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国境線警備(1/4)

「なんと! ゼンさんの故郷では魚を生で食べるのですか。おお、野蛮ですこと野蛮ですこと。文明的な帝国民として生まれたことをあらためて神に感謝しないと」


 フロレンツは嫌味と優越感を露骨にし、紅茶を口に運ぶ。紅茶の湯気でメガネが曇った彼を見てカタリナがおかしそうに笑った。


「私はゼンくんの生まれ故郷に行ってみたいなー。帝都ってあんまり雪降らないし、降っても車や馬車のせいですぐ泥まみれだもん。それに、さっきゼンくんが言ってた『ゆきだるま』作ってみたいよ」


 カタリナはレジスターのキーを打楽器さながら指で叩いて遊んでいる。金属の打鍵音が奏でるリズムは最近流行の歌謡曲。このバルシュミーデ古物商店のレジスターは、本業より彼女の遊び道具として出番のほうが圧倒的に多い。

 陽気な指のリズムに合わせてティーカップの水面に波紋が広がる。

 カウンターをテーブル代わりにして紅茶を楽しめてしまうのはある意味、この店ならではの『売り』であろう。がらくたに囲まれた圧迫感と埃っぽささえ我慢できればここは、美少女と評判の看板娘と好きなだけふれあえる憩いの空間であるのだから。


「古い風習に縛られた、陰鬱な村だ」

「だとしてもさ、そこでゼンくんは生まれ育ったんだよね。ならきっと、いいところもあるよ」

「カタリナは僕を買いかぶっている。お前が言うほど僕はやさしくない」

「ゼンくんこそ勘違いしてる」


 鍵盤の上で躍っていた指がゼンの皿に残っていたクリームをすくう。


「自分のことを一番知ってるヒトは、自分じゃない」


 その指に唇が吸いつく。


「自分の一番近いところにいるヒトなんだよ」


 ケーキのクリームの甘さに、カタリナはうっとりと頬を緩ませた。


「いずれにせよ、都会人には退屈な田舎だ」

「本人の言うとおりですよバルシュミーデお嬢さま。お言葉ですが二本の棒で生魚をつついて食らうような人種が住む里など――」


 不意に窓ガラスがすさまじい音で砕け散り、フロレンツの嫌味をかき消した。

 ガラスもろとも打ち砕かれた和やかな午後。

 ゼンはカタリナをかばう格好でとっさに床に伏せていた。カタリナはゼンに抱きついて、やわらかいほっぺたと豊かな胸を力いっぱい彼に押し付けており、フロレンツは金縛りに遭ったかのようにスコーンを口に運ぶ寸前のポーズで硬直していた。口に運ぶはずであったスコーンは窓ガラスと同様、木っ端微塵になって床に散らばっていた。


「幸運を喜ぶべきですよ、フロレンツさん。スコーンをがっつこうと頭をほんの少しでも下げて射線上に入っていたら、砕け散っていたのはあなたの頭蓋骨でした」


 割れた窓と、銃創のできた壁を線で結ぶと、ちょうどその真ん中あたりにスコーンを持っていたフロレンツの手があった。金縛りが解けたフロレンツは屠殺を察したニワトリみたいな声と身振りで発狂しだした。


「強盗! 強盗です!」

「ウチのお店なんてガラクタしかないですよー」

「バルシュミーデ会長の商売敵の差し金でしょうか」


 立て続けに三発の銃声。

 ぎゅっときつくゼンを抱きしめるカタリナの腕。

 フロレンツが情けない悲鳴を上げる。


「ゼンさん! あなたの腰にぶら下げてる物騒な代物は飾りですか!? さっさと曲者を始末なさい!」

「僕はフロレンツさんのボディーガードではありませんので、ここから先は別料金です。まあ、まずは依頼料の相談から」


 わめき散らすフロレンツをよそに、ゼンは陳列棚の計算機で勘定を初めた。

 カウベルが来客を告げる。

 戸口に現れたのはグスタフ警部であった。

 半開きの扉の隙間から、警察官四人がかりで取り押さえられる少年が見えた。


「安心しろ。犯人はたった今、逮捕した」


 少年の背には退化した竜翼が生えていた。


「クリームたっぷりのパンケーキを食わせろー」


 力いっぱい訴える半竜の少年は警察車両に連行されていった。



 ゼンが国境線警備の仕事を請け負う一週間前に、そんな出来事があった。


「半竜の発砲事件でグスタフ警部と知り合いましてな。共通の友人に貴公がいた縁で、今回の件を依頼したのですぞ。ところで……ディアどのはいっしょではござらんのか」

「師匠は別の依頼を請け負っていましたので、そちらに行かれています」


 果てから果てまで伸びる鉄の壁。

 それは地図に引かれた帝国と共和国の国境線を表している。

 ここは帝国と共和国の領土の分け目。

 漠々たる荒野。

 土地は渇き、植物の緑はどこにもない。ごつごつとした大岩と隆起した断崖がそこかしこに点在するのみ。およそ生物の住める場所ではなく、人家が連なる街並みは地平線の彼方に蜃気楼となって揺れている。

