アルゲディの犠牲式(2/3)
旧市街は無残な廃墟の様相であった。
不穏な薄霧立ち込める廃街をゼンとディア、ノーラの三人は慎重に足を進める。
「ゴーストタウンってヤツだな」
「オバケとか出そうですね」
「幽霊など迷信だ」
「オバケが怖い人ほどそういうこと言うんですよねえ」
「ゼンはオバケが怖いんだな」
セピアが似合うゴシック調に現代の建築様式が混じった旧時代の街並み。朽ち果てた建築物が死体のようにたたずんでいる。吸血鬼が登場するようなホラー映画の舞台にうってつけであろう。
一心不乱にシャッターを切るノーラ。裸のマネキンがポーズを取るショーケース、塵の積もった家屋、車輪が外れて傾いた馬車など、当時の生活が垣間見えるがらくたをフィルムに焼き付けていく。
「おわわっ!?」
「気をつけろ」
足元に注意を払っていなかったせいか、樹根につま先を引っ掛けて前のめりに転んでしまった。すんでのところでゼンに抱きとめられなかったら、ガラスや木材の破片の上に倒れて生傷では済まなかったであろう。
埃っぽさを不快がったディアが上着をはたく。その風圧で薄く積もっていた砂埃がぶわっと舞い上がり、なおさら煙たがるハメになった。
「こんなところにアルゲディは住んでるんですか?」
「魔竜アルゲディはおそらく、この国の『過去』を守護しているのだろう」
アルゲディ市がまだいち国家だった時代、庶民の住居はこの旧市街に集中していた。帝国に占領されてからは軍事力の没収に伴う区画整理により、居住区は王城――つまり市庁舎近辺に移され、この区画は打ち捨てられたという。
「さみしくないんですかね」
「竜にとっての10年や100年は、僕らの昨日程度なのだろう」
「そんなことないぞ。一日や二日だってさみしいものはさみしいぞ」
ディアが眉を吊り上げてゼンに抗議する。
「無神経なことを言ってしまいました。すみません」
へそを曲げたディアは頬を膨らませて腕組みし、ぷいとそっぽを向いている。迂闊にも仲裁に割って入ったノーラは半竜の逆鱗に触れ、尻を蹴飛ばされた。
「勝手にどっか行ったりするなよ」
「僕と師匠は常にいっしょです」
「ウソつくなよ」
「僕は嘘はつきません。隠し事はしますがね」
その一言でディアは満面の笑みになった。
旧市街の中心部に近づくにしたがって霧が濃くなっていく。踏み入ってしばらくはホラー映画の雰囲気作り程度だったが、今や方向感覚を狂わす危うさをはらんでいた。
草木も異様に生い茂り、旧時代の営みの片鱗はことごとく自然に呑み込まれてしまっている。数十年足らずで人間の足跡が緑に塗りつぶされてしまう事実を目の当たりにして、ノーラは息を呑みながら撮影を続けていた。
「この濃霧では迷子になりかねん。撮影が終わったらホテルに帰ろう」
「了解しました」
ファインダーを覗くノーラの前をディアの背中が遮る。
「きれいな花がいっぱい咲いてるぞ」
ディアが指差す先に花畑が広がっていた。
道路の只中に白い花が群生している。灰色の天蓋に空を閉ざされ荒廃した世界で、その花たちだけは生命の息遣いを感じる色を宿していた。指先で手折れる小ささでありながら、石畳を突き破って懸命に咲き誇っていた。だからディアとノーラが魅入られて花畑に引き寄せられるのも当然であった。
ゼンに手首をつかまれて我に返った二人は、きょとんと彼の顔を見ていた。
「あの花は『幻月花』です」
「ゲンゲッカ? 聞いたことあるようなないような」
「かつて医療の分野で重宝されていましたが、幻月花には――」
突風が幻月花の花弁を散らしたのはそのときであった。
異様な気配を察して漆黒の太刀『善』を抜き、二人の前に立つゼン。
濃くなっていく霧。
三人がうろたえている間に、立ち込める霧は数歩先の光景すら覆い隠すほど濃度を増してしまった。
視界が白に支配される。
