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マーガレット・ノキア(3/3)

「こんなジジイがあんな恋愛小説書いてたのか」

「人生経験の解放こそが文学。ヒトの肉体なぞ所詮その媒介に過ぎん」


 背中に竜翼を生やす珍客を訝っていた老人は、見覚えのあるポニーテールの青年もいることに気づく。そしてその彼に異形のバイオリンケースを預けられて余計に怪訝な表情をした。


「あなたにこれを直してもらいにきました」

「……ついてこい」


 底からかすかに漂ってくる冷気を押し退けながら、マーガレット・ノキアことヨゼフ・ノキア老人は天井の低い階段を下りていく。その後ろにゼン、ディア、マリーゴールドは続いた。

 ノキア家の地下にあったのはヨゼフの作業場であった。

 機械油のにおいのきつい、職人気質な工房。

 壁に吊るされた小さなランプが頼りの薄暗い、そして湿った、立方体の空間。壁際の木箱にはなんらかの機械の部品が無秩序に山積みにされており雑然としている。使い古された分厚いテーブルにはペン状の溶接器具らしきものや万力に似た器具、砥石のようなものが設置されている。

 そして四隅の一辺に、彼の作品群が飾られている。

 乱雑で混沌とした部屋で、その刀剣類だけはひときわ美しい輝きを放っていた。ランプの橙色の光で輝く刀身をディアは食い入るように見つめていた。


「ここがおじいちゃんの秘密基地。私もよくフォークやスプーンを磨いてもらってるの」


 研磨機の表面をマリーゴールドは指で叩く。


「『おじいちゃん』呼ばわりはいい加減よせ。ワシはお前の父だ」

「だって、それくらい歳が離れてるじゃない」

「戦争さえなければもっと早くお前は生まれたのだ。兄弟もいたはずなのだ」


 ディアは周囲を見回す。


「炉はどこにあるんだ?」

「炉なのだから外にあるに決まっているだろう。鍛冶屋をしているワシの戦友が鋼を打って、ワシがここで仕上げているのだ」

「兵隊だったんだな。オマエ」

「年上に向かってなんて口の利き方だ」

「たぶんわたしのほうが年上だぞ」


 必勝の戦法を繰り出したディアはニヤリと勝ち誇った。

 言い負かされたヨゼフはあからさまに不機嫌になり、テーブルのガラクタを押し退けて乱暴に『サナトス』を置いた。衝撃でホコリが立ってマリーゴールドはけむたがった。

 金属こてを隙間に挿入して体重を乗せ、てこの原理でケースをこじ開ける。

 上下に割れてさらされた断面をまじまじと見つめる。

 真剣な面持ちで分解していく。

 革の手袋を着けた手でドライバーを操り、サナトスの体内から臓器を摘出していく。細かい部品が次々とテーブルに並べられていくが、それらが何の役割を果たしているのかゼンにもディアにも見当がつかず、黙って成り行きを見守ることしかできなかった。


「竜がのさばっていたほどの大昔にスプリング製造の技術があったとはな。しかもスイッチひとつで刃が突出する機構までこしらえている。――ほう、衝撃で暴発するのをこのようにして防止しているのか……。からくりもそうだが、この刃も名匠の業物だ。この剣を預けられた戦士はよほどの猛者だったのだろう。これは武器であると同時に芸術品でもある。小娘にはもったいない」


 感嘆の吐息で鋼の刀身が曇る。


「直せるか?」

「半年貸せば元通りにしてやる」

「半年もか!?」

「ワシには本業があるのを忘れてはおるまい。恨むなら大衆に媚びたあんな駄作を誉めそやす連中を恨むのだな」

「キライなら書くの止めろよ」

「小娘ほど気楽に生きられるのならそうしておるわ」


 追い立てられるように三人は工房から追い出された。

 その後はディアの要望でヨゼフの書斎を見学した。ヨゼフは最初こそ頑なに拒否したが、どうにも彼も大多数の親の例に漏れず、娘には甘いらしい。マリーゴールドに背中を押されて渋々応じたのであった。

 二階の書斎は窓から拭きぬける風が心地よいほど清潔であった。

 微風にはためく空色のカーテンがさわやかで、内側のレースのカーテンから透けた日差しが足元に模様を描いている。ベッドのシーツが白くまぶしい。使い込まれたタイプライターが洒落た雰囲気を演出するのに一役買っている。この部屋に関しては娘の掃除がじゅうぶんに行き届いていた。

