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竜のたまご(3/3)

「これって殺人罪になるんですかねぇ、お巡りさん」

「だとすれば、オムレツを焼く主婦は片っ端から終身刑だ」


 ゼン、グスタフ警部、ノーラの三人で『たまご』の汚れを掃除している間、ディアはミモザを慰めるのに終始していた。半狂乱に陥った彼女をなだめるのは、濡れたモップで黄身の汚れを洗い流すよりも重労働な様子であった。


「それで師匠、ミモザさんはなんと?」

「ミモザには恋人がいたらしい。人間のな。他の女の人と婚約しちゃったらしいけどな。人間のな」

「だからその恋人の気を引くために、ダチョウのたまごを自分の子供にでっちあげたというわけですか」

「その男、警察の間では有名な結婚詐欺師だ。本来は用意周到に女性を騙す狡猾な男なんだが、彼女にはその必要すらないとタカをくくってあからさまに捨てたのだろう。さんざん貢がせてな」


 差別と迫害に遭った挙句、竜の婦人は卑劣な人間に財産を奪われたのであった。


「このままではわたくし、サーカスに売られてしまいますわ。こんな竜の姿では結局、見世物になるのが生まれてからの運命だったのですわ」


 この寛容な帝都であろうとまっとうな仕事に就くのが難しいのは、先ほど留置所で悪党どもが証明してくれた。ミモザが両手で顔を覆ってさめざめと泣いているのはそれが原因でもあった。

 そうでありながらも、指の隙間から見えるまなざしは、周囲の者たちが同情し、救済の手を差し伸べてくるのを抜け目なく待っている。彼女のしたたかな本性を先日目の当たりにしていたディアは、今回に限っては安請け合いをしないよう慎重になっていた。


「ミモザも竜狩りになれよ。わたしのおさがりでよかったら武器を貸してやるぞ。見た目はちっちゃいんだけど、テコのげんり……? ってやつでハンマーをぶちかますやつでな、岩石だってこっぱみじんだ」

「『共食い』なんて非道なマネをわたくしにですって? まっぴらごめんです!」


 ゼンが「行きましょう」とディアの背中を押した。


「巻き添えになる前に帰りましょう。この女はどうせまた悪事を働いて、今度こそ新聞沙汰になりますよ」

「必死に生き抜いてきた結末がこれだなんて!」


 立ち去るゼンとディアの背後でミモザは叫んだ。


「わたくしが何の罪を犯したというのです! この悲惨な有様が身から出たサビであろうのなら、わたくしは潔く受け入れて反省に努めましょう。しかし、わたくしに降りかかる受難の元凶――忌まわしき竜の身は生まれながらの姿。罪なき罰! それとも前世の業を償えと、そんな無慈悲を神はおっしゃるでしょうか!  ああっ、これが運命だとおっしゃるのですか!」


 ミモザとの距離が遠退くほどに濃霧が彼女の姿をおぼろにしていく。その姿も呪詛のごとき恨み言も、ついには白いもやにかき消された。

 ディアはしばらくはミモザの行く末を案じていたが、フロレンツから竜狩りの依頼を紹介されて旅の支度に追われているうちに、それも記憶のもやのかなたに消え失せてしまった。一週間も経てば彼女の頭の中は「スカートははきたくない」だの「パンケーキに生クリームをかけたい」だの、もっぱら自分本位のものに変わってしまっていた。

 竜人間ミモザの話題が再び二人の話題に上ったのは、それから半年後であった。



 朝刊に彼女の記事が載っている。

 写真付きで、大々的に。


「あっ、それってミモザだよな」

「やはりこうなったようです」

「ゼンの予想が当たったな」

「大半の市民が予想していましたよ、師匠」


 ディアはゼンの背中に抱きついて肩越しに新聞を覗き込む。

 深紅のドレスを身にまとい、たまごの代わりにトロフィーを抱き、口紅を引いた口をつり上げて華やかな笑みを振りまいているミモザ。壇上のヒロインに人々が万雷の拍手を浴びせている。カメラのストロボで水晶の瞳はいっそう輝いていた。感情表現に不向きな爬虫類の頭部であっても、彼女が幸福の絶頂であるのは容易にわかった。

 女優としての力量はもとより、映画を通じた半竜差別根絶に多大な貢献をしたことが主演女優賞受賞につながったのだろう。時代の機運が彼女に味方したのだ――記者はそう褒め称えてる。

 この極めて権威ある映画賞の授賞式が開催される何週間も前から世間は浮ついており、どの映画がどの俳優が受賞するかといった話題で連日もちきりであった。酒場(バー)のラジオの前からは人だかりが絶えず、違法な受賞賭博が摘発されたのも一件や二件ではなかった。

 パンケーキを平らげてからディアは、指についた生クリームをぺろりと舐める。


「まさかアイツが女優になるなんてな」

「僕は妙に納得しています。不愉快を通り越して。なんというか、これがあの女の運命だったのでしょう。世の中は殊の外うまくできていて、悲劇などそうそう無いものなのかもしれません」

「カップの底に砂糖の溜まったコーヒーみたいなもんか」

「師匠にしては詩的な言い回しですね」


 ディアはコーヒーカップの中の白い渦を見つめている。


「会いにいってみるか。ミモザに」

「嫌な冗談はよしてください」


 ラジオ番組や雑誌の取材でミモザは決まって非業の半生を語る。

 人間でも半竜でもない竜人間として生まれ、心は皆と同じでありながら外見のせいで迫害された。初めての愛は裏切りに終わり、スラムに身を寄せていたときは違法に逮捕された挙句、極悪非道な二人組に竜狩りに加担されかけた。そんな逆境も固い意志で乗り越え、女優の道へと至ったのだ――と。

 竜人間ミモザの激動の人生を綴った自伝はその年のベストセラーとなり、印税収入は一時とはいえ天才作家マーガレット・ノキアにも匹敵したという。

 彼女は執筆と女優業で得た財産の大半を慈善事業に寄付し、乱獲される竜や差別される半竜たちの救済に尽力している。

 女優ミモザを悪しく思う者など、極悪非道な二人組のうちの一人くらいだろう。


「おかわりっ」


 ディアがからっぽの皿をゼンに渡す。

 ゼンはピンクのエプロンをつけると、牛乳とたまごをかき混ぜだした。



〈『竜のたまご』終わり〉

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