新潟駅という、新潟市最大の繁華街から最も近くに建っているから、安全面を考慮してという理由で付けられたものだった。そのため、部活動以外にもいろんな団体がこの小学校の施設を借りていた。悠貴が所属する蒲原FCもその一つであった。

 葵が蒲原小学校に着いた時、ちょうど蒲原FCの練習が終わった頃であった。ぞろぞろとグラウンドから、校内へと蒲原FCの児童は消えて行く。

 無人になったグラウンドには、雪が降り続け、うっすらと地面を白く染めていた。やがて照明の光が落とされると、街灯の灯りだけになり辺りは薄暗くなる。

さっきまで見えていた、遠くの景色が薄暗く見えなくなっていた。それを見て葵は校門の方へ向かう。校門からは練習を終えた蒲原FCの児童たちが、ぞろぞろと群れを作って出て来たところであった。その群れの後ろの方に、悠貴と芥川は一緒に歩いていた。

 葵の一件以来、二人は少しずつ仲良くなっていたのだ。群れを成す少年たちの隙間を縫うように、葵は悠貴たちのもとへ歩いて行く。

 悠貴と芥川は、海外サッカーの話をしていたが、悠貴は近づいてくる姉の葵の姿に気が付いたようであった。

「あ、姉ちゃん。どうしたんだよ」

 葵は答える。

「え、いや、ウチさ明日試合なんだ。それを言いにね」

 芥川は答える。

「あ、はい。わざわざすいません。前もちらっと聞いたんですけど、万代スポーツクラブへ行けば良いんですよね?」

「うん。十一時から試合になったよ」

 悠貴が答える。

「相手は?」

「確か、長岡の女子高生」

 それを聞いた芥川が答える。

「長岡の女子高生ですか……」

「うん。どうかした?」

「いえ、僕、昔長岡にいたんですよ。長岡の長岡FCでサッカーを始めたんです。まぁ小学校三年生までで、その後こっちに来たんです。それで僕が一年生の時に、とってもサッカーが上手な六年女子の先輩がいたんです」

「サッカーが上手い?」

「はい、名前は大江 恵さんって言うんですけど、その代の長岡FCは、全国大会まで駒を進めたんです。その時のキャプテンが、大江さんって人でした。今もサッカーをしているみたいなんで、もしかしたら? と思いまして。恐らく新潟県の女子の中で一番上手いんじゃないかなって思います。でも、長岡には何千人と女子高生がいるので、恐らくは別人だと思いますけど」

「ふーん。まぁこっちにもスーパー女子中学生がいるから大丈夫だとは思うけど、とにかく明日十一時だから、練習の成果を試してみるよ」


 葵が悠貴や芥川と話をしながら家に向かっている頃、唯はちょうど家に着き、兄である弘に出迎えられた。

 それもそのはずで、明日が大会だということを前もって告げてあったためだ。

 弘は目を燦々と輝かせ言う。

「お帰り。とうとう明日は試合だね。体調は大丈夫かい?」

 唯は答える。

「はい、大丈夫です。それでその試合のことなんですけど十一時から試合です。でも会場内が狭いので、わざわざ見に来なくても大丈夫ですよ」

「何を言っているんだよ。会場の広さなんて関係ないし、何があったとしても僕は行くよ。それと僕からはフットサルチームの皆にプレゼントを用意しておいた。だから、明日を楽しみにしておくと良いよ」

「プレゼントですか?」

「そうさ。でも今言ったら台無しだから、中身は何か言わないよ。明日を楽しみにしておくと良いよ」

「どうしても言えないものなんですか?」

「う~ん。今はね。ヒントを出すと、試合をする上でとっても大切なものさ。あ、これ以上はもう言えないよ。楽しみにしておくんだ。それじゃあ明日のために、今日は早めに休むと良いよ」

「は、はい。分かりました。それじゃあお休みなさい」


 大会当日――。

 昨日の雪が嘘のように、空は澄み切り、昨晩地面にうっすらと積もっていた雪も、朝方にはほとんど溶けていた。

 栞ら五人は、午前十一時からの試合であったが、他の試合を見るために、全員は九時には集まっていた。

 ちょうど九時からは、明彦がレフェリーをやり、新経大のフットサルサークルが試合を行っていた。相手は、新潟市東区の中年層のフットサルチームである。

 横光 由香里率いる新経大は、後半残り五分を残し、六対〇と相手を大きく突き放していた。

 試合を見ながら、葵が言った。

「こりゃ、新経大が勝つな。ってことは、決勝はウチらと新経大かぁ、リベンジマッチだね」

 香織が言う。

「まだ分かんないよ。一回戦の相手がどんな人だか良く分からないもん」

 歩が言う。

「ねぇ、その一回戦のさ、長岡のチームだっけ? 女子高生なんでしょ? 強いのかな?」

 葵が答える。

「分からない。けれどウチらだってかなり練習をしたんだから大抵のチームには負けないでしょ」

 再び歩が答える。

「それはそうかもだけど。あたしたちは栞以外、フットサル初めてまだ半年なんだぞ。天狗にはならず、気を引き締めた方が良いよ」

栞はその会話を横から聞いていたが、大江の存在について言わなかった。最初から強敵という先入観を与えると、余計な緊張を生んで反って危険だと判断したからだ。

 その時、明彦の笛の音がコート内に響き渡った。新経大は一回戦を見事勝利し、準決勝にコマを進めたようだ。

 葵の言ったとおり、トーナメントの山が違うので、万代フットサルクラブと新経大は決勝まで当たらないのである。

 

 午前十時――。

 万代フットサルクラブが明彦の指示で、早々にアップを開始していると、対戦相手であるエスペランサ長岡がやって来た。

 人数は一五人で、女子高生の中に一人だけ年配の女性がいる。恐らく監督であろう。そして、全員何より体格が良い。サッカーを長年やって来たのかは分からないが、確実に何かしらのスポーツをやって来たであろう体であった。

 明彦は彼女らを見つけると、挨拶がてら、館内の説明をしているようだった。ストレッチをしながら、栞と香織はその様子を眺めていた。

 香織が言う。

「ねぇ、栞ちゃん。あの人たちが私たちの相手でしょ?」

 栞が答える。

「うん。そうだね」

「なんか、強そうだね……」

 香織はボソッとそう言った。

 それは恐らく間違いではない。栞自身もあの姿を見てほぼ確信した。エスペランサ長岡は、趣味レベルでのサッカーをしていない。体つきを見れば、一目瞭然である。

 スポーツと言うものは、サッカーに限らず、筋力を必要とする。サッカーだったら、足腰の強さに上半身の強さもいるだろう。だから、本気でやればやるほど、必要となってくる筋力は発達する。そのため、今風なスレンダーなモデル体型からはどんどんかけ離れる。

 男子の場合、特に筋肉が付いたことを気にする人は少ないだろう。でも、女子の場合は違う。如何に熱血スポーツ少女でも、すらっとしたモデル体型に、何処かで憧れているものなのだ。

 その葛藤と闘い続けなければならない。同時に、本気でスポーツをするのであるのならば、モデルのような体型を諦めなければならないのだ。

 長岡の選手には、新経大のサークルにいたようなお姉さまな体型をしている人は一人もいない。

 栞は香織に言う。

「大丈夫。あたしたちはずっと練習してきたんだし、体が大きい選手だったら、それに負けない技術と組織で勝負すれば良いんだよ」

 香織は答える。

「う、うん。そ、そうだよね、一生懸命やったもんね」


 試合開始十分前になると、シュート練習を止めさせ、明彦は一度全員を集合させた。

「よし、そろそろ切り上げようか、水分補給しながらで良いから聞いてくれ。ポジションはいつもと同じ、ダイヤモンド型で、トップは栞、右に香織、左に歩、一番下に唯、そしてキーパーは葵」

 万代フットサルクラブの横では、エスペランサ長岡の選手が同じようにアップを切り上げて、監督らしき人物の前に集合し、指示を受けている。

 再び明彦は言う。少女たちの目は、皆真剣であった。

「君たちはこの半年間で、目覚ましく進歩した。それは認めるし、誇っても良いことだ。今日はその成果を存分に発揮してもらいたい。そして、君たちにプレゼントがある。と言っても僕からじゃないんだけど」

 少女たちは驚き、ざわつく。

 明彦は、ベンチ脇に置いてあった自分のボストンバックから、新品のユニフォームを取り出した。

 ウエアが鮮やかな青で、中央に、万代フットサルクラブと書かれており、背中には背番号とアルファベットで名前が書かれている。パンツは白、ソックスはウエアと同じ青であった。

「実は、ここのオーナーが御好意でユニファームを作って下さったんだ。新潟って水の都って言うだろ。サイズは唯と香織ちゃんがSサイズで、歩と栞はMサイズ、葵は背が高いから一応、Lサイズになっている。今度お礼を言っておくように」

 明彦は一人一人にユニフォームを渡して行く。

「よし、じゃあそれに着替えてから、もう一度集合しようか、それじゃあ解散」


更衣室にて着替えを済ませた少女たちが、再びコートに戻って来る。皆、新品の鮮やかなブルーのユニフォームを纏っている。葵はキーパーなので青のユニフォームではなく、全身黒のユニフォームを纏っている。

 十番は栞。サッカーの背番号十は伝統的なエースナンバーだ。

 七番は香織。背番号七はパサーや、中盤の選手が付ける背番号だ。

 十一番は歩。背番号十一は日本サッカーのパイオニアである、キングカズこと、三浦和良選手が付けていることで有名な番号だ。

 四番は唯。背番号四は主にディフェンダーの選手が付ける、伝統的な番号である。

 一番はもちろん葵。一番は基本的にキーパーにしか認められない番号であり、多くの名キーパーたちが付けてきた番号だ。

 皆、それぞれとても似合っている。残念なのは、これが最初で最後の大会ということである。

 この大会が終わると、六月より始まった万代スポーツクラブの、フットサルスクール初心者コースの受講期間は終わりを告げ、皆バラバラになる。だから、この大会に優勝しても、一回戦で負けても、今日で終わりなのである。

