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アルゲディの犠牲式(3/3)

 ディアさがすため、濃霧に包まれた廃墟を探索するゼンとノーラ。

 気休めだとわかりながらも、服の袖で口元を押さえながら濃霧に目を凝らす。

 道の片隅に咲く白い花に、ノーラはおっかなびっくりカメラのレンズを向ける。


「花粉を吸っただけで幻覚症状を起こすなんて。そんな麻薬みたいな花がそこら中に咲いているんですか?」

幻月花(ゲンゲッカ)は麻薬そのものだ。疲労回復と極度の高揚感をもたらす作用があり、法整備が未熟だった時代は精製されたものが医薬品として一般に出回っていた。ノーラもパブリックスクールで習ったはずだ。居眠りしていなければな」

「むむっ、失礼ですね」


 医学と呪術の境目があいまいだった古い時代、痛覚を消す薬として重宝されてきたゲンゲッカは、文明が発展していくにつれてその深刻な中毒性が問題視されるようになっていった。現代では違法な薬物として取締りの対象となっており、許可なく栽培・所持・使用する者には重罰が科せられる。


「アルゲディはおそらく、ゲンゲッカの麻薬成分を取り込んで周囲に拡散する特性を有しているのだろう。アルゲディがいなくなった今なら、花粉を吸った程度では害はないから安心しろ。幻覚症状ももう起こるまい」

「と、言われましても、やっぱり気分の問題が……。っていうか、安心しろとか言ってるゼンさん本人が口元押えてるからかえって不安ですよ!」

「僕だって気分の問題だ」


 花の咲く場所を迂回して大通りを進む。

 市長に教えてもらったアルゲディの寝床を目指せば、そのうちディアと合流できるだろう。そう期待を込めて。


「新聞にしょっちゅう載ってますよね、薬物中毒の記事。悪魔の幻覚を見た男が親を殺したのだの、治療施設で患者が発狂死しただの。ゼンさんたちの住んでる区域でも以前、無差別殺人があって世間を騒がせましたし」

「グスタフ警部が新米だった当時はもっと大変だったと聞いた」


 湿った石橋を渡った先にアルゲディの寝床――ゲンゲッカの群生地はあった。

 憩いの場所であった広場は今や花畑。

 支配から解放された草花は、花壇の外の世界でゲンゲッカと共に栄華を極めている。無秩序な咲き乱れ方は、霧に霞む廃墟を神秘的に飾り、幻想画を前にしたときの感動を訴えてきた。

 上空から飛来した竜が着地の衝撃で花弁を撒き散らし、幻想画を完成させた。

 立ちはだかるのは廃街の守護者、魔竜アルゲディ。

 紫の竜は、市庁舎に飾られた肖像画とは比べ物にならないほどの迫力で二人を威圧する。カメラを握ってあんぐりと口を開けたノーラは石像と化していた。


「失せよ。文明に浴して万能と驕るそなたらにゲンゲッカを授けたところで、持て余して破滅の道をたどるのが定めであるぞ」


 その理性的な警告に、ノーラは石化を解いて胸をなでおろす。アルゲディが話の通じる手合いで、勘違いを解けば穏便に事を運べるだろうと安堵したのだろう。途端に馴れ馴れしくなった彼女はゲンゲッカの花畑を踏み進み、アルゲディのそばまで近寄ろうとする。


「誤解ですって。私たちはゲンゲッカが目的じゃなくてあなたを――」


 墓穴を掘ってしまったノーラは慌てて口を押える。


「私をどうするつもりだ小娘。申してみよ」


 問い詰められ、追い詰められる。

 ゼンが太刀を抜く。


「魔竜アルゲディ。僕たちはお前を討伐しにきた」


 アルゲディが牙をむく。

 殺気をまとった風が花畑をざわめかす。

 ノーラが甲高い悲鳴を上げながらゼンの背中に隠れた。


「年老いてもうろくしたお前が無差別に人間を襲っていると市は勘違いしている。アルゲディ。お前も早々に誤解を解かなければカタナのサビとなるか、機甲師団の演習相手にされるだろうな」

「誰の差し金だ」


 ゼンが市長の名を告げる。

 アルゲディは「あの青二才がついに戴冠したか」としみじみ納得した。


「王国の守護者である私へのあいさつに代理をよこすとは、今度会うときは礼儀を教えねばな」

「守護者……。もしかしてアルゲディさんは、人間からゲンゲッカを守るためにこんな旧市街でずっと暮らしているんですか?」


 胸ポケットから出した手帳にノーラはペンを走らせる。

 アルゲディは辺り一面に咲くゲンゲッカを忌々しげに見渡す。


「ゲンゲッカは夢とうつつを混濁させる毒花。進化の枝を汚染する。ヒトよ。いかにお前たちが衣服をまとい、機械を操り、娯楽に興じて大地の霊長を気取ろうと、この魔性には抗えまい」


