逆鱗のアークトゥルス(7/8)
拡散した青い電撃が木々の先端に落ちて火をつける。
立ち込める焦げ臭ささ。
かなづちで殴られたような頭痛を伴うめまい。視界になおも黒っぽい残像がちらつく。
電撃こそ避けられたものの、閃光を直視してしまったゼンとディアは各々の武器を支えにし、ふらつく身体をどうにか支えていた。
「これがアークトゥルスの力なのか!」
「放電に巻き込まれたら僕らは消し炭です。廃熱を終える前に決着をつけましょう」
アークトゥルスの逆立てた鱗が赤みを帯びて廃熱を行っている。冷却と充電が完了すれば次の電撃が放たれる。
一刻を争う事態でありながら、ディアは『サナトス』の刃を地面に突き立てたままでいる。異形のバイオリンケースの上に添えた指の動きやうつむき加減の様子から、戦いへの逡巡がありありと見て取れた。
「花は枯れて大地を肥やし、蒔かれた種を育む」
彼女の迷いを振り切らせたのは他でもない、アークトゥルス自身であった。
「苦きこと、往々悪しきにあらず」
炎に包まれた森林で竜の王は朗々と詠う。
「険しき山河は絶景」
迷いに翳っていたディアは、曇天に一筋の光明を見出したかのようにはっとなる。
「徒花を手折るに迷うたら、散りゆくさまに美を見出せ」
「励ましてくれてるのか?」
「哀悼はいらぬ。誇れ。竜の王との対決を」
「それが、わたしがお前にしてやれるやさしさなのか」
「さよう」
「お前を狩ることが、竜たちを守ることに繋がるんだな」
「いかにも」
「わたしは弱虫だ。そうやって理由をつけないと、お前を狩れない」
「構わぬ」
ディアは地面に突き刺していた剣を抜く。
「半竜の少女よ。竜の散華を眼に焼きつけよ。1000年の寿命が尽きるまで」
涙を拭って歯を食いしばる。
そして、半竜の少女は疾駆した。
すべてを破壊する鋼の大剣を竜に振りかざす。
垂直に打ち下ろされた大質量の斬撃は落下速度との乗算により逆鱗の一枚をもぎ取った。鱗のはがれた部分から生々しい竜の肉がさらけだされた。
竜の爪、漆黒の太刀、鋼の大剣――三つの刃が炎の森に絶え間なく閃く。
旧世紀の覇者の誇りを貫かんと、竜の王は最後の戦士として侵略者に堂々と立ち向かった。両前足の打撃は受け止めた者の骨の芯まで威力を伝え、振り払った尻尾は地面を削り取った。
焼かれた木々が次々と倒れていく。
幹や木の実の爆ぜる音がそこらからする。
森が熱い赤色に染まっていく。
竜の翼のはばたきにより黒煙を含んだ熱風が吹き荒れる。火災は次第に燃え広がり、ゼンとディアを着実に追い詰めていく。
煤をはらんだ黒い汗が頬を伝う。
剣の柄がやけどするほどの熱を帯びている。
炎の揺らぎが視覚を、痛いほどの熱が精神力を侵していく。
ゼンもディアもアークトゥルスも本能に身をゆだねて無我夢中で武器を振るった。磨耗していく心と力を闘うことのみに注ぎ、命がけで乱舞した。間接の軋む音が聞こえようと、打撲でアザができようと、生存本能の麻薬が痛覚を殺した。
鎖分銅を鱗に絡ませたゼン。
鎖を手繰ってアークトゥルスの背中を登ろうとするも振り落とされる。熱された石が転がる硬い地面に背中を打ちつけ、受身で緩和しきれない衝撃が全身を巡り、くぐもったうめき声と共に身をよじった。
彼をかばうようにディアが立ちはだかる。
アークトゥルスの振り下ろした爪をサナトスで受け止めて先端を切り落とす。薙ぎ払われた翼の皮膜も破り、猛然と突き進む。小さな身体をまるごと噛み砕こうと広げたアゴにも果敢に立ち向かい、ずらりと並ぶ牙を鋼の刃で砕く。そのうえ舌まで貫かれたアークトゥルスは甲高い悲鳴を上げた。
ディアは竜の喉にサナトスを突き刺した。
口から、喉の裂け目から、おびただしい量の体液がこぼれて少女を汚す。
