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国境線警備(3/4)

「命拾いしたでござるな『マゲ』の青年。マスターに感謝するでござる」

「では、私たちは帝都観光としゃれ込みますので。申し遅れましたが、入国許可は事前にいただいていますよ。アウグスト大佐、ミス・バルシュミーデ、そして異国の剣士さん、ごきげんよう」


 慇懃無礼なボウアンドスクレープ。

 エトガーとエクレールは人は帝都の方角へと優雅に去っていった。



 観光日和の午後。

 共和国の貴族と半竜の女の子は、旅の楽団の演奏が流れる噴水広場でドーナツを食べた。口のまわりをチョコレートで汚したエクレールが、露店の安っぽい土産物を指差して彼にねだる。エトガーはそんな彼女を微笑ましげに見つめていた。その後は映画館へと足を運んだ。マーガレット・ノキア原作の恋愛映画を二人は観た。エクレールのあどけない寝顔をエトガーは微笑ましげに見つめていた。そして今、帝都百貨店で水色のワンピースを着て大はしゃぎするエクレールを、エトガーは微笑ましげに見つめている。

 そんな二人の動向をゼン、カタリナ、フロレンツは物陰から終始窺っている。


「まるでスパイみたいだね。ドキドキするよー」

「ええ、まあ……。ところで、お嬢さま――」

「スパイはあいつらだ」


 オペラグラスを覗きながらゼンは、白身魚のフライを片手で口に放り込む。


「観光を建前に、帝国の機密入手を画策しているのは明らかだ。政界への影響力を確固たるものにするため、キルステン財閥が共和国に手を貸したのだろう。名門貴族の放蕩息子だなんて、スパイにうってつけだからな」

「アウグスト大佐に連絡しなくていいの?」

「カタリナ、お前は余計な真似はするな」

「ゼンくんったら『ディアちゃんのことが気になる』って素直に言えばいいのに」


 口の中のフライを念入りに噛み砕く。

 エトガー追跡に熱中する二人に、フロレンツが控えめに話しかけてくる。


「ところで、わたくしはいつまでお付き合いすれば? 銀行での業務が――」

「頭取にお願いして、今日一日フロレンツさんを貸してもらったから平気だよ」


 さらっと言ってのけたカタリナ。

 服の次は靴を買うため、エトガーたちは靴売り場へと移動する。ゼンたちもすかさず二人を追いかけた。


「エクレールとかいう半竜の外見はどう見ても10代前半だ。実際の年齢はともかくとして、そんなあどけない少女に入れ込む男なんて危険人物に決まっている。昨夜のホテルだって同じ部屋で寝ていた。くどいようだが、恋愛映画を退屈がる女の子とだ」

「落ち着いてゼンくん。そのセリフ全部ゼンくんに返ってきてるよ」

「僕は常に冷静だ。これ以上茶々を入れるつもりなら、そこで白目を剥いているフロレンツさんを連れて帰れ」


 場末の劇場の出し物みたいな格好をしていたエクレールは、百貨店から出る頃には見違えるほどきれいになっていた。特注で仕立ててもらった竜翼のスリットさえ気に留めなければ、キルステン家の娘であるのを疑う余地などどこにもない。

 エクレール本人はスカートがじれったいのか、窮屈そうにしている。

 御者に金を渡し、エトガーと彼女は辻馬車に乗った。

 折よく通りかかった警察車両の前にゼンはすかさず立ちはだかる。

 グスタフ警部が窓から頭を出す。


「グスタフ警部、あの辻馬車を追ってください。共和国のスパイです」


 仰天する警部をよそに、後部座席に飛び乗るゼンとカタリナ。


「今日のゼンくん、ちょっと暴走気味だから」


 警部は渋々部下に追跡を指示する。

 サイドミラーに写る棒立ちのフロレンツがみるみる小さくなっていった。



 エトガーとエクレールは貧困層居住区で辻馬車を降りた。

 華もなにもあったものではない、薄汚れた集合住宅(フラット)が密集している。しかも住人たちが好き勝手に増改築を繰り返すせいで、それらはひとつひとつ違った歪な形状へと変貌している。帝都の発展の代償にされてしまったものたちがここには押しやられていた。


「ようこそ、僕の部屋へ。歓迎しない」


 先んじて自室に帰っていたゼンは、訪問してきた二人にそうあいさつした。

 彼の肩越しにカタリナと警察官がちらつき、エトガーは苦笑いで肩をすくめる。


「いやはや、奇遇ですね」

「あいにくだが師匠は留守だ」

「キミの剣術の先生に会いにきたわけじゃないんですよ」

「とぼけるな。エトガー・キルステン。お前が貴族の身分を盾にして半竜を誘拐する悪党だととっくに看破している」


 荒唐無稽な推理にエトガーは「私が誘拐犯!?」と目を剥く自分を指差した。

 そこにカタリナが加わる。


「共和国のスパイじゃなかったっけ?」


 車内で待っていた警部の部下が足早に部屋に入ってくる。繁華街で自動車と馬車の交通事故があり、応援を要請されていることを警部に早口で伝える。グスタフ警部は部下を従えてすぐさま玄関を出た。


