おそろい(1/1)
その狩りはアウグスト大佐なりの配慮であった。
断崖の岩場は見晴らしが悪く、そこかしこに隠れる場所がある。むろん、狩猟側であるゼンやディアにとっても活用できるものであるが、どちらかというと地の利は駆られる側である黒狼たちのほうに大きく分があった。
岩陰からの尖兵の急襲。
その一番槍はディアが作動させたバネ式大剣『サナトス』の一撃によって無残に肉片と散る。仲間の犠牲を払って得た隙をつき、伏していた残りの黒狼たちが四方からディアに躍りかかってくる。鋼の刃をケースから突出させてしまったディアの大剣は、そこかしこに岩石が転がるこの狭い場所では上手い具合に振り回せない。剣を一旦捨てて拳闘で応戦せざるを得なかった。
つかんで投げ飛ばす。
至近距離まで引きつけてから、強烈な突き上げを見舞わしてアゴを砕く。
片足を軸にした、遠心力の乗った蹴り。鉛の仕込まれた靴のつま先が頭部を破壊する。
投石で眼球を的確に潰す。
――背中の退化した竜翼さえなければ、外見は10代前半の女の子。
ドーナツや白身魚のフライを食べてあどけない笑顔をしている普段の彼女は、戦いの場においては鬼神をその背に宿す。半竜の並外れた身体能力は人間はおろか、ときには竜すらも圧倒する。
互いの巻き添えを避けるため、ゼンは離れた位置に移動していた。
化け物じみた大きさのサナトスに比べれば、太刀は狭い場所でもある程度自由が利く。巣を暴かれて死に物狂いで抵抗する黒狼たちを、彼は一匹ずつ着実に斬り伏せていった。微風になびく柳を写したしなやかな動きで白刃を閃かせ、獣の鮮血をほとばしらせていった。
果物を選り分けるよりも淡々と捌かれていく黒き獣たち。
日常の底に沈殿していく殺しの衝動を、ゼンは害獣相手に解消していく。
「易いな」
断崖にこだまする乾いた発砲音。
遠くのほうではアウグスト大佐率いる帝国軍の部隊が黒狼を掃討している。オスがおとりになっている間に逃げ出した子供やメスの始末が彼らの役目であった。
黒狼掃討作戦は日が暮れる前に片がついた。
ゼンとディアを乗せたアウグスト大佐の軍事車両は、古い敷石の道を走って付近の町へ立ち寄った。大佐はレストランで二人にディナーをごちそうした。牧歌的な田舎町に似合う、樫とレンガの家庭的な店であった。
「お手柄ですぞ。ゼンどのにディアどの」
二人の活躍に大佐はご満悦であった。
「金で雇った民間人はたいてい質が悪く、つまらぬケガや仲間割れで足を引っ張って困らせるばかり。その点において貴公らはほとんど無傷で、しかもたった二人で片付けた。これで鉄道の敷設工事がはかどりますぞ」
「なら報酬をもっと奮発してほしいぞ大佐。これっぽっちじゃ借金返済の前に生活費と武器の手入れですっからかんだ」
「これでも普段の4倍支払っておるのですぞ」
世知辛い現実を直視してしまったディアは形容しがたい顔で絶句した。
「安心してください師匠。借金返済の分はすでに差し引かれています。明日は少しぜいたくしましょう」
「スープにベーコンが入るんだな」
「ハムとサラダも添えますよ」
ディアは意気を取り戻して狂喜した。
「今夜はステーキを堪能なされ」
不憫な竜狩りたちのグラスに大佐はぶどう酒を注いだ。
料理が運ばれてくるまで間、アウグスト大佐は世界情勢にまつわる話題を振ってきた。西大陸における石油利権での共和国との対立について意見を求めてきたが、二人の関心はもっぱら厨房から漂ってくるガーリックの芳ばしいにおいであった。話題を『あの』エトガー・キルステンに変えるとゼンと大佐は意気投合したが、今度はディアが蚊帳の外になってしまった。
「ところで貴公らは銃を使わんのですかな」
「竜の鱗の前では鉄砲など役に立ちませんし、人間相手には威力が過剰です」
「わたしのでっかい剣やゼンの黒いカタナなら竜を斬れるし、人間は見ただけでびびって逃げてくから都合がいいんだ」
「ふーむ、確かに。ディアどののような幼子が身の丈もある剣を振りかざしてきたら、野盗も一目散に逃げるでしょうな。貴公らなりの矜持かと思いきやなるほど、そういった理屈だとは」
納得げに頷きながらヒゲをなでる大佐。
グラスのぶどう酒を飲み干す。
「竜に生身で立ち向かう貴公らの度胸はまこと尊敬に値しますぞ」
この時世、個人で竜狩りを生業にする者など借金で首が回らなくなった落伍者か、そうでなければよほどの命知らずである。とりわけ、剣で真っ向勝負を挑む輩などゼンとディアくらいであろう。
「今の竜狩りは大半がボディガード会社が請け負っていますからね」
彼らは依頼があれば軍顔負けの武装と頭数で竜に挑む。木々に張り巡らせた金属の網で罠にはめ、竜翼を絡めとったところに毒物注射を打つのが定石。互いの誇りを尊重した決闘など、竜が神聖な存在であった数世紀も過去の慣わしなのである。
「諸君に竜狩りを依頼する者たちは、無意識に英雄を求めているのでしょうな」
「おおっ、わたしたち英雄なのか!」
「支払いが安く済むからですよ。お手ごろ価格の英雄なんです、僕らは」
ゼンは冷めたスープを口に含んだ。
「おまちかねがきましたぞ」
