家族のありかた(2/2)
自業自得とはいえ怪我人であるのには変わらず、部屋を追い出された哀れな隻眼の友人にゼンはベッドを貸すハメとなった。
「謝りにいくのなら僕もついていきますよ。マブダチとして」
「やっぱ持つべきものは友だぜ――と言いたいところなんだが、玄関にカギかけられてるせいで打つ手なしなんだよ。ルイーズのやつ、完全にふてくされてやがる」
ベッドであぐらをかき、腫れた頬に氷嚢をあてている満身創痍の団長。隣のベッドに腰かけているディアがバカな男を見る冷ややかな目つきをしているため、先ほどからずっと彼女から目を背けている。
「帝都に来て仕事始めて、ルイーズの世話もなんとかできるになってさ、なんか成長したなって思った矢先にこれだ。ダメだな俺。特にこのケンカっ早い性格どうにかしねえと」
「そのケンカもめっぽう弱いときてますし」
「なら試してみっか?」
ゼンの罠にまんまとかかってしまった団長は、鬱憤を枕に発散した。
ルイーズを独りぼっちにするわけにもいかないため、ゼンは渋る団長を引きずって彼の部屋の前まで行った。玄関のドアをノックして自分の名を名乗ると、彼女は半開きにしたドアの隙間から彼らを覗き見てきた。
団長は「ごめんな。俺が悪かった」と全面的に非を認めて謝り倒したかと思いきや「ルイーズはおりこうだな」とおだてたり「おなか減ったろ? ドーナツ食べような」と食べ物で釣ったりして、ご機嫌ナナメな彼女の篭絡に手を尽くす。
ルイーズは疑り深げにこう訊いてきた。
「もう一生お酒飲まない?」
「えっ」
無慈悲に扉が閉ざされた。
即答できなかった彼が部屋に入れたのは、結局翌朝になってからであった。
噴水広場のベンチに腰かけている団長がゼンの隣で深い溜息をつく。
「正直言うと、逝っちまった女房とも上手くいってなかった。情けないことに、仲直りできたのはゾスカに食い殺される最期の瞬間だった。俺がヤツを殺したくてたまらなかったのは、それも原因だったんだろう」
紅葉した落ち葉が広場全体を秋色に染めている。
広場ではさすらいの道化がジャグリングを披露しており、その近くでは若い男が女の子に囲まれながら得意げにギターを鳴らしている。だが、陽気なパフォーマンスもしっとりとしたギターの演奏も、団長にとっては何の慰めにもなっていない。
拾い上げた落ち葉の芯をつまんでくるくる回している。
裏、表、裏、表、裏、表……。
濃淡の異なる両面の入れ替わるさまに、ぼやけた魂が吸われている。
金を出しあって買った白身魚のフライはゼンが黙々とむさぼっている。
石畳の地面にこぼれた衣のくずを小鳥たちがついばむ。
「ルイーズ、怒っていましたね」
「わかってるっつーの」
「期待の裏返しでもあるのでしょう」
「それもわかってるつもりだ」
ベンチの背に力なくもたれ、隻眼の青年は快晴を仰ぐ。
「期待に応えたい。応えたいに決まってるだろ。でも、どうやってだ? 俺は確かに大人だ。大人だよ。ハタチなんてとっくに過ぎてんだからな。けどそれは、生まれた日を20回過ぎただけだ。本当の意味で大人にならないと俺はルイーズに父親として、いや、それ以前に大人としても認められないんだ」
「本当の意味での大人とは」
「それがわかんねえから困ってんだろ」
ベンチに座る二人に大きな影が落ちた。
影の持ち主がグスタフ警部とわかるや団長は冷や汗を垂らした。彼がしおらしくなっている理由を勘違いした警部は「反省してるようでなによりだ」と気さくに話しかけてきた。
後ろには妻子。
走りよってきた娘を抱き上げる警部。娘は太い首に腕を回して父親に甘える。隣では美人の細君が微笑んでいる。
そんな理想的な家族の姿に目をくらまされた団長はますます腐っていく。
「警部さん偉いよ。俺みたいなタチの悪い連中を相手にしながら家族を養ってくだなんて」
「かつて通った道だからな。お前たちの気持ちはよくわかるんだ。俺だって警官になる前はポーカーで親の仕送りを全額すったり、腕っ節の強さが男の証明だと信じてケンカに明け暮れたものだ」
細君が他所向けの苦笑いをしている。
「なあ、警部さん。アンタが大人になれたのはいつだったんだ?」
