一角竜ゾスカ(1/4)
一角竜の名に相応しく、額に生えるらせん状のツノがその竜の特徴であった。
一角竜が背中の大翼を羽ばたかせて強風を起こすと、立ち向かっていた自警団の男たちは紙くず同然に吹き飛ばされて断崖から転げ落ちていった。
弓や猟銃を構えて果敢に立ち向かっていた男たちは、先陣を切った仲間たちが容易く蹴散らされたのにおののいて退く。
狭い山道を通せんぼする肥満の一角竜は、彼らが退いた分だけ前進して追い詰める。頭を下げて突進の姿勢を取り、らせんの一角を水平に構えた。
尖った先端が自警団たちを戦慄させる。
闘牛を髣髴とさせる光景であるものの、竜が相手では人間側の分が悪すぎる。
闘牛は闘牛士を魅せるためのショー。
竜狩りの場合、おおむねその立場は逆転する。
自警団の男が猟銃を発砲するも、弾丸は竜の強固な鱗に弾かれてむなしい音を立てる。
その程度か?
一角竜は悪魔的に口の端を吊り上げた。
地響きを伴った竜の豪快な突進により、逃げ足の遅かったその男が犠牲となる。モズの速贄みたいに男を串刺しにしたまま一角竜がツノを掬い上げると、残された八人のうちの三人が軽々と宙を舞って崖下に転落した。
最新鋭の兵装で挑む帝国軍ですら手こずる竜に田舎の自警団が立ち向かうなど、1000年の寿命に飽きた彼らの暇つぶし相手が関の山であった。
「剣士さん、頼む」
金縛りに遭っていた自警団の若き団長が声を絞らせてゼンに助けを乞うた。
ゼンが静かに鯉口を切る。
「取り分は出発前に話したとおりです」
「なんでもいいからあいつを殺してくれ!」
恐怖に負けた団長はたまらず叫んだ。
ゼンが抜刀する。
柄頭から鍔、刀身を経て、切っ先までことごとく黒い太刀『善』が全容を現す。
吹き抜ける、黒い気配をまとった微風。
風下にいた一角竜が異変を察して身じろぎする。黒刀を携えたポニーテールの青年が最前線に立つなり傲慢な王の態度はなりをひそめ、命がけの闘争心をむき出しにした。
本能で悟ったのだ。
今より戯事は終わり、死闘へと移ったのを。
ゼンは残酷に宣告する。
「動くな。さもなくば苦悶の末に死ぬ」
そして疾駆する。
一騎打ちの火蓋を切る突風が狭い山道を吹きぬけた。
激しくはためくポニーテール。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
水切りの石さながら地面を低空で跳ねて俊敏に距離を詰め、まばたきすら許さぬ間に一角竜の鼻先まで至る。
目にも止まらぬ動きに竜がたじろいで後じさりする。
刹那の攻防におけるその迷いは竜の敗北――つまりは死を決定付けた。
黒き一閃。
すれ違いざまに薙がれた黒刀が竜の首を裂く。
風と一体になって竜の真横を駆け抜けたゼンは「終いだ」と太刀を収めた。
カチッ。
刀の鍔が音を鳴らして静寂を破る。
急所を衝かれた一角竜がその音を合図に時間差で悶え苦しみだし、振り回した大翼やしっぽが山肌を叩いて落石を起こした。頭上から転がり落ちてきた大岩の雨が一角竜の上に降り注ぎ、瀕死の竜を押し潰した。
落石に呑まれながらも、らせんのツノには傷ひとつついていなかった。
轢死した一角竜は仲介業者によってふもとの村まで運ばれて解体された。
鉈を持った仲介業者たちは高値のつく部位を手際よく剥ぎ取って木箱に梱包し、貨物自動車の荷台に乗せていく。そして指定の口座に後日報酬を振り込む旨をゼンとディアに告げ、排気ガスとエンジンの騒音を撒き散らしながら去っていった。