厨房から老婦人がメインディッシュを運んできた。
待ちかねた饗宴であった。
「あっ、そういえば」
三人のステーキがテーブルにそろったところで、ディアがおもむろにポケットを漁りだす。そして取り出した『何か』を両手で包み込み、ゼンとアウグスト大佐の前に差し出す。手品でも始まるのかと二人は彼女の手を凝視した。
むじゃきさが見え隠れする、白い歯をさらした笑み。
「黒狼の巣から帰るとき、こんなすごいの捕まえたんだぞ」
ばっと両手が開かれ、中から小さな生き物が勢いよく飛び出してきた。
「ほらっ、真っ赤なバッタだぞ! きっと新種――」
アウグスト大佐の素っ頓狂な悲鳴でディアの声はかき消された。
赤いバッタに鼻に飛びつかれた大佐は、のけぞった勢いでイスごと倒れてしまう。そして転んだときにつま先でテーブルを蹴り上げてしまい、テーブルのメインディッシュは無残に床にぶちまけられた。
ひっくり返ったテーブル。
散乱した料理にぶどう酒。
飛び跳ねる赤いバッタ。
卒倒した小太りの軍人のそばをステーキのソースが垂れていく。
取り返しのつかぬ惨事。
ポニーテールの剣士と竜翼を生やした少女は、悪夢のごとき凄惨たる有様を前にして呆然とするしかなかった。
翌朝、赤いバッタは野に帰された。
大自然を自由に跳ねるそれを、ゼンとディアは空きっ腹をなでながら見送った。
「あのバッタ、新種だったかもしれないぞ。わたしたち昆虫博士になれたかも」
「そうかもしれませんね。さあ、帰りましょう」
「ステーキ食べたかったな」
「店主は焼き直すと言ってくれましたが、アウグスト大佐が白目を剥いて気絶してしまった手前、のんきに食べるわけにもいきませんでしたし」
「それにしても大佐は人間できてるよな。あんなことしちゃったのに『結構、結構。子供は元気なくらいが結構ですな!』って笑って許してくれたんだから。わたしたちも見習わないと。まあ、わたしは100歳超えてるんだが」
「師匠は見習う前に反省してください」
懐中時計に目をやると、列車の出発時刻が迫っていた。
野原を後にして駅へ向かおうとした二人であったが、ゼンがふと違和感に気づいてディアの肩あたりを指差した。
「リボンはどこへ?」
ディアが左肩に手を触れる。
肩にかかった、さらさらとした髪の上を指の腹がすべる。
髪の房を作っていたはずのリボンが片方だけなくなっており、ディアのお気に入りだったふたつ結びの髪型は格好の悪い左右非対称となっていた。
背中にまで手を伸ばして手探りでリボンをさがしていたディアは、次に足元を見渡す。どこにもないとわかると、瞳の水面を波打たせてゼンに向けて助けを乞うてきた。
「リボン、ほどけちゃったみたいだ」
「どこでほどけたか心当たりは」
「そんなのわかるわけないだろ」
「木の枝に引っかかったのかもしれません」
来た道を戻りながらリボンをさがすも甲斐なく終わる。目立つ色をしているから鳥が運んでいったのかもしれない、とディアは木の枝に飛び乗ってそこら中の木々を渡っていったが、結局のところ小鳥たちの歌をじゃましただけであった。
列車の甲高い汽笛の音が遠くから響いてきた。
「わたしは汽車に乗らないぞ」
「諦めましょう」
「なんでそんなこと言うんだよ!」
「ないものはないのです。失せ物とはそういうものです」
「だって、あのリボン、ゼンが」
ゼンが誕生日にくれたものだから。
そう言いたかったのだろう。
涙ぐむディアはぺたん、とその場に座り込む。
「帰るなら一人で帰れよ」
そう拗ねておきながら服の裾を握って離さない。
ふたつの水晶の海は洪水の瀬戸際。
震える口も必死に食いしばっている。
顔は耳まで真っ赤で、いつ決壊してもおかしくなかった。
「師匠はいつも僕を困らせる」
ディアの背中に回ったゼン。
彼女の髪に触れ、片側だけのリボンをほどく。
解き放たれて背中に散らばる長い髪。
ゼンは彼女の後ろ髪を大きな房ひとつにまとめてリボンで結った。
「これで我慢してください」
ディアは後ろ手にポニーテールに触れる。
「僕とおそろいですので」
黒い列車が二人の横を猛烈な勢いで通り過ぎ、落ち葉や土ぼこりを巻き上げるほどの風を置いていった。
列車の折り返し作業に支障が出て発車時刻が遅れたおかげで、二人は運よく乗車に間に合った。
プラットホームに駆け込んで、車掌が今まさに車両の扉を閉めようとしたところに二人は転がり込んだ。空いていたコンパートメントに腰を下ろしてからもしばらくは二人とも息が上がったままであった。
汽笛が鳴る。
ゆっくりと後ろに流れていく田舎町の風景。雑草が生い茂る野原のどこかで赤いバッタは飛び跳ねていることだろう。
窓際を陣取るディアの熱を帯びた吐息が車窓を曇らせる。
ガラスに映る、上気した頬。
列車が帝都に着くまでのそう短くはない時間、彼女は窓を鏡にして終始ごきげんでポニーテールをいじっていた。隣のゼンはペーパーバックを読みふけっていた。
後日、アウグスト大佐から一通の手紙が届いた。
封筒には便箋と共にディアのリボンが同封されていた。
――小生のヒゲに結んであったため、返却仕り候。
〈『おそろい』終わり〉




