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一角竜ゾスカ(3/4)

 渓流の中洲に女の子が取り残されていた。

 ちょうど真上にかけられた橋から落ちたのだろう。橋は倒木を渡しただけの粗末なもので、大人であっても足を滑らせて落ちかねない。

 へたり込むクセっ毛の女の子は嗚咽を上げながら足首をさすっている。

 上流から流木が流れてきて、あっという間にゼンたちの視界を横切る。

 ゼンは川の流れに目を凝らす。

 濃紺の色から凍りつくほど冷たさが伝わってくる。

 深さを見誤れば流れに呑まれる。

 川に入ってはいけないとアンナたちも大人から言いつけられているらしく、取り残された同年代の友達を「ルイーズ、今お姉ちゃんとお兄ちゃんが助けてくれるから」と橋の上からいっしょうけんめい励ましている。

 川の流れる音に断続的な雨音が重なりだす。

 点々とついていた地面のシミが次々と増えていき、大地の色を濃くする。

 小雨から本降りへ。

 ルイーズが肩を抱いてぶるっと震える。

 もたもたしていては川が氾濫して中州を呑み込んでしまう。

 ゼンは額に張り付く前髪を神経質に横に分ける。


「ルイーズ、わたしたちと遊んでるときもよく転ぶおっちょこちょいで心配だったんだ……。くそっ、わたしの翼が竜の翼のように空を飛べたらルイーズだって助けられるのに。ゼン、なんとかできないのか」


 衝動に駆られたディアが今にも川に飛び込みかねなかったので、ゼンの意識は常に彼女にも向けられていた。

 上流から押し寄せてきた鉄砲水が大岩にぶつかり、すさまじい飛沫がルイーズを覆い隠す。飛沫が収まると中州は増水で狭まっており、ルイーズはずぶぬれで泣きじゃくっていた。


「一旦村に戻ってロープを借りてきます」

「ま、間に合うのか?」

「急ぎます」

「わたしが行く。たぶんわたしが一番足速いから!」


 そのとき、地上が影に覆われてにわかに雨が止んだ。

 頭上を仰ぎ見る。

 灰色の空を竜が飛翔している。

 大翼を広げてゼンたちの上空を旋回している。

 地上生物最大級の種族である竜の圧倒的存在感が天空を支配していた。


「まさか」


 その巨体は大翼を羽ばたかせて滞空しながら徐々に降下し、ゼンたちの対岸に着地した。大地が縦に震えた。

 額に飾られたコーン型のツノは数学的円錐の形に整っており、岩肌のような鱗に覆われた荒々しき体躯との極端なコントラストによりひときわ美しさを引き立てられている。

 醜悪な肥満体型であった弟竜のショルトからは畏怖を感じ取り、この見栄えする痩身の兄竜からは人をひれ伏させる畏敬を感じる。他の獣とは一線を画す、竜特有の神性。額に生える純白のツノはその象徴であった。

