竜の少年は死を望む(1/4)
「あこがれていたんだ。人間の生き方に」
半竜の少年は言った。
「学校で勉強して、大人になって、働いて、結婚して、子供ができて、その子供もいつか大人になって結婚して、僕はおじいちゃんになって、それから……」
言いよどんだ隙にゼンが口を挟む。
「『それから』の先は死だ」
うろたえた少年はしかし、なおさら決意を固くした。
「それでもいい。みんなと同じなら」
少年はひざを抱いて座り、うなだれた。
目が痛くなるほど赤々とまぶしい夕焼けだった。
夕焼けが西の稜線に沈んで消える。
ややあってゼンは尋ねた。
「それで、どこに捨てた?」
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目が冴えるほどの青い海原だった。
灰色の蒸気を吐き出す煙突。
天高く掲げられたマスト。
清潔な白い帆が誇らしげに胸を張って風を受けている。
からっとした空気。
海のにおいを運ぶさわやかな潮風。
絶好の航海日和であった。
「海だぞ!」
「はい。全周囲、海です」
「もっと感動しろって」
ディアが手すりから身を乗り出して水平線の彼方を指差した。
ぐらり。
船が大きく揺れてディアが甲板から海に投げ出される――間一髪のところでゼンが腰をつかんで引き寄せる。額に汗をたらす彼とは裏腹に、ディアは「くすぐったいぞ。はなせよー」と抱きしめられながらむじゃきにもだえていた。竜翼の尖った先端に腹を突かれたゼンが「痛いので暴れないでください」と抗議した。
「あわや海の藻屑でしたね」
「船旅は楽しいな」
「最初だけですよ。すぐ飽きます」
「そんなことないぞ。おーい、グスタフ警部。写真撮ってくれよー」
警部が仕事用のカメラを二人に向ける。
「ゼン、ディアみたいににっこり笑え。記念写真なんだからな」
「笑ってます」
「もっとディアとくっつくんだ。恥ずかしがってるんじゃない。そんなに離れていたら顔の半分しか写らないじゃないか」
「僕は半分で結構です」
気を利かせてくれたのか、船がまたぐらりと傾く。ゼンとディアがちょうどいい具合にくっついたのですかさず警部はシャッターを押した。
日が暮れると船内の食堂で夕食をとった。
老若男女、人種も身分もごちゃまぜの状態でテーブルを取り合っている。
聞き慣れない異国の言語が飛び交う。
子供がはしゃぎ、赤子が泣き、大人たちは陽気に酒を呑んでいる。
席取り合戦にかろうじて勝利した三人は部屋の片隅のテーブルに寄り集まった。
小皿の豆サラダを黙々と口に運ぶゼン。グスタフ警部も曲がったネクタイを直そうともせずバゲットに食らいついている。船賃相応の粗末な夕食だが、ディアだけはうれしそうに食べていて、勢い余ってゼンと警部の分も横取りしていた。
「警視庁もケチな旅行をくれたものだ」
「これから遠い南の島で田舎者相手に事件を捜査するというのだから、グスタフ警部には心底同情します」
「安心してくれ警部。わたしたちが助けてやるからなっ」
英雄の剣のごとく意気揚々とスプーンを掲げるディア。
「いや、今回に限っては、お前たちはお前たちのやるべきことをこなすんだ。なんて言ったか、確か『ミッシェル』だったか。その半竜の少年の住所はわかっているんだろうな? きっと島に着いたら俺のほうがお前たちの手助けをすることになるだろう」
「グスタフ警部こそ自分の職務をまっとうすべきかと」
グスタフ警部は「だが、じゅうぶんに気をつけろよ」と渋々頷いた。
海を隔てた遠い南の島から届いた手紙をディアが開く。
――僕の名前はミッシェルといいます。同じ半竜に一目会ってみたく、この手紙をディアさんとゼンさんに宛てて書きました。
手紙には半竜ミッシェルの想いが拙いながらも切実に綴られていた。竜討伐の依頼でもなんでもない、報酬など無い、一人の少年の一途な希望であった。そうであるにもかかわらず、そうだからこそ、ディアは彼の想いに応えたのであった。孤独な不老の者同士でしか分かり合えない感情を彼女は受け取ったのだろう。
「グスタフ警部、ありがとうございます。僕らの事情に付き合ってくださって」
「俺は偶然仕事でお前たちと同じ目的地に行くだけだ」
「偶然ですか」
「偶然だ」