 少女たちは、全員そのことを知っているし、それがきっかけで団結力が高まったのだ。そして、同時に明彦もこのフットサルスクール終了後、一時コーチ業を断念しようと決めていた。

 それぞれが心に、大きな夢や希望を抱いている。

 午前十一時。試合が始まる――。


コート内に万代フットサルクラブと、エスペランサ長岡のメンバーが整列をする。

中学生と高校生ということもあって、体格差がかなりある。

 挨拶を済ませると、両チームのキャプテンとレフェリー以外の選手は、コート内の自分のポジションへ散って行く。

 センターサークル内には、レフェリーと両チームのキャプテンがコイントスにより、ボールかエンドどちらを取るかを決めていた。結果、栞がボールを選び、相手がエンドを選んだ。

 その別れ際、背番号十を付けた、エスペランサ長岡のキャプテンが栞に声をかけた。

「ねぇ。君が幸田 栞? あのさ、由香里さんから聞いたんだ。私は大江。大江 恵 (おおえ めぐみ) 」

 恵は、葵位に背が高いが、葵のように細くなく、アスリートの体つきをしている。髪は栞と同じくらいに短く、少しだけ茶色に染めてある。

 栞は答える。

「あ、はい。そうです。今日は宜しくお願いします」

「うん。よろしく、サッカー上手いらしいね。でも、私たちは負けないから」

 恵の視線が強くなった。それに負けないように栞も恵の目を見つめた。


 甲高い笛の音を合図に、万代フットサルクラブのボールで試合が始まる。

 香織は栞にパスを出し、栞は後ろにいた唯まで一旦ボールを下げる。

 パスを受け取った唯は、少し攻め上がる。すると、エスペランサ長岡の七番の選手が、唯のドリブルを止めるため、チェックに来る。

 それを見た唯は、ボールを攻撃方向、右サイドにフリーでいる香織にパスを出す。香織に出されたパスを、再び相手七番の選手が追う。

 香織は渡されたパスをトラップせずに、インサイドキックでコート中央にいる栞に向けてパスを放つ。

 栞には、恵がマークに付いている。

 栞はパスを受けたが、恵のマークは激しい。少しでも気を抜けばたちまち取られてしまうだろう。そこで、このまま振り返ってドリブルという選択を諦める。そこで、攻撃方向から見て左サイドにいる歩に対して、ポストプレーを行う。

 歩の利き足に対してパスを送る。もちろん歩はマークに付かれているが、マークを振り切り、ダイレクトでシュートを放つ。

 幾度となく練習を重ねて来たのだ。少女たちのパスワークは荒さが残るが、きっちりとつなぐ組織的なサッカーへと進化を遂げていた。

 歩のシュートは枠内に飛んで行ったが、キーパーの守備範囲内であり、キーパーはそれを弾いた。

 弾かれたボールを栞が追うが、その前に恵がボールを確保した。恵はボールを取ると、パッと上を向き、直ぐに前方にいる九番の選手へパスを出し、そのまま自分も攻め上がって行く。

 前方にいた九番の選手には、唯がマークに付いている。それを感じた九番の選手は、ダイレクトパスで左横に流す。流れたボールを左サイドで、七番の選手と歩が競り合う。

 七番の選手は、強引には抜けないと判断し、一旦ボールを戻そうと、ハーフライン上に攻め上がっている十番の恵にパスを送る。しかし、そのパスを栞がインターセプトをする。

 それを見た歩は左サイドを駆け上がる。栞はカットしたボールを右サイド、ハーフラインよりやや後方にいる香織に出す。

 香織は一旦ボールを止め、対角線上にあるコーナーフラッグに目掛けてパスを送る。香織のパスは、歩をマークしていた七番の選手の裏のスペースに送られた。

 裏のスペースに歩が走り込む。初速のスピードはこの試合に出場している誰よりも早いので、歩は簡単に七番の選手のマークを振り切り、コーナーフラッグギリギリでボールに追いつく。

 ボールを一旦落ち着かせ、中央に走り込んでいる栞に目掛けてセンタリングを上げる。しかし、センタリングは栞に渡る前に恵にクリアされてしまった。

 クリアされたボールはセンターサークル付近まで飛んで行くが、それを見た唯が走り込みボールを確保し、直ぐにトゥキックでロングシュートを放つ。

 トゥキック特有の無回転シュートがゴールに飛んで行く。相手キーパーはキャッチするという選択を早々に諦め、体全体を使いボールを弾く。

 弾かれたボールはゴールラインを割り、万代フットサルクラブのコーナーキックへと変わる。

 試合開始まだ二分少々であったが、万代フットサルクラブの方が、若干ではあるが有利に思えた。

 それはコートの外から見ている、明彦を始め、由香里や葵にキーパーを教えた芥川、そして弟の悠貴、さらに言えば、唯の兄である弘も、皆そう思っていたであろう。

 それくらいに、万代フットサルクラブの立ち上がりは完璧に近かったのだ。


 コーナーキックを蹴るのは香織。

 香織はボールを手で丁寧にセットすると、明彦に教えられ、練習して来たように、誰か特定の人間に合わせるのではなく、キーパーと相手ディフェンダーの間を狙うように強いパスを送った。

 鋭いパスが、ちょうどキーパーとディフェンダーの間に飛んだ。

 上手くいけばパチンコのように、誰かに当たり跳ね返って一点取れるかもしれない。しかし、そんなに都合良く行かなかった。

 足を延ばした、エスペランサ長岡の四番の選手に当たり、ボールはペナルティエリア外にクリアされる。

 その弾き出されたボールを、恵が拾う。それを見た、エスペランサ長岡の七番と九番の選手が両サイドを駆け上がる。

 カウンターだ。

 万代フットサルクラブのメンバーも、素早く守備に移行する。

 ボールを持った恵はドリブルで、ハーフライン上まで駆け上がるが、後ろから追いついた栞にドリブルのコースを消される。その間に、歩と香織が両サイドを駆け上がって行った二人のマークに付く。

 エスペランサ長岡のカウンターは、失敗かと思われた。しかし、それは間違いであった。恵は間違いなく、この大会の女子の中でナンバーワンにサッカーが上手い。

 立ちはだかっている栞を前に、シザース (ボールをまたぐフェイント) からエラシコ (アウトサイドから、同じ足のインサイドへ切り返すフェイントのこと) のハイレベルなコンビネーションドリブルであっさりと栞をかわす。

 これにより、万代フットサルクラブは数的不利に陥る。迫ってくる恵を、今度は唯が待ち構える。唯の現在の技術力では、一人で恵を止めることはできないであろう。

 恵の緩急がありキレのあるドリブルは、迎え撃つ唯のディフェンスをもあっさり抜いたように思えた。

 唯を振り切り、開いたコースに向かい、恵は鋭いシュートを放つ。

「バチン!」

 ボールはゴールネットを揺らさなかった。

 開いたシュートコースには、葵がしっかりと距離を詰めて、体全体を使って守っていたからだ。

 ボールは葵の体に当たり、タッチラインを割る。

 それを見た恵は天を仰ぎ、ボソッと言う。

「へぇ、なかなかやるじゃん」


 万代フットサルクラブから見て、右サイド後方から、エスペランサ長岡のキックインで試合は再開される。

 キッカーは七番の選手である。

 全員がペナルティエリア付近におり、各々のマークに付いているため、フリーの選手はいない。

 それを見た七番の選手は、ゴール前にグラウンダーの速いボールを蹴り込む。

 先程、万代フットサルクラブのコーナーキックの時、香織が蹴ったような、キーパーとディフェンダーの間を通すパスであった。

 ボールは唯と葵の間に飛んで行き、それにいち早く反応したのは唯であった。自分がマークしている九番の選手が触るよりも先に、ボールを蹴り出した。

 鋭く威力を持ったボールであったため、コントロールすることはできなかったが、幸い、クリアされたボールは真っ直ぐに、ハーフライン上の真ん中に飛んで行った。

 クリアされたボールを足の速い歩が、後方の左サイドから対角線上に走り込み、カットする。

 相手四番の選手がぴったりと歩のマークに付いているが、歩はボールを奪取した勢いのまま、今度は右サイドを駆け上がって行く。

 四番の選手のマークを振り切り、ゴール前に向けて、センタリングを送ろうとするが、ゴールにいる栞には恵がしっかりマークに付いており、パスを出せない。同時に、先ほど振り切った四番の選手も後ろから迫っている。

 角度がほとんどない中、歩は右足を振りぬき、シュートすることを選択する。歩は特に、サイド攻撃とセンタリング、後はサイドからのシュートを練習していた。そのため、角度のないところからのシュートでも、強烈なシュートが枠内に飛んで行く。

 但し、角度がなく、ほとんどシュートコースが狭まれているので、相手キーパーは、歩の放ったシュートを容易に弾き返す。弾き返されたボールは、エスペランサ長岡から見て右側のペナルティエリアを抜け、転がって行く。

 そのボールに栞が反応するが、先に触ったのは恵であった。先程はあっさりと抜かれてしまったので、栞の守備にも気合が入る。

 右サイド、タッチライン際で、二人は火花散るような攻防戦を繰り広げている。

 フットサルでは、フィールドサッカーでいうショルダーチャージがすべてファールになるため、体を使ったディフェンスはできない。

 栞はしっかりと膝を曲げ、どんなフェイントにも咄嗟に反応できるように、体の重心を常に下げ一定にしていた。対する恵は、とにかく足技が尋常ではないくらい巧い。

 足の裏を使って、素早くボールを引いたり、引いたボールを、軸足の裏に通したりして、相手を幻惑し抜き去って行くのが得意だ。

 巧みな足技を使い、重心を一定に保とうとする栞の体を、右往左往と、横に振らし、重心が変わりかけたところを恵は狙い、僅かに開いたコースから、中央にパスを送ろうとした。

