冬竜ヒモカガミ(4/12)
50年ほど昔だという。山にカガミさまが訪れて、僕らが暮らすふもとの里に永遠の冬がもたらされたのは。
季節を狂わされて作物は枯れ、酷寒と飢餓により里に甚大な被害がもたらされたと古い文献にはあった。終わりなき冬を生き抜くための方法を模索する過程で、村は多くの犠牲を払ったという。大人たちが口をつぐむ負の事実を僕は知ってしまっていた。
カガミさまがいなくなれば再び春が訪れ、野にはゲンゲッカが咲く。
そうすれば兄さまの病を治す薬を調合できる。
「さすがはゼン。よく勉強しているな。お前たぶん、村で一番頭いいぜ」
皮肉った兄さまは困った様子で溜息をつく。
兄さまもおじいさまと同じ表情をしていた。
厄介ごとを忌む表情だ。
「ここでひとつ、昔話をしよう」
「いきなりですね」
「ゼンが8歳になるまで添い寝して昔話聞かせてやってたろ。悲しきかな、今はその立場も逆転しちまった」
水で喉を潤した兄さまは、布団から這い出て柱に背中を預けながら語りだした。
「むかしむかし、あるところに悪事を働く悪い竜がいた」
「邪竜ロッシュローブ」
「出鼻をくじくなっ! って、なんだ、知ってるんじゃねえか――悪さをするのが大好きな邪竜ロッシュローブは町を焼き、人を食らい、好き勝手に暴れていた。あの帝国軍ですらロッシュローブの悪行には手を焼いていたんだ」
「それがどうしたというのです」
「話は途中だぜ――もう一匹、アヴィオールという竜がいた。他者を思いやる心を持ったアヴィオールは、人間に味方してロッシュローブと戦ってくれたんだ」
ロッシュローブとアヴィオールの戦い。
その顛末は僕も文献で知っていた。
長きに渡る死闘の末、アヴィオールは邪竜ロッシュローブを撃退した。
アヴィオールは邪竜の暴虐から人間たちを救った……はずだったが、瘤だらけの醜悪な外見が災いして、今度はアヴィオール自身が人間たちの恐怖の対象となった。自分の居場所がないことを理解したアヴィオールは、人間社会と距離をおくため何処かへ飛び去ったという。
僕の知らないそこから先の話を兄さまは続ける。
「辺境の山に身を寄せて失意に暮れていたアヴィオールは、山を縄張りにしていた黒狼の群れを駆逐したのをきっかけに、ふもとの村と交流するようになったんだ」
どさっ、と重いものが落ちる音がした。
屋根に積もっていた雪が落ちたのだ。
しんしんと降り積もる雪のかけらの影を障子越しに眺め、木々の枝や家屋の屋根から雪のかたまりが落ちる音に耳を傾け、かじかむ指先を火鉢にかざして夜を過ごす。僕たちは生まれたときからそうしてきた。
「アヴィオールのおかげでヒトを襲う黒狼はいなくなり、竜を怖れて賊までも近寄らなくなった。村人たちはアヴィオールを神さまみたいに崇めるようになった。厳冬と共にやってきたアヴィオールを村人たちはこう呼び親しむようになったんだ」
いったん言葉を切った兄さまは、お椀に注がれた水を口に含む。
その先に続くであろう台詞は僕が継いだ。
「冬竜――氷面鏡」