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ⅩⅢ

 またシダーナは聖地の奥の、小さい碑の前に立っていた。赤黒い光は強さを増しており、空気の抵抗や鳥のざわめきが以前より強くなっているように感じたが、それを気のせいであると断じて、シダーナは日常語を口にした。

「未だ、あなた方の声を心に頂いていません。同じように、こちらが心の中で思うだけでそちらへ通じるのかわからないため、あえてこの空間に俗の言語を混ぜ入ることをお許しください」静かにミフ・ミフ・プレートへ手を添えたが、それはもはや初入聖(アウダ)の時のように光ることはなかった。

「我々フュマヌの子孫は、この頃、あなた方に、安易に答えを頼りすぎていたのかもしれません。父マーレイシュは、多くの場合、調停に困った時ここで尋ねれば明瞭な答えを得られたと口にしております。しかし、確かに、今発生している島外との接触は、島内の諸問題と異なり、あなた方存在する(ディラーサ)者に答えを伺えば済むものではありません。あなた方の沈黙を、私は、自分の判断能力を鍛えてこの新事態に対処せよという助言と取りました」シダーナは大きく息を吸って、吐いた。言いにくいことを言うために。…………

「島の者たちとの協議の結果、島にコインを導入することとなりました。……漁獲高と収穫高は倍増し、島の多くの家系がそれをコインに変えております。より高性能な「大陸」の道具が次々と導入され、また、「大陸」の人々に軽蔑されないよう、向こうの学問や服装、文化を積極的に若者たちに学ばせ、取り入れております。かつての木の皮のような服を纏うものはごく少数となりました。……新しい学問を学ぶために、小神に祈る時間は減ってきています。すっかりクルス教に帰依し、従来の信仰を迷信だと嘲る若者もちらほらいます。老人たちはその傾向を危惧しており、今朝も私のもとに苦言を呈しにやってきました。しかし、一旦「大陸」を信用した以上は、しばらく、彼らの様式の導入のため既存のものに割く時間は減少せざるを得ません。……私個人としても、クルス教やその生き方、論理への魅力を強く感じる一方で、小神への信仰の薄れることは非常に不安でありますが、しばらくはこの方針で島を動かすつもりです」シダーナは、震える腕で、後ろ手に忍ばせていた、縊った兎を前に突き出した。

「間もなく秋の大祭ですが、大骨羊の犠牲に加え、私たちのあなた方への信仰を証するため、ささやかな供物を用意いたしました。どうかお受け取りください」シダーナの言葉は、明瞭に発音されたにもかかわらず全て霧に溶け、刹那、まったく無意味だったように感じられた。が、1呼吸の後ごそりと闇の動く音がした。シダーナは必死で目を凝らした。

背の曲がった、全身に艶のある黒い毛の生えた、人間のようでそれとは非なる存在(ディルス)、奇妙に伸びた手足と数の多い関節、しょぼしょぼした小さな目と大きな耳。さすがにその御姿を前に俗の言葉で場を穢す度胸は出ず、シダーナは胸の内で語り掛けた。

(初めてお目にかかります、エイペス様)

 その圧倒的な存在は、無言で兎を受け取り、自分の子をあやすように胸に抱き、再び聖地の闇へ溶け込んでいった。その姿が完全に消えてなくなった時、シダーナは自分が息を止めていたことに気づき、大きく息を吸った。

 シダーナの為した「大陸」式へ迎合する方針のせいで、小神やエイぺスが怒り、秋の大祭の儀式を失敗させてしまうのではないかと恐れていた気持ちが、少し軽くなった。たとえ祈る時間が短くとも、信仰心を強く持っていれば、決して供物を捧げるあの一刀を仕損じることはない。

「これまで、島で起きた争い事を、どのように解決してきたのですか?」腕に付けた時間を計る小型装置をしばしば確認しながら、ディアーノはシダーナに問いかけた。若き神官は、慣れないスーツを身に纏うぎこちなさに戸惑いながら、従来の寄合の方法を説明した。

「ですよねぇ」と、大男は前もって用意してあったらしき資料を数枚取り出した。

「これ、ウチの者が伺った、あなたがたの「寄合」の例なんですけどね、同じ程度の財の窃盗に対し、例えばこの、ケースAとケースBでは被疑者に全く重さの違う判決が出ているんですよ」

「ああ、この件ですね。これは、家系の違いがありまして」

「家系。はあ、この島にも、厳として差別構造があったわけですね。ある家の者が盗みを働いても、少し支払えば良いけれど、別の家の者が盗んだ場合、腕を切り取らなければならないわけだ」

