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宝石箱(1/1)



 ――あなたが至上の幸福を得たとき、愛する人と共に開けてください。



 バルシュミーデ邸の地下には巨大な倉庫がある。

 カタリナの祖父バルシュミーデ商会会長の趣味で倉庫の半分はワイン蔵に改装されているが、城門めいた巨大な扉を隔てたもう残りの半分は、戦時中の戦利品である刀剣や宝物の類が納められた宝物庫として古く長く忘れ去られている。

 ゆえに当然、そちら側には電気照明だなんて便利な装置は設置されていない。

 暗がりの通路を進むゼンたちの唯一の頼りはランプの小さな明かり。

 広間と広間を繋ぐ狭くて細い通路の連続。

 奥へ奥へと臨むゼン、ディア、カタリナの三人。

 雰囲気はさながら欲深き悪魔の穴倉。

 だとすれば、彼らは勇敢なる冒険者か。

 カタリナはゼンにぴったり寄り添って腕を絡めている。


「ネズミとか出てきそうでこわいよゼンくん」

「ネズミなんてただの小動物だ」


 そうそう、と隣のディアがゼンに同意して頷く。


「わたしもゼンもネズミなら毎日退治してるからぜんぜんへいきだぞ。この前も親分っぽい超でっかいネズミをチーズでおびき寄せてだな、ネズミ捕りでバチンッってやったら上半身と下半身がちぎれてそりゃあもう――」

「それ以上言わないで!」


 冒険の終点――宝物庫の最奥へと三人は至った。

 ランプに照らされて色を得た、大気を舞う塵。

 不可侵や神秘といった言葉を想起させる。

 探し求めていた『宝石箱』は一段高い台座の上で眠っていた。

 忘却の彼方で永遠に眠る命運だったそれにディアが触れて目覚めさせる。


「意外と軽いぞ」


 ほらっ、とゼンに投げてよこす。


「もうちょっと丁寧に扱ってください師匠」


 ゼンはためつすがめつ、さまざまな角度から宝石箱の造形を観察する。

 クッキー缶ほどの手ごろな大きさをした金属の立方体。

 つるつるとして冷たい触感。

 宝石箱と呼ぶには少々いかめしい面構え。

 六面それぞれには滑らかな曲線を重ねた幾何学模様が彫刻されている。継ぎ目は見当たらず、開けるどころか蓋と底の判別からしてつかない。これが単なるオブジェではない、収納の機能を有した貴重品箱であるとしたら、現代では失われた高度な技巧が用いられて封印されている。


 ――あなたが至上の幸福を得たとき、愛する人と共に開けてください。


「そう言って私のご先祖さまにくれた竜の贈り物なんだよ」


 髪がくすぐるくらいの距離までカタリナが寄ってくる。


「竜狩りに命乞いとして差し出した代物だろうか」

「人間の力を認めた竜のご褒美だったんだよ」

「……まあ、竜といえば往々にして尊大な性格をしているが」

「きっとそうだよ」


 カタリナは目を細めてゼンにはにかんだ。

 バルシュミーデ家の祖先が竜を退治した言い伝えは文書に残っていると、倉庫のカギを開ける際に古参の執事が教えてくれた。竜が意味深な言葉と共に宝石箱を譲った話も確かだという。だが、肝心なその真意までは伝わっていなかった。


 ――あなたが至上の幸福を得たとき、愛する人と共に開けてください。


「竜はどうしてそのようなことを口走ったのでしょうね、師匠?」

「わたしは半竜だけど帝都で生まれて人間に育てられたんだから、中身はほぼ人間だぞ。竜の慣わしなんてぜんぜんさっぱり知らん。カタリナには悪いけどな」

「きっとすっごい宝物が入ってるんだよ。みんながしあわせになれるような、きらきらしてとってもきれいな」


 だからめったに開けられないような細工がされているのだ、と彼女は力説した。

 ディアは宝石箱をリュックサックに押し込んで背負う。


「よしっ、ゼン! わたしたちで宝石箱を開けてやろう!」

「開けてくれたら報酬をあげるっておじいちゃん言ってたし、ふたりともがんばってね。……開きそうになったら私も呼んでね。ぜったいだよ、ゼンくん!」

「おぼえていたらな」

「ぜったい! ぜったいだよっ」


 ゼンの言質を得るまでカタリナは屋敷の門扉の前に立ちはだかっていた。



 そうして持ち帰った宝石箱は今、テーブルの真ん中に鎮座している。

 二人並んでソファで腕組みするゼンとディア。

 蓋と底の判別がつかない鉄の立方体。

 果たしてこの箱はどうやって開ければよいのか。

 竜の不思議な贈り物を二人でにらんでいても時間ばかりが浪費されていく。


 ――あなたが至上の幸福を得たとき、愛する人と共に開けてください。


「屋上から落としてみるか」

「よしてください」

「団長のところから銃借りてぶっぱなすのは?」

「愛する者と開けるべき箱を力技でこじ開けるだなんて野蛮な」


 力ずくで開かなかった挙句に中身と箱を傷つけて価値を損ねてしまっては目も当てられない。これを『宝石箱』と竜が言っていたのなら、真っ当に開ける手段は用意されているはず。

 知恵を絞るゼンをよそに中身が知りたくてたまらなそうなディアは、火であぶるだのかなづちで叩くだの、ひどく単純明快な方法での開封を試みようとしていた。とにかく意地でも開けたいようすであった。


