国境線警備(2/4)
頭には白のバンダナ。身体には錆びついた鉄の胸当てを装備し、腰には太刀。
トンネルから這い出てきた半竜の小さな女の子は、剣や槍で戦う100年前の世界からやってきたかのような異質な出で立ちであった。本人はあくまで凛としているつもりなのが、かえって子供のごっこ遊びに見えてしまっていた。
「ずいぶんとうらぶれた場所でござるな。帝都は夜も光り輝く黄金の都とマスターから聞かされていたが、このありさまでは拙者の生まれ故郷のほうがよほど賑やかでござろう」
警備任務についていた兵士たちがアウグスト大佐の命令で集合し、半竜の少女を包囲する。少女は「鉄砲か!?」と腰を落として太刀の柄に手を添えた。
「大の男がガン首そろえて飛び道具とは卑怯な。正々堂々と一騎打ち! 拙者と真剣勝負いたせい! そこの『マゲ』を結ったそなた、拙者と決闘するでござる」
少女が指差す先にはゼンがいた。
「気をつけてゼンくん。あのコ、すっごい石頭だよ」
「私闘は死亡保険の対象外ですのでご了承ください」
カタリナとフロレンツが下がると、ゼンは漆黒の太刀『善』を鞘から抜く。
半竜の少女も抜刀する。
「拙者の名はエクレール」
「ゼンだ」
「いざ尋常に」
「望むところだ」
「拙者ほどのモノノフになれば気配でわかる。ゼンは歴戦の猛者でござろう」
「よくわかったな。殺した竜や人間の数は両手でも数え切れない」
「ふえっ?」
「血の味など久しく忘れていた。こんな昂揚は久しぶりだ。さあ、殺し合おう」
「ち、違っ。わたしそんなつもりじゃ」
「切っ先を向け合ったもの同士がやることといえば、たったひとつだろう?」
「そ、そんなの知らない……」
エクレールは急に及び腰になって涙ぐむ。
腰は情けなく引け、太刀はぷるぷる震えだす。水晶の瞳も窓を這う雨粒のように潤んでいる。身長差を生かされてゼンに上から睨みつけられている彼女は、ちょっと触られるだけで破裂しそうなほど限界に達してしまっていた。
「わたし殺されちゃうの?」
「生きるか死ぬかの決闘だ。望んだのはエクレール、お前自身に他ならない」
「そこまでするつもりじゃ」
「文字どおり死に物狂いで闘え」
鼻水をすする音。
涙と鼻水で顔面をぐしゃぐしゃに汚すエクレール。衣服の袖でいくら拭っても目と鼻からそれらは垂れ流される。そんな無残な少女を武装した兵士で包囲しているものだから、アウグスト大佐とその部下たちはばつが悪そうにしており、どうにか丸く納めてくれといった期待をゼンに寄せていた。
タガの外れた半竜がどれほどの力を暴走させるか。
ゼンは油断せず太刀を構えてエクレールを見据えている。
カタリナは固唾を飲んではらはらと見守っている。
「逮捕ですよ、逮捕。逮捕しちゃってください兵隊さん」
かなり安全な距離からフロレンツが野次を入れてくる。
「軍に逮捕権はないですぞ。まあ、無尽蔵に湧いてくる不法移民を逐一警察に引き渡していたらキリがないので、拘束し次第、壁の向こう側に強制送還ですな」
「――らしいぞエクレール。自由が欲しくば、僕とここにいる帝国軍兵士を皆殺しにしろ。血塗れた屍の先にパンケーキはある。僕はそうして生きてきた。お前もカタナを持っているのだから、多少はそうしてきたのだろう?」
「そんなのしてない……。えくれーる、マスターの言いつけ守ってお行儀よくしてるもん。パンケーキじゃなくてドーナツだもん」
嗚咽を上げてエクレールは訴える。
「そうですよ。私のエクレールは虫も殺せぬ乙女なんですから」
そんな彼女に味方する声が――足元のトンネルから反響してきた。
声の主らしき者がにゅっと頭を出す。
あ然とする皆をよそに、腕の力を使って「よっこらしょっ」と這い出てくる。
「野蛮な輩ですね、まったく。子供のごっこ遊びにそんな物騒な物持ち出して。日ごろから大人げないって言われませんか?」
不法移民のトンネルから出てきたのは、上等な紺色の紳士服を着た、上流階級の御曹司といった風貌の青年。
彼は乾いた大地に立つと、服にまとわりついていた土ぼこりを手で払い、ポケットにしまっていた携帯櫛を展開させて頭髪を梳く。大勢の兵士に包囲されているど真ん中で、彼は鼻歌を歌いながら身だしなみを整えだした。
「マスターああああああああっ」
濁音たっぷりに泣きじゃくりながらエクレールは青年の胸に飛び込んだ。
青年はエクレールをしっかり受け止めてやさしくあやす。
「困りましたねエクレール。オーダーメードが鼻水まみれだ」
「こわかったよぉ、マスター。あいつにいじめられたんだ」
エクレールがゼンを指差す。
青年は一瞬、ゼンを見て不敵にほくそ笑んだ。
「困っておるのはこちらですぞ、エトガーどの!」
アウグスト大佐が青年に大股で詰め寄る。顔を真っ赤にして腹を立てている大佐とは裏腹に、エトガーと呼ばれた青年はエクレールを抱いたまま苦笑していた。
