ディアとゼン(1/1)
ゼンとディアは竜と戦っていた。
巨大な竜は背中の大翼を広げ、長い首をもたげる。
そして首を地上に降ろすと、周辺を一掃するように火炎の息吹を吐き出した。
二人はその場から飛び退いて火炎の息吹から逃れる。
火炎の息吹を吐き終えた竜が疲労して動きを止めた。
その油断が竜の最期となった。
ゼンは漆黒の刀を両手で握り、跳躍して一気に竜へと肉薄する。
そして竜の背中に飛び乗ると、刀をウロコの隙間に滑り込ませた。
竜の首根っこに沈んでいく漆黒の刀身。
悲鳴を上げて悶絶する竜。
大暴れする竜の背中に振り落とされまいとしがみつきながら、ゼンは刀を完全に首に突き刺した。
竜の巨躯が横倒しになる。
巻き上がる土煙。
視界が明瞭になる。
倒れた竜は小刻みに震えていたが、やがてその動きを止め、まばたきを止めた。
竜は死んだ。
世界からまた一匹、竜がいなくなった。
「倒しましたよ、師匠」
離れた位置で戦いを見守っていたディアのもとにゼンは戻る。
「ああ、やったな、ゼン」
「あとは瞳を持ち帰るだけですね」
首根っこから引き抜いた刀で、ゼンは竜の水晶のような眼球をくりぬいた。
これひとつで、二人の一か月分の生活費はまかなえる。竜の身体は――とりわけ美しい光を放つ宝石のごとき眼球は闇オークションで高値で取引されるのだ。
竜は死んだが、それによって一人の人間と一人の半竜を生かすことができた。
日が暮れ、ゼンとディアは夜営をすることにした。
近くの村へ行くには森を通過しなければならず、明かりの無い夜中の森を歩くのは無謀極まりなかったため、仕方なく野宿となったのだ。
「まずいぞ、これ」
「腹はふくれますよ。コーヒーといっしょに腹にためれば」
「小麦粉だけのうっすいパンケーキのほうがまだマシだぞ。ううっ、分厚いパンケーキにクリームを乗せる暮らしはいつになったらできるんだ……」
ディアは文句を言いながら心底まずそうに携帯食料をかじっていた。ゼンも同じものを黙々と食べていた。
「明日は駅に行く前に村へ寄っていきましょう。村の家畜をさらって食べていた竜を僕たちは討伐したのです。お礼は期待できるかと」
「ごちそうか!」
「ごちそうでしょうね。羊の肉がたっぷり入ったシチューなんかを振舞われるかもしれません」
「シチュー!」
ディアはごきげんになった。
貧しいを食事を終えると暇になったディアは、小説を読んでいたゼンをカードゲームに誘った。同じ絵柄をそろえて手札を減らしていく、単純なルールのゲームだ。特に二人だと、駆け引きと言える駆け引きは相手の表情からジョーカーを当てるくらいだった。ただ、ディアにポーカーフェイスは無理だったので、ゲームは容赦なくゼンが勝っていた。ディアはくじけず何度も戦いを挑んでいたが、すべて返り討ちにあっていた。
ゲームにも飽きると、いよいよ完全な沈黙が訪れた。
ちちちちち……。
虫の鳴き声。
風揺れる木々の枝の葉擦れ。
音もなく揺らめく焚火。
静かな夜。
じわじわと訪れるまどろみ。
「なあ、ゼン」
ディアがゼンに問いかけた。
うとうととしていたゼンが目を開く。
ディアが自分を見つめているのに気づく。
「この世界から竜が一匹もいなくなったら、どうなるんだろうな」
「『どうなる』とは、どういうことですか、師匠」
ゼンがコップを傾け、残っていたコーヒーを喉に流し込む。
「別にどうもなりませんよ」
文明が発展し、世界の覇者となった人類にとって、竜など過去の脅威。たとえ彼らがいなくなろうが、もはや人間からすれば取るに足らない動物の一種が絶滅した程度のことでしかない。自動車も機関車も飛行機も……止まることはない。
「いや、なるぞ」
ディアが反論した。
「わたしたちが竜を狩りつくしちゃったら、わたしはそれからどうやって暮らしていけばいいんだ。竜を狩らなくちゃわたしたちはお金を稼ぐことができなくなるんだぞ」
「途方もない話です」
「わたしにとってはいつか必ず起きる話だぞ」
その言葉でゼンは目を大きく見開いた。
せいぜい100年生きるのが精いっぱいの人間。
対してディア――半竜は不老不死ともいえる永遠の寿命を持っている。
ゆえにディアはいつか必ず対面しなければならないのだ――ゼンが寿命で死に、そして竜が絶滅した世界と。
そことはとても孤独な世界だ。彼女にとって。
「竜狩りができなくなって、ゼンもよぼよぼのじーさんになって死んじゃったら、ひとりぼっちのわたしはどうやって生きていかなくちゃいけないんだ?」
運命なのだ。
同族と、かけがえのないパートナーがいなくなり、ディアがひとりぼっちになるのは。
ディアは膝を抱いて涙ぐんでいた。
ディアにときおり訪れる不安と感傷。
それを癒すすべを持っているのは一人だけ。
「師匠。あなたには僕がいます」
ゼンがディアのとなりに腰を下ろした。
そして肩に触れて彼女を胸へと抱き寄せた。
少しだけ力を込める。
「僕はあなたのそばにいます。たとえ100年――1000年経とうと」
その言葉が真実か否かは関係なかった。
その言葉自体がディアの心を癒してくれた。
ディアの水晶の瞳を潤わせていた涙は止まった。
そして彼女は笑顔になった。
「僕たちで竜を狩りつくしてしまったら、そのときはまた別の生きかたを考えましょう。ふたりで」
「ああ、ふたりで考えようなっ」
ぎゅーっ。
ディアがゼンに抱きついて、力いっぱい抱きしめた。
彼の胸に頬ずりする。
「このまま今日はいっしょに寝るぞ」
「甘えん坊ですね、師匠は」
「今日だけだぞ」
「ほぼいつもそうしているような気がしますが」
「まー、そうかもしれないなっ」
そうしてディアとゼンはぴったりとくっついたまま眠りについた。
満天の夜空の下、虫の音と風の音を聞きながら。
「ゼン」
ディアが彼の名を呼ぶ。
「好きだぞ」
夜の暗闇の中、耳元でささやく。
「ゼンは――」
そして彼に返事を求める。
「ゼンはわたしのこと、好きか?」
まっすぐにゼンを見つめるディア。
彼女の胸の高鳴りが彼に伝わってくる。
ゼンは静かにうなずく。
「好きですよ。ディア」
〈『ディアとゼン』終わり〉




