竜のたまご(2/3)
「半竜ってたまごから生まれるのか?」
「師匠のほうが詳しいでしょう」
「わたしだって知らん」
「そもそもこの婦人は半竜なのですか。半どころか八割は竜に寄っています」
「わたしだって知らん」
竜人間ミモザは自分が産んだ『たまご』を膝の上でいとしげになでている。
「この人たちが新しいパパとママよ」
怪しい同胞を訝っていたディアはその言葉を耳にしたとたん、ぎょっと目をむいて「なんかめちゃくちゃ面倒な事態になりそうだぞ!」とゼンの胸倉をつかんで全力で揺すりだした。
「育てるだなんて僕らは一言も言っていませんよ、ミモザさん」
ゼンの容赦なき言葉にミモザは不意をつかれたかのように顔をしかめ、たまごを抱きしめる。
「この外見のせいで遭ってきた理不尽の数々、お二人にも想像に難くないでしょう。そんな人生でも幸福には恵まれました。それがこの子なのです。ですが、わたくしが育ててはこの子も不幸になります。母親は差別と迫害の身にあり、父親は誰かもわからないなんて……。お二人の活躍はかねがね耳にしております。ゼンさま、ディアさま。あなたがたのような竜と半竜に理解のあるお方に、我が子を人間社会で――」
「お引き取りください」
ミモザの水晶の目が一瞬、険しく見開かれたが、強引に引っ込められてまた哀れな婦人の役を演じだす。
「わたくしのささやかな財産を崩せば、この汚いスラムからもう少しマシなところに引っ越せるかと存じますが、いかがでしょうか」
「役所の保育課は午後の3時まで受け付けています」
役所の住所を走り書きしたメモをゼンは押し付けた。
それからミモザが哀れみを誘う言葉を駆使して情に訴えかけてきても、ゼンは腕組みした格好のままうんともすんとも言わなかった。
ついに根負けしたミモザが渋々ソファから腰を上げて二人に背を向けると、ディアは詰まっていた息を吐き出して胸をなでおろした。ミモザの表情が左右非対称に歪むと「ひっ」とゼンの背中に隠れた。
「ちゃんとその子も連れ帰ってください」
ゼンに目ざとく指摘され、ミモザはソファのたまごを重そうに抱きかかえた。
玄関のドアが開くと、帝都の濃霧が侵食するように部屋へと入り込んできた。
「まあ、なんという濃霧でしょう! 子を抱いた女性をこんな霧の深い街に追い出す薄情者を誰が紳士と呼びましょうか。よもやこの汚くて臭いスラムに帝国紳士としての誇りまで捨ててしまわれたのでしょうか!」
両手を広げ、高らかに、歌うようにミモザはゼンとディアを脅迫した。
ミモザはその晩をゼンたちの部屋で明かした。
その翌朝、彼女の眠っていたベッドはもぬけの殻になっていた。
「やはりか」
たまごだけが置き去りにされていた。
「ミモザ、役所に行ったのか?」
「逃げたんです」
預金通帳を保管する金庫のフタがもぎ取られていた。
重い霧が帝都の底にどっぷりと溜まっていた。
ミモザの捜索どころか道をまっすぐ歩くのすら困難。霧の幕に映る黒い人影は一様に腕を前に伸ばして徘徊している。
「これではあの盗人を捕まえようにも埒があきませんね」
「いたたっ。おいゼン、ちゃんと前見ろ。おでこがぶつかったぞ」
「僕はこっちです、師匠」
「じゃあこいつは――郵便配達のお兄さんだ!」
霧の向こうから獰猛なエンジン音が近づいてくる。
濃霧を吹き飛ばして二人の前に現れたのは、暴れ牛のごとき厳めしいオートバイだった。鉄の猛牛にまたがるのは帝都の名門校の制服を着た少女だった。
「スクープですよゼンさん。帝都を竜人間がさまよってるって目撃情報がこのノーラ・カーレンベルクへと多数寄せられたのです!」
ノーラは目を輝かせながらカメラを手にしている。
立てつづけに警察車両が三人の前に停まり、グスタフ警部が窓から頭を出す。
「さがしたぞ二人とも。つい今朝、竜の格好をした不審人物を拘束したんだが、そいつは取り調べにまともに応じず、お前たちを呼んでこいって延々と要求してるんだ。ありゃなんだ? 半竜なのか、それともああいう化粧なのか? とにかくついてこい。俺たちじゃお手上げだ」
ミモザとは留置所の檻越しに再会できた。
一緒に放り込まれている窃盗犯やら麻薬密売人やらロクでもない輩たちは檻の隅に逃げて「俺たちをエサにするつもりか!」「白状するから出してくれ!」などと泣き言をわめいている。警察のお世話には慣れっこな彼らも、まさか竜の檻に閉じ込められる罰が待っているとは思いもしなかったのだろう。
「取り調べがはかどりそうですね」
「そうだな」
警部はタバコの煙を気だるげに吐きながら留置所の鍵を開けた。腰を抜かした悪党たちは這いずりながら檻から脱出し、ミモザ一人がその場に取り残された。
「忘れものですよ」
釈放されたミモザは『たまご』を受け取る。預金通帳と交換で。
恨めしそうに眉間を潜ませた形相は、到底我が子を抱く母親のものではない。
「これはもう、いりません」
しかも『これ』と呼んだそれ両手を頭上に掲げ、力任せに地面に叩きつけた。
たまごは無残に破裂した。