 ディアは書棚の本を手にする。


「竜狩りの旅でどこ行ってもお前の本売ってるぞ。世界中の人に読んでもらってるんだ。きっと作者自身でも気づかなかった良さが隠れてるはずだぞ」

「小娘が生意気を」

「だからわたしのほうが年上だって」


 マリーゴールドが「案外――」とそこに割り込む。


「私に影武者をやらせていたのはおじいちゃんの意思だったのかもしれないわね。おじいちゃん恥ずかしがりやだし。つい読者を抹殺しちゃいそうになるくらい」

「メグ! お前まで……」

「癇癪起こしそうだったから黙ってたけど主人公とヒロイン、おじいちゃんとばあちゃんにそっくりなのよ?」


 いたずらっぽくそう言って父をからかう。

 老人は顔面に指を這わせてシワをなぞる。

 幾重もの記憶を辿るかのように。


「みんなに好かれる話が書けるってことは、それだけオマエの人生がしわせだったってことだなっ」


 次の帰りの馬車は明日になるということで、ゼンとディアはノキア家に一泊していくことになった。


「ディアちゃんとゼンさんは食べたいお料理ってある?」

「肉がいい!」

「肉料理をお願いします」

「下ごしらえするにはもう遅いから、かんたんなものになっちゃってもいいかしら」

「肉ならなんでもいいぞ」

「とにかく肉を所望します」


 マリーゴールドは大はりきりでごちそうを用意して客人にふるまった。

 頑固な父と違ってすなおに「おいしい」と言ってくれるのがうれしいらしい。口のまわりを甘辛ソースで汚すディアを眺めるマリーゴールドは満悦の笑みを終始浮かべていた。食が細そうな痩身のゼンまで猛烈にステーキを食らっていたのには、さすがに面食らっていた。

 食事と宿泊料の代わりに語って聞かせたディアの竜狩りの話は二人に好評だった。よそ者を招かれて不機嫌だったヨゼフもこのときばかりは真剣に耳を傾けており、手帳にペンを走らせていた。

 壁の隅に飾られている勲章(メダル)の数々。

 それらはマントルピースに置かれたモノクロの家族写真と比べてだいぶぞんざいな扱いを受けていた。


「そういえばじいさん。サナトスの修理代っていくらくらいだ?」

「代金か」

「こんな辺ぴな田舎だもの。お金なんて(たきぎ)にするほど余ってるわよ。ねえ、おじいちゃん」


 マリーゴールドがディアに味方して父を促す。


「無責任な仕事を請け負うつもりはない。ならばこうしよう。もし剣の修理をしている半年の間に貴様らが竜狩りの旅路でくたばったら、剣はワシのものとすると」

「なんかオマエが先にくたばりそうで心配だぞ」


 ディアの耳元を何かが高速でかすめる。


「そこまで老いぼれてはおらんわ」


 ヨゼフの投げ放ったフォークは、背後に飾られたシカの首の剥製に深々と突き刺さっていた。フォークから垂れるソースはまるで血糊。マリーゴールドが「お行儀悪いわよ、おじいちゃん」と軽く叱りながら足腰に力を入れてフォークを引っこ抜く。その一撃により、ヨゼフ・ノキアが文句のつけようない武器をこしらえてくれるのが証明され、晴れて取引は公正となったのであった。



 季節が半分巡ってからゼンとディアはノキア家を再訪した。


「存外しぶといではないか」


 六ヶ月ぶりの再会をヨゼフはそう祝した。

 よみがえった『サナトス』をぶっきらぼうに渡されたディア。対してマリーゴールドは彼女に抱きついたり頭をなでたり苦しくなるほど愛でてきた挙句、紅茶入りの携帯ポットとお菓子のたっぷり入った袋を土産に持たせてくれた。


「このお菓子で三日はしのげそうですね、師匠」

「ちょびっとずつ食べような」

「……ねえ、お金に困ったら遠慮しないでウチを頼ってね?」


 あっけらかんとする二人をマリーゴールドは心底心配そうに見送った。

 荷馬車に揺られて帝都に帰る頃にはポットはからっぽ。袋もしぼんでしまっていた。

 マーガレット・ノキアの新連載が新聞と文芸誌にて予告されたのはそのすぐ後だった。

 新作はヒトと竜の恋物語。

 半竜の少女が主人公に据えられたのは、今が竜や半竜の人権について本格的に議論されだした黎明期だからであろうと、記者や文学者は小難しい言葉を紙面にやたら並べて考察している。

 だが、ゼンとディアは知っている。

 それがヨゼフなりの厚意であると。

 そうでなければあるいは、照れ隠しのあてつけか。


「まあ、ナイフぶん投げられるよりマシだよな? ゼン」

「そうですね、師匠」



〈『マーガレット・ノキア』終わり〉

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