邪竜ロッシュローブ(4/6)
邪竜狩り決行の日も折よく晴天であった。
白き峰の上に広がる青空。地上を熱する陽光。雪解けの雫が枝葉の先で光る。鬱屈と寒さを耐えていたリスがうろ穴から出て雪原を駆け回っている。小鳥たちの唱和もさわやか。そんな清々しい風景だからこそ、要塞を根城にするにび色の竜がひときわ目立っていた。
鋼鉄の邪竜ロッシュローブはこの日も城壁の上に寝そべり、眼下の雪原と更にその下に散らばる人間の集落を見下ろしていた。
目の前を飛んでいく小鳥の一匹を戯れで叩き落す。
雪原に赤いシミが一点できた。
退屈そうにあくびをするロッシュローブ。
――ついに見つけたぞ、ロッシュローブ。
引っ込めかけていた首をびくりと起こした。
――貴様の悪行、私が見逃すと思ったか。
どこからともなく聞こえてくる声に狼狽している。双眼鏡で遠くから様子を窺っているゼンとディア、ハロルドにもその慌てふためきぶりは明らかであった。
「どこだ! どこにいる!」
むやみに吠える。
「まさか貴様なのか、アヴィオール!」
後ろ足で立ち上がり、竜翼をめいっぱい広げて威嚇する。
かつての仇敵を血まなこにさがしている。
――私が怖いか。ロッシュローブ。
「隠れていないで出てこい! アヴィオール!」
竜翼を羽ばたかせて飛翔する。城壁の溝に溜まっていた雪解け水が飛び散って、雨となって地面に降り注いだ。表面の解けた新雪に無数の穴が穿たれ、血まみれの小鳥の死骸にも死に水が与えられた。
ゼンたちも行動を開始した。
ゼンは束にまとめた釣り糸の片方をディアの腰のベルトに結んでやり、もう片方を異形の大剣『サナトス』の持ち手に結んでやった。サナトスのバイオリンケース内にはバネの代わりに火薬が搭載されているため、普段以上に扱いに気をつけるよう彼女に念を押す。首肯してからディアはゼンのそばから離れた。
――私はここにいるぞ。お前が怖がって目をそらしているのではないか。
「俺をまやかしているつもりか」
サナトスを抱えて走りだしたディア。
姿勢を低くし、つま先で雪を蹴って木立を駆け抜ける。雪を踏みしめる小気味よい音が素早く連続する。リスたちが彼女を避けて草むらに逃げていく。倒木のコケを舐めていたシカも慌てて藪に飛び込む。かすった枝が震えて雪を落とし、ディアの肩や髪にかかった。
日差しを受ける白くまぶしい雪原を疾駆する。ロッシュローブの視線を遮るように、城壁の死角を位置取りながら走る。そうして城壁の根元に辿り着くとサナトスを一旦下ろし、鉤爪のついたロープを真上に投げて城壁の出っ張りに引っ掛けた。何回か引っ張って鉤爪の引っかかり具合を確かめてから、ロープを手繰って垂直の城壁を登っていった。
「今度こそ貴様の鱗一枚も残さず溶かしつくしてくれよう」
――敗北するのはお前だ。時代に置き去りにされた哀れな暴君よ。
「俺を哀れむだと? ヒトごときに飼いならされた分際で」
鉤爪の引っかかった場所までよじ登ると、後は自力で一気に登った。風化して崩れたくぼみや銃眼につま先を引っ掛けつつ連続ジャンプし、ツタをロープ代わりにし、城壁の上へと登りきった。半竜の人間離れした身体能力にハロルドは目を見張っていた。
――その見下しが時代遅れだというのだ。
「ひれ伏す姿がお似合いの貴様らしい言葉だな」
腰に結んでいた釣り糸がぴんと張り詰める。
ディアは釣り糸を手繰り寄せ、置き去りにしていたサナトスを城壁の上まで釣り上げた。
ハロルドが双眼鏡から目を離す。
「激昂したロッシュローブはお嬢ちゃんに気づいていない」
「自らの翼の羽ばたきで足音もかき消されていますね」
強風がディアの二つ結びの髪をたなびかせている。
怒れるロッシュローブは目と鼻の先。
その二者をファインダーに入れてハロルドはシャッターを切った。上手く撮れていれば、竜に立ち向かわんとする勇ましき少女の姿がフィルムに焼きついていることだろう。