「そうではなく……」あえて言葉で説明するとしたら、優れた家と劣った家があるわけではなく、罰の軽重は、被害を与えた者の家系と与えられた者の家系の距離が主に決定するのだ。Aの場合は、盗人が、ほとんど仕事上関わりの無い家系に個人的な恨みで侵入したため、被害を与えられた家系の長老がひどく怒り、その怒りを鎮めるために重めの罪を言い渡すことになった。Bは、間もなく結婚の行われる親しい2家系間で、ちょっとした考えの食い違いにより結果的に窃盗になったケースで、両家の誰も罰を望んでいなかった。そうした事情を加味しても、確かに、このようにAとBというように抜き出して抽象化されると公平性を欠くように見えるが、全てはその時の空気の中、数時間に渡ってその場の全員が気持ちを共有した結果の判決なのだから、その場ではそれが最善だったのは疑いようがない。

 ただ、それを、この思考する言語すら異なった饒舌な男に伝えられるはずもなく、シダーナは押し黙る。

「いえいえ、失礼しました。もちろんあなた方が生まれによる差別を大っぴらに行う民族だと非難したいわけじゃないんですよ。ただ、これから「大陸」の記録方法が島に普及すれば、すなわち安価な紙とペンが流入しましたれば、おのずから裁判の公平性というものが記録と照らし合わせて問われるようになるのではないかと思いましてね」

「で、結論はなんですか」

「結論は、ですね。神官や長老方と独立した、裁判のための施設「裁判所」を造り、裁判のための勉強を積んだ人間を養成しようという提案なんです」

「お断りします」シダーナにとって、すでにこうやって明確にNOを述べること自体、争い事が起きれば、長老の家に関係者で集まり、あっちでぼそぼそ、こっちでぼそぼそと、角が立たないように、うまく話を誘導して、誰も傷つかないように物事を決めていくヒディアのやり方と反していて非常に疲れることだった。

「そりゃまたなんで」

「従来のやり方に問題を感じないからです」

「いえ、ですから、これから問題は生じるんです。これまでは記録が残っていなかったから、自分に与えられた罰が公平な物か確かめるすべがなかった。でも、裁判が逐一記録されるようになれば、自分はこんな責め苦を負わなくともいいんじゃないか、と、過去の判例を漁って異議申し立てする輩が必ず出てきます」

「たとえ安価に歴史の記録材料が入手できるようになっても、我々は判決の記録は残さないと思います」

「いえ、残してくれないと困るんです。そんな、裁判基準もよくわからない国とは安心してお付き合いできない」そう言われるとぐうの音も出なかった。「大陸」の文明や技術の方が、優れていると素直に認めるのは悔しかったが、少なくとも進んでいることは確かだった。ここで関係を絶たれては痛い。

「では、……判決は記録に残しましょう。でも、それを人々が参照するかどうかはわからない」

「わからないのであれば、やはり、もし参照された時のために、どの時代の誰が見ても公平な裁判を常に行うべきでしょう」だんだんシダーナは、何故自分が頑なに彼らの助言を拒んでいるのかわからなくなってきた。それを見透かしたように大男は優しく言う。

「シダーナさん。あなたには、エイペスにお伺いを立てるという貴重な職務があります。それに、この島で最も「大陸」の言語や文化をわかっているのは現在あなただ。我々との連絡役も、続けてほしい。裁判の役割を、他の誰かに任せたからと言って、怠惰だと叱る者はいませんよ」そういうことではない。そういうことではない。シダーナは強く思ったが、ではどういうことなのか、うまく反論できなかった。

「じゃあ、まあ、それで」また1つ、徹底的に戦おうと思っていたのに、妥協してしまった、と思い、シダーナはエイペスたちと小神に申し訳なく感じた。施設や養成所の具体的な話は瞬く間に決まっていった。次の秋の大祭までには、立派な裁判所と裁判官が島に存在している運びになった。

 使節館から1歩出ると、もう秋だというのにむわっと吹き付ける塩辛い風。しかしシダーナにはそれが心地よかった。痛む頭を押さえ、しばらく、浜を歩いた。眉間に皺を寄せたシダーナと対照的に、ドュレイは、リースナーヤや友人たちと遊びまわっていた。もちろん、何の抵抗もなく「大陸」の道具を受け入れて、仕事の時間を半分にして、残りの時間で遊んでいるのだ。ドュレイの物づくりの才能は、「大陸」から様々な素材が入手できるようになって増々開花した。これでいいんだろうか。シダーナはよくわからないまま、独断で裁判所の開設を許してしまったことを報告し、謝るために、各家系の長老のもとへ足を向けた。

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