竜の少年は死を望む(2/4)
――竜を倒したのか!
――あんな若い子たちが。
――あの女の子、半竜かしら。
――すごいものを見せてもらったなぁ。
遠巻きにしていた乗客や船員たちがゼンとディア、グスタフ警部に拍手喝采を浴びせている。拍手に混じって白いフラッシュが連発しているのは、乗客にジャーナリストもいたからであろう。
少女らしからぬ怪力でレバーを引き、鋼の刃をケースに収納するディア。軋む音を立てながらスプリングは圧縮され、開いた隙間に刃が納まると金属の爪がパチンッと音を立てて刃を固定した。
トレンチコートにこびりついていた肉片をしかめ面で払い落としたグスタフ警部は、事態の混乱を収めんと部下にあれこれ指示を出しはじめた。部下の刑事たちは野次馬たちを船内に押し込んでいった。
ゼンは竜のむくろが沈んだ黒い海をじっと覗き込んでいた。
波打つ黒い鏡に星や月が歪んで映っていた。
「よくやったな二人とも。あとは俺たち警察が面目を保つための時間だ」
グスタフ警部ら警察官たちが後始末に奔走しているのを尻目に、ゼンとディアは自室のベッドでたっぷりと眠った。翌日はジャーナリストたちに英雄のようにもてはやされながらあれこれ取材されていたので、島に到着するまで退屈する時間もくつろぐ時間も一瞬たりともなかった。
ウミネコのうるさい港に船は横付けされた。
船員たちがせっせと荷物を降ろしだした。タラップを渡って乗客たちも談笑混じりに次々と港に降りていき、新鮮な海産物が並ぶ市場やホテルのある市街へと散っていった。
観光業者のボートが並んだ桟橋をゼンとディアは物珍しげに見て回っている。
「アークトゥルスを倒しにきたときのことを思い出すぞ」
「あのときも暖かい海辺でしたね」
「この島はもっと田舎っぽいな」
島民たちは一様に日に焼けた浅黒い肌に薄いシャツ。仕事はどうしているのか、男性は所かまわず酒やらタバコやら闘鶏やらを楽しんでおり、対して女性は編みかごを抱えていっしょうけんめい働いている。子供たちはおいかけっこに夢中。
一昔前の垢抜けない風景がそこにあった。
「ご容赦くだされグスタフ警部。この島は暑いものですから」
警察署内の警察官たちまで薄着のシャツであるのに眉をひそめたグスタフ警部に、署長はそう弁明した。さすがに署長は制服姿であったが、やはり露骨に真新しかった。署長はディアを見るや「竜をやっつけたなんてえらいね」と頭をなでて飴玉をあげた。ディアはふくれっ面の口に飴玉をほおばった。
「まあ、いいです。それよりも署長、捜査の進展は?」
「五里霧中でして」
「でしょうな」
グスタフ警部は嘆息する。
「帝都で15人も殺した殺人鬼が潜伏しているのです。この島に。あなたが普段守っている島民たちに凶刃が呼ぶ可能性は大いにあります。これ以上、手をこまねいていれば」
署長は血相を変える。
「私はこの島で生まれ育った。のどかで平和なこの島を守りたい」
「なら、警視庁から本格的な応援が来るまでに手柄を立ててやりましょう」
「ああ、でもピストルは錆びてないだろうか」
「それがこの島特有の冗談だと信じたいものです」
平時なら人望があるであろう、人のよさそうな署長だったので、グスタフ警部も相手にしづらい様子であった。
忙しそうなグスタフ警部に遠慮して、ゼンとディアは二人で依頼主をさがすことにした。
依頼主の半竜ミッシェルは港まで迎えにきてくれるとのことであったが、ついに彼を見つけられないまま警察署まで来ていた。警察署を後にしたゼンとディアはミッシェルからの手紙に同封されていた地図を頼りに炎天下の市街を歩いた。土産物屋を覗きながら観光を楽しんだ。
