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冬竜ヒモカガミ(11/12)

 ヘキラの震える手から鞘が滑り落ちた。

 聖剣オーレオールの白刃が音もなく姿を現す。

 はっと息を呑むヘキラ。

 歯を食いしばって戸惑いを殺した彼女はそのまま柄を握った。

 黒き刃。

 白き刃。

 僕らは互いの剣を手にして対峙した。


「ゼンがカガミさまを殺したのか!」


 道場で竹刀を手に向かい合ったことなどいくらでもあった。

 けれど、この瞬間ばかりは今までとは意味が違った。


「黙ってないでなんか言え!」


 顔をくしゃくしゃに潰して泣きじゃくるヘキラ。


「『こんなのぜんぶウソだ』って言ってくれよ!」


 感情の昂ぶりで肩が激しく上下している。

 頬に沿って走り、あごの先からしたたる大粒の涙は、こぼれるそばから吹雪がどこかへとさらっていく。


「ヘキラの眼に映るものが真実です」


 僕の返答に彼女は絶句した。

 やわらかい唇が小刻みに震えていた。

 ヘキラは叫び声を上げながらカタナを振りかぶった。

 激情に身を任せたがむしゃらな攻撃を『善』で受け止める。

 鉄と鉄がぶつかり合い、振動が骨を伝う。

 一旦腕を引っ込めたヘキラは、今度はカタナを真横に払う。速度を犠牲にした重い一撃が、カタナで受け止める僕の腕を震わせた。

 僕よりも背が高いとはいえ華奢な少女の身体であるのには変わらず、ヘキラはカタナの重さに振り回されている。筋力が明らかに足りていなくて軸足がぶれ、太刀筋は弱々しく波打っている。

 善とオーレオールがぶつかるたび、甲高い音が鳴り響く。

 稽古のときもそんな猪突猛進な戦い方だったから攻撃を捌くのには慣れていた。いつもと異なるのは、まぐれの一太刀が死に直結することだ。僕とて素人だから、普段のようにわざと負けてやるだなんて真似はできない。

 鍔迫り合いで互いの距離が密着状態になる。

 ヘキラの泣き顔が眼前に迫る。

 こぼれた涙が垂直に落ち、雪を穿つ。

 目のまわりは腫れぼったく、瞳は潤み、まつげは凍り、嗚咽に肩を上下させている。失望や怒りといった負の感情がオーレオールを介して伝わってくる。


「わたしとゼンは大人になったら結婚して夫婦になって、家を継いで、子供を産んで……そんなふうにしあわせになれると思ってた。なれるって信じてた。なのにオマエは!」

「ヘキラの――」

「どうしてゼンはそんなことを平気でできるんだ!」

「ヘキラの思い描く未来に、兄さまはいましたか」


 ヘキラの動きが急に止まった。

 うろたえ、よろめきながら後ずさる。


「僕の未来にはいました」


 狼狽して隙をさらしたヘキラに逆袈裟の一閃を浴びせた。

 弾き飛ばされたオーレオールは縦回転しながら宙に弧を描く。

 上空に手を伸ばしたヘキラ。

 その身体がぐらり、不自然に傾く。

 そして、僕の視界から彼女は瞬時にして消えうせた。

 地面だと思っていた崖際の雪を踏み抜いてしまったヘキラは重力に抗うすべもなく、聖剣もろともまっさかさま、崖下に落ちていった。

 手を伸ばす彼女の動きが水中にでもいるかのように緩慢に見えていたというのに、足元が崩れた瞬間、無慈悲にも世界は加速し、僕が反応するよりも圧倒的に早く彼女の姿は消えてしまった。

 手足をついて崖下を覗く。

 暗黒の深淵が貪欲に大口を開けている。

 底知れぬ暗闇に白い吹雪が狂ったように乱舞している。

 いくら目を凝らしても姿かたちはどこにもなく、どれだけ呼びかけようが返事をするのはやまびこ。ヘキラもオーレオールもとうに深淵の餌食になっていた。

 兄が危篤に陥り、竜が死に、ツバキが散った。

 残されたのは黒き剣を携えた僕だけだった。

 ヘキラはいつも僕につきまとっていた。

 読書や勉強の邪魔をされるのは日常茶飯事で、屋敷に遊びにきてそのままいっしょに食事をするのも数え切れないほどあった。かけっこや道場での練習試合で適度に負けてやらないと機嫌を損ねて八つ当たりをされた。つい最近まで無理やり風呂にも付き合わされていた。風邪を引いたときは一晩中看病してくれて、村の外におつかいに行くときはお守りをくれて、兄さまの具合が悪いときは僕の心情を察して慰めてくれた。医者を目指す僕を守るため、剣士になると言ってくれた。


「ゼン」


 押し寄せる思い出の波に身をゆだねていると、背後から誰かに声をかけられた。


「そんなトコにいつまでもいたらゼンまで落っこちるぞ」


 水晶の瞳の少女。

 背中に退化した竜翼を生やしていて、異形のバイオリンケースを抱えている。

 師匠だった。

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