 奴こそが一角竜ゾスカ。

 贄を求め、人を喰らう凶悪なる竜。

 ふもとへ降りてきたのか。この最悪のタイミングで。

 ゼンはすかさず漆黒の太刀『善』を抜いた。

 ゾスカは彼には目もくれず、中洲で怯えるルイーズに興味を引かれている。

 ゼンに後ろ手で合図を送られたディアは子供たちを背中にかばう。

 おさげのアンナだけが頑なにルイーズのそばに残っていた。


「ルイーズを食べないで!」


 悲痛な懇願もむなしくゾスカの長い首が垂れ下がって地面と水平になり、渓流を跨いで中洲に頭部を下ろす。へたり込むルイーズと視線が合わさった。

 竜に睨まれた少女は縮こまって震えるばかり。

 下手に動けばゾスカを刺激して彼女の死期を早めかねない。

 ゼンは橋のたもとで慎重に機をうかがう。じれったいすり足で少しずつ橋を渡り、一度の跳躍でゾスカの急所を穿てる距離までにじり寄ろうと試みる。

 ゾスカは更に胴体の姿勢を低くして『伏せ』の格好を取った。

 岸辺で腹ばいになり、それきり微動だにしない。あとはアゴを開けて前のめりになるだけで少女を丸呑みにできるというのに。

 人間の子供を怖がらせて楽しんでいるのか。それともこの雨の中で昼寝でも始めようというのか。

 一角竜の不可解な行動の謎を解いたのはディアであった。


「あいつ、橋になってくれてるんじゃないか」

「ハシ?」

「ルイーズを中州から出そうとしてるんだ」


 ディアの言うとおり、ゾスカの長い首は渓流に渡した『橋』となっている。

 ありえない。

 ゼンはかぶり振る。


「ばかげています」

「だって、そうとしか考えられないぞ。そうだろっ、ゾスカ」


 ゾスカは半分血を引く同胞を無視して伏せの格好を取り続けている。

 ルイーズは恐るおそるゾスカへと近寄る。

 水晶の瞳に見つめられて「ひゃっ」と身をすくませたら、ゾスカはまぶたを閉ざした。その仕草にやさしさを感じたらしく、勇気を振り絞ったルイーズはついにゾスカの身体に触れ、鱗に手足を引っ掛けて首によじ登った。

 ゾスカは沈黙を保っている。

 少女は竜の上を歩く。雨に濡れて滑りやすい鱗に注意しながら、四つんばいで。

 血迷った画家の怪作とたとえるべき光景。

 サーカスの綱渡りに興奮するときでも、こうも心臓は早鐘を打ちはしない。

 ゼンもディアもアンナも、竜の首を歩くルイーズを固唾を飲んで見守っていた。雨に濡れた鱗に足を滑らすたびに寿命が縮んだ。遅れて駆けつけてきた団長もその光景に驚愕し、あんぐりと口を開け、ライフルをぬかるむ地面に落として泥まみれにした。


「ゾスカがルイーズを助けている。俺たちを喰らっていたゾスカが、なんで」


 放心した様子でつぶやいた。

 ゾスカの首を伝って川を渡り、胴体から岸に下りたルイーズは駆けつけてきたアンナに抱きしめられた。


「ありがとう、竜さん」


 ルイーズは竜に礼を述べた。竜への恐怖はとうに失せており、ディアに見せるときと同じ満面の笑顔を向けていた。

 役目を果たしたゾスカは身体を起こした。

 寝そべっていた鱗の塊が隆起し、長い首が梢を越す。

 堂々と掲げられた額の一角。

 鋼鉄にも勝る皮膚の鱗は降りしきる雨を弾く。

 雨脚が弱まる。

 やわらかい慈雨が地上に降り撒かれる。


「聞け、小娘」


 ゾスカに語りかけられたルイーズは「なぁに?」と小首をかしげる。


「ヒトは矮小ながらも、自在なる四肢と賢しき知恵に因って地上の覇者に上り詰めた。覇者は覇者の有様で生きよ。堂々たる生き様であれ」

「えっと、うん!」


 言葉の意味は判っていないながらも、ルイーズは元気に頷いた。

 団長は困惑のまま立ち尽くしている。邪悪の権化、倒すべき憎き悪であった竜が子供を助け、あまつさえ慰めの言葉までかけた事実に異様なまでに動揺している。最後には自尊心を傷つけられたかのように顔を伏せてしまった。己が身に降りかかった理不尽を噛み殺そうと、血が滲むほど下唇を噛んで悔しがっていた。

 だから結局、皆の疑問はゼンが代弁することとなった。


「一角竜ゾスカ」

「なんぞ、竜狩り」


 長い首を軋ませながらゾスカはゼンの方を向く。


「ヒトを喰らうお前がヒトの子供を助けたのは単なる気まぐれか」


 ゼンは太刀を構えたまま問う。


「貴様が小鹿を逃がした理屈と同様である」


 一角竜の尊大極まる声は雷雲の巣でうめく雷鳴を髣髴とさせた。かつての覇者の度量が鼓膜を震わせた。

 ゾスカは広げた大翼を羽ばたかせ、水溜りを撒き散らしながら飛翔した。

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