土産物屋を営む地元住民たちは道案内やら観光名所やらをやたら親切に教えてくれた。半竜ミッシェルもこの辺りでは誰もが知っているようで、地図を指でなぞって道順を示してくれた。彼がこの島でどのように扱われているのか、店員の苦笑いで言外に察せられた。
「お嬢ちゃんも……その、竜の子供なのかい?」
あのバケモノの――と続きかねない声色で尋ねる。
「そうだぞ」
ディアはあっけらかんと肯定した。店員には目もくれず陳列棚を眺めながら。
「年寄り連中が心無い言葉を投げかけるかもしれないけど、老いぼれの戯言だと思ってどうか勘弁してやってね」
「わかった」
「師匠、何を買うのか知りませんが、なるべく安いものですよ」
「いちいち耳打ちするなよ、ケチ」
「そういえばお二人さん、都会の方でもウワサになってるのかい? 『何?』って、決まってるじゃないか。15人殺しの殺人鬼だよ」
「ええ、まあ」
ディアが選んだ土産を買って店を出た。
島の守護神だというヘンテコな、ゾウの頭に人間の胴体をした像。
頭部の穴に鎖が通してあったのでベルトに吊るしてアクセサリーにした。二つ買ったのでディアはゼンにもそうさせた。
小高い丘を息を切らせて上ったところにミッシェルの家はあった。
白い家。
潮風にさらされてところどころペンキがはげている。
錆びた赤い自転車が壁にもたれている。
屋根より高い立派なカタンが枝葉をめいっぱい広げて家を影で覆っている。
腐りかけた手すりを伝ってドアの前へ。
ノッカーを叩いてしばらくするとドアが軋みながら開いた。
「待ってたよ」
暗がりに光る水晶の瞳。
金髪の少年が現れる。小柄で、一見すると利発で純朴そうな少年だった。
ディアがゼンの服の裾をぎゅっとつかんだ。
「お前がミッシェルなのか?」
「ようこそ、僕の友だち」
ミッシェルははにかんだ。
少年の背には退化した竜翼があった。人間の服にハサミで切込みを入れたところから翼は生えており、切込みからほつれた糸くずが何本か伸びていた。
ミッシェルの家からは冷たい印象がした。
額縁に飾られた風景画が精彩を一身に担っている。あるときを境に時間の流れが停止してしまったかのように生活感が希薄なのは、物が少ないにもかかわらず小奇麗に整理整頓されているからであろう。
背もたれのないイスをディアが揺らして振子のように時間を刻む。いくらか刻んだ後、ミッシェルが湯気の立つコーヒーカップをテーブルに並べた。ディアはさっそく皿の上のビスケットに手をつけた。
「うれしいなぁ。仲間と会えたのは初めてだ」
「わたしは仕事で大陸のいろんなところに行くから、結構会ったことあるぞ」
「その半竜たちはどんな生活していた?」
「だいたいはふつうに暮らしてた」
「『ふつう』ねぇ」
ミッシェルは頬杖をつく。物珍しげにじろじろ観察されて、対面のディアはむずかゆそうに視線をさまよわせていた。
「確かにこれはみんな驚くね。背中からバケモノの翼が生えてるなんて。噛みつかれでもしたら伝染病にかかりそうだ」
「そんなヒドイこと言われたのか」
「50年も生きていればそりゃあね。いい人にも悪い人にも会うさ。ああ、でもやっぱり、やさしい言葉よりヒドイ言葉のほうが寿命が長いみたいだ。しつこくてさ、毒みたいにじわじわと心を蝕んでくるんだよ」
「元気出せよ。わたしは100年生きてるからな」
ディアは得意げに反り返った。
ゼンは熱いコーヒーを口に含む。
「この島の山には古くから竜が巣をつくっていると聞いた。凶暴な竜が過去に町を襲ったこともあるらしい。だから竜とその眷属への偏見はひときわひどいのだろう」
「船を襲った竜も島に住んでたヤツだったのかもな」
「竜に船を襲われたのかい。大変だったね」
「わたしとゼンで倒したんだぞ」