 ゼンも太刀をしまう。


「老いぼれのそしりなら受けよう。か弱くも地上の覇者まで上り詰めたお前たちを堕落の陥穽から遠ざけられるのであれば」


 この地の守護者はそう言った。


「警察や軍なら悪い人たちからゲンゲッカを守ってくれますよ」

「逆だ。花の魅惑からヒトを守らねばならん」


 不意打ちめいた拍子で本質をつかれ、ノーラは言葉を詰まらせる。


「人間はたかが300……いや、200年だったか? その程度しか生きられぬ。たとえ今の指導者が魔性に勝てる人格者であろうと、子へ孫へと使命を継承するにつれ、その遺志は薄れていく。事実、国家は波のように興亡を繰り返してきた」


 霧の世界で花を咲かせるゲンゲッカ。

 しおらしい外見とは裏腹に、性格は冷酷にして残虐。湿った大気に花の香りを乗せて獲物を無意識のうちにおびき寄せ、精神に干渉して快楽の媚薬で廃人へと至らしめる。


「ヒトよ、わきまえよ。わき目も振らぬまい進の先には奈落あるのみ」

「あくまでも譲るつもりはないのか」

「ここは聖域。禁制の地なり。去れ」


 ゼンはきびすを返す。

 ノーラはまだ逡巡している。


「アルゲディさん。人間を守るためなら、人間を信じられるはずです」

「その皮肉は先ほどの返礼か」

「私はそういうつもりじゃ――」

「よせ、ノーラ」


 埒が明かないと判断したゼンが会話を断った。


「今日の僕らの目的は調査だ。アルゲディの真意を市長に伝えるだけでいい。それで市長が依然としてアルゲディを始末するつもりなら僕は『善』を抜く」

「でもそうしたらアルゲディさんが!」

「そんなことより師匠をさがそう。近くに行けば僕らを呼ぶ泣きべそが聞こえてくるはずだからな」

「ディアさんが心配なら素直にそう言ってくださいよ」


 立ち去ろうとする二人をアルゲディは「待て」と呼び止める。

 アルゲディが巨体をずらすと、その影に丸まって寝息をたてるディアがいた。

 妖艶な花畑で彼女はあどけない寝顔をさらしていた。

 寝ぼけまなこを擦って起き上がり、めいっぱい背伸びしながらあくびをする。


「あれ、確かわたし、オヤジたちと――」

「醒めぬ夢に侵された者は、傍から見ればどれだけ醜悪か」

「わたしの寝顔そんなにブサイクだったか!?」


 中腰になったゼンが、ディアの口元についたよだれをハンカチで拭う。

 かたわらにノーラがいたせいか、はたまた寝起きのせいか、ディアは拗ねたようにむすっとした表情であごを上げていた。

 二人の様子をアルゲディは見下ろしている。


「人間と半竜が手を取り合える社会になってきたか。よきことだ」

「そう驚くほどのもんでもないと思うぞ。半竜ってヒトと竜が仲良かった証拠みたいなもんだし」

「ほほう、目から鱗だ。お前のような幼子から教わるものがあるとは。存外利口であると見た。ディアといったか。達者で暮らせよ」

「市長にちゃんとワケを話して仲直りしろよ。殺されちゃダメだからな」

「善処しよう」


 アルゲディは上機嫌に笑った。

 竜とのやりとりにディアが加わっただけで場が朗らかになった。半竜の彼女を人間社会で100年生かしてきた唯一無二の力が、ここでも発揮されたのだ。


「アルゲディさんって竜だし、炎を吐けますよね。いっそゲンゲッカを全部焼き払っちゃうのってどうです? このノーラの名案、採用に値しますよ!」


 ペンを高らかに掲げて主張するノーラをよそに、ゼンは肩をすくめている。


「気化した麻薬の成分が風に乗って大惨事になるぞ」


 ノーラはがっくりとうなだれた。


「むろん、それもあるが――」


 アルゲディは首を動かして周囲を見回す。

 風雨にさらされて朽廃した建物は無残に崩れ、舗装が剥がれて地面がむき出しになった道路はもはや役に立たない。人々は去り、捨てられた抜け殻は星霜の果てに土へと還るのをただ待つのみ。

 此処は禁制の地。

 死を待つ聖域。


「守護する国を自らの火炎で焼くなど、身を焦がすに等しい」


 アルゲディは誇らしげに笑んでいた。

 彼からすれば、この廃街は帝国の植民地になる以前の独立国家で、市長は王位を継いだばかりの若造なのだろう。彼の目に映る市場は行き交う人々で盛況し、その耳には石畳を叩く蹄鉄の音色が聞こえているに違いあるまい。


「ここは私の愛するアルゲディ王国なのだ」


 ゲンゲッカはその魔性で竜をもとりこにし、今も栄華の都を見せている。




〈『アルゲディの犠牲式』終わり〉

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