冬竜ヒモカガミ(7/12)
この日は晴れていて比較的暖かい日だったから、僕とヘキラ、兄さまの三人で近くの丘まで遊びにいった。解けた雪と泥が混じった汚い道を避けて、薄く積もった新雪の上を歩いた。新雪の踏み心地が気に入ったヘキラが先陣を切り、道しるべの足跡を残していった。
丘の上に着く頃には身体も温まっていて、冷気をまとったそよ風に僕らは身を委ねた。
見晴らしのよい、晴れ渡る空の下に広がる冬景色。
見渡す限りに広がるとげとげした針葉樹林。
景色の最奥に横たわる雪かぶりの連峰が里を外界から隔絶している。
中腹にぽつんと孤立している小さな建物はカガミさまを祀るほこら。
林の古い道を通って果てしなき石段を登り、ほこらに至ればカガミさまに会える。もっとも、ほこらへの接近は祭事以外は禁じられていて普段は封鎖されている。よしんば通れる日だったとしても僕を通してはくれまい。
「ゼンが最後にカガミさまに会ったのっていくつのときだっけか――っておい、寒くて腹でも壊したか?」
エンジュの根元でしゃがむ僕の顔を兄さまが覗いてくる。
「へえ、こんな寒いところでもがんばって咲こうとしているんだな」
兄さまも僕の隣に並んでしゃがみ、いっしょに観察しだした。
雪に埋もれながらも懸命に芽吹く新芽。
ゲンゲッカの芽だ。
ノコギリ状で、しわのついた特徴的な葉。
文献の口絵を毎日眺めていたから、視界の端にちらついただけでわかった。
ゲンゲッカの芽だと僕に教えられた兄さまとヘキラはとても驚いていた。
ヘキラも寄ってきて僕のそばで屈む。
「この芽を摘んで屋敷で育てるべきでしょうか」
「ゼンの兄さまの病を治す薬ができるのかっ!?」
「うまくいけば」
「えーっと、ゲンゲッカはあったかいところでしか咲かないんだよな」
「屋敷なら春の気候に近い温度に保てるはずです」
「育てかたとかわかるのか? かえって枯らしちゃうんじゃないか?」
「信じようぜ」
あれこれ相談していた僕とヘキラに兄さまはそう言った。
「こんな雪が降る季節に土の中から頭を出したんだ。きっと花だって咲かせてくれるさ。なんだかこいつに元気を分けてもらった気がするぜ」
兄さまは両手を新芽の上に覆い被せ、まわりの雪をそっとどけた。
茶色い土がむき出しになる。
ゲンゲッカの芽は確かにそこから頭を出していた。
固い大地を破り、降り積もる雪に抗って葉を広げ、精いっぱい日光を浴びていた。そのいじらしさに感化されたらしい兄さまは、ヘキラがじれったがるくらい長い間、ゲンゲッカの新芽を見つめていた。
その日からゲンゲッカの芽を観察するのが日課に加わった。
三人で丘まで散歩をして、エンジュの傘の下で背を伸ばす健気なゲンゲッカを見守った。成長記録を毎日つけていたからインクを毎週のように切らし、羽ペンも何本もダメにしてしまった。
ゲンゲッカの芽が成長するにしたがって、兄さまの病状も回復していった。床で横になっているのが常であった日々がウソのように、兄さまは常に僕のそばで笑っていた。