「この宝石箱って半竜がつくったのかな?」

「人間の指先でないとこのような細工はできませんからね。もしかするとヒトの血が混ざった半竜は竜の隷属として扱われていたのかもしれません」

「人間にも竜にも見下されていたのか」

「あくまで僕の憶測ですよ。さて、僕はいい加減、夕食の支度をします。こんなことを続けていても埒が明かないですし。……おや? ……やられました。戸棚にしまっていたベーコンがネズミにかじられています」


 味も色も栄養も無いオートミールでその夜は空腹をごまかした。


 ――あなたが至上の幸福を得たとき、愛する人と共に開けてください。


「明日こそ開けてやろうなっ、ゼン」

「おやすみなさい」


 頑なにヒトの手を拒絶する宝石箱。

 ディアの努力も甲斐なく、その命運は宝物庫にあった頃へと収斂しつつあった。



 それから数日後、帝都警察の協力要請に応じて麻薬密輸組織のアジトに乗り込んだとき、グスタフ警部がふとゼンに訊いてきた。


「宝石箱の中身はわかったか?」


 竜狩りの仕事関係で銀行に赴いたときも、フロレンツに似たようなことを嫌味たっぷりに言われた。


「カタリナお嬢さまから託された秘宝とやら、わたくしも少々興味がありましてね。まあ、あなたがたの借金は国宝のひとつやふたつで帳消しできる額ではないのですが。ネズミが出ない部屋に引っ越すくらいならできるかもしれませんよ」


 天井の雨漏りが悪化してきたので釘と板切れと、ついでにネズミ捕りを買いに鍛冶屋を訪ねたとき、団長とルイーズに出くわした。ディアとルイーズが遊んでいる隙に団長はゼンにこう耳打ちしてきた。


「宝石箱に宝物が入ってたらさ、高い酒買って二人で飲もうぜマブダチよ」


 郊外を歩いているとき、背後からオートバイが地鳴りを響かせながら追いかけてきて、ゼンたちの行く手を塞ぐように回り込んで停止した。オートバイにまたがる少女はカメラをふたりに向けて構えた。


「宝石箱が開く兆しを見せたらこのノーラ・カーレンベルクにご一報を! ちなみに私が『愛する人』だなんて自惚れてはいませんよ。私はあくまでスクープの瞬間が目当てなので」


 買い物客でごった返す休日の百貨店で偶然にもマリーゴールド・ノキアと出会った。彼女は喫茶店でお茶とケーキをおごってくれたうえ、ディアに靴まで買ってくれた。


「竜からもらった宝石箱、中に何が入ってるかわかったら教えてちょうだいね。……あら、ゼンくんったら、あからさまにうんざりした顔して。もしかして知り合いに会うたびに同じようなこと訊かれてる? しょうがないわよ。みんな興味津々だもの」



「バルシュミーデ家に返却しましょう」

「えっ!?」

「この忌々しい箱を一刻も早く僕は手放したいのです」


 帰宅後、ゼンはそう提案した。


「イヤだ」

「どうせ開きません」

「イヤだったらイヤだ!」


 ディアは断固反対する。


「どうしてです」

「……」

「師匠がこだわる理由がわかりません」

「……」


 逡巡がややあって、それからディアは気落ちした声色で言う。


「だってさ、これを手放したら『しあわせじゃない』って言っちゃうのとおんなじような気がしてさ。わたしはゼンといられてしあわせだから、だからこの箱を開ける資格はあると思うんだ。開けたい。何がなんでも開けてやりたいぞ」


 ――あなたが至上の幸福を得たとき、愛する人と共に開けてください。


 ディアの子供っぽい、むくんだ指がゼンの手の甲に触れる。

 指先が手の甲をなぞってくすぐる。

 潤んだ瞳でうったえてくる。


「宝石箱を開ける資格、わたしとゼンにはあるはずなんだ」

「師匠の100年の人生でどれくらい今はしあわせなのですか」

「一番だぞ。ゼンがいるからなっ。この箱にしまってある宝石よりも、きっときらきら光ってる!」


 少し前屈みになって上目遣い。

 誕生日にもらったリボンをそうやって彼に見せる、いじらしいしぐさ。そのうえぎゅっと腰まわりに抱きついてくる。彼の本心をさぐろうと胸に顔を当ててゼンの心臓の鼓動に耳を澄ます。


「ゼンはしあわせか? わたしといられて」


 封印の解かれる兆しが現れたのはそのときだった。

 幾何学模様の部分が、力ませた指でずれて剥がれた。

 宝石箱の六面に描かれた幾何学模様は、いずれも押し込んでスライドさせることにより剥ぎ取れた。剥がれて露出した部分にはミシンで穿たれたような極小の穴が無数に空いていた。甘いにおいを感じたディアが穴に鼻に近づけると濃厚なチョコレート臭がした。

 甘いにおいに誘われて壁の穴から現れたネズミ。

 虚をつかれたゼンの手から宝石箱が滑り落ちる。

 落下の衝撃により、内部に仕込まれていた針が無数の穴から飛び出てきた。

 瞬時にしてトゲトゲの針山と化した宝石箱。

 異様なチョコレート臭の正体は、針先からしたたる謎の液体の臭いだった。

 チョコレート臭の液体をネズミがなめる。途端、その闖入者は短い悲鳴を上げて転覆して痙攣しだし、あっけに取られたゼンとディアがふたつみっつまばたきする間に絶命してしまった。


 ――あなたが至上の幸福を得たとき、愛する人と共に開けてください。


「当分、殺鼠剤には困りませんね」


 ゼンはかぶりを振った。




〈『宝石箱』終わり〉

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