竜の初恋(1/3)
帝都行きの路線で事故があり、列車は再開未定の運休。
ゼンとディアは途中下車した村で七日も待ちぼうけをくらっていた。
「退屈だぞ」
「退屈ですね」
「列車はまだ出ないのか?」
「出ないです」
ここに来た初日、民宿の細君が焼いたクルミパンをディアは絶賛し、おかわりまでもらっていた。小さな民宿を経営する夫婦とのおしゃべりが弾んだのをきっかけにして交流の輪が広がり、ものの数日で地元住民たちと馴染んだ。
猟師に同伴して狩りをしたり、地元の子供たちといっしょに昆虫を捕まえたり、彼女は田舎生活を満喫していた。毎晩泥だらけになって民宿に帰ってきたら必ず「ゼン。列車はまだ出ないよな?」と今とは別の期待をこめて訊いていた。
それは過去の話。
今朝は豆スープにひたしたパンを気だるげにかじっている。アゴを動かすのも億劫といった様子。いくらクルミパンがおいしかろうと、旅の帰途で7日も足止めされればこうなるのも仕方なかった。
古い宿は閑散としており、庭木に休む小鳥のさえずりに心を癒される。老眼鏡をかけた民宿の主人は、空いている席で眠たげにコーヒーを飲みながらラジオのつまみをいじっている。
退屈しのぎにイスを揺らすディア。小さな竜翼を動かして器用にバランスをとっている。
ゼンはバターナイフで丁寧にバターを塗ったパンを口に運ぶ。ぬるいスープもしなびたサラダも均等に食べていく。黄ばんだマグカップを傾けて薄いコーヒーを味わう。
洗濯物を山ほど抱えた細君が早足で通りすがり「お気の毒ねえ。汽車、まだ出ないんですって。ウチならタダ同然だからいくらでも泊まっていってね」と親しげに声をかけて勝手口のほうに行ってしまった。
「なんか面白い話してくれよ」
師に乞われたゼンは目をつぶって考える。
「そうですね……今朝の新聞に載っていた、帝都大学教授の発表した数学論文の概要ですが、あれは長年解法が発見されていなかった――」
「つまらん。次」
「試合を前に突如失踪したテニスの選手が――」
「怖いから次」
「臓物の――」
「次」
「腐乱――」
「面白くて楽しい話って言ってるだろ」
師の要求が理不尽に一段階上がっていた。
「いっそのこと、鉄道事故の現場を見にいってみますか?」
「おっ、いいなっ。じれったいのは性に合わないんだ」
ゼンの投げやりな冗談を真に受けたディアは跳ねるように席を立ち、善は急げとさっそく部屋の荷物をまとめてきた。「そんなにコーヒーが苦いなら、カッコつけずにミルク入れろよ」とゼンの面持ちに何の疑問も感じていなかった。
意外な顔見知りが宿にやってきたのはそのときであった。
何の前触れもなく現れた軍服の男。
アゴが外れた民宿の主人がコーヒーカップを滑り落とす。
「おお、ゼンどのにディアどの。さがす手間が省けましたぞ」
小太りの帝国軍人アウグスト大佐がハンカチで額の汗を拭った。
逆鱗のアークトゥルス以来の再会であった。
ゼンとディアを乗せた帝国軍車両は田舎道を行く。
でこぼこの悪路などなんのその。こぶし大の石ころ程度なら軽々と踏み砕いて走破していく。
ディアは一面に広がるコーン畑の緑まぶしい景色のとりこになっていた。窓から吹き込む強い風を存分に浴びて心地よさそうに目を細め、小さな額をさらけ出していた。
「あの川、何の魚が釣れるんだろうなっ」
反対側の景色を見ようと、隣に座るゼンの膝に乗っかる。
流れゆく景色の中に珍しいものやきれいなものを見つけては彼の服を引っ張り、指で景色の一点を指し示してくる。ゼンの目が指先に向く頃にはとうにそれは流れてしまっているのだが、彼と感動を分かち合うため、ディアは次から次へときれいなもの、楽しいものを見つけ出していく。
「今回の件が片付いたら川で泳ぎましょうか」
「約束だぞっ」
その指をゼンの小指に絡めた。
車内はだいぶ揺れる。
空いたほうの手はゼンの服をいじらしく握り締めていた。
ハンドルを握るアウグスト大佐の微笑ましげな表情がミラーに映っていた。
「この件はどうも特殊な事情で、我々としても解決策を考えあぐねていたところだったのですぞ。そんな折に列車の乗客名簿にあの勇ましき竜狩りたちの名前があるではないか! というわけで、貴公らを迎えにいったわけですぞ」
「『そいつ』は人間の言語を話せるのでしたよね」
