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 昔、この島にはモヌスとフュマヌという双子の兄弟が住んでいた。それがいつしか、モヌスは森に、フュマヌは浜に暮らすようになっていった。モヌスの子孫は次第に魚を取る技術を忘れ、水をかくためではなく木々を渡るために手足の形が変わり、獣に見つかりにくくするために腰を曲げ、静かに歩くことを覚え、そしてまた、闇に紛れるのに適した漆黒の毛を全身に帯びるようになった。一方で、フュマヌの子孫は泳ぐのに抵抗がないよう全身の毛が薄くなり、平地に木々ではなく自前の住居をつくるため、腕は物を持ちやすく変化した。モヌスの子孫は後にエイペスと呼ばれるようになり、フュマヌの子孫は後に人間と呼ばれるようになった。人間たちは、モヌスが浜から森へ移ったのだと言うが、ガ・アニ・マーレイシュがエイペスより伺ったところによれば、彼らの中ではフュマヌが森を捨てたのだと言われている。そうしてエイペスは浜へ行かず、魚を食べない。人間は森の奥へは立ち入らず、獣肉を食べない。ただアニ(中間の、友愛の、を示す形容詞)を中つ名として持つ神官だけが、森に住処を置き、森の奥、エイペスの暮らす聖地への侵入を許されている。

 ヒディアの人間が獣を食すのは、1年でただ一度、秋の大祭のみだ。ヒディア島には長い長い夏と、ほんの少しの冬、そして通り過ぎるだけの春秋がある。秋虫の一種であるマイスズの音色が誰かひとりの耳にでも入ったら、大祭の準備が始まる。女は浜に近い神像の周辺に、夏中かけて生い茂った雑草を取り除き、倉庫に眠る大太鼓や層敷笛の手入れを始める。子どもは島中を駆け巡って、大祭の季節の来たことを教える。ただ男どもだけは、昼に神官の配るガイサイ(ジュラの実から作るアルコール飲料)を呷り、みんな寝てしまう。というのも、夜、大祭の供物を岩場に捕まえに行かねばならないからだ。

女と子供が寝た後に、寝床から起き上がり、男は小神像に集まる。神官だけはその場におらず、これから犯されようとする人間の罪をエイペスたちに告げるため入聖(アウダ)している。男たちは夜光虫の飛び交う夜の草原を抜け、川を渡り終えると、百紀や麒宗などの伝説上の生き物の木彫りの面をかぶり、岩場の奥へ進む。苔で滑る岩の上を、微かな月の光を頼りに渡っていくと、大骨羊の巣がある。気性が荒く、目よりも発達した平衡器官と優れた足を持っているため起きている時は人間の敵う相手ではない大骨羊だが、眠りが非常に深いという特徴がある。念のためこじ開けた口にヤクビキから作った眠り薬を垂らし、男3人がかりで巨体を持ち上げる。大祭の晩までは、大骨羊は、ただ1つ、儀式のため心臓の前につける切り込み以外は傷をつけることが出来ない。起きれば暴れ、身体中に傷ができるので、慎重に慎重を重ねて、神像の前まで運ぶ。太陽の出ている時でも危なっかしい岩場を、視界の狭くなる仮面をつけて夜渡るために、この荒行にはしばしば怪我人や死人が出た。

 神像の前には窯木で作られた祭壇が据えられ、大骨羊はそこに捧げられる。大祭の晩になると、島でその年最も勇敢だった男と、神官が供物の前に立つ。怪我をしていない他の男や一部の女は演奏者にまわり、腹の底に響くような大太鼓と鳥にも似たけたたましい笛音で場を彩る。周囲には大きな火が焚かれ、その瞬間を期待している。大骨羊は前もって心臓の前に深い切り込みを入れられているが、濫麻と眠り薬の影響で血は出ず、昏睡を保っている。

 神官は島の小神たち、漁を守る海の小神たち、エイペス、そして島の生き物の順に感謝を述べ、自分の身の丈ほどもある大斧を持ち上げる。最高潮にまで高められた音楽がふっと止み、周囲を取り囲む人々も息を殺す。その瞬間に大骨羊の首に斧が叩きつけられ、血しぶきと共に首が祭壇から転げ落ちる。突然のことに驚き暴れ出す胴体。傷口が開く。神官の隣の勇猛たる男が胴体に跳びかかり、動きを封じながら傷口の中に腕をめり込ませる。大骨羊の心臓を引きちぎり、天高く掲げる。興奮した人々のあげる絶叫の中、男は全身に心臓の血を浴びる。

 シダーナは、身体の底から沸き立つようなものを感じながらも、それに素直に身を任すことが出来なかった。数年もすれば、あの大斧の役を自分がこなすことになる。仕損じれば、いかなる災厄が島に降りかかることか。といって、予行演習などあるはずがなかった。大骨羊は、こうして皆の前で殺され、小神に捧げられるから、殺すことが出来るのだ。大祭で失敗したくないというただそれだけの理由で獣を殺すなど、許されるはずがない。


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