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逆鱗のアークトゥルス(6/8)

 身を潜めていた仔竜たちが姿を現してゼンとディアを包囲する。


「思い上がらないでください。我がアークロプスはアークトゥルス陛下より賜りし聖なる槍。竜王国に必勝をもたらすのです」

「早まるなエリカ! この廃墟がお前の言う『王国』だっていうのか!?」

「あなたには失望しました。聖槍に貫かれ、せめて死をもって禊を成しなさい」


 エリカは『聖槍アークロプス』を真横に薙ぎ、ディアの接近を拒絶する。


「邪悪なる共食い、成敗すべし」


 長い黒髪を振り乱して悪鬼の狼藉のごとく武器を振るった。

 頭に血が上ったエリカはディアめがけて怒涛の攻撃を絶え間なく浴びせつづける。なりふり構わぬ猛攻は、近寄るものを敵味方無関係に巻き添えにしかねず、仔竜の援護を自ずから阻んでいた。

 戦力が分断されたこの状況に乗じ、ゼンは手近な仔竜から掃討を開始した。

 側面から喉を逆袈裟に斬られ、苦悶の声を上げる一匹。

 蹴り飛ばされて裏返り、やわらかい腹を突き刺される一匹。

 火炎を吐くことも空を飛ぶこともできず、さりとて黒狼(こくろう)のように群れとしての統制と俊敏さに長けているわけでもない。せいぜい牙の鋭さと鱗の硬さくらいが自慢の相手などにゼンが後れを取るはずもなかった。のろまな攻撃をかわしつつ、首回りや腹といった骨のない急所を的確に狙い、一撃必殺を基本に始末していった。


「血迷った半竜の戯けだとあなたがたには映るのでしょうけれど!」


 避けられた白き矛槍が木の幹に突き刺さる。エリカが力をこめると食い込んでいた矛槍は抜け、木は抉られた部分からへし折れて軋む音を立てながら倒れた。

 小鳥たちが飛び去っていく。


「目の前で肉親の皮を剥がれ翼をもがれ、眼球をくりぬかれても、あなたは人間を許せるのですか!?」


 大股の踏み込みから柄をしならせて矛槍を打ち下ろす。渾身の一撃はディアにかわされ、廃屋の壁面を粉砕した。

 ディアの必死の想いを裏切るように、払い除けるようにエリカは矛槍を振るう。世界のすべてを憎悪する形相で、動物たちの憩いの場所をめちゃくちゃに破壊していく。打ち捨てられて忘れられた戦場で、半竜の乙女は過去と己の影を相手に戦争を続けていた。


「竜の翼も水晶の瞳も持っていなかった私は、命だけは助かって逃げ延びました。ですが、持たざる者にとって、この世界はあまりにも広すぎました。あなたは本当にしあわせですね。そばにいてくれる人がいて!」