「一応のところ。ただ、我々ではまるで相手にされず困っているのですぞ」
「何にせよ、都市部に近いトコまで送ってもらえるだなんてツイてたな。ダメだってわかったら最寄の町で乗合馬車を見つければいいし」
「ディアどの! あんまりな言い草ですぞ」
そんなやりとりをしているうちに現場に到着した。
コーン畑が片側に広がる線路。
ゼンたちを散々足止めさせていた例の事故現場であった。
大勢の軍人が線路の一箇所に集まっており、その前後はバリケードで封鎖され、列車の通行を禁じている。
「警察はどうしたんだ?」
「警察は町のおまわりをしているのがお似合いですぞ」
軍人たちは線路のど真ん中に立ちふさがる巨大な物体を囲っていた。
遠目には落石に見えたそれは、至近距離まで近づくと生き物だとわかった。
竜がうずくまっている。
竜を中心にクレーターができており、周囲の線路は無残に壊滅。爆発的なエネルギーが竜を中心に発生したのがひと目でわかる。近所の農夫の証言によると、突如空から竜がまっさかさまに墜落してきたとのこと。鉄道会社への通報が遅れていたら大惨事は免れなかった。
「軍の本音としては一刻も早く竜を駆除して路線を復旧したいところ。とはいえ、昨今の事情を考慮するに、無闇に竜を殺しては世論をいたずらに敵に回すだけ」
「竜の保護団体が反軍国主義のジャーナリストと結託して批判するでしょうね」
「けしからん輩ですぞ。いやはや」
大佐は憤慨していた。
「竜を殺しちゃダメなら、ますますわたしたちの出番なくないか?」
「貴公らは今や帝国で最も竜に身近な人物。必ずや活路を見出せるでしょうぞ。それにディアどのは半竜ですしな」
無責任なことを言って大佐はゼンとディアの背中を押した。
線路でうずくまる竜の目の前に出る。
鱗の下にずんぐりと脂肪を蓄えたその竜は、爬虫類よりもイノシシやサイに全体像が似ていた。短く太い首。翼は巨躯を飛翔させるためにかなり大型に発達している。下アゴから伸びる反り返った牙が、理性の欠けた猛獣を連想させた。
「おーい。起きてるかー」
ディアが恐るおそる声をかける。
「ケガして動けないのか? わたしたちでよかったら手を貸してやるぞ」
竜の片目が開く。
「ケガはない。病は……しいて言うなら心の病を患っている。お前たちでは到底治せまい。とにかく助けなんかいらないからあっちへいけ」
「元気ならお前こそどいてくれ。そこで寝られちゃ機関車が通れないんだよ」
「もともと地上は俺たちのものだったんだ。そしてこの土地も俺のナワバリだった。だったのだ。なのに車だとか汽車だとか変なもの勝手に作りがやって」
無愛想に言い捨て、開いた目を閉ざしてしまった。
「俺はここで寝るって決めたから寝るんだ。どかせるものならどかしてみろ」
「不貞寝かっ」
近寄って数発蹴り飛ばすディア。
びくともしない。
耳元で大声を叫んだり、背中によじ登って足踏みを連打しても完全無視を決め込んでいる。
それならば、と畑から拝借してきたコーンの葉で鼻をくすぐる。
盛大にかまされるくしゃみ。
突風が直撃したディアは軽々と吹き飛ばされて木の葉のように宙を舞い、なだらかな山なりの曲線を描きつつコーン畑に姿を消した。
「戦車の主砲でもぶちかましてやれっ!」
畑から這い出てくるや否や、握りしめていたコーンを竜に投げつけた。
「やることやったし、わたしたちは帰るからな。というわけでゼン。約束どおり川で泳ぐぞっ。竜の鼻水とよだれまみれで臭くてたまらん。民宿のおばさんからもらった弁当、あとで食べような」
「街に寄って水着を借りてきますか?」
「別にいらないだろ。ほらほら、早く行かないと日が暮れるぞっ」
ディアの頭は沐浴でいっぱい。
いても立ってもいられないといった様子でその場でぴょんぴょん飛び跳ねてゼンに催促している。困り果てる大佐になど目もくれない。
そのとき、竜の眼が突如として見開かれ、憤怒にぎらつく水晶の瞳が現れた。
重い地鳴りの音を響かせて巨体が隆起する。
一対の竜翼が広がって晴天を遮り、地上に影を落とす。
激怒の咆哮。震動する大気。
周囲の軍人たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「仲良く手を繋ぎやがって。許さんぞ!」
大木めいた前足が地面に叩きつけられ、激しい地響きが起こった。




