冬竜ヒモカガミ(2/12)
その頃の僕は幼くて無知で未熟で、愚かだった。
「めずらしいなっ、ゼンが剣術の稽古なんて」
薄く雪の積もった庭で竹刀を振っていた僕に、ヘキラはそう話しかけてきた。屋敷の廊下をうるさく鳴らす足音で、彼女が来るのはあらかじめわかる。僕と遊びたいがため廊下を突進する彼女は、しばしば女中を転ばせて父さまに叱られているのだ。
縁側から草履を履き、飛び石を渡って近づいてくる。よくそんな身軽な動きができるものだと感心していると案の定、積雪のせいで滑る石に姿勢をくずした。ヘキラは両手をばたつかせてあがくも、甲斐なくしりもちをついた。
手を差し伸べる。
ひっくり返って痛そうに尻をさすっていたヘキラは、照れ笑いを浮かべながら僕の手を取った。伝わってきた彼女の体温がかじかむ手をほぐした。
真っ赤な髪。
真っ赤な着物。
真っ赤な彼女は真っ白な雪にひときわ映える。
ヘキラの色は生垣のツバキを思い起こさせた。
「お医者さまになるの、やっと諦めたのか」
「諦めたわけではありません」
「まあ、カタナが使えてはじめて一人前の男子と認められるからな」
「そんな狭い既成観念に捕らわれるつもりもありません」
「きせ……? まったオマエは小難しい言葉を使いやがって。頭ばっかり栄養がいってるからそんなへなちょこな身体してるんだぞ。今度わたしが直々に稽古してやる」
赤い髪と着物も目を引くが、とりわけ目立つのがいつも抱きかかえている一振りのカタナ。女の子で帯刀を許されているのはヘキラだけだ。
「剣術で女房に負ける旦那なんて恥ずかしいだろ」
「女房? 旦那?」
「じいさまから聞かされてないのか。わたしとゼンは婚約してるんだぞ」
初耳だった。
ヘキラが密着してくる。
隣に並ばれると、彼女のほうが少しだけ背が高いのがわかる。
白い吐息が耳元をくすぐる。
「わっ、わたしとゼンは大人になったら結婚するんだ」
産毛が触れるくらい間近にいるヘキラの頬が赤らんでいる。
「あと10年だ。わたしはちょっとだけ先に大人になるから、ゼンもとっとと大人になれよ」
手のひらを水平に滑らせて身長を比べるヘキラ。
僕の頭のてっぺんから滑らせた手のひらは彼女の額にぶつかった。
「ゼンは家の跡取りになって、わたしはそんなオマエ支えていく。オヤジや母さま、じいちゃんばあちゃん、それよりもっと昔のご先祖さまたちがそうしてきたようにな」
「家の跡取りは兄さまです」
ヘキラの顔がこわばる。
気まずくなったのだろう。景石に腰かけたヘキラは話題を変える。
「ゼンはどんな風の吹き回しでカタナの稽古をはじめたんだ?」
「竜を狩るためです」
「りゅっ、竜っておい……どこの竜を狩るつもりだっ!」
ヘキラが詰め寄ってきて早口で問い質す。
僕は竹刀を脇に置き、自分のカタナを手に取る。
鞘から少し抜く。
息を呑むほど冷やかな刀身が姿を現す。
曇りなき白刃にヘキラの赤が映る。
ひとひらの雪が刃に舞い降り、儚く解けた。
「カガミさまを倒し、里に続く永劫の冬を終わらせます」
雪をかぶっていた生垣のツバキがぽとりと落ちた。