邪竜ロッシュローブ(2/6)
山賊は斧を木の幹に当てて氷を払う。
「また斧を氷漬けにしちまった。この寒さじゃ解凍するのも手間だってのに」
しまったな、と厄介そうに頭を掻いていた。
片翼の竜シェダルは恭しく言う。
「この吹雪では人間のあなたがたでは凍えてしまうでしょう。まずはそこのロッジでおくつろぎください。ハロルドさん、彼らにもてなしを」
「暖炉に火はくべてあります。旦那も夕食を召し上がりますか」
シェダルは「私は結構」と長い首を振った。
ハロルドと呼ばれた山賊もといきこりはロッジ脇の薪置き場に薪を置き、かちんこちんの斧を納屋に片付けてカギをかけた。それからゼンとディアとノーラをロッジに招き入れた。ディアとノーラが競い合うようにドアに駆け込み、続いてゼンが中に入った。
「わたしたちホテルを取ってるんだが」
「あの町のメシはどこもまずい。俺がとびきりの料理をふるまってやる」
暖炉に寄り集まってコーヒーを飲む三人をよそに、ハロルドは台所に立つ。
「材料は私たち――なんてことはないですよね?」
「だから俺はきこりだ」
冗談めかすノーラに彼は眉をひそめた。
「ハロルドのシチューは絶品ですよ。ぜひ堪能してください」
曇った窓に映る竜の影にディアとノーラはぎょっとした。
「シェダルは寒くないのか?」
「少々肌寒いですね、今夜は」
涼しげに答えるシェダル。
なおも訝るディアであったが、本人がそう言うのなら信じるしかなかった。
「ディアさん、ゼンさん。あなたがたの一再ならぬ活躍はこの酷寒の山頂にまで届いています。手紙にしたためたとおり、今回は竜狩りの依頼であなたがたを招きました。手紙の執筆や報酬の振込みはハロルドにしてもらいました」
竜による竜狩りの依頼。
ロッシュローブという、かつて人間に悪事を働いた竜の名が書かれていなければ、いたずらと断じて手紙を捨てていただろう。ロッシュローブは他の竜からも怖れられる悪と混沌の徒として現代でも名を馳せていたのだ。
邪竜は戯れでヒトに天災まがいの暴力を振るった。
邪竜は正義の心を持った竜に退治された。
シェダルが言うに、ロッシュローブはこの吹雪に閉ざされた山岳地帯の奥で傷を癒しつつ再起を図っているという。
「人間に味方した竜――アヴィオールと刺し違えたと言い伝えられていたが、まさかこんなところに潜伏しているとはな」
「ロッシュローブの居場所をつきとめはしたのですが、私一人の力ではヤツに太刀打ちできません。事実、返り討ちに遭った私は翼の片方を酸の吐息で溶かされました。アヴィオールの力を借りようにも、彼の行方も知れず」
アヴィオールがヒモカガミと名を変えて人里で生涯を終えたのをゼンが教えると、シェダルは心底残念がりながらも「幸福なうちに往生できたのですね。どうか安らかに眠らんことを」と彼の冥福を祈った。
「看取る者がいるだけでも幸福でしたよ、アヴィ――いえ、ヒモカガミは。不死に等しき寿命を持つ我々が死ぬのは、たいてい悲惨な目に遭うときですから」
「だとすると、お嬢ちゃんたち竜狩りは『救い』にもなるのかもしれないな」
ハロルドがシチューを運んできた。
ディアとノーラの目の色が変わり、占拠する暖炉の前から食卓に飛んでいった。
古いランプが照らす薄暗いロッジでゼンたちは彼のごちそうを平らげた。山賊と見紛う風貌のきこりの料理がまことに絶品であったのは、ディアの満足げな表情が言葉に代わって証明してくれていた。
四枚の皿は底の残りすらパンで拭われている。鍋も翌朝の雪解け水で洗うのにそう手間はかからないだろう。狩猟道具の手入れをするハロルドは直接口にこそださないものの、まんざらでもなさそうだった。
「お嬢ちゃんのおっかない得物もついでに直してやる」