「そのゆでたまごみたいな丸みを帯びたお腹に立派なお髭……。思い出しました。あなたは帝国軍大佐のアウグストどの」
「おぼえていてくださったとは光栄ですな。しかし、今回ばかりは度が過ぎますぞ。貴公の戯けが外交問題に発展したらどう責任を取るおつもりですか」
「どうって……。どうしようもないさ」
エトガーは小ばかにするふうに肩をすくめる。
大佐はいからせていた肩を脱力して落とした。
フロレンツが「むむっ」とメガネの位置を直す。
「もしや彼はキルステン財閥の六男坊、エトガー・キルステンですかね」
ゼンはエクレールが投げ捨てたままだった太刀を拾う。刀身を太陽の光に当てて輝かせ、その値打ちを確かめる。彼女の得物は驚くほど軽い、メッキを施したちゃちな玩具であった。
「キルステン製薬やキルステン生命保険の、あのキルステン財閥ですか? 共和国有数の貴族がこんなところに何の用で。貴族生活に飽き飽きして亡命ごっこをしていたとでも?」
「ねえねえゼンくん、フロレンツさん。私、あの人に一度会ったことあるかも。パーティ会場の暖炉からススだらけで出てきて……じゃなくて、甲冑の中に隠れて来賓の人を脅かしたんだったかな? とにかく面白い人だったのはおぼえてる」
フロレンツいわく、エトガー・キルステンは放蕩息子として貴族界隈では有名で、ゴシップ誌でもたびたび取り上げられているとのこと。
帝国軍兵士に囲まれている状況でありながら、エトガーはエクレールの髪を櫛で梳いてあげていた。エクレールはくすぐったそうに表情を綻ばせている。貴族の青年と半竜の少女は迷惑にも、乾いた大地のど真ん中でほのぼのとくつろいでいた。
「ロクでもない六男坊だ」
「ユーモアあふれるダジャレですね、異国の剣士さん。おっと、ここでは私も異邦人でしたか。いやはや、こんな鉄の板切れが国と人種を分けるだなんて。人類のエゴを形にしたようなものです。迷惑不便極まりないと思いませんか?」
エトガーは国境線の壁をコンコンとノックする。
両腕を広げて空を仰ぎ、オペラの真似事めいて詩句を詠む。
「『いっそ竜になってしまいたい。空を舞う竜翼さえあれば、身勝手な垣根を飛び越えていけるのだから』」
「ノキアの新作のセリフだー。主人公の帝国軍将校と共和国の未亡人が恋に落ちる物語! ヒロインが実は半竜だった――ってところで終わるんだよ。続きが気になるなー。早く新刊発売しないかなー」
思いがけず同好の氏と出会えてカタリナがはしゃいだ。
エトガーは視線を水平に往復させ、ゼン、カタリナ、フロレンツを見比べる。
意味深に何度も頷く。
「帝都銀行員にバルシュミーデのご令嬢。それと得体の知れない剣士。ちぐはぐな組み合わせですね。興味深いです」
「半竜を連れて不法入国を企む貴族のほうがよほど得体が知れん」
「ですよね。また一本取られました」
エトガーはあっけらかんとしたウィンクで、ゼンの皮肉を受け流した。
「何の目的でトンネルを通ってきた?」
「貴族の生活に飽き飽きして亡命ごっこを企て――というのは冗談です。ゼンさん、っていいましたっけ? そんな怖い形相で睨まないでくださいよ。またエクレールが泣きべそかくじゃないですか」
エトガーの背中でエクレールが子犬みたく牙をむいている。
「私とエクレールの目的はですね」
そこでいったん息を止める。
「ドーナツを買いにきたのです!」
散々もったいぶってから堂々と言い放ったセリフがそれであった。
「おっと、ゼンさん。その抜き身のカタナをしまってもらえますか。今度こそ本当です。本当に私たちはドーナツを買いにきたのです」
「マスターの言ってることはマコトでござる」
「本当ならなおさら斬り捨てて構わないだろう」
帝都に新しくできたドーナツ屋は共和国にも知れるほどの大人気で、数か月前の開店以来、長蛇の列が途絶えていない。カタリナもその店のドーナツのとりことなっており、しょっちゅう店番をゼンに押し付けては長蛇の列に加わっている。
――たまには真面目に店番をしろ。
――うん、わかった。ありがとうゼンくん。
――『ありがとう』だと? おい、何だこれは。
――お駄賃だよ。今日は日差しが強いから私の日傘も貸してあげる。私の分はチョコレートがたっぷりかかったドーナツを買ってきてね。あとで紅茶といっしょに食べようね。楽しみだなー。
「僕はドーナツが嫌いだ」
「甘いものが苦手とは、人生9割損してます」
エクレールがじれったそうにエトガーの手を引く。
「マスター、そろそろドーナツ屋に行くでござる。お腹ぺこぺこでござるよ」
「おっと、そうでしたね。まずはドーナツで腹ごしらえをしてから映画館へ。で、そのあとは」
「空きっ腹に砂糖と油の塊を入れるのか」
「そんなの私とエクレールの勝手でしょう。――で、そのあとは百貨店でエクレールに似合うかわいい服を見繕って、それから――」
エトガーは緩んだタイを締めなおす。
そして挑戦的な笑みを浮かべた。
「それからディアちゃんを迎えにいきましょうか」




