冬竜ヒモカガミ(10/12)
「祭りの日までまだ遠かろう。ひとりで来たのか。勇敢な男児よ」
ヒモカガミに招かれ、抜き身のカタナを持ったまま近寄る。
間近にして、この竜が人間社会から排除された理由がはっきりとわかった。
腐葉土と樹脂をこね合わせた、出来損ないの化け物。
そんな醜悪な容姿。
奇病に冒されたかのように鱗はただれた模様をしていて、しかもあちこちに大小のこぶができている。皮膜がところどころ破れた竜翼は飛行能力を有しているのか疑わしい。胴体と比較してやたらと大きい頭部がとにかく致命的に不恰好で、水晶の瞳の美しさをかえって際立たせている。竜というよりも、悪夢に現れる悪魔を彷彿とさせる。
「寒かろう。私のふところに入って吹雪をしのぐといい」
冬竜ヒモカガミの善良性の証明は、ヒトの子供をかわいがる声色だけだった。
「昔はもっと、そう、月の隠れた夜であろうと度胸を試しに子供たちが来たものよ。近頃はそういった子供もいなくなって、このまま孤独に死すのを覚悟していた。身に余る余生を過ごせたばかりか、末期までも幸運に恵まれるとは」
重い音を立てて長い首が曲がり、水晶の瞳ふたつが僕を正面から見据える。
「私が怖かろう。だが、天寿の全うを前にした老いぼれへの情けだと思って、もうしばらく話し相手になってくれないか」
長い胴体を横たえ、首としっぽで輪を作って僕を囲む。
破れ目だらけの竜翼が頭上にかぶさってフタをする。
竜は変温動物に属するため、肌のぬくもりといったものは伝わってこない。吹雪が遮断されていくらかマシになったものの、極寒の只中にいるのには変わりない。
「他者との理解を阻むこの醜き肉体に、かつて私は呪われていた」
狭い空間で竜の声がこだまする。
「あらゆる行為が裏目に出て悪と断じられ、人間どころか同胞にまで排斥されてきた。そんな邪魔者扱いされていた私をそなたらは友として迎えてくれた。氷面鏡という立派な名前で忌まわしき呪縛から解放してくれた。この里こそ私の楽園――終の棲家であったのだ」
分厚いまぶたが水晶の瞳を半分ほど覆う。
「眠い。抗い難き眠気だ。間もなく私は寿命を迎える。多くの竜が闘争の果てに死する中、ああ、なんと幸福なのだろう。安息のうちに永眠を迎えられるとは。ヒトの子供よ。私が死した後、里の大人たちに遺言を伝えてくれないか。このヒモカガミが感謝していたと。ヒトと竜に友情は成り立つのだと」
視線が僕のカタナに移る。
「里に降りる前に、少々手間だろうが、その太刀で私の眼を切り落として持ち帰るといい。ヒモカガミが自分に託したのだと主張するのだ。竜の瞳や鱗は高値で取引されている。曾孫の代まで不自由はあるまい」
まぶたが完全に落ちて水晶の瞳を隠す。
「私の愛したヒトよ。私を愛してくれたヒトよ。そなたらの悠久なる旅の息災を私は天より祈ろう」
ゆったりと上下していた腹の動きが止まり、空洞を風が吹き抜けるような鼻の呼吸も聞こえなくなって静かになった。屋根の役目を果たしていた竜翼がずれ落ちて、灰色の空が頭上に現れた。
カガミさまは死んだのだ。
僕が外に出ると、カガミさまの身体の間接が折れてぐしゃりと崩れた。
外気の寒さに身震いする。
依然として吹雪が吹き荒れている。
そんな荒れ狂う白い世界でも、ツバキを思い起こす赤い色は目立っていた。
「ゼン、お前――」
僕と竜の死体を前にして、赤髪の少女がカタナを抱いて震えていた。
「カガミさまを殺したのか!」