 それを見た栞は懸命に足を延ばし、パスコースを遮ろうとする。しかし、これこそ恵の罠であった。恵は一旦ボールを足の裏で止め、足を出すために広げた栞の股の間にボールを通し、栞を抜き去ったのだ。

 エスペランサ長岡の進行方向から見て、右側で栞を抜き去った恵は、ゴール左四十五度の位置から、右足で強烈なグランダーのシュートを放った。

 シュートコースを切ろうと、唯は飛び出したが、僅かに遅く、唯の足から数センチ左脇を通り抜け、ゴール左隅へ向かって行く。

 キーパーの葵はそのボールに反応し、懸命に手を伸ばすが、届かない。あわやゴールかと思われたシュートであったが、サッカーの神は微笑まなかった。

 シュートは左ポストに当たり、そのまま万代フットサルクラブの進行方向右側のタッチラインを割った。

 恵は再び天を仰ぎ、大げさに悔しがった。

 一進一退の攻防に、お互いの選手は肩で息をし始めている。冬だというのに夏のような熱気が、コート内には漂っていた――。


 試合開始、十五分が経過していた。

 コートがある屋上には、大会ということもあり、たくさんの人がつめかけていた。ちょうど、万代フットサルクラブとエスペランサ長岡の試合が行われているコートの周りにも、たくさんの人がコート全体を覆っている柵を囲むように、彼女たちの試合を見守っていた。

 コート外のベンチに、監督兼コーチである明彦が座っていた。彼は彼女たちの試合を、固唾を飲んで見守っている。

 教え子だからという情を、大目に差し引いたとしても、明彦は万代フットサルクラブのレベルは確実に上がっていると思っていた。そして、皆、同じ環境でフットサルをすることが、この大会でラストならば、優勝させてあげたいと、心の底から思っていた。

 だが、完璧であった立ち上がりの良さに比べると、旗色は悪い。一見、一進一退の攻防に見えるが、万代フットサルクラブは、強運に助けられている。

 それはまるで、サッカーの神が味方をしているのではないかと錯覚するくらいの強運であった。しかし、そんな強運がずっと続くわけではない。

 弾いたボールが、すべて良いところに転がるわけでも、相手のシュートが常にポストやバーに当たるということはないであろう。

 時間の問題かもしれない。第一、根本の問題が解決されていない。

 問題とは、大江 恵のことであった。彼女自身は高校生であるが、もはや彼女の技術力は高校生のレベルではない。こんな選手が、女子でしかも新潟県にいたのかということに、明彦は驚きを隠せなかった。

 恵だけを止めるのであれば、いくつでも対策は立てられた。しかし、エスペランサ長岡は全員が経験者であり、それぞれある程度の技術を持ち合わせている。

 恵を止めようと、恵のマークを増やせば、恵は簡単にボールを捌くか、もしくは全く触れなくなるかもしれない。その代り、恵のマークに割いた分、万代フットサルクラブの守備は手薄になる。

 手薄になった守備で、エスペランサ長岡の猛攻を凌ぎきれるとは、到底思えない。故に、前半は栞に任せようと思った。

 栞もプロを目指している以上、恵のような存在は越えなければいけない壁のようなものだ。必死に食らい付くであろう。

 明彦は再び、試合を見つめた。開始早々と比べ、明らかに万代フットサルクラブは押されているが、皆、懸命に守備をこなしていた。時計を見ると、もうアディショナルタイムに突入していた。


 それは、なんとか、前半を〇点に抑えたいと思った矢先のことであった――。

 エスペランサ長岡の七番の選手が、香織のマークを振り切り、サイドを駆け上がり、センタリングを上げる。

 浮き球のセンタリングに、九番の選手と唯が競り合う。しかし、背の低い唯は、競り合いに負け、競り勝った九番の選手はヘディングでシュートを放つ。

 ゴール左上にシュートは飛んで行くが、葵がそれを懸命に弾き返す。

 弾き返したボールは、ルーズボールとなりペナルティエリアを超え、タッチラインを割るか否かといったところまで飛んで行った。

 万代フットサルクラブのメンバー全員は、ボールがタッチラインを割るだろう、そして、もう時間も少ないであろうと、一瞬であるが気を抜いた。

 その隙に、ハーフライン上に立っていた恵が、駆け出し、栞のマークを振り切った。一瞬、力が抜けた栞は、飛び出すのが遅れてしまった。

 恵はボールがタッチラインを割る前に、ミドルレンジから右足ダイレクトボレーで、超強烈なボレーシュートを放つ。

 シュートは「ボン」という鈍い音をたてて、ゴールマウスに向かって行く。誰一人、その強烈なシュートに反応できなかった。シュートは、立ちつくす葵の数十センチ左側を風ように貫いて行き、華麗にそして豪快にゴールネットを揺らした。

 〇対一――。

 試合終了、五秒前の出来事であった。

 シュートが決まり、葵がゴールの脇でネットに埋もれているボールを取り出そうとした時、前半終了の笛が鳴った。


 笛の音を聞き、万代フットサルクラブのメンバーが、ベンチへと引き返して来る。

 気温は恐らく十度以下であろうが、少女たちの体からは、オーラのように熱気が沸き上がっていた。

 明彦は彼女たちをベンチに座らせ、答える。

「最後の一点は仕方がない。切り替えて行こう」

 そうは言うものの、メンバーの表情は明らかに暗い。フットサルのような点が頻繁に入らないスポーツであると、一点の重さが体に大きく圧し掛かる。

 特に、万代フットサルクラブのようなできたばかりのチームは、一点を背負いながら戦うということに慣れていないため、一点取られると、焦り動揺し、立て続けに点を奪われてしまうということが起こりがちである。

 そうならないために、明彦は懸命に声をかける。

「どうしたんだ。まだ一点だぞ。こっちだってずっと押されていたわけじゃ無いんだ。チャンスはまだまだいくらでもある。それをきっちりと決めて行こう」

 栞が言う。

「アッキー先生。あたしどうしたら良いのかな? 大江さんを止める良い方法ないかな?」

 明彦が怪訝そうな顔で答える。

「大江?」

「あ、その相手の十番の選手です」

「栞、お前彼女のことを知っているのか?」

「あ、はい。逢ったことはなかったんで、どんなプレーをする人か知らなかったんです。あ、あの隠すつもりはなくて、最初に強敵っていう先入観を与えると不味いかなって?」

 その言葉を聞いて、葵が言う。大江という選手に心当たりがあったためだ。

「新潟県で一番サッカーが上手い女子だって」

 栞が答える。

「え? 葵知ってるの?」

「うん。弟の友達に聞いた。一番上手い女子なんだってさ。ってことはあいつを倒せばウチらが一番強いってことになるんじゃないの? 今更ビビったって仕方ないでしょ」

 歩が答える。

「そうだな。まぁ一概に強い、弱いを判断はできないかもしれないけど、負けたくはないな。相手がどんなに強敵だろうとサッカーは一人じゃできないよ」

 唯が言う。

「そう。負けたくない。次は止める」

 それを聞いた香織も答える。

「わ、私も負けたくない。皆で勝ちたいよ」

 葵が答える。

「じゃあ、どうしようか?」

 栞が言う。

「大江さんのマークはあたしが引き続きする。今度は簡単に抜かれない。でもあの人はそれ以上に上手いんだ」

 唯が答える。

「抜かれても良い。抜かれたら私がフォローする。けど、私のマークを誰に受け渡せば良い?」

 歩が答える。

「そしたら、あたしが唯の付いていた相手選手をマークするよ」

 香織が言う。

「わ、私は?」

 栞が答える。

「香織は空いている選手がいたら、その人をマークする。いなかったら、カウンターに備えて、自分が次のプレーをしやすいところにいて」

 香織が再び答える。

「う、うん、分かった」


 明彦はその様子を傍観していた。そして、先程まで自分が考えていた、最悪のシナリオを再び思い起こし、頭の中で一蹴し、笑い飛ばした。

 そうだ。彼女たちは弱くない。この日のために練習を積み重ねて来たのだ。なのに、自分がこんなに弱気でどうするんだ。

 明彦はそう自分を鼓舞し答えた。

「よし、じゃあ指示を話すから聞いてくれ」

 少女たちは明彦の方を向き、耳を傾ける。

「まず、肝心の大江選手だが、マークは君たちの言うとおり栞にやってもらう。マークに付くとき絶対に足を出すな。これを約束してほしい」

 栞が言う。

「足を出さない?」

「そう、彼女のテクニックは文句なくこの大会のナンバーワンだろう。そう言う選手を相手にする時、簡単に足を出すと、簡単に抜かれるんだな」

 栞は、いつだったかの練習で、唯に似たような作戦でボールを奪われたのを思い出した。しかし、あの時は一対三だったから、足を出さないでボールを奪うという作戦ができたのではないのだろうか。

 そう思い、栞は尋ねた。

「足を出さないのは良いんですけど、どうやってボールを奪えば良いんですか?」

「奪わなくて良い。全員で守りきり、ボールがラインを割るのを待てば良い。前半を見ていて、彼女に対してきっちりマークをし、ある程度コースさえ切っていればシュートを打たれても怖くないということは分かっている。葵、止められるな?」

 葵は答える。

「うん、コースさえ切ってあれば、ウチは止められる。任せて」

「わかった。万が一抜かれても、次の人間が同じようにマークに付く。但し、あんまり人数をかけないこと。人数をかけると簡単に捌かれて、逆に数的不利になるからだ」

 全員が答える。

「分かりました」

 明彦は続けて言う。

「弾いたボールは一旦大きくクリアして良い。それをずっと続けていこう。続けていった結果、必ず自分たちのボールになる時が来るはずだ。マイボールになったらカウンターだ。たくさん練習して来たから分かるね」

