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竜の初恋(3/3)

 帝国軍の軍事車両に乗せられたエミィリアは後部座席で涙ぐんでいた。

 これではまるで人買いに買われたいたいけな少女。

 竜に見初められればこうもなろう。

 ディアもアウグスト大佐も居たたまれない様子。

 少しでも緊張を和らげてあげようと苦心するが、竜の住む丘に到着しても二人の努力は報われなかった。

 エンジンを唸らせて砂利道のでこぼこ坂を登る。

 傾き、激しく揺れる車内。

 座席の両端に座っているゼンとエミィリアはドアノブにつかまって身体を支える。二人に挟まれるかたちで真ん中に座っているディアはゼンの服にしがみつき、上下小刻みに跳ねていた。


「くくく口からジャムパンが飛び出しそうだだだだ」


 エミィリアの実家はパン屋だった。

 昔ながらの個人経営の店で、朗らかな人柄の夫婦が焼く手作りパンは近所の住民たちに好評であった。将来店を継ぐであろう一人娘は人見知りのきらいがあるものの、彼女が焼いたジャムパンには愛情がたっぷりと詰まっていて、ディアも大佐もゼンまでも絶賛したのであった。


「竜はひとりぼっちで暮らしてるんだよね?」


 エミィリアが抱きしめる編みかごにはたくさんのパン。

 全部彼女が焼いたパンである。


「力と知恵であらゆる生物を凌駕し、不死に等しき寿命を有する竜は、種の保存を個体で完結させている。ゆえに奴らは群れをなす必要がない」

「エミィリアが『さっぱりわからん』って顔してるぞ」


 坂を登りきって丘の頂上に至る。

 石ころだらけの白っぽい荒地に、清らかな水をたたえた湖。

 砂埃を巻き上げながら車が通り過ぎると、水辺の小鳥たちが一斉に飛び去っていった。

 猛竜ジュバーは巨岩のそばを寝床にしていた。

 四つ足不動でゼンたちの帰りを待っていたジュバーは、車からカチューシャの少女が出てくるや「おおっ」と歓声を上げた。大気を震動させる竜の咆哮を真正面から受けたエミィリアは、びくりとすくみ上がって石化してしまった。

 竜の影にすっぽり飲み込まれて怯える少女。

 ジュバーが近づこうとした分だけ後ずさる。


「怖がらせるつもりはなかった」


 出鼻からしくじったジュバー。空洞を吹き抜ける風のようなそのおどろおどろしい声は、悲しくも彼の意思に反して彼女の鼓膜に激しく響いて怖がらせてしまう。


「この前もそうだったな。俺の姿を見て、お前は悲鳴を上げて逃げてしまった」

「この辺りにきれいなお花畑があるって聞いて、ちょっと冒険してみたかったんです。ここってジュバーさんのおうちだったんですね。勝手に入ってごめんなさい。怒ってますよね。ホントは私のこと、食べちゃうつもりだったり……」


 エミィリアは怯えて縮こまっている。

 竜と少女の行く末を固唾を飲んで見守るゼンとアウグスト大佐。ディアだけはじれったそうに腕組みしていた。

 ジュバーがきびすを返して歩きだした。

 ずんぐりむっくりとした巨体がのそのそとゼンたちをどこかへと導く。

 無愛想な案内人の後ろにゼンたちは続く。

 竜が歩を進めるたびに地面が揺れる。獣たちが藪に逃げ、枝から散った葉が水面に波紋を広げる。むなしい静寂の中に重い足音だけが響いていた。

 ゼンたちが連れてこられたのは陽だまりの中の花畑だった。

 枯渇した丘の片隅に緑の楽園は残されていた。

 むせ返るほどの蜜のにおい。

 表情がぱぁっと明るくなったエミィリアは髪を振り乱して花畑へと飛び込んだ。

 色とりどり咲き乱れる花。

 飛び交うミツバチと蝶々。

 水辺で喉を潤していた小鳥たちが思い思いに歌っている。

 虹色に彩られた夢のような世界にカチューシャの少女はうっとりと酔いしれる。足元の白い花を手折って顔に近づけ、蜜の甘いにおいをかぐ。目と鼻で好きなだけ堪能してから、手折った花を髪に飾った。