「果たして偶然でしょうか」
「奇妙な偶然もあるものだ」
「わたしたちを心配して強引についてきたんだろ」
「言ってはいけませんよ師匠」
ゼンに注がれたブランデーを警部はあおる。
ディアは小皿の豆サラダを口にかき込む。
「おかわりってもらえるかな?」
「師匠、まだ食べるつも――」
船がまた激しく揺れた。
港から離れて一番大きな縦揺れで、豆やらバゲットやらが一斉に宙に浮かんだ。食事が床にぶちまけられ、転んだ子供が泣きべそをかいたり、船員どころかカウンター越しのコックにまで大人が苦情を言い出したりと大混乱。
「竜が出たぞ!」
阿鼻叫喚は極まった。
船客を押し退けて甲板に出ると、夜空には数多の星がきらめいていた。
工場の煙で汚れた帝都ではおよそ仰げないような満天の星であるにもかかわらず、ゼンとディアとグスタフ警部の視線は一向に甲板と平行のままであった。
サーチライトが甲板の一点を照らしている。
光を浴びているのは竜だった。
戦車大の胴体から長い首が伸びている、比較的小型の竜。
深い藍色の皮膚は夜と海の色に半分溶け込んでいる。
青く輝く水晶の両眼がひときわ目だって宙に浮いている。
大きく広げた竜翼の皮膜が星空を覆い隠した。
「床に伏せておとなしくしろ!」
拳銃を構えたグスタフ警部と刑事たちの警告に竜は凶暴な金切り声を返した。
むき出しの牙の先から粘り気の強い唾液が垂れて甲板を汚す。
「言葉が通じていない。原始の竜か」
「刑事さん、早く竜を逮捕してください」
「りゅっ、竜を逮捕だと!?」
「現行犯です」
「現行犯!?」
熱をはらんだ赤い光がサーチライトの白い光を飲み込んで周囲を明るくする。
光源は竜の腹。
火炎の息吹を吐こうと体内で燃焼している。
炎のかたまりが腹から喉を通って頭部へとせり上がってくる。
警部が制止するより先に、船員たちが一斉にライフルを発砲してしまった。
乾いた銃声が火花と共に立て続けに響く。
弾丸の雨あられは闇夜の海に消えたがしかし、まぐれの数発が竜のウロコや翼の皮膜を貫通した。
悲鳴と共に夜空を焼く火炎。
次いで激憤の咆哮。
激昂した竜は傷を負いながらも猛然と突進してきた。
船員たちはライフルを放り捨てて我先にと船内に逃げていく。
ディアとゼンは竜の目の前に躍り出た。
ディアは異形のバイオリンケースを脇に抱えてしっかりと固定し、腰を深く落とす。長方形のケースの側面を斜め上に向けて迎え撃つ。ゼンは彼女を後ろから抱きしめて支えとなった。
船体を揺らしながら四つ足で猛進してくる竜。戦車に等しき怪物の体当たりをまともにくらえば鉄製のマストとていともかんたんに折れてしまうだろう。まして人間の肉体となれば防御などできるはずがない。
それでも竜狩りの二人は退かなかった。
ディアの指はスイッチの表面をしきりになでている。
「僕の合図を待ってください」
「うん」
荒々しい足音と呼吸、唾液の悪臭が接近してくる。
ギリギリまで竜を引きつける。
そして決着をつける距離まで肉薄したのを見計らった瞬間、ゼンがディアの肩を強く握った。相棒の合図を受け取ったディアは満を持してスイッチを押した。
剣に封印されていた膨大な運動エネルギーが解放された。
ケース内部に隠された鋼の刃がスプリングの勢いで突出し、反動による震動がゼンとディアに脳と心臓もろとも揺さぶった。大砲に詰められて着火されたに等しい、常人なら卒倒する衝撃だった。
その衝撃が竜を倒す破壊力となった。
剣の大砲だった。
大砲が戦車を迎え撃ったのだ。
衝撃に驚いた人々が目をつぶり、開いた頃にはすでに決着していた。
速度、質量、鋭さを乗算して繰り出された大剣『サナトス』のとてつもない一撃は竜の頭部を粉砕していた。
ウロコと血の混ざったみずみずしい肉片が甲板に飛散していた。
体内のリンが引火したのだろう。絶命して横倒しになっていた竜の胴体が発火する。炎上した胴体はそのまま甲板を滑って手すりを破壊し、墨のような海に落ちた。派手な水蒸気の柱が上がった。
朦朧とするゼンとディアをグスタフ警部が抱きとめた。
左右に揺れていた船体はやがて静かになった。
闇夜の彼方に島の明かりがぼんやりと浮かんでいた。
目を凝らすと、島の山頂を旋回する影が見えた。




