竜の初恋(2/3)
怒髪天をついた竜。
極太の前足で地面を踏み鳴らして地震を起こし、縦揺れの震動でレールや枕木の残骸がポップコーンみたいに跳ね躍る。ゼン、ディア、アウグスト大佐は前後左右にふらつきながらかろうじて平衡感覚を保っていた。
ディアや大佐がいくらなだめようと竜は聞く耳持たず暴走する。大質量の塊の突進によって田舎の小さな駅舎がビスケットみたいに粉砕され、プラットホームは瓦礫と化す。大型の竜翼が羽ばたくたび、線路の砂利がつぶてとなってゼンたちの頬をかすめた。
「ディアどのがトウモロコシを投げたせいで竜の怒りに触れてしまいましたぞ!」
「なんとかしてくれゼン!」
竜が急に大人しくなって地震が収まる。
その場に尻餅をつく三人。
三半規管を狂わされたディアは目を回しながら頭で舟を漕いでいた。
屈んだ竜の顔がためつすがめつゼンとディアを交互に見比べる。
「ディアとゼンだと? 貴様らもしや、一角竜ゾスカと逆鱗のアークトゥルスを破った竜狩りか。狼藉を働く悪しき竜を成敗し、善良なる竜を助けているという」
「ああ、そうだぞ」
「当たり前みたいに肯定しましたね、師匠」
冷静さを取り戻した竜はうって変わって友好的な態度に豹変していた。
「俺の名はジュバー。『猛竜のジュバー』としてかつて名を馳せ、邪竜ロッシュローブとも一戦交えた経験がある。腕っ節なら誰にも負けん」
アウグスト大佐が手で合図を送る。
包囲していた部下たちは構えていた銃剣を下ろした。
「お前たちになら俺の苦悩を打ち明けてもいいだろう。ゼン、ディア。お前たちに折り入って頼みがある」
「いいぞ。どんとこい」
ディアの快い返事に竜はすっかり心を開き、いかつい顔を柔和にしていた。
「俺は今、病に苛まれている」
「病気なのか」
「自分ではどうにもならん胸の苦しみを治してもらいたいのだ」
獣医なら大きな街に行けばあるだろうが、竜の専門医など前代未聞。かといって下手に断ってジュバーの機嫌を損ねてしまったら線路から退いてもらうどころか、余計な惨事を再び誘発しかねない。
ようやく光明が差したかと思ったところに無茶な要求をつきつけられ、アウグスト大佐は渋面に浮かんだ汗をハンカチで拭っている。ゼンも腕組みして黙りこくっていた。
考え込んでいたディアが「あっ」と顔を上げる。
「ゼンって昔は医者を目指してたんだよな」
「まさしく竜に詳しい医者! 渡りに船ですぞ」
人間に対する医学が竜に通用するかは保障しない。
そう前置きしてからゼンの問診が始まる。
「心臓に違和感があるのか?」
「うむ、まあ、その、そうだな」
「痛みの感じかたは?」
「小さな針でつつかれたような、もしくは鉛で潰されるような、あるいは締めつけられるような、ときには青春の甘酸っぱさとほろ苦さを感じる場合もある」
「痛みの原因に心当たりは?」
ジュバーは視線をそらして言いよどむ。悶々と口ごもった挙句、アウグスト大佐を含む軍人たちを下がらせるよう要求してきた。不可解ながらも要求に応じた大佐は「頼みましたぞ」と部下を引き連れて司令部に一旦戻り、ゼンとディアだけがジュバーのそばに残った。
「俺の胸に痛みが生じたのは、ある乙女を目にした瞬間からなのだ」
その可憐な乙女が視界に入った刹那、落雷がジュバーを貫いたという。痛みに煩わされ、解消する術も持たず、苦痛のあまり自ら死を選んだ。限界まで空を飛んでから翼を止めて墜落し、それが今回の鉄道事故に繋がったのであった。
「えーっと、つまり感電したのか?」
「落雷云々は比喩表現ですよ師匠。ジュバーは一目惚れをしのたです」
「叶わぬ恋こそ不治の病。死にきれず足掻いていた俺をどうか救ってくれ」
恋煩いに陥る竜は懇願した。
「そいつに自分の気持ちは伝えたのか?」
