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邪竜ロッシュローブ(1/6)

 諸君ならあの悪辣なるロッシュローブを懲らしめてくださると信じております。


 竜狩りのディアどのとゼンどのへ

 シェダル



 遠い冬の地から届いた手紙の文末は、そう締めくくられていた。



 竜狩りの依頼を受けたゼンとディアは大陸北西へと旅立っていた。

 寝台列車で三日もかかる、久しぶりの長旅であった。

 近頃は帝都周辺での仕事が多かったため、二人の一か月近くの不在を知らされたカタリナはひどく悲しんだ。最初はあからさまにやせ我慢して二人の旅立ちを応援していたが、いよいよその前夜になると限界に達し、せきを切ったように涙を流してゼンの胸で泣きじゃくったのであった。


「あのとき気を利かせて部屋を出てやったけど、わたしがいなくなってから二人きりで朝まで何してたんだ?」

「気を利かせてくださった師匠がそれを言いますか」


 微妙に噛み合わない会話をしていると、ノーラがカメラを携えてコンパートメントに戻ってきた。


「私としたことがうかつでしたよ。命の次に――いえ、命より大事なカメラをあろうことか食堂車に置き忘れてきてしまっただなんて! もっとジャーナリストとしての自覚を持たないと!」


 ファインダーを覗き、車窓に流れる針葉樹林を背景にゼンとディアを撮影した。

 渋々二本指を立てる竜狩り二人の写真がノーラのアルバムに加わるのだろう。


「せっかくだからこれまでの竜狩りの旅を小説にして出版してみましょうか。このノーラの手にかかればベストセラー間違いなしですよ。新聞記者で小説家とかめちゃくちゃカッコイイです!」


 針葉樹林の流れる速度が徐々に遅くなっていく。

 ディアが固い車窓をめいっぱい押し上げると、冬の冷気をまとった強風がコンパートメントに吹き荒れて、カーテンやらシーツやらゼンのポニーテールやらを暴れさせた。車窓から半身を出したままのディアは「駅が見えてきたぞ」と大はしゃぎしていた。

 ゼンに腰をつかまれて「いい加減にしてください」と窓から引っこ抜かれる。

 いたずらっぽくほくそ笑んでいるディア。

 ゼンが後ろを向いた隙を見計らい、隠していた雪のかたまりを彼の首筋に当てた。そのとき彼が見せた反応が予想していたもの以上だったらしく、ディアはいたずらの大成果に腹を抱えて大笑いした。


「いつか師匠にこっぴどい仕返しをかましてやるぜ――って顔してますよ」


 雪かぶりの樹林生い茂る雪原。

 日差しを照り返す雪の白がまぶしく、ささやかな装飾とばかりに草木の緑がまばらに散っている。ぽつぽつと点在する人家が物寂しい。道路か獣道かも判然としないところではシカが草をはんでいる。

 最果ての白き世界に列車は到着した。



 薄く雪の積もったプラットホームは、乗客たちがあらかた駅を出る頃には足跡まみれになっていた。雪に足を滑らせて盛大に尻餅をついたノーラが腰を痛めてしまい、静寂が訪れてからもしばらく三人ともベンチで休んでいた。制服姿の駅員たちが列車の転換作業をしているのを黙って見物していた。

 ゼンは地図を広げる。

 駅の付近にちっぽけな田舎町があり、そこから樹林の脇をなぞるように引かれた街道を進むと険しい山がある。その山の頂上あたりに赤いインクでしるしがつけられている。しるしの意味は不明。依頼主が手紙に同封してきたこの地図は、まるで子供が描いた宝探しの地図のような、だいぶ抽象的なものだった。土地勘の無いゼンたちは市販の地図と比較して順路を計画した。


「この頂上の赤いしるしって」

「竜の居場所でしょう」

「しっかし、不親切な地図だよな」


 ディアが文句をつく。


「依頼主――シェダルさんはどこにお住まいなのでしょうね」

「消印はこの町だから手当たり次第さがせばいい。どうせ小さな町だ。住民全員身内みたいなものだろう」

「そうしたいのは山々なのですが、腰を痛めちゃって」

「ならこの折り返しの列車に乗って帰れ」


 ノーラに宝の地図を押しつけたゼンは駅長室で電話を借りた。霜を思わす白ヒゲの駅長は、遠路はるばるやってきた異国の剣士に喜んで電話を貸した。受話器を取ったゼンはバルシュミーデ伯爵家に取り次ぐよう交換手に告げた。

 受話器の向こうの彼女が安堵しているのは声色でわかった。ディアとノーラも息災だと伝えたが、興奮気味にまくし立ててくる彼女の耳に果たして届いたのかは怪しかった。カタリナはゼンが不在の数日間で起こった他愛無い日常を語り聞かせ、その対価として寝台列車での旅路を話せとせがんできた。おてんばなディアとノーラのおかげで、口下手なゼンであっても旅の思い出話には事欠かなかった。