 ジュバーは息をひそめて楽園の乙女を見つめている。

 エミィリアが我に返って恥じらう。


「あっ、ここってジュバーさんの」

「俺が踏み入れば花を潰してしまう」


 竜は言う。


「この大地は皆のものだ。住めるものが住めばよかろう」


 エミィリアのこわばっていた肩がすとんと軽くなる。

 抱いていた編みかごをジュバーに差し出してはにかむ。


「私が焼いたパンです。こっちはジャムが入ってて、こっちは畑で採れたトウモロコシが入ってるんです。けっこう自信作なんです」


 ジュバーが大木みたいな前足を編みかごの前に出そうとしてためらい、引っ込めてしまう。

 エミィリアは編みかごのパンをひとつ手にとってジュバーに差し出す。

 おずおずと開く大アゴ。鱗同士が擦れ合って軋んだ音を立てる。

 鍾乳洞のような牙が生えそろう口の中にエミィリアはパンを放り入れた。


「おいしいですか?」

「美味だが……ちと量が足りんな」


 大アゴを上下に動かしてジュバーは咀嚼する。催促するようにまたアゴを開けると、エミィリアはありったけのパンをその中に放り込んだ。山ほど編みかごに入れてきたはずが、あっという間にからっぽになってしまった。

 竜の食欲に面食らっていたエミィリアはおかしそうに笑った。


「ジャムの甘酸っぱさ、トウモロコシの瑞々しい歯ごたえがたまらん」

「今度はもっといっぱい焼いてきます」

「いつ来る?」

「明日来ます。今度はお母さんとお父さんも連れてきていいですか?」

「連れてくるといい」

「お母さん喜ぶだろうなー。私、引っ込み思案であんまりお友達いなかったから」

「友達か。俺も久しくいなかった。先の大戦で同胞の大半が死に、あるいは竜狩りに狩られ、生き延びた者も人類に失望して山岳に蟄居する道を選んだ」

「さみしいですね……」

「いずれそうなる定めなのだ。1000年も生きてしまう俺たちは」


 花畑に踏み入れられないジュバーのためにエミィリアは花冠を編み、彼の頭に飾ってあげた。乙女によって楽園の王に選定された猛竜は誇らしげに天を仰いだ。


「だが、今日からはもうさみしくない」


 寄り添う乙女に竜は笑んだ。



 夕暮れ。

 ゼンとディアは靴を脱いで裸足になって岩に腰かけ、小川に足首をつけていた。

 水のせせらぎ。

 コオロギの音色。

 カラスの一団が木立から木立へと渡っていく。

 夕陽を照り返して赤々と燃える清流で二人は涼む。


「もしかしたら半竜って、とんでもない奇跡で生まれたんじゃないか?」


 足をばたつかせて水しぶきで遊んでいたディアがやぶからぼうに言う。


「いやさ、ジュバーとエミィリアの馴れ初めに立ち会って思ったんだ」


 ひと組みの男女が恋に落ちて伴侶になることすら奇跡と呼ばれて、恋愛小説なんてものまで存在している。姿かたちが似通っている半竜と人間ですらめったにつがいにはなれないのに、外見までまるで異なる竜と人間の恋愛となれば、奇跡をも越えた宇宙的運命なのではないか。それがディアの言い分であった。


「宇宙ときましたか」

「宇宙は広いんだぞ」

「広いですよね」

「マーガレット・ノキアでもこんな恋物語は書けないぞ」

「ジュバーがあの調子では、エミィリアとの仲が発展するまでどれくらい時間が必要になるのやら。まあ、初恋なんて純情すぎて実らないものですが」

「あんなに仲良くなれたんだから、いつかぜったいなれる」


 ゼンがトウモロコシの葉で舟を作って川に流すと、ディアがはしゃぎだして作りかたをせがんできた。ゼンの折りかたを手本にしながら悪戦苦闘し、拙いながらも葉舟を完成させた。ディアの手のひらにふたつの葉舟が仲良く並んだ。

 夕暮れ空に汽笛の甲高い音色が響き渡る。


「列車が来たぞ! 急げ急げっ」

「師匠、靴をはいてください」


 裸足で駆けだすディアの背をゼンは追いかけた。

 ふたりの葉舟は夕暮れの小川を下っていく。



〈『竜の初恋』終わり〉

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