 栞が答える。

「うん。大丈夫!」

 香織が答える。

「私は空いたスペースにパスを出せば良いんだよね」

 歩が答える。

「あたしは空いてるスペースに走り込む」

 唯が答える。

「私は、跳ね返されたボールをシュートする」

 葵が答える。

「ウチは次の守備に備えて準備しておく」

 明彦が言う。

「よし! 大丈夫だ。後半も練習どおりやろう。必ずチャンスは来るだろう。安心するんだ。君たちは強い。強くなった。いくら大江選手を始め、エスペランサ長岡が強いチームだとしても、サッカーに絶対はないぞ。ひっくり返してやろう」

 少女たちは全員で叫ぶ。

「オオオオォォォォー!」

 ちょうど、後半開始を告げる笛が鳴り響く。

それを聞いた万代フットサルクラブのメンバーと、エスペランサ長岡のメンバーがコート内に戻って行く。

 明彦は「勝てよ」と念じながら、少女たちの背中を無言で送り出した。


 後半は、エスペランサ長岡のキックオフで開始される。

 前半とは別のエンドに万代フットサルクラブのメンバーは立ち並び、円を作ってエンジンを組む。

 輪の中で栞が言う。

「絶対勝とう!」

「オォ!」と少女たちは気合を入れ、コート内の各々のポジションに散らばる。その姿を確認したレフェリーが、勢いよく後半開始の笛を鳴らす!

 笛の音と共に後半開始。

 エスペランサ長岡の七番の選手が、ボールを一旦後ろまで下げる。下げたところに待っているのは、もちろん恵である。

 素早く栞がプレスをかけに行く。恵はそれを見て、簡単にボールを進行方向の左サイドにいた九番の選手に渡す。

 ボールを受けた九番の選手は、ドリブルで持ち込んで行く。マークには香織が付いている。

 そこにボールを受けようと七番の選手が、進行方向右サイドから中央に向け、走り込む。それを見た九番の選手は、七番の選手にボールを預ける。

 七番の選手の後ろには、歩がぴったりとマークに付いている。そのため、七番の選手は簡単に前を向かせてもらえない。仕方なく一旦ボールを後方にいる四番の選手に戻す。

 四番の選手にボールが戻る瞬間、九番の選手が香織のマークを振り切り、裏にあるスペースに飛び込む。四番の選手はトラップと同時に、直ぐに九番の選手が走り込んだスペースにボールをフィードする。

 ふわりとした滞空時間の長いパスがスペースに向かって飛んで行く。滞空時間があったため、九番の選手が受けるより先に、唯がヘディングでクリアをする。

 クリアされたボールは、万代フットサルクラブから見て右サイド後方のタッチラインを割り、エスペランサ長岡のキックインへ変わる。

 キックインを蹴るのは、九番の選手だ。

 ゴール前には、恵を始め、七番の選手も攻め上がっている。九番の選手が、ゴール前に高いボールを上げる。

 ボールは恵に向かって飛んで行く。栞は恵をしっかりとマークし、飛んで来るボールを競り合う。

 背が高い分、栞は恵に競り合いでは勝てなかったが、体をしっかりと寄せていた分、恵も簡単にヘディングでシュートできなかったようだ。

 ヘディングシュートは、それ程威力がない。威力がなくなったため、葵はそれを簡単にキャッチする。

 キャッチしたボールを素早く、左サイドにフリーでいる歩に転がす。

 歩はボールをトラップすると、一気にハーフライン上まで攻め上がる。そして、並行して逆サイドを走っていた栞に向かい、パスを送る。

 恵は未だ、戻りきれていない。そのため、現在の栞のマークを、四番の選手が引き継いでマークしている。

 栞は放たれたパスに体を寄せ、先に触り、巧みにボールをコントロールし、四番の選手を抜きにかかる。しかし、四番の選手はなかなか抜かせてくれない。後ろからは恵が迫っている。

 栞は強引にシュートをしようと振りかぶった。左側が切られていたので、利き足でない右足のシュートであった。

 栞が放ったシュートは四番の選手の膝に当たったが、ゴールの方へ向かって行く。さらに、相手に当たったということで妙な回転が掛かっていた。

 エスペランサ長岡のキーパーは、無理にキャッチをしようとはせず、パンチングで弾き返した。

 弾き返されたスペースには誰もおらず、ボールはそのままタッチラインを割った。

 万代フットサルクラブのキックインで試合は再開される。

 位置はゴールから十メートル程離れた、右サイドからのキックインだ。キッカーは香織である。

 ゴール前には、栞と歩が攻め上がっており、二人にはそれぞれエスペランサ長岡の選手がしっかりとマークに付いている。

 ハーフライン上には、唯とカウンターに備えて七番の選手が前線に張り出している。

 歩はマークを引き離そうと、右往左往と動き回り、相手を攪乱している。それを栞は見て、動きできたスペースを絶えず狙っている。

 歩が動き回ったことで、若干であるが、ゴールニアサイドにスペースが生まれた。そのスペース目掛けて、香織は矢のようなパスを送る。

 正確なフィードボールが、空いたスペースに向かって行く。ゴール前では栞がニアサイドの開いたスペースに走り込む。

 歩はニアに走り込んだ栞を見て、ファーサイドに走り込んで行く。栞には相変わらず、恵がぴったりとマークに付いている。もしボールをトラップしていたら、奪われてしまうかもしれない。しかし、後方から来たボールを、ダイレクトでシュートを打つということは、非常に難しい。

 アウトサイドで軽く触り、ファーサイドにいる歩に流そうかとも考えたが、歩がそれに気が付くか分からないし、第一取られたらあっという間にカウンターになってしまうだろう。

 サッカーのパスワークは、一人だけが分かっていても成り立たない。パスの一つ一つの意味を、全員が共有していないと成功しないのだ。それ故に、ファンタジーなプレーというものは一人で成立しない。

 栞は多少強引であるが、右後方から送られてくるパスを、右足でダイレクトシュートすることを選択した。栞の放ったシュートは、上手く足の甲にミートしたが、恵にコースをほとんど切られていたため、枠内に飛んで行かなかった。

 キーパーは枠外に飛んで行くボールには触れようとはせず、ボールを見送った。ボールはゴールラインを割り、エスペランサ長岡のゴールクリアランスに変わる。

 試合は、後半七分を回ろうとしていた。万代フットサルクラブは何度か攻め込んだが、決定的なチャンスを作り出せなかった。簡単に往なされているという感じだ。

 エスペランサ長岡のゴールクリアランスで試合は再開される。

 キーパーは近くにいる四番の選手にパスを送り、パスを受けた四番の選手は直ぐにコート中央にいる恵に向かいパスを送る。

 恵は栞のマークを上手くかわしながら、右サイドライン際をドリブルして行く、華麗なフェイントで栞を翻弄するが、前半と違い栞は足を出して来ない。そのため、決定的なチャンスを作り出せず、一旦後方にいる九番の選手までボールを下げ、そのボールを九番の選手はダイレクトでゴール前にセンタリングを上げる。

 センタリングに歩と七番の選手が競り合う。しかし技術の高い七番の選手が競り勝ち、ヘディングでシュートを放つ。そのボールはゴール左隅へ飛んで行くが、葵が長い手を伸ばし、懸命にボールをかき出す。そして、そのボールを素早く唯が大きくクリアをする。

 クリアされたボールはエスペランサ長岡から見て、右方向のちょうどコート真ん中くらいのタッチラインを割った。

 九番の選手がキックインにより、再度ゴール前にふわりとしたボールを上げる。今度は唯と相手七番の選手が競り合う。彼女は背が低いが、何度も競り合って行くうちにコツを覚えたようだ。そのため、競り合いには負けても、しっかりと体を寄せているため、七番の選手は自由にポストプレーを行えなかった。

 ルーズボールとなったボールを、栞が恵に拾われる前に一旦大きくクリアをした。万代フットサルクラブは明彦の指示どおり、恵を封殺するため足を出さず粘り強く守備をし、ボールをしっかりクリアして自分たちのボールになるのを待っていた。

 それでもエスペランサ長岡は手を緩めない。再び、キックインからゴール前にセンタリングを上げ、そのボールに今度は栞と恵が競り合う。栞も負けまいと必死に跳躍するが、背の高さが十センチ程違うので、なかなか競り合いに勝てない。競り合いに勝った恵はヘディングでやや後方にいる七番の選手にボールを落とす。

 七番の選手はそれをダイレクトでシュートするが、歩が壁となり、ボールを弾く。弾かれたボールに九番の選手が反応し、続けざまにゴールを狙いシュートをしようとするが、咄嗟に唯がそれに立ちはだかったので、一旦ボールを止め、ドリブルで唯を抜こうと試みる。

 唯は懸命にマークに付き、シュートを打たせまいと九番の選手のシュートコースを塞ぐ。塞がれたコースを強引にこじ開けようと、九番の選手は僅かに開いた狭い隙間からシュートを放つが、コースが甘く、葵がそれをしっかりと弾き返す。

 懸命に守備をこなす万代フットサルクラブの想いが通じたのか、ようやくボールはマイボールになった。

 弾き返されルーズボールとなったボールが、右サイドにいる香織のもとに転がって行ったのだ。香織は来たボールを一旦足の裏で止める。しかし、直ぐに九番の選手がプレスしに行く。

 香織は正確にパスを出せても、ほとんどボールキープができない。そのため、香織は焦った。パスを出そうにもなかなかスペースが見つからなかったためだ。それでも逃げずに懸命にパスコースを探した。