ジュバーの頭が弱々しく垂れる。
「わたしは恋とかしたことないからよくわからんが、何もしないうちから諦めちゃダメだぞ。思い切ってその竜に告白しろよ。勇気出して。なんなら隠れて見守っててやるぞ」
「竜? この半竜は何を勘違いしている」
ジュバーを励ましていたディアが「へ?」と首を傾げる。
「俺は人間の女性に恋したのだ」
ディアはあっけにとられていた。
竜の恋した乙女の名はエミィ。
付き添っていた別の女性が彼女をそう呼んでいたという。
ゼンとディアはエミィをさがして近所の町を探索していた。
「エミィという愛称から察するに、本名はエミィリアでしょうか」
「そんなありふれた名前、山ほどいるからキリがないぞ。栗色の髪にカチューシャっていうのも際立った特徴でもないし。せめて何歳くらいかわかれば狙いを絞れるのにあの竜は……」
お前たちは俺を見ておおよその年齢がわかるか? つまりはそういうことだ。
エミィの年頃を訊かれたジュバーはそう答えていた。
戸籍を閲覧しにいったアウグスト大佐の成果を期待しつつ、二人は地道に町をまわっていた。住民の協力で栗毛のエミィには何人か会えたものの、ジュバーの縄張り付近に寄ったという者は皆無であった。
「妙なものですね。竜狩りの僕らが人助けならぬ竜助けをするだなんて」
歩き疲れた二人は小洒落た喫茶店で休憩していた。
昼間の喫茶店でくつろぐ客の大半は常連客とおぼしき主婦と老人。太刀を腰にぶら下げたポニーテールの青年と背中に竜翼を生やした少女は相当異質であった。
「わたしたちは竜を殺したくて竜狩りをしてるわけじゃない」
店の片隅に設置されているジュークボックスを物珍しげにいじるディア。使いかたがわからず表面を延々と撫で回していると、見かねた老人の客が投入口に硬貨を入れて機械を作動させた。ディアの「ありがとうっ」と元気いっぱいのお礼に、老人は貨幣価値以上の充足感を得られた面持ちをしていた。
「竜もヒトも半竜も、なかよしが一番だ」
振り返りざまディアは屈託の無い笑顔をゼンに見せる。
「――って、ゼンは強敵と戦えるのを楽しみにしてるんだっけ」
「竜の初恋に比べればそうでもないです」
珍しく肯定的なゼンにディアは喜ぶ。
「それにしても、竜と人間の恋愛ってありえるのか?」
「ありえなければ師匠は生まれていませんよ」
なるほど、と感心するディアの竜翼がぴこぴこ動く。
「猛竜ジュバーの恋慕が成就するかどうかはともかく、本人の口で想いを告げれば悶々とした恋煩いも解消するでしょう。してもらわないと僕らには打つ手がありません」
「ジュバーが恋した女性ってどんな人だろうな。やっぱ竜に似てるのかな」
「力強い外見の女性だと僕は見当をつけています」
「案外可憐な女の子かもしれないぞ」
竜の恋愛成就に東奔西走する竜狩りの噂はここまで届いていたらしい。壮年の店主がアップルティーといっしょにケーキをご馳走してくれた。アップルティーの甘酸っぱい香りを楽しみながら二人はケーキにフォークを差し込んだ。弾力のあるスポンジが裂け、層になったクリームがこぼれた。
「ジュバーはどんなプレゼント渡すんだろ」
後ろ髪に手を伸ばしてリボンに触れるディア。
過去に思いを馳せるように目を細め、布地の触り心地を指先で確かめる。
目配せを不意に送られたゼンは紅茶を飲むのに専念した。
「ゼンどのにディアどの。ここにいたのですな」
アウグスト大佐がカウベルをうるさく鳴らして入店してきた。
「ついに見つけましたぞ。エミィリア嬢を!」
大佐の太った身体の陰から遠慮がちに頭が出てくる。
栗色の髪の毛にカチューシャ。
ふわっとした頬にあどけなさを残した、10歳くらいの物静かな女の子だった。