 聖女は聖なる槍に憎しみを乗せる。


「ひとりぼっちの私に、こんな世界はいらない」


 ついにエリカは息を切らして動きを止める。矛槍を杖にして身体を支え、肩で息をする。

 ディアも立ち止まって呼吸を整える。

 まとわりついてくる仔竜を一網打尽にしたゼンはディアのもとへと駆けつける。


「師匠。サナトスのスイッチを」

「ダメだ。わたしは戦うために来たんじゃない。こんな悲しい終わらせかた、あっていいわけないだろ」

「彼女はもう――」

「ゼンにとっては単なる敵でも、アイツはわたしと同じ半竜なんだ」


 ゼンの左腕に激痛が走る。

 ギザギザの万力が肉に食い込み、骨を粉砕しようとする。

 腕に食らいついてぶら下がる仔竜を力任せに引き剥がし、太刀でとどめをさす。二の腕にできた歯形には血がにじんでおり、牙が何本か刺さっていた。

 ディアは声を震わせてゼンの腕を抱く。


「あ、ゼン……。わたし、ごめ」

「師匠。サナトスを作動してください」


 エリカが狂ったようなおたけびをあげて突貫してくる。

 自棄になって振り回す矛槍の先がディアの耳元をかする。


「エリカ、話を聞いてくれ」

「問答無用!」

「戦う意味なんてないんだ」

「私は世界を破壊する!」

「このっ……わからずやめ!」


 ディアは異形のバイオリンケースのスイッチを押した。

 バネ式大剣『サナトス』から突出した鋼の刃と白き矛槍『アークロプス』が正面からぶつかる。

 三半規管を痺れさせる金属の衝突音。

 巨大なふたつの力が衝突して膨大なエネルギーが生じ、目を眩ます火花をほとばしらせて二人を吹き飛ばした。



 ディアがゼンの腕の中で意識を取り戻したのは、それからしばらく経ってからであった。

 薄く開いた水晶の瞳。

 ゼンの吐息がかかって細いまつげが揺れた。ディアはくすぐったそうに顔を背け、寝ぼけまなこを擦りながら上体を起こした。


「ゼン。腕は平気か?」

「止血はしました。その腕で師匠を抱いているのだから大丈夫でしょう。まずは自分の心配をしてください。両目は見えますか? 手足は動きますか?」

「いや、でも、やっぱりゴメンな。なにげにさっき、ヒドイこと言った気がする」

「そんなの日常茶飯事でしょう」

「そっか。ゼンはいいヤツだな」


 昏倒していたエリカも目覚めていた。

 うつ伏せに倒れていた身体を起き上がらせようと身をよじったとき、激痛に悲鳴を上げる。腕が折れているのだろう。それでも彼女は無事な片腕と両脚を懸命に動かし、砂埃と血で汚れた身体で地面を這った。

 間接が緩んだ人形の動きで立ち上がる。

 瓦礫を掻き分ける。

 埋もれていた白き矛槍を探り当てる。

 その瞬間、満身創痍の彼女に唯一残された心までも打ちのめされた。

 希望の標としていた『聖槍アークロプス』は穂先がぽっきり折れていた。絶対の勝利を誓ってくれるはずが、竜狩りの刃に負けて鉄くずと化していた。その事実は黒髪の乙女の心を折るにはじゅうぶん過ぎた。張り詰めていた糸がぷつんと切れた。

 幼子が駄々をこねるときの、理性をかなぐり捨てた号泣。

 発狂したエリカは地面に散らばる穂先の破片をかき集めだした。爪が剥がれて指先が血まみれになろうと、壊れた耕作機械のように延々と地面を引っかいていた。


「絶対の……勝利……私は……救国の聖女……アークトゥルス陛下……」


 喉が枯れてへたり込み、放心状態となる。ゼンたちの耳に届くまでに言葉の意味は霧散してしまっている。垂れた前髪が泣きはらした目元を隠し、血色の悪い唇だけが病的に上下していた。


「エリカの戦意はもはや喪失しています。今は熱を冷ます時間を与えて、説得はそれからにしましょう」


 茂みから現れた動物たちが心配そうに彼女に寄り添った。



 厳かな森林。

 木立の奥に竜の王は座していた。

 肉厚の鱗をさかさまに生やし、水晶の目の回りには星霜の数だけ刻まれた深いシワ。アゴの下には白いヒゲが束になって垂れている。ゼンはその老竜から君主の威厳と賢者の知性を感じた。


「エリカを退けたか」


 アークトゥルスは首をもたげる。


「ゾスカを屠り、余の忠臣すら倒した貴様らならば余と戦争するに相応しい」

「どうしても戦わなくちゃならないのか」

「さよう」


 ディアの身体にいくつもできていた生傷は既にかさぶたでふさがれていた。身体を動かすとかさぶたは自然と剥離し、少女の素肌はすっかりきれいになっていく。死線を潜り抜けた証は破れた衣服のみとなっていた。


「余の敗北をもって竜たちの目を冷まさせねばならぬ。さもなくばエリカのような世迷いごとに捕らわれている者たちは、久遠の呪縛にあえぐ定めとなろう。竜の栄華はとうに終わった。我らは摂理の円環に弾かれた」


 アークトゥルスの鱗がハリネズミのように逆立つ。

 かすかな刺激が二人の皮膚をなぞり、耳の産毛がぞわぞわと動く。


「余を狩れ。息の根を止め、竜の時代に終止符を打て。それが竜狩りの宿命」

「竜狩りの宿命……。わたしたち竜狩りには存在する意味があったのか?」

「断じて後ろめたき所業ではない。竜狩りこそ新たなる黎明の証なのだ」


 ディアが胸に手を当て、救われたように口元を綻ばせる。


「ゆえに、その使命を果たせ」


 逆立てた鱗の隙間で弧状の電気が青くはぜ散る。

 乾く空気。

 かゆみを伴う違和感。

 髪の毛が頬に張りつく。

 とてつもない力が竜の王を中心に渦巻いている。


「余は名誉の死で栄華の幕引きを飾って消えよう。旧世紀の遺恨を道連れに」


 竜の咆哮に木立が震える。

 青い閃光を伴った雷鳴。

 アークトゥルスの全身から弧状の電撃が解き放たれて躍り狂った。

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