 せっかく皆が頑張って奪ったボールを取られたくない! でも、どうして良いのか分からない。誰か助けて! と香織が思った時に、前方から声が聞こえた。

「香織!」

 その声の正体は栞の声であった。今までに何百、何千と聞いて来た栞の声の中で、最も力強く頼りになる声だった。香織はほとんどノールックで、声の方向にパスを出す。

 サッカーはチームプレーだ。誰かが困っていたら誰かが助ければ良いのだ。一人は皆のために、皆は一人のために動くのである。

 その手段はなんでも良い、プレーで助けるのもそうだし、一点を取ることでも良い。決定的なピンチを防ぐことでも良い。

 栞は声を出し、自分の位置を伝えるということで香織のピンチを助けた。

 香織から出されたボールは、右サイドのライン際ギリギリを転がって行く。そのボールを栞と恵が追う。

 走力はほとんど互角であったが、先に走り出した分、栞が先にボールを確保した。しかし、恵のマークは厳しく、ボールをコントロールすることが難しい。それでも必死に栞はボールを奪われまいとキープを続ける。

 この時、香織は栞のフォローに回った。さっきのお返しと言うわけではないが、必死にキープを続ける栞の姿を見て、助けたいと思った結果、自動的に体が動いたという感じだった。

 香織は、パスを受ける前にゴール前を無意識に見る。ゴール前は、キーパーと最終ラインの四番の選手との間に、僅かだがスペースがあることが確認できた。次に香織は、逆サイドにいる歩を見つめた。

見つめられた歩は、最初、何がなんだか分からなかった。だが、目線の動きで香織が何を言いたいのかなんとなく分かった。それは体が引っ張られる不思議な感覚だった。

 香織は、ボールをキープする栞に向かって叫んだ。

「栞ちゃん!」

 栞は声に気が付く。そして、キープしていた左足のヒールを使い、後方にいる香織にパスを出す。

 香織のもとにボールが転がる。もちろん、香織には九番の選手がマークに付いている。彼女は九番の選手が触るよりも前に、ダイレクトで、ゴール前にボールを送った。

 ゴール前は、キーパーと四番の選手しかいない。そのため、キーパーと四番の選手はこのパスが、パスミスであろうと勘違いをした。さらに、この二人の間に送られたパスであったため、どちらの選手も、どちらかが処理をするだろうと勝手に思い込んでいた。

 その隙に歩が走り込み、ボールを確保する。

「後ろ!」とキーパーが慌てて声を上げる。驚いた四番の選手は、直ぐに歩を追うが少し遅かった、歩はフリーでシュートを打つ。右四十五度付近から放たれたシュートは、キーパーの脇を抜け、ゴールに向かい飛んで行く。

 同点! かと思われたが、万代フットサルクラブの、今回の一連のパスワークにただ一人、気が付いている選手がいた。

 恵であった。

 恵は、栞が後方にヒールでパスを送った時、その意図が分からなかった。しかし、長年の培ってきた経験が、このパスが後に導く、自軍の決定的なピンチを想像させたのだ。堪らず、ゴール前に走り、歩が放ったシュートをゴールラインスレスレで、大きくクリアをしたのであった。

ボールは大きな弧を描き、万代フットサルクラブエンド、左サイド後方のタッチラインを割った。

 

 万代フットサルクラブは、今ゲームの中で最大のチャンスを逃した。

 コートを囲んでいるギャラリーからは、白い息と共に、溜息が零れる。しかし、明彦はこのプレーを見て、決して落胆してはいなかった。

 むしろこのプレーは万代フットサルクラブにとっての、反撃の狼煙だと思っていた。

 時計を見ると、後半も十三分が回っている。残り七分強である。プレー数にすれば、後、四、五回チャンスが来るか来ないかといったところであろう。

 今のプレーは三人の意志が繋がったプレーだ。これが、五人同時に意志が繋がったプレーまで拡大されれば、恵だけでは対応しきれないだろう。

 そこが狙い目だ。だが、今のプレーでエスペランサ長岡も、より強力にプレッシングをかけてくるはずである。

 正念場だ。明彦はそう考えた。同時に明彦は、自身の中で沸々と別の感情が湧き上がって来たことを自覚した。しかし、この時はまだ、その気持ちに気が付かないフリをした――。


 後半十四分――。

 万代フットサルクラブの進行方向に向かって左側の後方から、キックインにて試合は再開される。

 栞ら五人に、先程の決定的なチャンスを逃してしまったという焦りの色はない。今度は行けるという、強い想いだけが彼女たちを支えていた。

 香織がタッチラインにボールをセットする。ゴール前には栞と歩がいる。どちらにもしっかりとマークが付いている。

 流れは今、万代フットサルクラブにある。だから、これを凌ぎきれば、再び流れはエスペランサ長岡に傾くであろうと、恵は感じていた。

 試合の流れというものは、決して一定ではない。どんなに押されているチームであっても、一試合に一度は必ずチャンスが訪れるものである。

 恵は、このピンチを防ぎ、万代フットサルクラブの攻撃を断ち切ることだけを考えていた。

 ゴール前の攻防が激しいのを見て取った、ハーフラインとペナルティエリアのちょうど真ん中にいる唯は、マークを振り切り、香織に向かって手を挙げ呼んだ。

「こっち!」

 香織は唯に、素早くパスを送る。ボールはハーフライン上に転がって行く。そのボールに向かって唯は、トゥキックでロングシュートを放つ。

 トゥキック特有の回転が掛かったボールが、エスペランサ長岡の陣内を鋭く切り裂いて行く。

 ボールは枠内に飛んで行ったが、距離があった分、キーパーがなんとか反応し、横跳びでそれを弾き返す。

 弾き返したボールは、ルーズボールとなり宙高く舞い恵の方へ飛んで行く。そのボール目掛け、栞と恵は競り合う。

 今日何度目の競り合いだろうか? と栞は考えていた。

 その余裕があることにも驚いたが、ボールに目掛けて助走を取れた分、助走を取ることが難しかった恵より、今度は高く飛べるような気がしていた。

 二人は競り合う。真冬のコートに、二人の汗の結晶が煌びやかに舞った。

 恵の頭より、半分だけ栞の頭は飛び出した。高さにすれば十センチ程度という僅かな差が、栞に勝利を与えた。

 栞がヘディングで触ったボールは、唯のシュートを防ぐために横跳びをして、倒れているキーパーの脇を通り過ぎて行く。

 ややループ気味になったシュートは、こうして無人のゴールへと吸い込まれて行き、恵のゴールとは正反対に静かにゴールネットを揺らした。


 一対一――。

 ギャラリーから大歓声が零れる。サッカーは何も華麗なパスワークや豪快なシュートだけではない。こういった泥臭いシュートだってあるのだ。そして、こういったプレーこそ、観客の心を打ち、選手たちに気合を入れるである。

 栞ら五人は点を取るために無意識にボールを追い続けた。その結果が、今こうして栞にヘディングシュートのゴールへと繋がったのだ。

 キーパーの葵を含む全員が栞のもとへ駆け寄り、頭をポンポンと叩いたり、お尻を叩いたりして喜びを分かち合っている。その輪の中心で栞は高々と天に両手を掲げ、喜びを体いっぱいに表現する。

 ベンチからその様子を眺めていた明彦も、心の中で大きくガッツポーズを決め、この試合はきっと勝つだろうと信じていた。

 サッカーは、もちろん先に点を取ったチームが圧倒的に有利だ。だが、その優位性こそ危険なのだ。実力が拮抗している場合、特に一点差や二点差のスコアの時が非常に危ない。

 万が一追いつかれた場合、追いつかれたという尋常ではない位の精神的負担を追うからである。

 特に、今のような終了間際に同点にされると、張りつめていた緊張の糸が、プチンと切れるように、集中を失い、崩れるチームが多い。

 これは何もアマチュアだけの話だけでなく、プロのそれも、ワールドクラスのチームにも言えることだろう。

 それだけサッカーにおいて一点というのは重いのだ。

 

 喜び合っている万代フットサルクラブを後目に、エスペランサ長岡の十番を背負った恵は、ゴールの中からボールを取り出し、再びキックオフをしようと、ボールを持ち、ゆっくりとセンターサークルへ向かって行く。

 幾度となく、このようなピンチは経験して来た。だが、そんなピンチの中でも恵は、心の底からサッカーが楽しいと思えて仕方がなかった。

 理由は恐らく、栞の存在である。彼女のようなプレーヤーが、年下のしかも女子でいるとは全く思わなかった。恵は高校生で、栞は中学生だ。

 周りのチームメイトの技術力を考えても、圧倒的にエスペランサ長岡の方が優位であろう。しかし、サッカーに絶対はない。万代フットサルクラブは、研磨されたチームプレーでエスペランサ長岡の技術力を超えようとしている。だからサッカーは面白いし、やめられないのだ。

 恵はフッとほくそ笑み、ボールを静かにセンターマークにセットした。万代フットサルクラブはその姿を見て、キリっと身を引き締める。この辺の集中力は未だに切れてはいない。

 

 レフェリーの笛により、試合は再開され、エスペランサ長岡の七番の選手から、恵へとボールは渡される。

 後半十六分――。

 ボールを持った恵のもとへ、栞がプレスをかける。

 フットサルだけでなくサッカーにおいて重要なのは、数的優位を如何に作るかということである。

 数的優位であれば、選択肢が多い、パスもできる、自分でさらに持ち込むこともできる。しかし、一人孤立すると、どんなに上手い選手であっても何もできない。もちろんそのこと実を、恵は良く心得ていた。

 そのため、ここで栞を前半の時のようにあっさりとかわせれば、再びエスペランサ長岡は優位に試合を進められるだろう。だが、栞は進化している。いや、栞だけでなく、万代フットサルクラブの全メンバーが急激な勢いで成長しているような気がしていた。

 栞は前半に相対した時よりも、重心のブレが少ない。左右に激しく揺さぶっても今度は簡単には抜かせてくれないだろう。左右のメンバーも、それぞれがきっちりとマークに付いている。

