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逆鱗のアークトゥルス(5/8)

 海岸線をオートバイは駆け抜ける。

 丘を拓いて階段状に並べられた街の建物は、ほとんどが明かりを消している。わずかに灯っているのは漁師がたむろする酒場か、あるいは旅行者向けの宿泊施設。きらびやかな帝都が恋しくなるほどの、旧世紀の夜がこの地には残っていた。

 汽笛の重い音色が伸びてくる。

 灯台の光を頼りに蒸気船は暗夜を往く。

 ノーラが身体を右に傾ける。

 オートバイは緩やかなカーブに沿って曲がる。襟の内側にポニーテールをしまったゼンは、振り落とされまいとノーラの腰にしっかりと抱きついていた。


「二人乗りだとハンドル操作の心地が違いますねー。ゼンさんの重さを感じます」

「何か言ったか? 風がうるさくて聞こえない」

「単なるひとりごとですよー」


 貨物列車が二人を追い越してトンネルに入っていった。

 海岸線から市街地の狭い街路を走って、ホテルの前にオートバイは停まった。存分にバイクを走らせたノーラは清々しげに背伸びをしながら満天の星を仰いでいた。


「誰かを乗せて走ってみたかったんですよ。まあ、これも一期一会ということで。ところでゼンさん、ここからが本題なのですが――アウグスト大佐が言ってた『あの事件』の正体、気になりませんか? 実は私、つきとめちゃったんですよね」


 特に興味も示さずホテルに帰ろうとするゼンをノーラは慌てて引き止める。


「エリカさんが暮らしていた半竜の隠れ里、過去に虐殺事件があったんです。竜狩りが半竜を密猟したんですよ」


 ゼンは足を止めてノーラのほうに向き直った。

 手ごたえを感じた彼女は相当意気込んでおり、得意げな表情をしている。


「半竜の密猟が殺人罪相当として法令化されたきっかけ。エリカさんはその当事者。里の生き残りだったんですよ」

「そうか」

「そうなんです……って、えっ、それだけですか?」


 ゼンの反応が存外薄くてノーラは肩透かしを食らっていた。

 彼女はめげずに続ける。


「帝国は『竜滅亡のあかつきに人類の飛躍がある』って信じてるから、竜王国に有利な事情を隠してたんです。ズルくありません? 卑怯ですよね?」

「武力行使を選択したアークトゥルスに正義はない。お前の言う『人と竜と半竜の平等』に則るなら、国家転覆罪で極刑が妥当だ」


 週を跨げば帝国の機甲師団が竜王国を称する孤島に上陸し、日和見している他の竜たちが動きだすのに先んじてアークトゥルスの討伐を開始する。かつて覇者として大地に君臨していた竜であろうと、戦闘車両の砲火を浴びれば木っ端微塵。理性や言語すら持たない配下の仔竜など機銃の格好の餌食。帝国にとってアークトゥルスとの『戦争』は、刷新された兵器の試し撃ちとしてまたとない機会であるのだ。


「アークトゥルスはそれを承知で蜂起した。竜と半竜の鬱憤を背負い、人間にはもはや敵わないのだと同胞に自覚を促すために」


 竜王国は滅びを運命づけられて生まれ落ちた。

 捨て鉢でもなく、革命の口火を切ったわけでもなく、破滅から生まれる一縷の可能性に竜の王は身を賭したのだ。


「あのエリカとかいう半竜は、まやかしの希望にすがっているようだがな」


 憮然とするノーラ。

 ゼンはロビーの扉に手をかける。隙間からこぼれた長細い光がノーラの足元まで伸びた。


「だから僕は竜を斬る。逆鱗のアークトゥルスを狩る」


 翌日のアウグスト大佐との打ち合わせにノーラは現れなかった。大佐は「伯爵のおてんば娘は寝坊ですかな」と安堵していた。ディアはミルク一杯でチョコレートケーキとオレンジピールのシフォンを二つも平らげたのであった。



