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冬竜ヒモカガミ(3/12)

「カガミさまへの無礼を口走ったそうだな」


 おじいさまが険しく問い質す。

 年老いて頭は禿げ、眉も白い。

 いたるところに深いシワが刻まれているのは老齢のためだけではない。

 どうしたものか、と言いたげにおじいさまは眉根を寄せてキセルを吸う。思いあぐねる心境がくゆる煙に表れていた。

 キセルで火鉢を叩き、硬い音を鳴り響かせる。

 終始口をつぐんで微動だにしない僕との根競べに負けたおじいさまは、ついに諦めがちにかぶりを振った。


「畏れ多いことを」


 僕が自主的に剣術の稽古をしているのを喜んでいた反動か、おじいさまの失望は深かった。老いてはますます(さかん)なるべし、を信条としていたはずのおじいさまは、せき止めていた時の流れを決壊させてひどく老け込んでいた。

 夕食の抜きの罰を下された僕は長い説教から解放された後、自室でわらじのほつれを直して寒さと空腹を紛らわしていた。

 薄暗がりの部屋を見渡す。

 隅には布団。刀掛けにはカタナ。水墨画のそばにスミレの花がしとやかに生けられている。机にはペンとインクのみならず筆や硯まで揃えられていて、書架には学問全般に関係する書物が上から下まで隙間なく納められている。次男にあてがわれた部屋にしては広くてぜいたくだった。


「ゼン、入っていいか?」


 障子越しに枯れた声がした。

 白い障子に映る背の高い、細い影。

 僕の「どうぞ」の後に障子はゆっくりと引かれた。

 白い雪に照り返される月明かりの逆光で、その人は黒い影になっていた。まるで輪郭に沿って存在を切り抜かれたような、魂の希薄な感じがした。目を凝らしてわかったやさしい笑みも心なし儚げだった。


「兄さま。(とこ)から出て平気なのですか」

「かわいい弟がひもじい思いをしていると思うと、いても立ってもいられなくなったんだ。今日は何して叱られた? またヘキラのイタズラに付き合わされたのか? そんな体たらくじゃ将来尻にしかれるぜ」

「いろいろとあったのです」

「なるほど。いろいろとね」


 わざとらしくそう言いながら僕のそばに腰を下ろし、じろじろと顔を見ながら無精ひげを指でもてあそぶ。他に伝えるべきことがあるらしい。兄さまはそれ以上、おじいさまの説教に関して言及しなかった。

 袖に隠していたまんじゅうを僕の手に握らせる。


「帝都の古書店から書簡が届いてな。お前の読みたがっていた本草学の文献、やっとこさ取り寄せられたそうだ。一人旅の武者修行なんてどうだ?」

「結構です」

「おや、意外な返事だ。将来のお嫁さんを残して異国に行くのが嫌と見た」


 兄さまは誰かを――特に僕やヘキラをおちょくるのを生き甲斐にしていた。

 飄々とした性格の兄さまと本当に兄弟なのか、僕はときたまヘキラや大人たちに疑われる。兄さま本人にも、机に向かって勉強していると「ゼンはホントに俺に似てないなあ」と感心しながらからかわれる。


「僕は兄さまが心配なのです」

「俺? まさかの俺かよ!」


 自身を指差した兄さまは、それからおかしそうに大声で笑った。

 その途中「ぐっ」とうめき声を上げて屈みこんで、胸を押さえながら激しく咳き込みだす。

 ちょっと笑いすぎた、とおどけてみせようとするも、僕に背中をさすられてしばらく経つまで発作は続いた。(たん)の混ざったような濁った咳に耐えかねた兄さまは僕の敷いた布団に横たわっていた。


「すまん」


 天井を仰ぎながら兄さまは短く謝った。


「ゲンゲッカをご存知ですか」

「……いや」

「里に四季が巡っていたころ咲いていたという薬草です。煎じて飲めば万病をたちどころに治癒すると言い伝えられています」

「お前、だからカガミさまを」


 上体を起こした兄さまは僕の肩を強く掴んで、


「思い直せ」


 真剣な目つきで諭してきた。

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