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邪竜ロッシュローブ(3/6)

「安静にしていろ」

「私に代わってスクープを必ず手に入れてくださいね! 約束ですよ!」


 ベッドに伏すノーラの哀願。


「とにかく安静にしていろ」


 ゼンは病室を後にする。

 カメラを託したノーラは不安でたまらそうな様子であったが、右足をギプスでぐるぐる巻きにされた状態では彼を追いかけることはかなわない。悲痛な「約束ですよー」の連呼が長い間、廊下に響き渡っていた。


「新聞記者のお嬢ちゃん、どうだった」


 待合室の隅でクロスワードパズルを解いていたハロルドが顔を上げて訊く。

 ノーラは足の骨にヒビが入っていた。

 昨日、駅で盛大に転んだのがおそらく原因。取材のためにやせ我慢していたわけではなかったらしく、そもそもケガを自覚していなかったらしい。登山で下半身を酷使したせいでケガが悪化し、病院に運ばれた時点では完全に骨折する間際だったと医者は言っていた。


「俺の料理にあたったのかと肝を潰した」

「おてんば娘の自業自得ですよ、ハロルドさん」

「取材はキミが引き継ぐのか」

「多少の義理はありますから」


 ゼンは町の子供たちと雪遊びするディアをファインダーに納めた。

 帰り際、ゼンとディアはハロルドの食材調達を手伝った。

 地元の店で肉と野菜をしこたま買って背中に担ぎ、中腹まで山を登り、それからゴンドラに乗った。眼下に広がるまっさらな雪原が日差しを照り返してまぶしく美しく、おっかなびっくり乗っていた最初がウソのようにディアは高みからの眺望を楽しんでいた。ノーラから託されたカメラでしきりに雪原の写真を撮っていた。

 そんな無邪気な様子を見つめるハロルド。

 ゴンドラの手すりに体重を預けて目を細めている。


「半竜ってのも馬鹿力なだけで、そこらの子供と変わらないんだな」

「ハロルドも山賊みたいな顔してるくせに料理得意だよな。帝都のレストランよりおいしかったぞ。今日は何を作ってくれるんだ?」

「鶏肉のトマト煮だ。昨夜、下ごしらえしておいた」

「肉だってゼン! 肉だぞゼン!」

「そうですね。肉ですね師匠」

「楽しみだぞ、ハロルドのごちそう」

「そんなに飛び跳ねているとゴンドラの底が抜けますよ」

「まさか。ウチの集合住宅(フラット)じゃあるまいし」


 ハロルドは終始強面。

 アゴに手をやる手つきなどから、照れているのがかろうじて読み取れた。

 ゴンドラががくんっ、と大きく揺れる。

 山頂に到達した。

 新雪を踏みしめて再び歩く。重い荷物を背負って歩く三人の頬を珠の汗が滑る。そこを冬の冷たい風がなでて体温を程よく冷やしてくれた。


「おかえりなさい」


 ロッジの前で片翼の竜が三人を出迎えた。



 ハロルドが昼食の支度をしている間、ゼン、ディア、片翼のシェダル三者はロッジの玄関先でロッシュローブ討伐作戦会議を開いていた。

 ロッシュローブは力による支配を好む、暴君と呼ぶに相応しき悪の竜。吐き出される強酸の息吹は浴びたものを溶かし尽くす――そうシェダルが強く語る。付け根から先の無い片方の翼が、彼の口以上にロッシュローブの残虐性を物語っていた。


「ロッシュローブを討ち滅ぼして未来への遺恨を断てるのなら、この役立たずと化したもう片方の翼も喜んで投げ打ちましょう」

「わたしたちも協力するぞ。竜が仲間になってくれるなんて頼もしいなっ」


 シェダルの義憤にディアも感化されていた。


「でも、なんでも溶かしちゃう息を吐くなんて怖いぞ」

「酸だろうが炎だろうが浴びれば即死です。僕らの竜狩りは今までどおりです」


 そんなことよりも――とゼンは続ける。


「伝説の邪竜の剥製なら博物館に大金で売れるでしょう。今回は帝都銀行の斡旋も噛んでいないので、大もうけの絶好の機会です。綿密な作戦で、そしてなるべく傷つけずにロッシュローブを狩りましょう」