 国境に沿って築かれた鉄の壁は、色を失った地上のオーロラ。無機質な幕。

 後ろを振り返れば鉄道の線路がその壁に平行して伸びている。

 ライフルを持った帝国軍人が国境線沿いを哨戒している。鉄の壁を隔てた向こう側にいるのは共和国軍の警備である。

 帝国側の警備を指揮しているのは小太りの軍人アウグスト大佐であった。

 例のごとく四六時中暑がっており、ハンカチを片時も手放していない。

 遮蔽物が皆無の赤茶けた荒野は帝都より一段階は暑さが上回っているためか、結露したかのように発汗している。汗で口ひげが湿るのが気になるらしい。神経質な頻度で口元に手をあてている。


「ほほう、以外ですぞ。貴公らは一心同体かと思いきや」

「物理的な距離と心の距離は別でしょう」

「わぁ、ゼンくんにしては珍しくロマンチックなセリフだ」


 ディアの代わりについてきたカタリナは、すでにヘルメットと防弾チョッキを装着して準備万端。得意げな顔をしている。とはいえ、男物のそれらは華奢な彼女には明らかにサイズが合っておらず、着せ替え人形にミリタリーフィギュアの装備を無理やり押し付けたちぐはぐさを拭いきれていなかった。


「お嬢さま! 我々は彼の見送りにきただけでは!?」

「私たち、いっつもゼンくんのお世話になってるんだから、ディアちゃんのいない今日は手助けしてあげなくちゃ」

「このフロレンツめは卑しいいち銀行員でございます。午後から本店で業務がありまして、その――」

「私だってお店の看板娘だよ。はい、これ。フロレンツさんの武器」


 カタリナが車輪つきの機関銃を転がしてくる。

 フロレンツは白目をむいて顔面を蒼白にし、小刻みに震えだした。

 カタリナが抱きかかえていたライフルをゼンは没収し、アウグスト大佐に突っ返す。機関銃も大佐の部下が回収していった。


「大佐。こんな女の子にマシンガンを渡すとか正気ですか」

「バルシュミーデ商会の意向に逆らえば我々が蜂の巣ですぞ」

「私、ガンマンの映画とか結構見てるから銃も使えると思うよ」

「……とにかく帰れ、カタリナ。僕に世話を焼かせるな」

「えー」

「ここは帝国と共和国の国境線だ。違法就労や違法取引といった目的で、ろくでもな手合いがこの金網と有刺鉄線をかいくぐって日々やってくる」

「知ってるよ。雑誌に書いてあったし」

「しかも最近、ある一団が集団での不法入国を企んでいるとの情報が軍に入ってきたらしい。奴らは銃を持っているだろう。なりふり構わぬ連中だから平気で発砲してくるぞ。前に逮捕された半竜みたいにな」


 カタリナから勢いがそがれる。

 肩を落としてしょぼくれ、苦しそうに胸に手をあてる。


「あの子、そんなにパンケーキが食べたかったのかな」

「小麦粉の味しかしないパンケーキを食べている僕や師匠も、俯瞰すれば比較的恵まれている側に属している。あの逮捕された半竜からすれば、小麦粉をなめるのすら命がけの日常だったのだろう――って、聞いているのかカタリナ」


 話の途中でカタリナの興味は別のほうへと移り、彼に背を向けてアウグスト大佐に話し相手を変えていた。荒野に捨てられていた古びたサンダルを拾って大佐に見せていた。


「変な形のサンダルですね」

「カーペットの切れ端を靴底に張ってあるのですぞ。足跡を残さないための不法移民者の知恵ですな」

「うぎゃー!」


 フロレンツの間抜けな悲鳴が聞こえてくる。

 彼は斜めに掘られた穴に腰までつっこんでおり、今まさに大佐の部下に引き上げられている最中であった。


「私、アレはわかったよ。国境線を越えてきた人たちを罠にかける落とし穴だね」

「不法移民者が国境線越しに掘ってきたトンネルだ。どいつもこいつも、あの手この手で越境を試みてくる」

「覗いてみなされ。呆れるほどよくできておりますぞ。刑務所から出たあかつきには帝国の土木事業に雇ってやりたいくらいに」


 フロレンツが救出されたトンネルに頭をつっこんだカタリナは「誰かいませんかー」とめいっぱい声を張り上げる。


「誰かいませんかー?」


 いませんかー、せんかー、かー……。


「いるわけないだろ。ふざけていないで帝都に帰るぞ」


 反響する自分の声が面白いらしい。冷ややかな目を向けてくるゼンをよそに、カタリナは山びこで遊ぶかのように「おーい」「こんにちはー」などと穴の中に声を投げかけていた。


「誰かいませんかー」

「ここにいるぞっ」

「うぎゃっ」


 穴からにゅっと頭が出てきた。

 おでことおでこの衝突。

 頭突きを見舞わされたカタリナは目を回してその場に気絶した。


「失礼つかまつった。失礼ついでに尋ねるが小娘よ、ここは帝都でござるか?」


 トンネルから這い出てきたのは、水晶の瞳に竜の翼を生やした少女だった。

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