家族のありかた(1/2)
うら寂しい黄昏時。
意匠の凝った建物が軒を連ねる繁華街とはうって変わって、中流層から下流層までの地元住民に親しまれる商店街は数段地味であった。
昔ながらの肉屋や雑貨屋、貸本屋が古びた木造の店舗で営まれている。
常連と立ち話しているエプロン姿の店員。
営業そっちのけで飼い犬にエサをやる田舎娘。
水にひたしたブラシで壁の汚れを落とす親子。
せわしない現代で、ここだけが旧世紀の時間の流れが続いている。
ゼンが鍛冶屋の前を通りすがったとき、店先で皮をなめてしていた頑固店主の女房が「あら、こんにちは竜狩りさん。釘は足りてるかい? また天井に穴空けたらウチにおいでよ」と愛想よくあいさつしてきた。ゼンの声を聞きつけて現れた頑固店主が「包丁研いでやるから今度持ってこい」とガラガラ声でどなった。
「よっ、夕飯の買い物か?」
肩を叩かれて振り返ると、眼帯の青年が馴れ馴れしい距離に立っていた。
タンクトップとオーバーオール姿で、汗を吸ったタオルをかけている。
「団長は仕事帰りですか」
「もうくたくただぜ。こういうときは風呂で汗を流してから酒に限る」
「ルイーズとの二人暮らしには慣れましたか?」
「まあな。それにしても、まさかこんな親子みたいな生活を送ることになるだなんて思いもよらなかったぜ。一角竜ゾスカを倒すあの日まで、ルイーズはただの近所の子供だったんだからな」
団長は感慨深げに眼帯に手を触れた。
団長の妻はゾスカに食い殺された。
仇討ちの執念と竜の生贄選びの責任に苛まれていた団長は、ルイーズを連れて帝都に引っ越してきて以来、憑き物が落ちたかのようにまっとうな生活を送っていた。カンヅメ工場で汗水たらして労働し、貧しいながらもルイーズを養っている。
「おーい、迎えにきたぞー」
近所の公園でルイーズがボール遊びをしていた。団長が迎えにきたのに気づいた彼女は、友達に別れを告げて彼のもとへ駆け寄ってきてマメだらけの硬い手を握った。
学校帰りのルイーズと仕事帰りの団長はいつもここで待ち合わせしているのだとゼンは聞かされている。ゼネラルストアに買い物をしにくるゼンともよく鉢合わせるため、皆で家路に着くのはたびたびあった。
「この時代、女の子だって勉強が大事だ。カネは俺がしっかり働いて稼いで、ルイーズには不自由なく学校に通わせてやりたいんだ」
クセっ毛頭を団長になでられたルイーズは気持ちよさそうに目を細める。
「今日は算数を教わったの」
「将来は学者さんだな。大学の学費、ちゃんと貯金しとくから安心しろよ」
「弁護士になって師匠の借金を帳消しにしてもらいたい。切実に。頼む」
「う、うん。がんばる」
「相変わらずアンタ、お嬢ちゃんのことになると突然真剣になるのな」
貧困層居住区の集合住宅に帰ってきたゼンと団長はディアにルイーズを預け、近場の酒場へと足を運んだ。
道中、紙袋を抱いたカタリナに会った。
チョコレートの香りが漂ってくる。
「あ、ゼンくんに団長さん、こんにちはー」
カタリナは紙袋に手を突っ込んで、ほかほかのドーナツをむさぼる。
「お店番が終わったんで……モグモグ……ノキアの新刊を買いに本屋へ行くつもりだったんだけど……ムグムグ」
「食べながらしゃべるな」
「途中で新しく開店したドーナツ屋さんがあってね、甘い誘惑にうっかり負けちゃったんだ。おこづかい、すっからかん」
「意志薄弱はなはだしい」
ドーナツを無理やり詰め込んでほっぺたをリスみたいに膨らませたカタリナは、残りのドーナツを紙袋ごとゼンに押しつけた。
紙袋の中を覗いた途端、むわっと立ち昇ってくる甘ったるいにおい。
合成着色料で虹色に彩られたチョコレートドーナツは、視覚と嗅覚の暴力でゼンを滅多打ちにした。
「ドーナツのおすそ分け。チョコのトッピングたっぷりで甘くておいしいんだよー。ディアちゃんとルイーズちゃんにもあげてね」
ポーチから出したジェリービーンズの袋片手にカタリナは路地の角に消えた。
カタリナと別れてすぐ、今度はノーラに出会った。
「これはこれは幸運なめぐり合わせ! 学校で郷土料理に関する課題が出ちゃってほとほと困り果てていたのですよ。団長さん、ご都合のよろしいときに取材させてくださいっ」
「いつでもいいぜ」
「さっすが団長さん。男前なお返事です。ゼンさんもちょっとは見習うべきですよ。それではノーラはこれにて退散いたします。ごきげんようっ」
手帳に明日の予定を書き記したノーラはオートバイを駆って去っていった。騎士の御旗のごとく制服のスカートをなびかせて。
道すがら公衆浴場で汗を流し、それから酒場へと至る。