 言葉の裏を読み取ったシェダルは「そうでしたね」とかぶりを振った。


「あなたがたにとってこれは仕事でしたね。生きていくための。すっかり失念していました。危うく私の無謀に付き合わせてしまうところでした」

「仕事は安全第一だ」

「大工かわたしたちはっ」


 ゼンは首にぶら下げたカメラを手に取る。


「一応の義理も果たさなくてはならない」

「撮影なら俺がしてやろう。これも何かの縁だ」


 ロッジの戸口にエプロン姿のハロルドがいた。

 煮込まれたトマトの温かい香りをまとっている。


「わかりました。報酬は僕たちとハロルドさんで分けましょう」

「こんな田舎で大金の使い道などない」

「タダ働きするヤツはたいてい無責任なんだぞ」

「なるほど、道理だ。お嬢ちゃんは本質っていうのを知っているな」

「日ごろゼンに言われてるんだ」


 報酬山分けで手を打ったハロルドはゼンからカメラの使い方を習った。

 昼食は鶏肉のトマト煮を堪能した。

 前日からワイン漬けにしてあったというモモ肉は、ほおばった途端に口の中でほころびとろけ、煮込んだトマトスープと絡み、ゼンすらも有無を言わさず頷かせた。壁越しにいるシェダルもその匂いを絶賛していたが、ハロルドに「食べますか?」と勧められるとやはり丁重に断った。


「なあ、シェダル。ロッシュローブってどんな戦い方をしてくるんだ?」

「ヤツの細い身体は飛行能力に秀でています。相手の真上を取って、そこから強酸の雨を浴びせかけるのを得意としています。ご覧のとおり、不覚をとった私は傘にして身体をかばった片翼を溶かされました」

「剣の間合いには易々と入ってこないか」

「矢や銃弾はウロコに跳ね返されるでしょうが、地上に引きずり下ろしさえすれば、枝をへし折るがごとく私がねじ伏せて差し上げましょう」

「空飛ぶ竜を落とす手段……。よしっ、軍の駐屯地から迫撃砲を借りてこよう」

「そんなものを雪山の奥地まで運ぶつもりですか、師匠は」

「ヤツは鳥のように身軽。大砲が役に立つかは疑問ですね」


 妙案が浮かぶより先にトマト煮の鍋は空になってしまった。

 皆、考えあぐねる。

 しばしの沈黙。


「こんなときにアヴィオールがいてくれたら。高慢なロッシュローブも仇敵の彼がいれば恐れおののき逃げ出すでしょうに」


 シェダルの呟きがきっかけで、にわかに沈黙が破れた。

 ゼンが「望遠鏡はありますか」とハロルドに尋ねる。


「昔、せがれに買ってやったものがある。野鳥を観察するとか洒落たことを言っていたからな。もしかしてロッシュローブの寝床を偵察しにいくのか。わかった。すぐに用意する」


 それから先ほどひらめいた作戦を三人に明かす。

 ディアとシェダルとハロルドは作戦内容を聞くや「なるほど」と感心した。

 さっそく敵地偵察の準備にとりかかった。



 打ち捨てられた石の要塞は、雪山の更に深い場所にあった。

 六角形の頑丈な城壁に囲まれ、見晴らしのよい高台にたたずむ。壁面はどす黒く汚れ、砲台は緑青のサビに侵され、尖塔は雪をかぶり、戦前よりもいかめしさを増している。中世に建設されたその石造りの城は老朽化が甚だしく、先の大戦以降、とうとう放棄されたのである。

 細身の竜が翼を畳み、城壁に寝そべっている。

 山ひとつ隔てた距離から望遠鏡で偵察されていることに気づかぬまま城の王を気取っている。鋼鉄の黒い質感をしたその竜は、一種のオブジェのような造形美で要塞を飾っていた。

 邪竜ロッシュローブ。

 正義の竜アヴィオールと差し違えたときの傷をこの地に隠れて癒している。


「要塞周辺の樹林ならシェダルの姿を隠せる」


 ゼンは望遠鏡から顔を離す。

 ディアが脇腹を指でつついてくる。


「ゼンの作戦、成功するよな?」

「師匠の力量次第です」

「そっ、そうか。わたしが肝心なんだよな……」


 ディアはぶるぶるっと身を竦ませる。

 そのとき、ロッシュローブが長い首を振り上げて吠えた。

 こだまする竜の咆哮。

 樹林で羽を休めていた鳥の群れが一斉に飛び立つ。

 雷雲のごとき唸りは波紋となり、ゼンたちの居場所まで重く響いてきた。

 ハロルドはカメラをシャッターを切って要塞の全容をカメラに納めた。


「要塞までの道案内は俺がする」

「『サナトス』の改造もよろしく頼むぞ」

「そっちも一日あればできる」


 木立に隠れていたシェダルが身を乗り出し、崖際に立つ。

 はるか遠方にいる鋼鉄の邪竜を、決意を秘めた目で見下ろしていた。


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