 これではただパスを出すだけでは、全く意味はないだろう。恵は迫りくる栞の前に、右サイドにいる七番の選手にパスを送り、自分もパスと同じ方向に勢いよく走って行く。もちろん、恵の後を必死に栞が追って行く。

 パスを受けた七番の選手は、恵の位置を確かめ、歩のマークをかいくぐりながらキープを続け、中央をドリブルして行く。

 恵は、ドリブルしていく七番の選手の後ろを追い越し、右サイドライン際を走り抜ける。同時に今度は、左サイドにいた九番の選手が中央に向かって走り込む。

 七番と九番の選手が交差するように、スイッチする。この時、それぞれをマークしていた歩と香織も交差し、交差したことで、二人は躊躇する。

 どちらがどちらを見るのか、判断に困ったためだ。結果、数秒だが守備に対して遅れが生じ、七番の選手はなんとか歩のマークを振り切り、左サイドを突破して行く。

 逆サイドを走っていた恵、そして中央にいた九番の選手がそれを見て、クロスするように一斉にゴール前に走り込む。

 エスペランサ長岡が、七番、九番、恵の三人で攻撃しているのに対し、万代フットサルクラブは、栞と唯の二人だけしかいなかった。

 先ほどのスイッチプレーで遅れを取った、歩と、香織は懸命に守備へと戻ろうとしている。その前に、七番の選手がペナルティエリアへ侵入して来る。そのため、仕方なく唯は七番の選手のシュートコースを塞ぐ。

 中央に走り込んでくる九番の選手と恵を、二人同時に栞がチェックする。

 七番の選手はシュートコースが、唯に消されたと見るや否や、直ぐにゴール前にグラウンダーの速いボールを送る。

 速いパスが唯の横ギリギリを通り過ぎて行く。唯がその間パスをクリアしようと懸命に足を延ばすが一歩届かない。

 ゴールニアサイドに走り込んだのは、恵であった。当然、恵にシュートを打たせまいと、栞は詰め寄るが、問題が発生した。それは、恵のマークをすれば、そのままファーサイドに飛び込んで来る九番の選手が完全にフリーになってしまうということだ。

 その躊躇が栞の判断を鈍らせた。栞は恵へのマークが中途半端になった。恵はそういった隙を見逃すほど甘くない。但し、キーパーの葵がほとんどのシュートコースを塞いでいる。

 今ここで恵が強烈なダイレクトボレーを放ったとしても、葵の体のどこかに当たり弾き返される可能性が高い。

 咄嗟に恵は、ボールをスルーするように自らの股の間に通し、通す際に僅かに左足のインサイドで、軸足になっている右足の後ろを通して、センタリングの角度を変えた。

 シュートだと思って、構えた葵も栞も完全にタイミングを外された。

 葵はシュートが飛んで来るであろうと想定した、左方向に重心が傾き、栞は躊躇した分、恵にパスを通されてしまった。

 角度が変わったパスは、ファーサイドに走り込んでいる九番の選手にぴったりと合った。

 九番の選手は、強烈にシュートを放つわけではなく、正確に右足のインサイドでチョンとボールを合わせる。それはまるでゴールに向かってパスを出すようなシュートであった。

 葵はシュートに反応しようにも、重心が逆に傾き、さらに完全にタイミングを外されため、反応のしようがなかった。

 シュートは確実にゴールの枠を捉え、静かにゴールネットを揺らした。

 一対二――。

 後半十八分を回ろうとしたところだった。エスペランサ長岡は、再び万代フットサルクラブを突き放すことに成功する。

 

 コート外のベンチにいた明彦は、ガクッとうな垂れる。

 なんということが起こるのだ。という顔付きであった。もう時間はほとんど無いだろう。ここでの失点は正直、キツい。それ以上にあれほど、良い時間、良いタイミングに同点弾を決めたのにもかかわらず、ここで再び突き放されてしまうことにショックを隠せなかった。

 同時に、同点にされても、それ程気にせずに堂々とプレーを展開する、恵を中心とするエスペランサ長岡の精神力の強さに驚いていた。

 コート内にいる、万代フットサルクラブは全員がこの世の終わりのような顔をしている。

 ただでさえ疲労が蓄積し辛い時間帯であるのに、この精神的な負荷は、中学生の彼女たちに更なる重みを背負わせたのだった。

 ゴールの中から、葵がボールを取り出す。そのボールを近くにいた栞が受け取り、センターマークまで運んで行こうと走り出す。

 皆の雰囲気は重い。そこで明彦はタイムアウトを要求する。フットサルでは、前後半に一度ずつタイムアウトを行う権利が両チームに与えられている。

レフェリーはそれを確認し、万代フットサルクラブのメンバーはベンチへと引き返して行く。

 

 ここで栞はある記憶を思い返していた。それは、小学生の時の最後の試合のことだった。あの試合も、終了間際に一点を取られてしまったのだ。もう負けたくない。これが最後にはしたくない。最後は優勝して皆と笑ってお別れしたい。だけど、またあの時と同じように負けてしまうのだろうか? それを思うと、どんどん不安になる。

 ベンチに集まったメンバーの顔色は、皆悪かった。土壇場で突き放されたという負担が、精神的に大きく圧し掛かっていたからだ。

 明彦はそれぞれを見渡しながら、ボトルに詰めたスポーツドリンクを渡す。

 栞は腰に手を当てて、タオルで拭っている。顔には悔しさがにじみ出ている。

 香織は疲労度が高いのか、受け取ったドリンクをほとんど飲まず、膝に手を置き、肩で息をしている。

 歩の疲労はそれほど多くないようであるが、ぼんやりと遠くを見つめている。まるで緊張の糸が切れてしまったかのような表情だった。

 唯の表情は変わってはいないが、疲労が溜まっているようだ、タオルで顔を拭い、頻りにふくらはぎを手でマッサージしている。

 葵はキーパーグローブをはめたままドリンクを飲んでいる。いつも明るい葵であるが、流石にこの状況では持ち前の明るさも発揮できないようだった。

 そんな姿を見て明彦は答える。

「どうした、元気がないじゃないか? まだ試合は終わってはいないぞ。優勝するんだろう。だったらこんなところで負けていられないぞ」

『優勝』という言葉に、少女たちは皆反応を示した。

 そんな中、栞は答える。

「は、はい。時間はあと何分残ってますか?」

「ロスタイムを入れれば、残り五分弱といったところだろう。まだまだ逆転は可能だぞ」

 葵が答える。

「そうだよ、まだ終わってないし。点だって取れるよ」

 歩が言う。

「ああ、でも問題はさ、向こうがやたらとポジションを入れ替えた時、どうするかってことだよな。それを解決しないとなかなか攻撃できないよ」

 唯が答える。

「マークはずっと同じ人を見るのはどう?」

 それを聞いた香織が言う。

「相手の選手が、重なって逆側に行っても最後まで自分が見るってこと」

 再び唯は答える。

「そう。でも……」

 怪訝そうな顔で栞が答える。

「でも?」

 唯は答える。

「時間が少ない。あまり守備に時間を掛けられない。だから、ある程度リスクを懸ける必要があると思う」

 葵がスポーツドリンクを飲みながら言う。

「リスクって何?」

「栞には前線でカウンターに備えて張っていてもらいたいんだ」

 歩が口を挟む。

「え、でもそうしたらあの十番の選手は誰がマークに付くんだ。栞がずっと前線にいたら十番は普通に攻め上がるんじゃないか?」

「多分、好戦的な十番の選手は上がると思う、でもそれが狙いなんだ」

 栞が答える。

「ひょっとして恵さんを唯が止めるってこと?」

「私だけじゃない。私と葵。それと香織にも歩にも。つまり、栞以外の全員」

 それを見ていた明彦が言う。

「十番の彼女を止めるには、確かに単独では難しいだろう。複数で囲めれば、奪取率は上がるだろうが、その他のマークが手薄になる。でも仮に奪えれば、チャンスは広がるだろう。覚えているかい? ゴールキーパーからのカウンター攻撃。あれはまだ一度も成功していないだろう。最後のチャンスに賭ける作戦としては、やってみる価値はあるんじゃないかい」

 栞は言う。

「でも、万が一のことが……」

 明彦は言う。

「仲間を信じるんだ。優勝したいんだろう! 最後、栞を前線に残したカウンター攻撃を行うと決めたのなら、栞、君は仲間を信じて待つんだ。きっと唯や葵は十番を止めてくれるし、香織や歩は君にパスをつないでくれる」

 唯が言う。

「任せて。きっと止めてみせる」

 葵が答える。

「そうそう。協力すれば絶対止められる。こんなところで負けてられないもんね」

 歩が答える。

「あたしは最後まで走りまくるから」

 香織は言う。

「私もパスを出す。栞ちゃんに届くまで」

 栞がそれを見て答える。微かに涙が溢れてきそうになった。栞は必死に耐えながら答える。あの時のようにはしたくない。今度こそ絶対に勝って終わりたい。その願いが栞を支えた。

「皆。有難う。あ、あたし、皆のパスを待ってるから」

 ちょうどレフェリーの試合再開の笛が轟く。

 満身創痍であり風前の灯であった、万代フットサルクラブのメンバー内に炎が猛るような活気が戻った。勢いのあるチームには、こういうところがある。消滅寸前のクラブが、最後の大会で優勝するということは、プロを含めて過去に何度も例があるのだ。

 