困惑するディアとノーラの声が、いつしか聞こえなくなっていた。
孤立したゼンの前に、大きな影がぬるりと現れる。
霧のスクリーンに映る、大翼を生やした四つ足怪物のシルエット。
影が次第に縮小していく。
ついにはかたちすら変えて、人間の輪郭になった。
歩み寄ってくる人影。
至近距離に入ってきて人影の正体が判明するや、ゼンは太刀を下ろした。
「久しいな、ゼン」
人影はそう言った。
人影の正体は赤い着物の少女だった。
少女は小首をかしげながら微笑する。
「おい、なんか言えよ。それとも、わたしのことなんか忘れちゃったか?」
「ヘキラ」
しなだれかかってくるヘキラをゼンは突き放す。
ヘキラはよろめきながら後ずさる。
「都会で流行ってる小説や映画だとこうやるって聞いたのに。昔に輪をかけて無愛想になったな。ひどいなゼンは。10年ぶりの再会だぞ」
姿勢を崩してふらついたヘキラは、髪をかきあげながら皮肉っぽくほくそ笑む。
「いや、あのときにくらべればそんなにひどくないな――わたしを崖から突き落として殺した、あのときにくらべれば」
悪趣味なからかい。
「あの半竜はディアっていうのか。よかったな、わたしの代わりを見つけられて」
ヘキラが曇天に手をかざす。
どこからともなくひと振りの太刀が出現して彼女の手に収まった。
「故郷を捨てて流浪の身になって、禊ができたとゼンは勘違いしている」
鞘を投げ捨てる。
「お前は罪を犯した。死にゆく兄上の遺志に報いようとせず、カガミさまを狩り、あまつさえわたしを冷たい雪山の底に落とした。お前は一族の顔に泥を塗った」
息を呑むほど美しい『聖剣オーレオール』の刀身があらわになった。
「だから罰を受けなくちゃいけない」
オーレオールを上段に構える。
ゼンは利き腕に太刀を持っていながら、自然体でたたずんでいる。
「わたしが罰を下すぞ」
ヘキラはゼンの喉首めがけて切っ先を突き立てた。
オーレオールの白刃が喉笛を貫く――間際、ゼンは紙一重でそれをひらりとかわしてみせた。そして振り返りざまに太刀を薙ぎ、前のめりにつまずいたヘキラを斬った。囃子に合わせて舞うかのような足さばきで斬った。
上半身と下半身に分割されたヘキラは、苦悶の表情を最期に残して霧散した。
幻影が消滅し、太刀を鞘に戻す。
「ヘキラは僕が殺した。ヘキラはこの世界から消えた存在だ。だからこそ、こんなまやかしに翻弄されたりはしない。目論見が外れたな、魔竜アルゲディ」
茶番を見物していた巨体の影が白い霧の向こうに姿をくらました。
濃霧に目を凝らしながら廃墟をさまよっていると、運よくノーラと合流できた。
「ゼンさんっ、さっき言ってくれたことホントですか! 前言撤回とかナシですからね! 口約束だって法律では有効なんですよ!」
興奮した面持ちで詰め寄ってきたかと思いきや、俊敏に後ろに下がる。
ほのかに朱に染まった頬をノーラは照れくさそうに掻く。
「ノーラ、うれしいです。まさかゼンさんからあんなロマンチックなこと言ってくれるなんて、びっくりですよ。てっきりゼンさんはディアさんのことが……」
ゼンの腕に自分の腕を絡め、恋仲に許される面積分、密着する。
「お父さんにはどう紹介しましょうか。家柄とか職業とか気にする古い人ですからねえ。ゼンさん、これっきりで竜狩りから足を洗いません? そのポニーテールをさっぱりばっさり切っちゃえば背広姿もサマになると思いますよ」
「その様子だと、お前もアルゲディに幻覚を見せられていたらしいな」
「へ?」
「僕らはアルゲディの幻術にかかっていた。アルゲディに『魔竜』が冠された由来はこれのせいらしいな。……おい、ノーラ。間抜けな顔をしていないで師匠をさがしにいくぞ。……まだ幻覚症状が抜けていないのか」
早々にディアと合流せねばならないが、放心状態のノーラが正気に戻るのにもうしばらく時間がかかりそうだった。