せっかくカンヅメ工場の油を落としたというのに扉を開けた途端、ガーリックのきつい匂いが二人にまとわりついた。食欲を刺激されたらしい団長はさっそく壁際のテーブルを陣取って酒と肴を注文した。
仕事終わりの男たちで盛り上がる酒場。談笑が絶えない。繁華街のバーのような上品さは欠けているものの、団長にとってはこの大衆的な雰囲気の方が肌に合っているとのことであった。
「少し飲んだら帰りましょう。師匠とルイーズがおなかをすかせて待っています」
「へいきへいき。夕飯はルイーズがつくってるって」
「まさか、普段からこうなのですか?」
「たっ、たまにだよ、たまに。ルイーズだって多感な年頃の女の子なんだから、ひとりでいる時間だって必要だろ。アンタは過保護なんだよ。お嬢ちゃんはアンタの所有物じゃないんだから、つかず離れずの距離もときには大事なの知っとけよ」
言い訳めいたことを言っていたとき、ちょうど注文の品が運ばれてきたので、これ幸いとばかりに団長はぶどう酒のグラスをゼンに勧めた。
「後のことをいちいち気にしながら飲む酒なんてまずいだけだぜ。ほら、飲めよ。その堅っ苦しい顔を今日こそくずしてやるからな」
ウィスキーを一気にあおる。
ゼンはぶどう酒のグラスに口をつけて傾けた。
「それと、その他人行儀なしゃべりかた、いい加減やめようぜ。俺たちは共にゾスカを倒したマブダチなんだからさ」
「僕のあずかり知らぬところでそんな間柄になっていたとは」
「言葉で交わさなくたってわかるだろ?」
肩をぽんぽん叩く。
団長の顔はすでに熟したリンゴになっていた。
グラスをテーブルに置いたゼンはこう言った。
「ではマブダチとして警告しておきます。その一杯で帰らなかったらカタナの柄で殴って気絶させてでも連れ帰りますので」
「ははっ『いっぱい飲んで』いいってか?」
「……」
「お、おうよ……。男に二言はない。一杯だけだな、一杯だけ。ったく、そんな睨むことないだろ」
団長はスモークチーズを引きつる口に運んだ。
カンヅメ工場の仕事は最初こそ退屈だったが、他の従業員と仲良くなるにつれて楽しくなってきて、今では頼れる兄貴分。工場長にも信頼されている。腕っ節も仲間の内では一番強く、休憩時間中のアームレスリングではここ半年チャンピオンベルトを保持している。近所の女性に言い寄られることがあるが、都会の女はやせ細りすぎているし着飾ることしか能がなくて好みではない。
などなど、勝手に始めた団長の自慢話は延々と。
テーブルの木目を数える遊びにふけりながら、ゼンはときたま相づちをうっていた。
グラスの割れる甲高い音が響き渡る。
退屈な時間を打ち破ったのは、カウンター席で起きた酔っ払い同士のケンカ騒ぎであった。
背広の優男と白シャツを着た職人が取っ組み合っている。
イスは蹴倒されてテーブルはひっくり返り、エールの水溜りに割れたグラスが散らかっている有様。ウェイトレスの少女は泣きじゃくり、気弱な店主はおろおろと慌てふためいている。他の客は仲裁しようとしたり逆に煽っていたり。
熱狂とヤジで酒場は混沌を極めていた。
「おいおい、そんな熱くなるなって。何があったかしらねえけど、仲良く飲――ぐほっ、痛ってえ! おいこら、殴るな――ちょっ、やめ――痛いっての――こら、おい――だから仲良く――ぶっ、このっ――テメーよくもやりやがったな。堪忍袋の緒が切れたぜ。ぶちのめす!」
そこに団長まで乱入して完全に収拾がつかなくなった。
客の通報により部下を引き連れて駆けつけてきたグスタフ警部は、その惨状を目の当たりにするや頭を抱えた。耳ざとくもノーラまで警部の後を追っかけてきて、三つ巴の乱闘を意気揚々と撮影しはじめた。
「闘鶏でももうちょっと品のある闘いをしますよ。酔っ払いのケンカほどみっともないものはないですねえ。こういう大人にだけはなりたくありません」
「あの眼帯、ゼンの知り合いだったな」
「マブダチです」
「とにかく事情を説明しろ」
「ご覧のとおりです、としか言いようがないのですが」
グスタフ警部は部下の警察官たちと協力して酔っ払い三人を羽交い絞めにした。ババを引いてしまった警部は、もがいて抵抗する団長の肘うちを肩にくらわされていた。「警察のお仕事も大変ですね」とノーラがシャッターを切った。
「おまわりさんだからって偉そうにしてんなよ! 先にケンカふっかけてきたのはあっち――」
「なにやってるの!」
張り上げられたその声で団長の動きがぴたりと止まった。
彼の目の前でクセっ毛頭の小さな女の子――ルイーズが怒り心頭の面持ちで腕組みしていた。