終始ご機嫌であったフロレンツも「残りの一体も首尾よく頼みますよ。手こずったとしても、ツノだけは決して折らないようお願いします。まあ、人間の武器で傷つく代物ではないですから杞憂でしょうけど」と念を押し、自動車に乗って近郊の都市に引き返していった。
村の広場に残されたのは、爪と鱗を剥がされツノと牙を抜かれ、眼球をくり貫かれた無残な竜の死体であった。
ゼンたちは報酬を得られ、村人たちは生贄を要求する邪悪な竜から救われた。
分配としては公平であろう。
竜の肉は豚や牛に比べて筋張っており、美味とは程遠い。
とはいえ一匹仕留めればその巨体から大量に食料を得られる。燻製にすれば冬を越すための保存食として重宝する。ゼンとディアは竜の肉をいくらか村の主婦たちにわけてもらった。
栄養が多分に含まれている肝も塩漬けにされた。
村人たちがおっかなびっくり近寄って観察していた一角竜の死体は、日が暮れるころには骨だけになっていた。その骨すら建物や道具の部品として加工されるという。
その晩は村で宴が催され、竜の肉が振舞われた。
「祝杯だ。今夜はめいっぱい飲んでくれ」
篝火が明るくする広場で男たちが勝利の美酒に酔いしれている。女性や子供たちがひっきりなしに料理と酒を運んでくる。シラカバの粗末なコテージが点々と建つ寂れた村は、今夜ばかりは陽気な音楽が絶えなかった。
「それにしてもお嬢ちゃん、あんたのお弟子さんはすごいな」
酔いどれの団長に背中を叩かれたディアは咳き込みながら「は?」と首を傾げる。彼のせいで羊のミルクをこぼしてしまったので、あからさまに迷惑がっていた。
「あのポニーテールで黒いカタナを持った風変わりな剣士さんだよ。俺たち自警団が束になっても敵わなかった一角竜ショルトを容易く葬りやがった。お嬢ちゃんも半竜なんだから、見た目は子供でも実は一騎当千の剣豪なんだろ?」
「ああ、ゼンか。あいつは弟子っていうより子分だ。わたしが剣術を教えたわけじゃないぞ。いっとくがわたしは剣術なんてぜんぜんさっぱりだからな」
「じゃあ、お嬢ちゃんは何の師匠なんだ?」
「別に何の先生でもない。立場的にわたしがえらいから、なんとなく呼ばせてるだけだ。っていうかお前、酒臭いぞっ」
これ以上酔っ払いに絡まれては鬱陶しくてたまらない、とディアが席を立って逃げだす。束縛から解放されたのを見計らった子供たちが彼女の手を引き「遊んでよお姉ちゃん」とせがみながら遊びの輪に引き込んでいった。
「アンナ、そんなに手を引っ張るなって。ルイーズも暗いんだから走ると転ぶぞ――って言ったそばから。まったく、お前はおっちょこちょいなんだから」
クセっ毛の女の子が足を絡めて前のめりに転ぶ。膝を擦りむいた彼女は「えへへ」と笑ってごまかしながらディアの手を借りて起き上がった。
ルイーズってば相変わらずのろまなのね。
大人の誰かがそう言った。
冗談めかしてではなく、心底小ばかにしたふうに。
「目を見張る太刀筋だったぜ」
ディアに逃げられて、団長の話し相手は自然とゼンに移った。
ゼンの隣の席に腰を下ろした団長は、彼の杯に白濁とした酒を注ぐ。
「明日の狩りも頼む」
「残された兄竜の方ですか」
「弟竜ショルトは尖兵に過ぎん。兄弟竜の兄、ゾスカが諸悪の根源だ」
それから自分の杯にも並々と注ぎ、一気に煽ってまた注ぐ。
「村に生贄を要求し、拒めば暴虐を働く。帝国政府に助けを要求してもとんと音沙汰がない。自警団は壊滅し、雇った他の竜狩りたちも返り討ちに遭った。残された希望はあんただけなんだ」
ムシのいい話かもしれんが、頼みがあるんだ。
団長はそう続ける。