 ゼンとディアの竜王国上陸はあくる日に決行された。

 軍用小型艇で海を渡り、孤島の海岸に下りる。

 浜辺はゴミとガラクタで汚れていた。都市が投棄した廃棄物が潮流に乗って漂着しており、それを片付ける者もいないため、散らかり放題であった。


「貴公らに武運を」


 砂浜を鳴らす二人にアウグスト大佐は敬礼した。

 古いわだちをなぞって二人は島の中心部へと進む。

 先の大戦で補給線の要所であったこの島には、軍の設備や旧世代の兵器が(つた)(くず)まみれになってそこらに打ち捨てられていた。鉄も鉛も真鍮も錆に食われて赤茶け、草木の抱擁により自然へと回帰しつつあった。

 多数の気配をゼンは感じる。

 ディアも周囲をしきりに気にしている。

 藪の中に、廃屋の陰に、仔竜の群れが潜んでいる。アークトゥルスの命令か、あちらからは手を出してこない。

 地面を突き抜けて生える樹木の根を避け、靴を滑らせる苔に気をつけ、散らばる薬莢を蹴散らし、道をふさぐひし形の旧型戦闘車両の残骸を乗り越える。進路を外れれば地雷を踏みかねない。大佐から譲られた地図と生い茂る雑草に目を凝らして道をさがした。


「これが王国なのか」


 ディアが堪えきれずに言った。

 王国とは名ばかりで、放棄された軍事施設を不法占拠しているのが実情であった。


「墓場じゃないか」


 憐憫の情をにじませるディアは、朽廃した建物の壁に手のひらを当てる。絡みつく葛をちぎると、死人めいた灰色の表面が現れた。



 前線基地らしき広場に至る。

 陽だまりで温まった石畳にリスや鹿、黒狼までもが寝そべっている。ひときわ大きな熊は朽ちた戦闘車両の上で丸くなっており、ひしゃげた砲身を抱いて幼子みたいな寝相をしていた。

 塹壕でネズミの兄弟が追いかけっこしている。

 うなだれた機関銃の上で小鳥たちがさえずっている。

 のどかな光景。

 爬虫類のしっぽを生やした黒髪の乙女も、脚をくずして動物たちと共に日光浴していた。まるでそれこそが最後の希望へと導く標であるかのように、白き矛槍を抱いて。

 ディアが不用意につまさきで小石を蹴ってしまい、跳ね起きた野生動物たちは藪の中に一斉に逃げていった。

 まぶたを開いたエリカがしとやかな所作で腰を上げ、矛槍の間合いまで近づいてくる。


「竜王国へようこそ、ディアさん。答えは決まりましたか」


 異形のバイオリンケースをディアは抱きしめる。

 しばらくの沈黙。

 答えに窮しているのではなく言葉を選んでいるのだとエリカは判断したらしく、ディアの決意が固まるのを待っている。

 ゼンもディアのそばでじっとしていた。

 そよ風がディアの背中を押した。


「以前の戦争にケリがついてから、人間の世の中は変わりだした」


 蒼い瞳を閉じて過去に思いを馳せる。


「自動車が普及して遠くまで物を運べるようになった。ラジオや電話が発明された。法律が行き届いてきた。偏見や差別におかしいと言える人が増えてきた。怠け者の貴族が落ちぶれて、みんなが豊かな生活を送れるようになってきた。そんな感じで、世界は少しずつやさしくなってきた」


 昔を懐かしみながら紡ぐ言葉は、ささやく葉擦れの仲間に加わる。


「びっくりするよな。わたしたちを置いてきぼりにする速さで人間は成長してるんだ」


 手を差し伸べる。


「さがすんだ。この世界の、この時代の、自分たちの居場所を――ぼろっちい集合住宅(フラット)も結構いいもんだぞ」


 小さくて子供っぽい肉付きの手のひらを、エリカはまじまじ見つめている。値踏みするようにその価値を推し量っている。ディアはくすぐったそうに指を動かしているも、差し伸べた手を決して引っ込めようとはしなかった。エリカの返事を辛抱強く待っていた。


「なるほど」


 じゅうぶんに見定めてから、エリカが言う。


「それが」


 枝葉の影が彼女をまだらに塗りつぶす。


「それが、あなたの答えなのですね」


 エリカは小首をかしげ、優雅に微笑んだ。

 耳にかかっていた黒髪が、ひと房こぼれる。

 そして、艶がかったくちびるが歪んだ。


「片腹痛い」


 陽だまりが凍てつく。


「同族のよしみで情けをかけましたが、しょせんは無頼の徒でしたか」


 黒髪の聖女は白き矛槍の切っ先をディアに向けた。

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