「初めて酒を飲んだとき……いや、タバコを吸ったときか……それも違うな。あんなの大人ぶってる子供のやる真似だ」
警部はアゴに手をあてながら考えを巡らせる。
「胸を張って大人だと言えるようになったのは、自分本位をやめたときだな」
「父親になったのを自覚したのは?」
眉根を寄せて再び熟考。
「趣味のビリヤードを捨てたときだ」
あっけらかんと言ってのけた警部は、その代償に手に入れた宝物を抱きしめた。
今日の晩餐にはゼン、ディア、団長、ルイーズの四人が集った。
テーブルの四隅がちょうど埋まるかたちとなり、食卓は普段より賑やか。なけなしの食費を出しあってつくったグラタンもその場を華やかにするのに一役買っていた。
むしろ今晩の主役であった。
ホワイトソースの濃厚な香りと表面に振りまかれたパウダーチーズの焦げ目が彼らの食欲をうんと促した。
団長がグラタンを取り分けた小皿をルイーズに渡す。
スプーンでひとさじすくったそれを口に運んだルイーズの顔がみるみる輝いていく。かりかりに焼けたチーズを夢中でかじり、エビやブロッコリーを次から次へとスプーンですくっていき、口まわりをホワイトソースで汚していく。彼女は団長とゼン特製グラタンのとりこになっていた。
うっとりと目を細める。
「ほっぺたが落ちそう」
「だろっ?」
「お料理じょうずだったんだね。しらなかった」
「実はゼンに教えてもらったんだ。一朝一夕にしてはスジがいいだろ?」
団長は得意げに鼻をかいた。
ディアは一瞬でからっぽにしてしまった自分の小皿をもの悲しげに見つめている。無言の圧力を感じたゼンは、まだ手をつけていない自分の小皿を彼女のほうへそっと寄せた。ディアの水晶の瞳が輝きを取り戻した。
「家事はほとんどルイーズまかせだったからな。これからは俺も料理つくってやるぜ。ゼンにいろいろレシピ教えてもらってさ」
「ほんと!? やったあ! お兄ちゃんもありがとう」
「めいっぱい彼に甘えるといい」
終始にこにこ。
ルイーズは心底しあわせそうだった。
当然であった。
彼女はまだ年端もいかない子供。
半竜のディアとは違う、紛れもない幼子。
無償の愛と手料理で育つ年頃。
いわばこのグラタンは、団長とルイーズが家族になるための第一歩。
ほっぺたが落ちるのも当然といえよう。
「ごちそうさまでした」
ゼンが故郷の作法にならって手を合わせる。
釣られて他の三人も手を合わせた。
大皿はからっぽ。小皿にこびりついたホワイトソースもパンで拭ってきれいになっている。マカロニのかけらすら痕跡を残していない。皿洗いの必要などないくらい、グラタンは四人の胃袋に収まってしまっていた。四人のささやかなパーティーは大満足のうちに幕を下ろした。
「次は何が食べたい? ルイーズの好物なら俺がいくらでもつくってやるからな。へへっ、腕によりをかけて」
「えっと、えっと……じゃあ、シカのお肉が入ったスープ」
「シカ肉のスープだな。ゼンと鹿狩りにいってくるから楽しみに待ってな」
「ニンジンもいっぱい入ったやつ!」
「ニンジンな。市場で赤くてきれいなやつ選んでやるぜ」
「キノコもね」
「はいはい、キノコな」
「でも、それよりもね」
ルイーズは恥ずかしげに膝の上で両手を揉んでいる。
上目遣いで、はにかみながら。
「遠慮せず言ってみな。お前の願いならいくらでも叶えてやる」
「もっといっしょにそばにいて。お話したいの」
「そんなのでいいのか?」
「独りぼっちはさびしいもん」
愛くるしくてしかたがない。
団長はルイーズのクセっ毛頭をかきなでる。
くすぐったそうに身をゆだねるルイーズは無邪気に彼に甘えている。『そんなの』と言い捨てられたものは、この女の子からすれば、かつて彼方に霞むまぼろしだったのだろう。少なくともゼンにはそう映っていた。
「わがまま言ってごめんなさい」
「もっと聞かせてくれ。ルイーズのわがまま」
「おこらない?」
「それが俺の役目なんだからな。……その代わり、酒はちょっとくらい飲ませてくれよ?」
「いいよ」
同居人の許可を得た団長は意気揚々、席を立つ。
「よしっ、今夜は酒場に連れてってやるぜ」
「いい加減にしろどアホ!」
ディアの飛び蹴りが炸裂した。
〈『家族のありかた』終わり〉