 万代フットサルクラブのキックオフから、試合は再開される。

 香織から栞にパスが送られ、栞は左サイドを駆け上がる歩に向かって、パスを送る。

 左サイド前方でボールを受けた歩は、四番の選手にマークされながらもライン際を突破して行く。

 ゴール前には栞と香織が攻め上がっている。歩は素早くゴール前にセンタリングを上げるが、飛び出したキーパーが弾き返した。

 弾き返されたボールはルーズボールになり、ハーフライン際まで飛んで行く。ちょうどセンターサークルを土俵のようにし、その中で、七番の選手と唯がボールを競り合う。

 唯は懸命にボールを前に押し返す。押し返したボールは、万代フットサルクラブから見て右側のタッチラインを割った。

 後半十九分――。

 右サイド、ハーフラインとペナルティエリアの真ん中くらいの位置から、エスペランサ長岡のキックインで試合が再開された。

 キッカーは九番の選手だ。

 エスペランサ長岡は、後方に四番の選手が残り、恵が中央寄りに、七番の選手がゴール前に張り出していた。

 いつもと同じような攻撃パターンではあるが、違うことがあるとすれば、恵のマークに栞が付いていないということだった。

 もちろん、そのことに恵や他のエスペランサ長岡のメンバーも気が付いている。本来ならば、ここで無理をして攻め上がる必要はない。

 残り時間を考えると、無理をして攻め危ない場面を招くようであるのならば、時間稼ぎにボールを回したり、直ぐに蹴り返したりしてタッチラインを割らせ、プレーを切るという方法もある。

 勝負の世界ではそういった非情で、ずる賢いことも時には重要になってくる。しかし、エスペランサ長岡のメンバーはそういった作戦を一切取って来なかったのだ。

 理由は、自分たちよりも年下の少女たちが、あれだけ歯を食いしばって食い下がっているというのに、勝っているからといって、年上の自分たちだけが、そんな卑怯な真似をすることはできないという思いがあったためだ。

 食い下がるのであるならば、それを上回るパワーを見せつけて、完全に勝利してやろうと考えていた。

 九番の選手が、キックインでボールを中央にいる恵に放り込む。ゴロで素早いボールを、難なく恵はトラップする。その恵みに対して、今度は唯がしっかりとマークに付く。

 両サイドにいる。七番とキックインを行った九番の選手にもそれぞれがマークに付いており、前線に栞が残っている。

 仮に恵がボールを奪われ、栞にボールが通れば、高確率で同点にできるだろう。それはあくまで、恵がボールを奪われたらの話だ。恵はそんなに甘くはない。

 唯の執拗なディフェンスをかい潜りながら、万代フットサルクラブの陣内に侵入してくる。ペナルティエリアのギリギリ外で、唯と恵は激しい攻防を繰り広げる。

 唯は恵の素早いエラシコを多用した左右の切り替えしにも懸命に付いて行き、振り放されないように守っている。

 何度か、栞と恵の一対一を見ていた唯は、恵の弱点らしきものを見つけていた。それが弱点と呼べるものなのか分からないが、恵は巧みな足技に比べると、ヘディングが凡庸であった。もしかしたらヘディングならば勝機があるかもしれないと思っていた。

しかし、今はこの守備に集中しなければならない。とにかく足を出したり、ちょっとでも重心がずれたりすると、その隙を衝かれあっさりと抜かれてしまうからだ。

 そんな最善を尽くした唯のディフェンスでさえ、恵は揚々と突破して行く。

 恵は唯のディフェンスの際の重心移動のタイミングを見計らい、重心が移る際に空く股の間を抜いたのだった。しかし、それを読んでいたのか、葵が唯の抜かれた後のフォローを完璧に近いタイミングで行い、恵が狙えるシュートコースをほとんど消していた。

 開いているコースは、葵の股の下か頭上だ。股の下は、葵が深く膝を曲げて屈んでいるため、もしかすると手で防がれる可能性があった。そのため、恵はふわりとしたループシュートで、葵の頭上を抜くということを選択した。

 恵の右足から、葵の頭上に向けてループシュートが放たれる。

 低い弾道や、強烈なシュートを想像していた葵にとって、このシュートは意外であったため、完全にタイミングを外された。

 シュートはただ速く強烈なだけではダメだ。そういうシュートがダメになった時、このような意外性のあるシュートが効果を発揮するのだ。

 葵はループシュートに手を伸ばし、懸命に反応するが、一歩届かない。

 無情にも葵が必死に伸ばした手を、嘲笑うかのように、ボールはふわりと柔らかい弧を描き、万代フットサルクラブのゴールへ向かって行く。

 それでも万代フットサルクラブは諦めない。一度抜かれた唯が、そのままゴールまで戻り、体を投げ出して、ややオーバーヘッド気味でループシュートをクリアした。

 ループシュートは、そのシュートの特性上、スピードが出ない。低速度ため、唯にもう一度守備に戻るということを可能にさせた。

 クリアした唯は、勢いそのままに自分がゴールに吸い込まれて、激しく地面に叩きつけられる。

 唯のファイト溢れるプレーで、万代フットサルクラブは決定的なピンチを防ぐ。しかし、クリアされたボールを九番の選手が拾う。

 九番の選手には香織がマークに付いているが、九番の選手はフェイントかけ、香織を抜きにかかる。

 ディフェンスが苦手な香織はあっさりと抜かれたように思えたが、先程の唯のプレーを見て、自分も頑張らなければいけないと、疲れ切った体に鞭を打つように奮い立たせ、抜かれても必死に体を寄せて行った。

 九番の選手は、ペナルティエリア左付近からシュートを放つが、それを後ろから追ってきた香織が、飛び込むようにシュートコースに体を投げ出す。それが功を奏し、九番の選手が放った強烈なシュートは香織の背中に思い切り当たり、コースが変わり高く舞った。

 ルーズボールとなったボールの行く末には、七番の選手と歩がいる。

 

 ヘディングによる競り合いは、ほぼ互角であり、ボールは再びルーズボールになり、ゴール前中央に飛んで行く。

 そのボールに恵が反応する。先ほど身を挺して、シュートをクリアした唯が再び恵と競り合う。飛び込んだ際に足を痛めのか、足首がズキズキと痛んでいる。しかし、恵からボールを奪うにはこれが最後のチャンスかもしれないと痛みを堪え、懸命に跳躍する。

 唯の読みはほぼ正しい。恵はフィールドのサッカーではボールを出す側であるので、ヘディングではあまり競らない。だから、人と競り合うということをあまり得意としていない。ただ、身長の高さがあるので、その分栞との競り合いに勝てていたのだ。

 唯は必死に飛ぶが、身長差が栞以上にあり、尚且つ足を痛めているので高さが足りない。これでは完全に競り負けるだろう。

 その姿を見て葵は、今度は自分が止める番だと自覚した。あんなになってまで懸命に恵と競り合う唯の姿を見て、心を打たれ、絶対にキャッチしてやると誓った。

 恵は簡単に唯に競り勝ち、ほぼフリーの状態でヘディングシュートを放つ。

 放たれたシュートの先に、葵が反応する。唯が体を寄せていた分、僅かではあるがコースが制限できた。

 葵は横跳びをし、必死に手を伸ばしてボールをキャッチすることに成功する。そして、万代フットサルクラブは、なんとかエスペランサ長岡の攻撃を凌ぎ切ったのだ。

 アディショナルタイムは、約一分といったところであった。つまり、残りワンプレーできるか、できないかといったところだろう。

 この時、何か温かい膜に包まれるような感覚が、万代フットサルクラブを覆っていった。


 最後のカウンターが始まる。

 葵がボールをキャッチした姿を見ると、栞はマークに付いている四番の選手を振り切るように、ゴール前に向かって走って行く。

 第一、葵のスローイングの精度では、正解に栞の走って行く位置を見極め、そこに正確にパスを投げられるか分からない。にもかかわらず、栞が走ったのには理由があった。

 ただなんとなく、無意識の内に体が走り出したと思うと、絶対にボールが来るという予感があったためだ。

 この根拠のない予感は、万代フットサルクラブの全員に伝わった。数秒先の光景がなんとなく見えたような気がしたのだ。

 葵がキャッチしたボールを横にいた唯が受けようとする。足を痛めていたが、パスを出すくらいは可能であった。どうしてもこの攻撃には参加しなければならないような気がしたのだ。唯はそのボールを香織に送る。

 唯が香織にパスを送る際、目と目が合った。そして、なんとなく言いたいことが分かった。唯は左サイドにいる歩の方を見る。

 歩もそれに気が付き、唯のボールが香織のところに届く前に、前方へ走り出した。

 香織は唯からボールを受けると、対角線上のコーナーフラッグ目掛けて、インサイドで鋭いパスを送る。疲れていたためなのか、パスは若干ズレ、ゴールラインを割るか割らないかの微妙なパスになった。

 走り出した歩は、初速のスピードで敵を置き去りにし、香織の出したパスを懸命に追う。絶対に追いついてやるという想いが走る姿からでも見て取れた。ゴールラインギリギリで、ボールを足の裏で止める。

勢い余って、一度歩の体はゴールラインを割るが、直ぐに切り替えし、ゴールライン上に置かれたボールを、七番の選手が追いつく前に、ゴール前に向かってセンタリングを送る。きっと、栞なら点を取ってくれるだろうと思いを込めて。

 ゴール前に送られたセンタリングに、栞と四番の選手が反応する。その後ろからは、恵が鬼の形相で守備に戻って来ている。二対一で、万事休すかと思われた。しかし、栞はこのパスの重さを知っていた。

 自分以外の万代フットサルクラブの皆が、全員で奪い取ってくれたこのボールを、高が数的不利と言うだけで奪われるわけにはいかなかった。

 栞は覚悟を決めた。逃げるわけにはいかない。絶対に点を取ってやる!