翌日は屋根の霜が解けるくらいの晴天だった。山頂にふたをしていた分厚い雲はことごとく消え去っており、清々しい青一色の空であった。冷たく澄んだ空気がゼンたちの眠気をさわやかに覚ましてくれた。
ハロルドが異形の大剣『サナトス』を分解してバネに油を差してくれている間、ディアはゼンを無理やり外の引っ張り出して雪遊びの相手をさせていた。丸めた雪を投げ合うも、どちらもちっとも命中しなくて埒が明かなかった。
「手加減したろゼン。わたしにはお見通しなんだぞ」
「僕が当てたら当てたで拗ねるでしょう、師匠は」
「なら避けるな。潔くマトになれ」
「にこにこ笑顔の師匠に好き勝手に雪玉をぶつけられるなんて僕のプライドが許しません。断じて許しません」
「じゃあわかった、譲歩するぞ。わたしは雪を当てられても怒らない。その代わりゼンは避けるな。これでいいだろ」
ディアが大きく振りかぶって雪玉を投げる。
まっすぐ飛んだ雪玉はゼンの顔面で炸裂した。
決戦の火蓋が切られた。
タバコを吸おうと外に出てきたハロルドが目にしたのは、へたり込んで鼻水をすする半竜の少女と、雪まみれと化したポニーテールの青年であった。
「約束どおり避けませんでしたよ。それ以外は全力でしたが」
「大人げないぞ。ゼンはホントに性格悪いな」
「だからイヤだったんですよ」
二人の上に大きな影が落ちる。
「仲良く遊びなさい」
片翼の竜になだめられた二人は協力して雪だるまをつくることにした。
ゼンが雪を転がして胴体と頭をつくる。
ディアが胴体に頭を乗せて、炭で顔を描く。
「師匠、それは福笑いですか?」
「福笑いってなんだ?」
日光で表面が少し解け、片目が剥がれ落ちる。
「僕の故郷のおめでたい遊びです」
「よくわからんが、たぶんわたしをバカにしてるな」
ディアの疑る視線がゼンに向けられる。
「もっと芸術性というか、美意識を磨くべきかと」
「あっ、勝手にいじるなって。これが一番かわいいんだよ。もうっ」
ずらされた口の位置をディアは即座に元通りにする。
よほどのこだわりがあると見たゼンは、それ以上の難癖をよした。
「頭に乗せたモミの枝の意図は?」
「ポニーテールだ」
「は?」
「じゃーん。実はこれ、ゼンの雪だるまなんだぞ」
じゃーん、のところで八重歯がむき出しになるくらいの笑顔を見せる。
「ゼンのためにがんばったんだぞ」
物欲しげな上目遣いのディア。
明らかにご褒美をねだっている。
自分の粋なプレゼントでゼンが喜んでいると、そしてそのお礼をくれるであろうと信じて待っている。普段は子ども扱いされるとふてくされるくせに、こういうときに限って少女らしいしぐさを振りまくのがディアであった。しかもその相手がおおむねゼンに限定されるあたりがまたいじらしい。
――ありがとうございます師匠。とても嬉しいです。
そんなそっけない一言ですら彼女は溶けるくらいの笑顔になる。
ゼンは隣の不細工な雪だるまに視線を移す。
脳天串刺しのモミの枝が山頂の新鮮な微風に揺れている。
いくら凝視しても自分の姿と重なりはしない。
突風で雪だるまのポニーテールがちぎれた。
頭上で片翼の竜が笑いを堪えていた。
「失礼。あなたがたの仲睦まじさについ。鼻息程度で吹き飛ばしてしまうなんて、竜はなんと不便な身体になってしまったのでしょう」
ハロルドが口からパイプを離す。
「シェダルの旦那は所帯を持たないんで?」
「不死に等しき命を持つ我々に種の保存は無意味ですからね」
「俺にはよくわからん理屈ですな」
「前につがいの竜と会ったことがある」
ディアの罪悪感にじむ顔から察したらしいシェダルは、返事をしなかった。
ハロルドが腰を上げる。
「お嬢ちゃんの武器の手入れは大体終わった。あとは手に馴染むように微調整するだけだから取りにきてくれ。あんなバカでかい剣、俺じゃ到底持てやしない」
そうしてロッジに戻った三人が見たのは、床に倒れ伏すノーラだった。




