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一角竜ゾスカ(2/4)

「あら、ディアちゃんのお弟子さん。おイモふかしんだけどおひとついかが?」

「ありがたく頂戴します」

「ディアちゃんの子分さんじゃない。傷に効く薬、持ってきてあげるわ」

「お心遣い感謝します」

「よお、ディアさんのお兄さん。お前さんならゾスカを倒してくれるって信じてるぜ。死んだ連中や右腕を取られちまった俺の無念を晴らしてくれ」

「最善を尽くします」

「あーっ、お姉ちゃんのお兄ちゃんだ。ねえねえ、屋根に引っかかっちゃったボール取ってよ」

「僕の肩に乗るがいい」

「ゼンはわたしの兄じゃないぞ。どっちかっていうと弟だろ。あっ、ルイーズの次はわたしを肩車するんだぞ、ゼン」

「セリフの前後が矛盾してます、師匠」


 ポニーテールの剣士さん。

 そう呼ばれていたのは初日くらいであった。

 ゼンと団長率いる自警団が一角竜の弟ショルトを狩りに山の中腹に赴いていた間、ディアは自警団が留守になった村の警護にあたっていた。彼らに情が移ったとすれば、そのときであろう。

 主婦たちの家事を手伝い、子供たちには『お姉ちゃん』と慕われ、ディアは久方ぶりに家族のぬくもりに触れられたに違いない。ショルトを討伐して帰還したゼンを出迎えた彼女は年下の子供たちを後ろに従えており、すっかり村の一員として溶け込んでいた。村人たちに肩入れしたがるのも道理であった。

 仲間を弔い、兄竜ゾスカを狩るための支度をしていたこの日も彼女は子供たちの遊び相手をしていた。木の枝にわっかを投げる遊びで盛り上がっており、ディアは腕まくりをして張り切っていた。

 他者との絆を育む力。

 これこそが半竜ディアの真なる力。



 狩猟弓の弦を引き絞るゼンは精神を研ぎ澄まし、林の木々と一体化を試みていた。

 肉体の施錠を解放し、自然の大気を全身で受け入れる。

 意識と世界のブレが徐々に重なっていく。

 呼吸はそよぐ風と、髪の流れは枝葉のそよぎといよいよ同期する。

 矢じりの先には鹿の親子。仲むつまじく陽だまりの新芽をはんでいる。ささやかなしあわせを感じる家族の団らんである。

 矢の羽を掴んでいた指をおもむろに離す。

 放たれた矢。

 矢は音もなく風を切って一直線に飛び、痩せたシラカバの木立の隙間を突き進み、親鹿を射抜いた。

 小鳥が一斉に飛び立って刹那に森がざわめく。

 首筋を射られて横倒しになった親鹿はしばらくもがいていたが、甲斐なくやがて動かなくなった。見開いたままの黒々としたまなこは、逃げる我が子が木々の向こうに消える最後まで見守っていた。

 わっと沸いたディアと子供たちが茂みから出てきて、ゼンの弓の腕前を口々に称える。しかし、しとめた親鹿に近寄るに従って生々しい死を実感してくると、彼女らは次第に口数を少なくして足取りも慎重になっていった。

 絶命した鹿を取り巻く子供たち。

 三人いるうちの一番小さい男の子が5歳くらい。真ん中の男の子がそれより少し年上。一番大きいおさげの女の子アンナが10歳くらい。彼女は異邦人のゼンとディアに興味津々で積極的に接してくるから、ゼンも彼女の名前だけは憶えていた。

 子供たちは皆、矢に射られた鹿を見下ろしている。死んだ鹿に怯えながらも目を離せずにいる。

 そんなディアと子供たちを尻目に、ゼンは縄を用いて黙々と獲物を縛った。


「かわいそう」


 じゃまなツノを分解して四肢をたたみ、荷車に乗せたとき、年少の男の子が小声でそう口にした。


「お前たちが普段食べている肉は、誰かが最初にこうするんだ」

「違うよ。お肉屋さんで買うんだよ」

「肉屋に並ぶそれよりも前の前の前……はじめは必ずこうする。誰かが殺す役目を負っている」


 ぶっきらぼうな言葉に子供の目が潤う。


「なら、もうお肉食べない」

「パンだけで我慢できるのか?」


 男の子は押し黙る。


「まあ、わたしとゼンはほぼ毎日パンケーキしか食べてないがな」

「話の腰を折らないでください、師匠は」


 ディアは押し黙る。


「僕ら人間にとって食事は娯楽でもある。味や触感を楽しんだり、食卓を囲む家族や友人と団らんしたりする。お前たちの家族だってそうだろう? 食事は満ち足りた生活に不可欠だ。生きることに充足感を求めなければ、ヒトは獣に成り下がる」


 食べることは大事なこと。

 その行為は、あらゆる意味で生きることに直結するのだから。

 子供たちは「よくわからない」と言いたげに難しい面持ちをしており、ゼンの伝えたかった真理よりも殺生の罪悪がなおも勝っていた。狩りを教えて欲しいと彼らにせがまれて承諾したのにこの反応では、ゼンも詮無かった。

 帰路、荷車を引いていたゼンは思い出したように続きを口にした。


「他の生き物を殺して、食べて、明日を生きる活力にする。お前たちは食べるばかりではなく、やがて殺す役目も負うことになるだろう。与えられる側でいられる時間はいつしか終わり、与える側に回る」