逆立てた鱗から電撃が溢れ出る。
暴走した電撃は周囲の尖った箇所に無差別に落ちていく。
限界を超えて放電し続ける鱗が白と見紛うほど赤くなって廃熱が追いつかなくなり、ついには融けてかたちを崩していく。
四肢が折れて腹が地面に落ちる。地響きで火の粉が舞い上がる。
火の海と化した孤島の森林。
融解していく竜の王。
ゼンが起き上がると、そこにはむなしげにたたずむ半竜の少女がいた。粘着質の体液を多量に浴びて髪と服が肌に張りつき、身体のなだらかな線を強調させていた。
「竜を狩るたび、わたしはいつも思ってたんだ」
ごうごうと唸る炎の音にかすれ声が混じる。
「本当にこれでよかったのか、って。強い決意を持ってた連中がいなくなって、迷って迷って迷ってばかりなわたしが生き残って、路地裏のおんぼろ部屋で誰のためにもならない暮らしをしてる。そのことをときどき後ろめたく感じていたんだ。でも、お前の一言で胸のつっかえがちょっと取れたぞ。さすが竜の王さまだ」
頭も翼も四肢も融けて混ぜ合わさり、アークトゥルスの肉体は汚泥の山となっていた。
アゴらしき部分がゆっくりと開閉する。
「迷いとはすなわち可能性の顕れ。未来の枝分かれ。竜は迷わぬ。滅びを運命づけられた者に与えられた選択の数などたかが知れているのだから」
融けてかたちを失っていく中で、水晶の瞳は依然として輝く。
「余は1000年生きた。ヒトが馬にまたがって弓を引き絞っていた時代から生きてきた。驕った竜が進化の道を踏み外したのはまこと無念であったが、玉座に座すのが貴様らであるのなら好しとしよう」
「きっといい世の中になる。お前だって城の上から眺めただろ? 帝都の景色を」
「美麗であった」
物質としてのかたちを失って醜悪な泥の山になり、魂すら消失の瀬戸際にありながら、本懐を遂げたアークトゥルスは満足げであった。
「彼らに平和の祝福あれ」
水晶の瞳も汚泥に呑まれた。
火炎が竜の王を包む。
やがて葬送は果たされる。
燃えさかる炎の音がやたら二人の耳に残った。
ディアは乾いた服の袖でしきりに目元を擦っていた。
心静かに火葬を見守っていると、背後から草を踏む足音がした。
そこにいたのはエリカであった。
肩をだらんと垂らしてふらつきながら、燃える汚泥を前に立ち尽くしている。
心の器は依然としてひび割れており、眼はうつろ。
「へいか。わたしたちのらくえんはどこに」
からっぽのうわごと。
懐に手をやって拳銃を抜く。
引き金に指をかける。
銃口を自分のこめかみに当てる。
その段階で彼女の意図を察したところで手遅れであった。
引き金は引かれた。
白い閃光に銃声の轟音。
それに隠れた小気味よいシャッター音。
激鉄が雷管を叩いて火薬が炸裂し、シリンダーから撃ち出された弾丸が銃身を走る。銃口から飛び出た弾丸はやわらかいこめかみに捻じり込み、頭蓋骨の側面を破壊して脳髄をめちゃくちゃにかき混ぜる。そして反対側の面から頭蓋骨を貫通し、茶色い脳漿と赤黒い血の混じった飛沫を撒き散らしながら炎の森へ飛んでいった。
ゼンの伸ばした手は引き金を引くのを阻止するどころか、倒れる身体を引き寄せることすら間に合わなかった。
無残に崩れた聖女。
世界への憎悪も、それを押し隠すための高潔さも、魂と共に抜け落ち、残されていたのはゴミ捨て場のマネキン人形であった。不意に倒れてきた大木の下敷きになり、マネキン人形は汚泥もろとも炎上した。
もう一人、誰かが近くにいるのにゼンとディアは気づいた。
本能的に理解を拒んでいるのか、その学生服の少女は自分が何者で、ここがどこで、何をしたのかわからない様子で、ぽかんと口を開けて呆然としていた。およそこの場面にそぐわない、間の抜けた表情であった。
緩んだ手からカメラが滑り落ちた。