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一角竜ゾスカ(4/4)

 霧に霞む村は竜の急襲により恐慌状態に陥っていた。

 曇天から降り立った一角竜ゾスカは粉引き風車のてっぺんに陣取っていた。竜の重さに耐え切れず風車の羽根は落ちており、風車自体も斜めに傾いて倒壊の瀬戸際にあった。

 子供を抱いて逃げる者。

 武器を携えて立ち向かってくる者。

 ゾスカは見下ろしている。正反対なふたつの人の流れをじっと、興味深げに。

 自警団の男たちが猟銃や弓でゾスカに対抗しているが、そんな取るに足らぬ連中などゾスカは端から相手にしていなかった。

 ゾスカが地上に降りるのは、ただ一人が現れたときのみ。


「待ちわびたぞ。竜狩り」


 風車の下に駆けつけたゼン、ディア、団長に、ゾスカは忌々しげに毒づいた。

 団長にライフルの銃口を向けられても

 引き金にかけた指は硬直している。迷いが生じた自分自身に団長は眉根を寄せている。

 その感情の揺らぎを竜は目ざとく見つけて嘲った。


「あながち貴様らも不利益ばかり被ったわけではあるまい」


 団長の脚が狼狽でぐらつく。


「捧げられた供物は病人、罪人、老人たち。我ら竜をつまはじき者の処分に利用するとは大したものよ。しかもそ奴らに毒を飲ませ、我とショルトの謀殺を企んでいたのには感服したぞ。ヒトの知恵には心底恐れ入る」


 震えていた指が衝動的に引き金を引いた。

 耳をつんざく派手な発砲音とは裏腹に、発射された弾丸は竜の鉄壁の鱗に弾かれた。村の金をかき集めて買ったという帝国軍の払い下げはむなしい結果に終わり、自暴自棄になった団長はライフルを乱暴に打ち捨てた。


「村の働き手を犠牲にするわけにはいかないだろ!? それに、生贄の候補にはルイーズもいたんだよ。ゾスカ、お前が助けた、あの女の子だ。ルイーズは身寄りがない子で、他の子供と比べてのろまだからかばってくれる大人もいなくて――」


 開き直って途中まで言ってから、苦虫を噛み潰したような顔で舌打ちした。


「半竜のお嬢ちゃんならわかってくれるだろ? ルイーズを差し出すわけにはいかなかったんだ。あんないたいけな子供を犠牲にするなんて許されてたまるか。誰かがやらなくちゃいけない役目だってのに、それを買って出た俺を村の連中は好き勝手言いやがる。損得勘定で選んだ俺が悪いのか? 決断を下した張本人の俺だけが悪人だってのかよ!」

「おっ、おおお落ち着けって。誰もお前を責めてないだろ」


 錯乱気味の団長は理解者を求めんとディアの肩を執拗に揺すり、支離滅裂な言い訳を並べ立てる。その哀れなさまをゾスカは喉を鳴らして嘲笑しており、遠雷に似た音をごろごろと重く響かせていた。溜め込んでいた炎の塊を口の端からこぼして火の粉をちらちら舞わせていた。

 散々笑ってからが地上に飛び降りる。

 重力に任せて自然落下し、両脚で大地を踏む。着地の地響きで水溜りが一斉に跳ね上がり、木々が震え、枝葉に蓄えていた雨水が滝となって地面に降り注いだ。

 巨竜がゼンに立ちはだかる。

 額の美しき一角は霧雨のもやに霞む。

 ゾスカはあくまでゼンとの一騎打ちを所望している。ショルトを狩った報復として村人を無差別に襲撃する事態を危惧していたため、ゾスカにそういった矜持があったのは幸いであった。民家が巻き添えになる程度であればじゅうぶんに安い必要経費である。

 ゼンが漆黒の刀身を持つ太刀『善』を上段に構える。

 ゾスカが大翼を広げ、雨粒をまとった風圧を彼らに浴びせる――戦いの火蓋が切られた。

 長い首が引っ込む。

 散開を指示されたディアと団長は子供たちを連れて一目散にその場を離れる。突き出した頭の大アゴが開き、溜め込んでいた火炎が吐き出されて地を炙ったのはその次の瞬間であった。