「ゾスカの死体は俺に……俺たちに譲ってくれ」
「お断りします」
「ゾスカには数え切れないほどの仲間を喰われた。生贄に差し出された者、戦いで命を落とした者……。俺は左目を奪われ、残された右目で見たのは女房をゾスカに噛み千切られて臓物を啜られる光景だった。その挙句、俺は――いや、とにかくヤツを血祭りに上げないかぎり、逝った者たちの無念は晴らせない。今度は俺たちがヤツを喰う番だ」
眼帯を脱ぎ捨てる。
さらされた左目には生々しい傷跡が残っていた。
皺になって濃くなった皮膚が痛々しい。
深酔いのせいか武者震いのせいか、杯の水面が震えている。
宴で盛り上がっていた広場が、気がつくと水を打ったように静まり返っている。
料理を運んでいた女性たちも、談笑していた男衆も、追いかけっこしていた子供たちも、一様に団長とゼンの会話の成り行きを遠巻きに見守っている。
聞こえるのは篝火のはぜる音のみ。
「俺たちが囮になってお前の盾になる。残された自警団員はもはや失うものなど何もない、からっぽの連中だ。お前の妙剣に惚れた今、俺たちの命はお前に預けたも同然なんだ」
「正直言ってじゃまです。さっきの狩りでもあなたの仲間が進路をふさいでいたせいでカタナを抜けませんでした。無駄死に犬死にです」
「蔵の宝を好きに持っていってくれ。辺ぴなトコにある寂れた村でも、役に立つ物がきっとあるはずだ。刀剣の類は研げばよみがえる。若い娘たちだってお前の妻になら喜んでなってくれるさ」
「仲介業者からの報酬と同額以上を支払ってくれるのなら検討します」
今のゼンは『取り付く島もない』のお手本であった。
にべない対応に団長は歯軋りする。
投げ打った杯が篝火にくべられ、炎を燃えさからせる。
一触即発の張り詰めた空気。
隻眼で睨みつけてくる団長など意に介さず肴を平らげたゼンは、平行線を交わらせる素振りすら見せぬまま席を立つ。
「当初の約束どおり、兄竜ゾスカの死体処理は帝都銀行の斡旋した仲介業者に任せてもらいます。剥製にするとのことなので、鱗の一枚すら渡せません。……団長、僕らを正義の勇者と勘違いするのをいい加減あらためてください」
「お前には人情ってものがないのかっ」
そう叫んだのは団長ではなく、後ろで話を聞いていたディアであった。
彼女の顔は真っ赤で、目が据わっている。しゃべり方もろれつが回っていない。
手には白い液体の入ったコップ。羊のミルクで泥酔なんてするはずがない。
相当酔いが回っているディアの身体は左右に揺れている。子供たちに支えてもらえっていなければとっくにひっくり返っているだろう。
思いもよらぬ人物からの加勢に団長まで目をしばたたいている。
「これはわたしたちの竜狩りである前にっ、村人たちの敵討ちなんだぞ! この人たちの気持ちを汲んでやるのが道理と義理ってものだ!」
大股で踏ん張り、握りこぶしを高らかに振り上げて主張する。
「借金完済からまた遠退きますよ」
あえて『また』を強調して牽制するゼン。
「いいっ! 構わんっ!」
正義の勇者によって小ざかしきポニーテールの剣士は蹴散らされた。
ディアはコップの酒を一気飲みし、すぐさまむせて涙目になった。
白けるゼンをよそに、村人たちは彼女の器の大きさに感服していた。村人たちが一様に彼女を誉めそやすので、ディアはますます調子に乗ってしまった。こうなってしまってはもはやゼンが悪者であった。
「ゾスカのツノはもらいます。それだけは譲れませんからね」
彼女の感情論に振り回されるのは日常茶飯事であったから、ゼンの諦めは早かった。