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竜の少年は死を望む(3/4)

 ミッシェルと名乗る半竜と会った話をグスタフ警部に伝えると、警部は今後彼には近づかないよう釘を刺してきた。ディアは釘を引っこ抜くに決まっているので、ゼンに刺してきた。

 島の外れに半竜が住んでいるのをかねてから知っていたという署長は胸が苦しそうな面持ちをしていた。


「ミッシェルくんは半竜がまだ戸籍を持てなかったような時代に生まれたからねぇ……。しかも、この島は古くから竜の災難にたびたび遭ってきたから半竜への偏見は根強い。私は島民の反発を怖れて、あえて知らないフリをしてきたのだが」


 ミッシェルは島でひっそり暮らしていたという。行政にあてがわれた空き家に年中こもっており、食料や衣服を買いに町に行かなくてはならないときは、古い時代を体験した老人たちをなるべく避けて歩いていたという。そういう暮らしかたをしていたから島民たちからは余計に奇異の目で見られていた。

 弾丸が込められたピストルをグスタフ警部は腰にさす。


「ゼン、ディアをちゃんと見張っているんだ。今回ばかりはあの少年に肩入れしては俺の立場ではどうにもならん。ディア、ゼンを困らせるんじゃないぞ」


 憮然としているディアにグスタフ警部は一抹の危うさを覚えている様子で、ゼンに何度も釘を刺していた。



 島の観光名所に『いけにえ谷』なるものがある。

 かつて島を巣にする竜をなだめるために島民を生贄に捧げていた風習があった。人類の文明発展に伴って竜の勢力が衰えてその風習は廃れ、今では生贄を放り込んでいた深い谷が島に残っているばかり。谷には転落防止の柵が設けられ、観光客向けの島の歴史が記された立て札がそばに立っている。先達が戒めとして遺したそれは今、島民の食い扶持を稼ぐのに利用されていた。


「竜を王に見立て、忠誠を誓う証明として島民は谷に同胞を投げ入れていたのだ。そのさまを眺めてこの島の竜は愉悦していたそうな。その竜も70年ほど昔、帝国軍の榴弾を翼に受けてこの穴にまっさかさまに落ちていった。諸行無常というべきか、因果応報というべきか。夏になると催される祭りは、元はこの生贄の儀式だったのだよ」


 藍色の竜が深い谷底を見つめながらゼンとディアに淡々と語っている。


「船旅の途中、同胞が諸君を襲ったことは私が代表して詫びよう。私以外の竜は知恵を持たぬ原始の竜だ。野生の獣と大差あるまい。黒狼(こくろう)のように腹が減れば人間だろうが襲って食う。今度そのようなやからを見つけたら私に教えてくれ。そういうやからを駆除する役目を島の(おさ)に頼まれているのだ。もっとも、アークトゥルスやロッシュローブを退けたそなたらのほうがよほど上手くやれるだろうが」


 藍色の竜の終始穏やかな口調からは深い思慮を感じられた。

 ミッシェルのことを尋ねると、しばらく押し黙ってから答えた。


「ヒトにも竜にもなれぬ半竜とは哀れよの。『逆鱗のアークトゥルス』を主君と崇めていたエリカなる半竜が遠くの島にいたそうだが、あの者もいずれはエリカと同じ末路を辿るのだろう。杖を失くした盲人の行く末は断崖の際か」


 藍色の竜は大翼を広げて地上に日陰をつくる。

 大翼を羽ばたかせる。

 強風を巻き起こしながら藍色の竜は飛翔し、山の頂上へと去っていった。遠ざかって姿が霞むにつれてその藍色の巨躯は空と海の青色に混じって見えなくなっていった。

 谷底には哀れなる島民や高慢なる竜のむくろが今も残っているという。

 柵越しに谷底を覗き込む。

 底知れぬ深淵。

 重い気流の唸りが貪欲な黒狼のそれを想起させた。

 柵にしがみつくディア。

 前髪が垂れるほど前のめりになって深淵を覗き込んでいる。


「人類の歴史は、竜との戦いの歴史と言っても過言ではありません」


 ゼンは彼女のベルトの端を命綱代わりにさりげなくつかんでおり、満足した彼女が柵から降りると同時に、またさりげなく手を離した。


「心配性にもほどがあるぞ、ゼンは」

「師匠が無謀なだけです」


 ディアはゼンをからかうようにベルトの端をひらひら揺らしていた。



 白いペンキの家に帰ってきた。

 ミッシェルはカタンの太い枝に腰かけて高い場所から海を眺めていた。

 以前のもの静かな狂気はなりをひそめていた。


「さっきは脅かしてごめんね。悪気はなかったんだ。ディアが人間と仲良くしてるのを見てたら、なんかイヤな気分になっちゃって」

「人間が嫌いなのか」

「ヒトが好きな半竜なんていないよ。半竜はみんな人間を嫌ってる。恨んでる。妬んでる。僕だってヒトがうらやましかった」


 ディアの反論を封じ込めるほどの語気だった。


「僕はあこがれていたんだ。人間の生き方に」


 半竜の少年は言った。


「学校で勉強して、大人になって、働いて、結婚して、子供ができて、その子供もいつか大人になって結婚して、僕はおじいちゃんになって、それから……」


 言いよどんだ隙にゼンが口を挟む。


「『それから』の先は死だ。人間の大多数は寿命という壁に阻まれて志半ばで果てる。遺志を継ぐ者もいるだろうが、多くは甲斐なく終わる。ばかばかしいほど儚くてあっけない」