 ディアは物言いたげであったが、ついにそれを言葉にできなかった。

 湿気をはらんだ青臭い空気。

 湿った落ち葉を車輪が引く、滲んだ音。

 鹿のツノが荷台にぶつかってガタガタ鳴る。林を抜けて整備された街道に出ると騒音はいくらかマシになった。

 ゼンがディアにかける言葉を決めあぐねている間に、村に到着してしまった。


「ゾスカも生きるためにお父さんたちを食べたの?」


 吊るされた鹿を見ながらアンナが訊いてきた。

 村の大人たちによって皮を剥がれ、血抜きされ、はらわたを抜かれて、ようやく子供たちにも見慣れた肉に近づいてきたらしい。興味の失せた年下の男の子二人はディアとボール遊びに夢中になっており、鹿への興味はとうに失せている。やさしそうなおばさんが焼き菓子を編みかごいっぱいに持ってくると、ディアたちはボールをほったらかして我先にと飛びついていった。

 アンナだけがゼンの隣に立ち、逆さ吊りの首なし鹿を飽くことなく眺めつづけていた。

 憐憫の情は既に表情から失せており、素朴な疑問が代わりに読み取れる。

 ゾスカに喰われた親と吊るされた肉を重ねているのだろう。


「1000年の寿命を持つ不死に等しい奴らであろうと、僕らと同じ生き物だ。生命を維持するには食事による栄養摂取が肝要となる」


 彼女が曖昧に首肯して、見当違いなことを口走ってしまったのをゼンは自覚する。


「お父さん、ゾスカの生贄になったの」

「そうそう。団長が決めたのよ」


 ゼンとアンナのやりとりに通りがかりの主婦が割り込んできて、アンナはぎょっと目を剥いた。


「アンナのお父さんは病気がちで身体が弱くて仕事ができないからさ。確かに、ゾスカに差し出す生贄は誰か選ばなくちゃいけないけど、それにしてもこんなちいさな娘さんがいるのに、あんまりよね?」

「自警団だって何の役にも立たないじゃないか。弓や銃で竜を殺せるものか。もっとちゃんと警察や軍人さんにお願いすればよかったんだ。あの団長、村長のお孫さんなんだが、まだ若いせいで手際が悪いんだよ」

「年に一度程度だったんだから、急ぐ必要はなかったと思うね」

「子分さんの言ったとおり、自警団の男たちは無駄死にだったよ」


 どこからともなくわらわらと湧いてきた村人たちは二人をそっちのけにし、こぞって団長の悪態をつきだした。


「村のため、っていうより、奥さんの敵討ちがしたいんだろうよ」

「猟銃なんかで竜に勝とうだなんて、正気の沙汰じゃないんだ」

「弟竜のショルトを倒しちゃったから、怒ったゾスカが村の人を皆殺しにするんじゃないかしら。みんな怯えてるの」

「なら次の生贄をお前らで決めろ」


 熱狂的だった村人たちが一斉に凍りついた。

 恐るおそる振り返る。

 悪態の対象であった張本人がいつの間にやら目の前で腕組みしていた。

 団長は片側だけの眼を左右に動かし、彼らを一様に睨む。散らかるくずを掃くように。

 あれほどおしゃべりに夢中になっていたのにもかかわらず、彼らは蛇に睨まれたカエルみたいにだんまりを決め込んでしまった。


「文句があるならお前らで決めろ」


 隻眼の彼は怒りを腹に溜めた声でもう一度言った。



 ゼンは居心地の悪そうなアンナを連れて村を離れ、ディアを伴った三人で街道を散歩していた。

 風そよぐ音に耳を傾けられる、のどかな田舎道。

 緩やかな傾斜の地にシラカバの家屋が点々と建っており、その奥にはだだっ広い野原が漠々と敷かれ、街道の行く先は地平線で途切れる。反対側を向けば竜の住む険しい山がそびえている。慌しく騒々しい帝都とはまるで趣の異なる、あくびの出る風景である。


「みんなお父さんと私のことを『かわいそう』って言ってた」


 手持ち無沙汰な指でアンナはおさげをいじる。


「止めてくれる人は誰もいなかった。お世話をしてくれてたおばさんやおじさんも『かわいそう』って言うだけで」

「ひどいやつらだなっ。命がけで戦ってる団長の悪口も言ってたんだろ。自分が生贄になる心配がないからって他人事過ぎるぞ」

「非難すべきは元凶であるゾスカでしょう」

「ううむ……それはそうなんだがな」


 ディアはもどかしげに髪をかきむしっていた。

 焼き菓子を子供たちに振舞うやさしいおばさん。畑仕事に精を出す農夫。鹿の皮をなめす親子――ふらりと訪れた旅人からすれば、粉引き風車が気ままに回る牧歌的な田舎である。二匹の竜の暴虐に遭っているなどと誰が想像できよう。

 遠くから聞こえる小さな呼び声が三人の足を止める。

 振り返ると、子供たちが今にも転がりそうな勢いゼンたちを追ってきていた。

 アンナは微笑ましげに手を振っていたが、子供たちの姿が近づいてくると振っていた手を下ろし、血相を代えて自ら駆け寄っていった。

 子供たちの切羽詰った表情から、尋常ならぬ事態が起きて助けを求めにきたのは明白であった。

 空から降ってきた雨の粒がゼンの前髪を滑った。

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