「よく仲間を殺せるね」
素朴な一言が抜き身の刃となってディアの喉元をかすめる。あまりにも唐突な不意打ちだったのでディアはしばしきょとんとしていた。時間が経って切っ先を向けられた刃の意味を理解し、目じりに涙を浮かべた。
「ディアは半分竜なのに、よく竜狩りなんてできるね」
「残りの半分は、僕が肩代わりしている」
ミッシェルは「冗談だよ」とゼンをあざ笑った。
「いきなりどうしたんだよ、ミッシェル」
「どうかしてるのはディアだよ。半竜はあらゆる面において人間より優れてるんだ。なのに日陰で暮らさなきゃならないなんて理不尽だよ。弱いヤツの下に強いヤツがいるなんて不条理だって、ディアは思わないのかい?」
「お前まさか、人間と戦うつもりなのか。そのために呼んだのか?」
「もはや長居は無用です。師匠」
ディアの手を握って席を立ったゼンは、冷笑するミッシェルに背を向けた。
白いペンキの家から早足で遠ざかるゼン。「痛いから離せよ」とディアに軽く抵抗されてようやく彼は足を止めた。
「ゼン、怒ってるのか」
「こんな場所に呼ばれてあんな戯けを聞かされれば怒りもします」
「ミッシェルを許してやってくれ。エトガーが言ってたけど、人間に受け入れられてる半竜はちょびっとなんだ。歳をとらないことや怪力なのを怖がられて、いじめられてるヤツがいっぱいいるんだって。でも、半竜は心も成長しないままだから、本当はみんなが思うより弱いんだ。傷ついてくじけたらそこで終わりなんだ。だからあんなふうにひねくれたりするんだ」
「そんなの承知です。僕だってあなたと旅をしてきたのです。ミッシェルのあの態度が竜の本質などとは思っていません。それよりも、あのエトガー・キルステンと会っていたのですか。師匠は、僕に黙って」
「そっ、そこは今はどうでもいいだろ!」
「エトガー・キルステンは金にものを言わせて半竜の少女をはべらせている男です。半竜が虐げられている別の側面こそあの男です。あの男がまことの善人なら、目鼻立ちが整っている少女以外も救済しているはずです」
「わかった、わかった。ゼンがやきもち焼いてるのはよーくわかった。ゴメンな」
「やきもちは焼いていません」
「ならそんなまくし立てるなよ。めっちゃ早口だったぞ」
ミッシェルの家での出来事をグスタフ警部に正直に話すべきか、ディアとゼンは二人で相談した結果、そうすべきだという結論になった。同胞に同情的だったディアは渋ったが最終的には納得した。
あどけない少年の外見をしたミッシェルがあのようなことを口走ったがよほどこたえたのだろう。ディアの歩く姿は晴れた海辺の道には似合っていなかった。太陽の熱が彼女の首筋をひたすら焦がしていた。
「友だちになれると思ったんだがなぁ」
うだるような暑さ、二人は言葉無く敷石の道を歩く。
「あなたの背負うものの半分は僕が負います」
ふいにゼンが口ずさんだ。
ディアは背筋をぴんっと伸ばして彼を見上げた。
「あっ、それ! それのことなんだがゼン! ミッシェルの家でも似たようなセリフ言ったろ。『残りの半分は僕が肩代わりしている』って。なんだよそりゃ。ぜったい勢いで言っただけだろ」
白い歯をさらしていたずらっぽく笑うディア。
「捨て台詞は勢いがあればよいのです」
ディアは大笑いした。
打ち捨てられたウキの残骸にウミネコが降り立つ。
ディアはウミネコを捕まえに走っていった。
大きな影がゼンの上に落ち、太陽の光と熱を遮る。
束の間の清涼感。
頭上を仰ぐ。
はぐれた雲。
違った。
翼を持つ怪物の巨躯であった。
深い藍色の竜はのびのびと竜翼を広げて青空を音も無く滑空し、山のある方角へと飛んでいった。遮られていた日差しがゼンの目を刺した。




