Ⅸ
知識とはただ積み重なる物ではなく、時として内部で競合したり、葛藤したりするものだということを、その場でシダーナは学んだ。生活道徳や実際上の役に立つ物事を教え、またそういう物品を渡そうとした宣教師に、シダーナは自分の立場を明かし、島で知り得ない知識があるのなら教えてほしいと乞うた。宣教師パラディーゼ・ドン・フラメルは目を丸くし、この赤みがかった褐色の肌の、知識欲にあふれた若者に、拙い言葉で、まずこの世の始まりの話を聞かせた。
神が、光あれかしと願われたこと。昼と夜が出来、天を作り、大地と海を作り、植物を生えさせられたこと。次に、太陽と月と星を作られたこと。魚、鳥、獣、家畜を作られた後、ご自身の姿に似せて人を作られたこと。そうしてから丸一日休まれたこと。
奴隷の働く前で、フラメルは程よい岩に腰を下ろし、原初の1週間を訥々と語った。不幸なことに、世界の、聖なる教えの無い場所にも知識欲に燃えた若者はおり、そうした者は、その地域の、誤った伝統や神話を目いっぱい頭に詰め込んでしまうということを、フラメル氏は以前訪れたいくつかの布教地から知っていた。唯一絶対の存在を介さない創世神話をまず破壊することが、クルス教に身を捧げた自分の重要な任務の1つだと彼は考えていた。案の定、ヒディア島の若者も、他の地でそうだったように、半ば恐る恐る、半ば面白がって、その初めて聞く異質なおとぎ話に対する疑問を口にし始めた。
神とはどういう存在なのか。唯一にして、全知全能、そして常に最善を目指すお方で、遍く存在する(ワーダ)、と男は答えた。その神というのは、何故土よりも、木よりも、水よりも先に存在する(ワーダ)のか。フラメルは、どのように答えれば良いだろうと考えた。
「答え方はいくつかあります。1つは、神はこの世界に作られた存在ではないからです」ヒディアの言葉を探しながら、また黒鉛で岩に諸々の形を書きながら、なんとか話を続けた。
「身の回りで、作った存在が、作られた存在に含まれているような存在を見たことはありますか?」シダーナは何を言いたいのかわからなかったが、フラメルの目はとても煙に巻こうとしている人のそれではなかったので、黙って続く話を伺おうとした。
「例えば、母は子を作ります。この時、母は子の中にいるのではありません。また、大工が家を建てます。確かに、人は家の中に住みますが、家という存在の中に大工が含まれるわけではありません」
「はい」
「このように、作った存在は、作られた存在の外に存在する必要があるのです」ベン図のような物を描きながら、フラメルは続けた。
「同時にまた、作った存在は、作られた存在よりも先に存在していなければいけません。子が生まれてから母がこの世に現れることはありません。家がひとりでにできてから、大工が生まれるわけでもありません。なので、ここから、この世界を作った存在は、この世界の外に存在し、またこの世界よりも先に存在していたことになります。これが神です」
「…………」
「土や水や木といったものは、この世界の一部です。ということは、神の方が先に存在していますね」その言葉をしばらく噛み締めてから、シダーナは、反論しようとした。しかし、母から子が生まれ、大工から家が生まれるように、神からこの世界が生まれるのだと言われると、納得はできないが論理は正しい気がした。
「……世界は、木と土と水からできています」シダーナがヒディア島の創世物語を始めた。
「最初からずっと、木と土と水は、この世界に同じ量だけあり、その形が変わっているだけです。この世界は、人や魚と違って生まれたり死んだりするものではありません。なので、子に対する母、家に対する大工のような存在は必要ではありません」
「では、何故木と土と水は、今のようなあり方になったのですか?」シダーナは質問の意味が理解できなかった。
「というのも、すべて混ざり合った泥水の状態がずっと続いていても良かったのではないですか?いったいどうして、このように複雑な仕組みが、木と土と水とがあるだけで、ひとりでに出来上がるでしょう?」
「…………」
「そこには、何かの意志が存在します。法則と言い換えても良い。何故そうでないあり方ではなく、そうなのか。すべてのものは地面に落下します。天に落下したりしません。たとえ世界が生まれたり死んだりするものでなくとも、現在のような形に導いた何らかの意志は存在するでしょう。それこそが神の意志であり、神の存在の証明なのです」シダーナはまるっきり黙ってしまった。しばらくして、奴隷の1人がその日の仕事の報告に来た。奴隷に対処した後、フラメルは、シダーナに向けて穏やかな笑みを浮かべ、
「我々はあなた方の言葉を勉強します。あなたも、我々の言葉を勉強してください。そうすれば、よりよい議論が出来ましょう」と言った。