「ごっこ遊びに付き合えるほど帝都も平和じゃない。俺は公務に戻るぞ。……キルステンの坊っちゃん。我々帝国の警察は貴族だろうと問答無用で手錠をかけますので、分際をわきまえた振る舞いをゆめ心がけてください」


 共和国の問題児に釘を刺して階段を下りていった。

 警部が立ち去って空いた空間にエトガーとエクレールは滑り込んだ。


「ディアちゃんか。かわいい名前ですね。がさつそうなあなたにしては意外にも品があります。ちなみにエクレールという名前は私の名前と韻を踏んでいるんです。洒落ているでしょう?」


 スプリングの軋むソファに遠慮なく腰かける二人。


「つまりはお前の所有物か」

「辛辣ですね」

「師匠の名前は師匠の生みの親が名づけたものだ」

「ご両親も半竜なのですか?」

「教える義理は無い」

「とにかく、ディアちゃんは比較的しあわせな境遇だったわけですね。人間に『飼われて』いた頃のエクレールは馬小屋に寝床をあてがわれていました。わらをベッドにして、乾いた野菜の切れ端を素手でむさぼっていました。当時、彼女に与えられていた名前は『しるし』程度のみじめなものでした」


 エトガーの隣に座るエクレールは気を悪くしている様子は微塵も無い。


「誰が何と言おうと、マスターは立派な御仁でござる」


 むしろ、主人の英雄的行動を自慢するかのように得意げな面持ちをしていた。

 エトガーに引き取られてからのエクレールは彼と共に屋敷で暮らしながら、半竜の私立学校に通って人間と同じ勉強を受けているという。


「『マゲ』の青年。おぬしはどうだ」

「ゼンくんだって立派だよ」


 黙りこくっているゼンに業を煮やしたカタリナが、あからさまな対抗意識を燃やしながら語気を強くして返事を代行した。


「ディアちゃんの借金を返すために、二人で竜をやっつけてるんだから」


 エクレールが眉をひそめる。

 カタリナは自分が失言したのに気づいて慌てて口を押さえる。

 時すでに遅し。

 探るような薄笑いを浮かべていたエトガーも真剣な表情になっていた。


「借金のカタに『共食い』をさせられている半竜がいるのは本当でしたか」


 つぎはぎで穴を塞いでいる天井。

 ささくれ立った壁や床。

 整理整頓だけではごまかしきれない古びた部屋をエトガーは見渡す。


「馬小屋よりは若干マシですね」


 腰を浮かしたり沈めたりして、ソファのスプリングのしなり具合を確かめる。

 それからエトガーはゼンとカタリナに名刺を差し出した。

 半竜の保護団体の名前がそこに書かれてあり、彼の名には委員という肩書きが添えられていた。エトガーは団体の出資者のひとりであった。

 道化の仮面はすでに剥がれている。


「心身の成長が思春期で止まり、社会保障を満足に受けられない半竜は、いわば永遠の幼子。そんな彼女たちの権利と尊厳を人間は守らなくてはならないのです。大地の覇者である我々の使命であり、贖罪でもあるのです」


 押し寄せてきた不安に耐え切れなくなったのか、カタリナは立ち尽くすゼンにすがりつく。ゼンは相変わらず沈黙を貫いており、彼女の不安は募っていくばかりの様子であった。


「竜狩りをさせている件はひとまず置いておきましょう。果たして経済面ではどうです? ディアちゃんは健康的な食事を取れていますか? なんならクリームの乗ったパンケーキやチョコレートドーナツでも構いません」

「お金ならウチが出してるから! ゼンくんもディアちゃんも、住み慣れてるからここにいるだけで――」

「あのバルシュミーデ夫妻が心変わりして、半竜を支援していると?」


 すぐさま嘘を見抜かれて口ごもるカタリナ。


「もういい、カタリナ。いちいち僕をかばうな」


 カタリナはしゅんとうなだれてゼンの背後に下がった。


「師匠と僕は毎日パンケーキを食べている。クリームどころか、小麦粉の味すらうっすらと感じられる程度のだ。服は一張羅で、空いた穴は僕が縫っている。部屋は隙間風が入ってくるし、雨季に入れば湿気のせいでカビが生えてくる。半年前の大雨で天井が抜けたな。――他に訊きたいことはあるか」

「ゼンさんはディアちゃんを愛していますか?」


 再び沈黙が訪れた。

 長い静寂。

 互いにねめつけあうゼンとエトガー。


「どういう意味の『愛している』だ」

「どんな意味でも結構です」


 カタリナがはっと声無く口を開ける。


「あなたの返答次第では、ディアちゃんを引き取ってエクレールと生活させます。貧困に喘ぐ半竜の少女を保護する――という名目で。ですので、よく考えて発言してください」


 祈るように胸の前で両の手を握り、ゼンを見つめるカタリナ。

 玄関の扉が開く。

 ディアが異形のバイオリンケースを抱えて帰ってきた。

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