「ごめんねゼンくん。あの夜、泣き疲れてベッド借りちゃって」

「床で寝たせいで翌朝は身体の節々が痛かった」


 カタリナは黙り込む。

 ゼンは「だが、まあ」と咳払い。


「僕のせいで泣いたのならしょうがない。僕の自業自得だ」


 プラットホームに戻る。

 ノーラが老人みたいに腰を曲げながらおぼつかない足取りで歩いている。


「僕は、こういうのは不慣れだ」

「奇遇ですね。このノーラも寒いのは苦手なんです」


 雪に隠れた新聞紙を踏みつけてしまい、また足を滑らせてしまったノーラ。

 腰にとどめの一撃を食らう寸前でディアが助けた。



 駅から歩いて間もない場所に小さな町はあった。

 予約していた安ホテルに荷物を置いてから、郵便局でシェダルなる人物の所在を尋ねにいった。ところが三人の思惑は裏切られ、その名に聞き覚えのある局員はいなかった。竜狩りの依頼というわけで特別に名簿を確認してもらうも、やはり甲斐なく終わった。それどころか、このあたりに竜がいることすら誰一人として知らないという。

 薪ストーブの中で炎が赫々と揺らめく。

 はぜる薪。

 散る火の粉。

 古い壁や床に炎の影が躍る。

 局員たちは訝る。

 ゼンたちは立て付けの悪い扉を軋ませて寒空の下へ退散した。


「タチの悪いデタラメだったんですかね」

「なら儲けものだ。なにせ前払いで大金が口座に振り込まれているからな」


 その額を耳にしたカーレンベルクのご令嬢は「それって相場より高いんですか?」と嫌味なく首を傾げた。


「やっぱこの地図のしるしに手がかりがあるんだ。ゼン、ノーラ、出発するぞ」

「明日にしましょう。もう日が暮れます」


 山賊かと見紛う無精ヒゲの大男が立ちはだかったのはそのときだった。

 手には薪割りの斧。背中には薪を山ほど積んでいる。

 仰天したノーラが素早くゼンの背後に隠れる。


「お前たちが帝都の竜狩りか。旦那からは二人組だと聞いていたが」

「私は新聞記者――を目指しているノーラ・カーレンベルクと申します」


 合点がいった山賊はきびすを返す。


「シェダルの旦那がお待ちだ」


 ついてくるよう背中で促してくる。

 後に続こうとするゼンの袖をディアとノーラが引っ張る。


「山賊かマフィアのアジトに連れてかれるんじゃないか」

「俺はきこりだ」

「きこりのアジトに連れてかれちゃうんですよきっと」

「俺が取って食うのはシカやイノシシだ。少なくとも俺はな。旦那が普段何を食べているのかは知らん」


 二人は震え上がった。



 山賊に案内されるままゼン、ディア、ノーラは雪山を登る。


「あたっかいな携帯カイロ。山賊はいいヤツだったぞ」

「俺はきこりだ」

「山賊さん。シェダルさんはこんな山奥に住んでいるんですか?」

「俺はきこりだ」


 分厚い編み上げ靴で雪を踏みしめ、ゼンたちが歩きやすいように道をつくっていく山賊。

 左右の樹林は凍てついている。

 酷寒の世界でも動物たちの息遣いを感じる。

 どの枝にもおびただしい数のつららが垂れており、さながら氷のカーテン。いたずら心を再び刺激されたディアがつららの一本をげんこつで折る。その瞬間、連鎖して周囲のつららが一斉に地面に降り注いで樹林を騒がせた。三人から非難のまなざしを一斉に浴びたディアは「すまん……」と謝った。

 中腹から頂上まではゴンドラで移動した。

 さびまみれのずいぶんと古いゴンドラで、まず発電機の悪魔のような唸りがディアとノーラを戦慄させた。乗り込んだゴンドラが動き出すと、狭いカゴは雪をまとった風にあおられ、ケーブルと滑車の擦れる不快音が鳴り続けた。頂上へ着くまで二人は、断頭台への階段を上らされているような面持ちをしていた。

 ゼンと山賊は眼下に広がる宵闇の雪原を眺めていた。

 駅と町のぼんやりとした明かり。ふもとの更に小さな灯火は山賊の家だという。

 この明かりが帝都のように大地を覆い尽くすにはまだまだ年月が必要だった。



 雪山の頂上はこの大地で最も見晴らしのよい場所だった。

 周囲を地平の果てまで見渡せる、全能の神になったのを錯覚する視点。

 冬空の満月すら近く感じる。

 そんな場所でゼンたちを待ち受けていた者がいた。

 シェダルだろうか。

 見当をつけるゼンたち。

 シェダルらしき者はロッジの前で吹雪を浴びながらたたずんでいる。片方しかない巨大な翼を傘の代わりにして胴体に吹雪が当たるのを防いでおり、鋭い牙の生えそろった口からは白い息が呼吸に合わせて吐き出されている。


「はるばるようこそ、竜狩りたち。私が依頼主のシェダルです」


 シェダルは片翼の竜であった。

 地図の赤いしるしがついた場所にゼンたちは立っていた。

 いつの間にか山賊は薪を下ろして斧を握っていた。

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