「シェダルの旦那の演技、まだバレていないな」
「正体に勘付かれる前に僕らも陽動に加わりましょう」
木立の影から飛び出したゼンとハロルドは、要塞の目の前に躍り出た。
突然出現した二人の人間にロッシュローブは面食らう。
いよいよその形相は邪竜に相応しきものとなった。
「竜狩りのゼンだ。邪竜ロッシュローブ、今日はお前を狩りにきた」
「一角竜の兄弟と逆鱗のアークトゥルスを破った人間だな。アヴィオールに何枚の金貨で雇われたか知らんが、三下どもを退けたかたらといって図に乗るなよ」
むき出した牙から粘っこい唾液が垂れる。滴り落ちた唾液は真下にあった城壁の瓦礫を溶かし、鼻をつく悪臭と目に刺激を伴う煙を立ち昇らせた。
羽ばたきながら滞空するロッシュローブの肩越しに見えるのは、城壁の上を駆けるディアの姿。瓦礫につまずいて前のめりになるも、どうにか持ちこたえてくれた。そしてとうとうロッシュローブの真後ろまで接近した。
刃が収納されたサナトスの突出口をロッシュローブの背中に向ける。
「わきまえよ弱者ども。道具に頼って群がるしか能の無い者が王者を気取るか。地上の覇権はいずれ我らの手に返る。臆病者のアヴィオールを始末する余興として貴様らを血祭りに上げてやろう」
ディアは腰を深く落とし、脇でバイオリンケースを固く固定する。片目をつむり、突出口の狙いをロッシュローブの背中中心に合うよう微調整する。
大剣形態作動の引き金に指が触れる。
攻撃する機会は一度きり。仕損じればロッシュローブの反撃を受け、城壁から叩き落されたディアはあの小鳥と共に雪原のシミと散るだろう。
ゼンの隣で固唾を飲むハロルド。
好都合にもロッシュローブは己への恐怖だと勘違いして悦に入っている。
「往生際の悪いアヴィオールよ、観念して出てきたらどうだ。さもなくば下僕どもの無残なむくろを拝むことになるぞ」
サナトスの引き金が引かれた。
落ちる撃鉄。
プライマーが発火する。
鼓膜から三半規管を揺さぶる爆音。
火薬の炸裂で発生した燃焼ガスの圧力が鋼の刃に瞬間的爆発的圧倒的加速を与える。突出口から射出された刃は邪竜の急所めがけて飛んでいった。ディアがのけぞってしりもちをつくほどの、バネ式とは比較にならないほどの威力であった。
その機構と動作は銃そのもの。
異形の大剣は刃の弾丸を発射する銃に改造されていた。
すさまじい速度で発射された鋼の刃の切っ先は、銃声に反応したロッシュローブが振り向くより早く竜翼の片方を根元からもぎ取った。飛翔する刃に穿たれたロッシュローブは悲鳴を上げる間もなく雪原に墜落した。
落雷に似た衝突音と震動。
針葉樹に積もった雪が一斉に落ちる。
同時に、雪原のやわらかい雪が巻き上がる。
雪は風に乗り、雅な吹雪となって吹き抜けていく。
「旦那ぁ、今ですぜ!」
遠くから地鳴りが近づいてくる。
よろめきながら起き上がったロッシュローブが目にしたのは、針葉樹林から猛烈な勢いで駆けてくる片翼の竜であった。
「アヴィオールではない!? 謀ったな、死にぞこないのシェダル!」
片翼の竜シェダルは獣のごとく四つ足で猛進して地を揺らす。
そして、満身創痍のロッシュローブに果敢なる体当たりをぶちかました。
突進を真正面からくらったロッシュローブ。くの字に折れて吹き飛ばされる。
巻き込まれて粉砕される石の城壁。
もつれ合う二体の竜に瓦礫の雨が降り注ぐ。
すんでのところでディアは逃げ出し、軽い身のこなしで地上に戻った。抱えるサナトスは火薬を詰めていた底の部分が焼け焦げていた。
大質量同士の衝突から一転して訪れた静寂が、三人の緊張をかえって煽る。
要塞を囲む六角形の城壁の一辺が完全に崩壊してしまっている。
竜翼を貫通して雪原の片隅に突き刺さったサナトスの刃。
ディアが恐るおそる指先で触れると、帯びていた熱に驚いて手を引っ込めた。
瓦礫の山が崩れる。
片翼を失った二体の竜が這い出てきた。