 薄暗い村が火の色を映し、瞬時にして赤く染まる。

 横っ飛びに逃げたゼンのすぐそばを放射された炎がかすめる。

 痛いほどの灼熱が肌に激痛を走らせ、眼球の奥まで貫く。

 首を左右に振りながら撒かれた火炎の息吹きは地上を広範囲にわたって焼き払い、雨によって即座に消火された。

 火炎の息吹きをかろうじていなしたゼンは木箱や家畜の柵を足がかりに家屋の屋根に飛び乗った。

 屋根伝いに場を縦横無尽に駆け巡ってゾスカとの体格差を俊敏さで補えば、火炎の息吹きと足元を薙ぐ尻尾の攻撃を同時に封じられる。

 そんな甘い考えは、ゾスカの大木のごとき尻尾の一振りで家屋ごと木っ端微塵にされた。

 足場を破壊されたゼンは地面に転落した。

 ゾスカが再度首を引っ込めて大きく息を吸い込む。

 腹の内部で脈打っていた赫々たる炎の塊が喉を伝って口に充填される。

 回避は間に合わない。

 尻餅をついていたゼンは、頭が突き出されるタイミングを見計らってゾスカの頭部めがけて素早く腕を振り、袖に仕込んでいた鎖付き分銅を放った。投てきされた暗器は鱗に覆われていない鼻頭に直撃してゾスカをひるませ、口に溜めていた火炎を虚空に吐き出させた。

 その隙に体勢を立て直したゼンは背の低い馬小屋から倉庫に、そこから二階建ての村長宅に飛び移り、雨露に濡れる屋根を這い上がってゾスカの頭と同じ高さに立った。


「人間よ。小さき地上の覇者よ」


 透き通る水晶の瞳が眼前に。

 湿っぽく生臭い竜の呼吸。呼吸と同期する鼻腔の開閉、波打つ甲冑の鱗までもがありありとわかる。その様相は紛うことなき爬虫類の類でありながら、息を呑むほどに澄んだ瞳のみ知性をたたえている。

 アゴが開き、生え揃った牙がずらり姿を現す。その様子をたとえるならば、奈落に至る鍾乳洞。粘り気のある唾液が上の牙から下の牙へとゆっくり垂れている。

 生臭くて生暖かい息がゼンの正面で分流し、吹き抜けていく。


「黒刀を携えし剣士よ。貴様は何ゆえ竜を狩る」

「生きるためだ」

「生きるために貴様は竜を狩るのか」

「僕らは竜を殺して生き長らえている」

「我らはヒトを喰らって生き、貴様らは竜を喰らって生きている」

「そうだ」

「成程。これは生存競争か。世界に生命が宿ったいしにえより連綿と続く、地上の覇権を賭けた闘争、これもそのひとつ。戦いに勝ったものが生存権を得て、そうでないものには淘汰の定めが待ち受ける」

「生きることとは戦うこと。人間も竜も、生存権を賭けて戦い続けている」

「ならばどちらが生き延びるに相応しきか、決着をつけようぞ!」


 ゾスカは身体を捻って大翼による横薙ぎの攻撃を繰り出す。ゼンが跳躍した次の瞬間に屋根がもぎ取られた。

 立ち込める濃霧に紛れてゼンの姿は消える。

 次にゼンが姿を現したのは、ゾスカの背中であった。

 黒き太刀『善』を垂直に突き立てる。

 鱗と鱗の隙間に薄い太刀が深々と沈む。

 ゾスカがかつてない甲高い悲鳴を上げた。

 脊椎の神経に直に襲いくる激痛により理性は一瞬にして喪失し、もだえ苦しんで闇雲に暴れて木々をなぎ倒し、家屋を踏み潰していく。振り落とされまいとゼンは首に食い込んだ太刀を両手で握り締めていた。