「それでもいい。『みんな』と同じなら」


 少年はひざを抱いて座り、うなだれた。

 目が痛くなるほど赤々とまぶしい夕焼けだった。

 夕焼けが西の稜線に沈んで消える。

 ややあってゼンは尋ねた。


「それで、どこに捨てた?」

「何を? どこに?」


 ミッシェルはきょとんとゼンを見ながら訊き返す。

 ゼンははっきりと尋ねた。


「本物のミッシェルだ」


 隠れていたはずの海の音が、今はゼンとディアの耳について離れない。寄せては引いていく波の緩慢な音。群れるウミネコたちの鳴き声。船の汽笛。そして今、岬の灯台に導きの火が灯った。

 世界はたそがれていく。

 道路を走る自動車や馬車。観光客と島民がその間を縫うように、好き勝手に歩いている。帝都ならば即座に車にひかれて惨事となるだろう。しかし、ここはそんなせわしなさとは無縁の、おおらかな小さな島である。

 ミッシェルも海の音に耳を澄ませているふうを装っていた。

 一見、ミッシェルは切なげな面持ちをしていたが、夕暮れの薄い闇に負けず目を凝らしていると、まばたきのたびに移ろっていく機敏な表情の変化を観察できた。


「死体をどこに捨てた」


 後悔、困惑、焦燥、怒り、憎悪。

 たそがれに移ろう少年の表情は負の方向に偏っていた。


「お前が殺したのだろう。殺害したミッシェルに成り代わろうと企んでいたのだろうが、帝都から僕らが来たのが運の尽きだったな」

「ミッシェルは僕だよ」


 あはは、と軽く笑い飛ばす。


「お前の人相書きは帝都に広まっている。15人もの人間を殺した殺人犯として」

「だから僕はミッシェルだって言ってるだろ。ヒトなんかを怖がって島の隅っこで暮らす、臆病で弱虫で頭の悪いミッシェルだ。その気になれば島民なんて皆殺しにできるのに、ミッシェルはどうしてか臆病だった」


 夕焼けを背にミッシェルは立ち上がる。


「わたしたちはオマエの事情を知ってるんだ。悪いヤツらに脅されて違法臓器移植の手伝いをさせられてたんだろ? 警察だって知ってるし、お前はまだ子供だから裁判でだって死刑には――」

「僕は大人だ!」


 背中の竜翼がぴんと立って主張する。


「僕を逮捕して裁判にかけるつもりなら、あの連中を先にそうすべきだったんだ。あいつらはスラムの子供たちから目や手足、内臓を奪ってたんだ。パンや服を買うお金と引き替えにね!」


 拳銃の狙いをゼンとディアに定める。


「ねえ、あの子たちの身体はてのひらに握れるコインくらいの値打ちしかしないのかい?」


 ゼンもすでに太刀を抜いていた。

 腰を深く落として構えている。彼の腕前ならば、少年が引き金を引くよりも先に漆黒の刃を閃かせてその腕ごと斬り落とせるだろう。ディアが止めに入る隙など刹那も無く。


「仕事を嫌がった僕に、連中はこう言ったんだ『なら、お前の水晶の瞳をくりぬいて売ってやる』ってね。僕は無我夢中で抵抗したんだ。確かに僕は彼らを殺したけど、そうしなかったら僕が殺されてたんだ」

「殺害された15人の成人男性は四肢を念入りにへし折られて眼球を潰され、腹を引き裂かれて腸を引きずり出されていた」

「子供たちの痛みを彼らに味わわせたまでさ」

「本物のミッシェルにもそうしたのか」

「あいつはもっとかんたんだった。背中をちょっと押したらまっさかさまだったよ。『いけにえ谷』にね」

「お前をかばおうとした師匠の思いも無駄のようだな」

「『共食い』の同情なんてまっぴらごめんだね!」


 押し隠していた狂気がこぼれて少年を嘲らせた。

 それから悔しげに歯ぎしりする。


「僕らの王――」


 爪が食い込むほどの握りこぶし。


「僕らの希望――」


 そして、腹の底から嘆いた。


「アークトゥルスさまさえ生きていれば!」


 ディアは愕然としていた。

 あらゆる努力が水泡に帰したときの失意と無力感が彼女をへたりこませていた。

 警察車両が押し寄せてきたのはそのときだった。

 少年の感情が昂りに昂った、最悪のときにだった。

 車から降りてきた警察官たちが、拳銃を構える少年に銃口を向ける。

 スラムでの生きるか死ぬかの生活で幾度となく経験してきて、反射的にそうしてしまったのだろう。少年は警察官たちのほうを振り向くと同時に拳銃の引き金を引いた。本能的な、身を守るための最小限の動作だった。だから止める隙などなかった。轟音が鳴り響いて車体に穴が穿たれて間髪いれず、警察官たちが応戦した。銃弾の雨が少年に浴びせられた。ディアの必死の叫びは無数の銃声にかき消された。

 銃声が止む。

 海辺の夜に自然な静けさが戻る。

 大しけの後の凪。

 半竜の少年は地面にあおむけに倒れていた。

 死んではいなかった。

 生命力の高い半竜だから即死はせず、長い間うわごとを言っていた。

 何を言っているのか聞き取れなかったが、ディアだけは少年のそばで健気に相槌を打っていた。

 少年がもらった、最初で最期のやさしい愛情だった。

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