 極限に追い詰められた人間は、突如思いがけない力を出すものである。

伝説的に語り継がれる英雄譚は、大抵そういった境遇が多い。逃げ道がなくなる分、選択肢が消え、闘うという覚悟を決めるからだ。

 例に洩れず、栞にも同じような現象が起こった。体内に電流が駆け巡るように、力が漲ってくる気がしていた。まるで、チームメイトが、パスによって栞に力を与えているようであった。

 何かに包まれたかのように、栞は覚醒する。なんだか、今ならなんでもできるような気がしていた。

 栞の横には、四番の選手がおり、後方には恵がいたが、先にボールに触れたのは栞であった。

 栞は利き足である左足で、器用にトラップをし、リフティングするように、床にボールを落とさず、四番の選手の横を抜き、反転し、さらに目の前に突進してきた恵の頭上を、タイミングを外すように、ふわっとボールを蹴り上げて抜いた。

恵は勢いよく突進して来たため、完全にタイミングを外され、何もできず立ち尽くした。その直ぐ右横を栞が風のように過ぎ去って行った。


 明彦はその姿を見て、無意識に立ち上がった。栞のドライブボレーシュートに、サッカーの道を志した頃の自分を重ね合せたのだ。

 そんな明彦が見ている前で、栞は二人を中学生離れした超絶的なプレーで抜き去った後、右足でボールが地面に付く前にボレーシュートを放った。

 シュートはドライブ回転が掛かり、キーパーの脇を超え、まるで漫画のようにゴールネットを豪快に揺らした。

 ボールは転がり、地面に落着しても、まだ回転の余韻が残っているかのように、くるくると回っていた。

 

 二対二――。

 土壇場での華麗なる同点劇。

 栞が魅せた、神がかり的なトラップからのシュートは、決して彼女一人によって成し遂げられたファンタジーではない。

 万代フットサルクラブの淀みなく流れるパスワークから生まれたものだ。栞はその最後の扉を開けたにすぎない。要するに、全員によって引き起こされたファンタジーなのだ。

 周りを取り囲むギャラリーは、一瞬何が起きたのか分からず、まるで大津波前の強烈な引き潮が生む静けさのように、完全に沈黙していた。

 栞がゴールを決めたことを確認し。高々とガッツポーズを挙げると、一点目の時以上に、万代フットサルクラブの少女たちは激しく詰め寄った。

 途端、嵐のような鮮烈な歓声がコートを包み込んだ。

 その歓声の真ん中で、栞ら五人は喜びを分かち合い、手を取り抱き合っている。

 ベンチから見つめていた明彦は、立ちつくしたまま、彼女たちの魅せたプレーの余韻に浸っていた。そして、明彦は深く目を瞑り、何かを考えた後、パッと目を開け、ある決心をした。

 フットサルコートに響き渡る声援は、収まることが無く、永遠に聞こえ続けるように思えた――。


 エピローグ

 ここから先は、後日談である。

 絶頂の場面から、いきなりこうも話が飛んでしまうかと言うと、後半の土壇場で同点に追いついたあの時間こそ、彼女たちにとって全試合を通して文句なく一番の絶頂期だったからだ。

 試合結果をさらりと言うと、彼女ら万代フットサルクラブは、エスペランサ長岡に敗れてしまった。

 二対二の同点に追いついた後、試合は延長戦を行わず、即PK戦が行われることになった。

 PK戦での万代フットサルクラブはズタボロであった。まるで、あの同点弾に全精力を注ぎこんだかのように、不抜けて輝きが消えていた。

 覚醒したファンタジー溢れる時間なんて言うものは、永遠には続かない。本当に一瞬の出来事なのだ。

 万代フットサルクラブは、〇対三であっさりとPK戦に敗れてしまった。結局、十二月に万代スポーツクラブで行われた大会は、エスペランサ長岡が圧倒的な力を見せ優勝を果たした。

 決勝戦は、エスペランサ長岡と、新潟市内の主婦層のレディースチームの対戦で、スコアは六対〇でエスペランサ長岡の圧勝であった。

 ちなみに、新経大のフットサルサークルは、準決勝で主婦層のレディースチームに二対三で敗れていた。

 栞ら五人は、試合に負けた悔しさでずっと泣いていたのだが、大会参加の全チームの中からフェアプレー賞に選ばれ、表彰されたのである。そして、最後には五人笑顔になって抱き合ってお別れをすることになった。


 四月上旬――。

 季節は冬を超え、春を迎えた。雪国である新潟の極寒を超え、地面からは新芽がちらほらと顔を出し始めていた。桜も咲き乱れ、信濃川沿いにある堤防では、日曜日になると、沢山の見物客で溢れかえっていた。

 栞ら五人は、中学二年生に進級した。

 彼女たちのその後の動きを、ここで紹介しておこう。

 栞は冬に行われたアルビレックス新潟レディースチームのユースのセレクションに、無事合格した。彼女の他にも数名の中学生がおり、もちろんエスペランサ長岡の恵を始め、何人か見たことのあるメンバーも合格していた。現在は、夏に行われるユースの女子大会へ向けて猛練習を重ねている。

 歩は陸上部に戻り、陸上部のエースとして練習に励んでいる。あの大会以降、ほとんどフットサルを行うことはなくなったが、たまにサッカーボールを見ると思わず蹴りたくなる自分がいることに、少し驚き、またフットサルをやりたいなと考えている。現在は間近に迫った競技大会に向けて、夜遅くまで練習を重ねている。

 唯と香織と葵は、意外にもフットサルを続けることになった。唯はあの大会でサッカーの面白さに憑りつかれ、兄の弘が断念した夏目家に束縛されない生き方を選択したいと思っていた。それを知った弘と叔父の稔は、万代スポーツクラブに女子フットサルクラブを創設し、先週からそのクラブ活動が開始されていた。

 香織と葵は、そのフットサルクラブに入会していた。受験までまだ一年以上時間はあるし、香織も葵も、もう少しフットサルをしていたいと思ったのだ。新設された女子フットサルクラブには、あの冬の大会で彼女たちのプレーを見た観客から、口コミで話題が広がり、市内の女子中学生が何人か集まり、先週に行われた第一回目の練習では、香織、葵、唯、を含めて七名の女子が集まった。

 とまぁ、各々がそれぞれの道に進むことになったわけだ。

 それぞれの道へ進んだということもあり、栞ら五人は以前のように毎回顔を合わせられなくなった。しかし、今日は久しぶりに全員で集合するという約束になっていた。

 理由は、ある試合を見に行くからである。


 新潟県新潟市中央区清五郎に建っている東北電力スタジアムで、本日アルビレックス新潟対セレッソ大阪の公式戦が行われる。

 駅で待ち合わせをして、バスでスタジアムまで向かう。アルビレックス新潟のホームゲームということもあり、会場内は混雑していた。彼女たちの席はグラウンドから左四五度と微妙な位置であったが、席列は一番前の席を取ることができた。久しぶりに逢ったものだから、集合してバスに乗って今に至るまで、会話は尽きなかった。

 試合まで、約三十分時間があったので、自分たちの現在の活動内容を事細かく話していた。

 ホームゲームでは、ホームチームの選手が大型ビジョンに映され紹介される。その中に、聞き覚えある名前がコールされ、見覚えのある顔が大型ビジョンに映し出された。

「背番号二十三番、与謝野 明彦!」

 そう、万代フットサルクラブの元コーチの明彦本人である。

 明彦は、今年の一月に行われた合同トライアウトに参加し、アルビレックス新潟へ入団することが決まった。

 再びプロへと返り咲いたのだった。そのきっかけを与えたのは、もちろん万代フットサルクラブの少女たちであった。

 彼女たちの練習への姿勢、試合でのファイト溢れるプレーを、ずっとずっと間近で見てきて、明彦はもう一度自身がプレーする立場を選んだのだ。もちろんトライアウトを受けたとしても、どこへも入団できないかもしれない。

 例えプロになれなくても、プレーできる環境を求めて、社会人のチームを探し回ろうと思っていたのだ。

 自分が現役としてプレーできる年齢でいる限りは、選手としてサッカーに携わりたいと決意したのであった。

 Jリーグは、三月の上旬からリーグが開始される。最初の三週間は、明彦に出場機会はほとんど無かった。しかし、前々節に同じポジションの人間がイエローカードの累積で試合に出場できなくなった。そして、前節の後半から交代選手として出場機会を得て、一得点一アシストという、チームの逆転に大いに貢献する活躍を見せ、今回初のスタメンとしてメンバーに名を連ねていたのだ。

 前節の大活躍をニュースで知った少女たちは、こうして今日皆で集まって、明彦の応援に来たのであった。

 選手がグラウンド内に入場してくる際に、栞ら五人は大声で明彦の名前を叫んだ。

「アッキー!」

 観客席から芝生が張り巡らされているグラウンドまでは、二十メートル程離れている。

 ただでさえ、歓声で音がごった返している空間であるのに、それだけの距離が離れていて、彼女たちの声援が明彦の耳に届いたかどうかは分からない。しかし、明彦は少女たちの方向を見て、確かに手を振ったのであった。

 試合が始まり、少女たちは声が枯れるまで明彦のことを応援し続けた。明彦もその声援に応えるように、縦横無尽にグラウンド内を駆け回っていた。


 全世界で、二億四千万人以上が競技しているサッカーというスポーツには、魔性の力が働いている。

 国際試合では、試合の勝ち負けで戦争に発展した例もある。だが同時に競技人口が多いため、どこの国へ行っても大抵サッカーは人気があり、愛されているスポーツだ。

 ボールさえあれば、誰でもどこでも気軽にプレーを楽しめる。そして何より、チームでのプレーを重ねて行くうちに、人間をより強く大きく成長させて行くのだ。

 何も楽しいことばかりではない、思い悩むことだって少なくはない。

 それでも、あのゴールネットを揺らす一点は、それまで苦労を一切吹き飛ばす程の力があるし、身分、人種、性別、年齢を超えて、人を抱き合わせるというエネルギーに満ちている。

 栞、香織、歩、葵、唯、そして、明彦のサッカーはまだまだ始まったばかりである。これから先に辛いこともあるだろう、楽しいこともあるだろう。壁は乗り越えて欲しいし、どうせならプレーすることを楽しんでほしい。

 だって、君たちはまだまだ旅の途中 ――。

〈了〉

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