 散々暴れた後、ゾスカはもんどりを打って倒れた。広場のコテージが巻き添えになってぺしゃんこになり、付近の民家も円錐のツノによって叩き潰された。

 半開きのアゴから大量の唾液がこぼれて水溜りに混じる。全身は痙攣しており、だらんと垂れた舌も小刻みに震えている。

 脳に直通する神経を貫かれ、竜の死は間もなく訪れる。

 憎悪に満ちた団長がきこりの斧を片手にゾスカへと歩み寄る。ゾスカや村の人々から遭った理不尽な目への仕返しをするならば、今が絶好の機会であった。

 そんな彼の脇を誰かが追い抜き、地面に倒れるゾスカの頭へと真っ先に寄り添った。

 しゃがみこんでスカートを泥水で濡らす彼女は、クセっ毛のルイーズであった。

 ゾスカに傘を差し出す。

 人間用のちっぽけなそれでは気休めにもならない。

 雨は灰色の空から降り注ぎ、竜と人と半竜を際限なく濡らす。やわらかい雨は竜の皮膚に無数の露をつくる。雨露は表面を滑って落ち、大地に還っていく。

 小雨に躍る草花。

 濡れる瀕死の竜。

 雨音の葬送曲。

 やさしく竜をなでるルイーズ。火炎の煤が無垢な手のひらを汚す。

 物言わぬ竜はまばたきを繰り返す。

 一定のリズムで繰り返されるまばたきから何かを読み取ったルイーズは「さっきのお礼だよ」と笑顔になった。

 水晶の瞳に落ちたまぶたが開かなくなるまで、少女は竜を見守っていた。



 団長がゼンとディアの住む帝都の集合住宅を尋ねてきたのは、それから2か月ばかり過ぎた頃であった。

 からっと晴れた青空がまぶしい、少し汗ばむ昼間の出来事であった。

 軋むドアを開けたゼンの背後にいたディアが「ゾスカと戦ってた団長じゃないか!」と耳元で大声を上げた。

 団長が横にどくと、クセっ毛のルーズまで現れてはにかみながらお辞儀をしてきたので、ディアは更に仰天した。じゃまなゼンを押し退けてルイーズの手を取ってぶんぶん手を上下に振り、再会の喜びを全力で表現した。ルイーズは「えへへ」と恥ずかしそうに終始はにかんでいた。


「帝都に引っ越したんだ。俺とルイーズにとってあの村はもう居心地が悪くて、な」

「そんな! せっかくゾスカを倒したのに」

「悪者を退治して丸く収まるのなら、世の中もっと住み心地がよくなってますよ」

「お弟子さんの言うとおりさ。まあ、生贄にされた連中の身内にとっちゃ『いらない人間』を選んだ俺も悪者なんだろう」

「それに、成長したルイーズとアンナがすべての事情を理解したとき、二人にも軋轢が生じる」

「お弟子さんにはなんでもお見通しか」


 そう団長は自嘲する。


「ちっぽけな村で引きこもっているよりも、にぎやかな帝都のほうがよっぽど楽しそうだ。ルイーズも『お姉ちゃんに会える』って馬車の中でずっとはしゃいでたし、むしろ好都合だった。これも何かのめぐり合わせなんだろうさ」


 村にいたときの張り詰めた様子とはうって変わって、今の彼は憑き物が落ちたような、肩の荷が下りたような、柔らかな表情としゃべりかたをしている。


「貧乏人向けの狭苦しい部屋から始めなくちゃならんが、都会の町並みを眺めていたら不思議と前向きな気持ちになってくる」

「団長たちはわたしたちと同じ集合住宅(フラット)に住むのか! ならいつでもわたしに頼っていいぞ。なんせわたしは90年以上も帝都で暮らしているんだからな。なんでも頼っていいんだぞ」

「それは心強い。ぜひルイーズの遊び相手になってくれ」

「お安い御用だ」

「あたし、博物館にいきたいなぁ」


 片手をちょこんと挙げたルイーズが控えめに提案する。


「ゾスカにあいたい」


 無邪気にそう言ってディアと団長をぞっとさせる。


「そっ、それは構わないが、会えるのはゾスカの剥製だぞ?」

「俺は遠慮する。ルイーズにとってゾスカはやさしい竜だったのかもしれない。俺にとってヤツは悪しき竜だった。そうでなかったとしても、そうじゃなきゃ、やりきれない」


 ルイーズから顔を逸らした団長はゼンに向き直り、ある質問を投げかけた。


「本当に正しかったのか。庇護すべき大人に恵まれなかったルイーズを助けて、働き手として見込めないアンナの父親を代役にした俺の選択は」

「部外者の僕には量りかねます」


 素っ気ない返事で団長を落胆させてからゼンは「あえて質問に質問で返すとすれば」と続けた。


「いびつな結末のために迫られた決断に、良し悪しなんてあるのでしょうか」



〈『一角竜ゾスカ』終わり〉

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