逆鱗のアークトゥルス(4/8)
後からやってきたゼンとノーラ、アウグスト大佐に険しい一瞥をくれてから、半竜エリカはやわらかい口調でディアに語りかける。
「アークトゥルス陛下は竜と半竜を人間の支配から解放するために戦っておられます」
「支配……? わたしたちは誰かの奴隷になんてなってないぞ」
「順風満帆な日々を送られている方ももちろんいます。ですが現実として、社会保障を満足に受けられないまま過酷を強いられている半竜のほうが大多数なのです。そんな同胞を救うため、陛下は竜王国の樹立を宣言しました」
戸惑うディアを置いてきぼりに、エリカは柔和な笑みをたたえながら続ける。
「知恵の発達が緩やかな半竜の特質を人間に利用されたディアさんは、多額の債務を擦りつけられたと聞き及んでいます」
「利用なんてされてないぞ。わたしはいつだって自分の責任で生きてる」
「そう刷り込まれているのです」
妙に自信のこもった断定口調にディアはもうろたえる。
「挙句の果て、竜狩りまで強制されているだなんて!」
痛ましげにかぶりを振るエリカ。同情から憤りへ。凪の続いていた海原に突然のおおしけが訪れたように昂ぶり怒る。
「半竜が竜を狩る――そのようなおぞましき業を人間はあなたに負わせている。同胞に『共食い』させる人間を竜王国は断じて許しません。ヒトは咎を受け、あなたは救済されるべきなのです」
ディアは貧血に青ざめ、脚を震わせてふらつく。
ゼンがディアを背中から抱きとめると、エリカは以前の敵意をむき出しにした。
「ここで僕と戦うのなら受けて立とう」
「そうしたいのは山々ですが、民間人に被害が及ぶのは陛下のお望みにならぬところ」
「心配は無用だ。上着の裏に隠した拳銃をお前が抜き、引き金を引くその前に、僕のカタナがお前の喉笛を裂く。みっつ指を折る時間も要しない」
眉をいからせていたエリカは胸に手を当てながら深呼吸を繰り返し、自制を試みだす。外れかけていた理性のたがが元に戻ると、彼女はすまし顔になってきびすを返した。
「ディアさん。どうかすべてが手遅れになる前に決断を」
爬虫類の尻尾をくねらせる後ろ姿が雑踏に紛れる。
緊迫から解放される。
ずっと息を止めていたノーラがぷはっと息を吐いた。アウグスト大佐も懐から抜いた手を後ろポケットに回してハンカチを取り、溜まりに溜まった汗を吸わせた。
さっそくノーラは手帳に熱心にペンを走らせる。
「あの半竜さん、翼の代わりにしっぽが生えていて、目は普通の人といっしょでしたね。外見の年齢も20歳くらいかな? 半竜にしては大人びてたかも。ああいう半竜もいるんですねー」
「ごくまれに、そういう特異な半竜も生まれるらしいですぞ。人間と容姿の乖離が甚だしい半竜たちは迫害を恐れ、僻地の隠れ里で独自の暮らしをして――」
アウグスト大佐は汗を拭う手を止める。
「まさか彼女、あの事件の当事者――」
滑らせかけた口を押さえるも手遅れであった。
案の定、スクープのニオイを嗅ぎつけたノーラはペンと手帳を武器にして構え「『あの事件』ってなんですか? なんなんですか? ノーラは知りたいです!」と執拗に問い質しだした。大佐は一貫して無視を決め込み、通りすがった辻馬車に丸っこい身体を転がり込ませて逃げていった。
「隠蔽体質は軍人さんの悪癖ですねぇ。国民には真実を知る権利があるんですよ。ノーラはディアさんや半竜さんの味方です。人も竜も半竜も平等であるべきですよね」
ノーラは店舗に横付けしていたオートバイに飛び乗る。
雄牛を思わすにび色の巨躯に極太のタイヤ。むき出しの駆動部。
そんな鉄の猛牛にお嬢さま学校の生徒がまたがる格好は非常に奇抜で、カフェに出入りする客たちの注目を浴びている。映画の真似事か、顔の上半分を覆うゴーグルまで装着したノーラは現代のカウガールになりきり、得意げになっていた。
「カッコイイでしょ? 入学祝にお父さんが買ってくれたんです。取材には欠かせない足ですから、寝台列車の貨物車両に載せてもらったんですよねー」
エンジンをかけられた猛牛が唸りを上げる。周囲の喧騒をかき消す獰猛な重低音が空気を震動させる。怒髪天をつこうとする怪物を御するべく、ノーラは力ませた両脚で鉄の胴体を挟み、伸ばした両手でハンドルを掴んだ。
「さーて、明日もこのカフェで待ち合わせでしたよね。『あの事件』って何なのか、大佐から絶対に聞きださないと」
「何か言ったか?」
「もー、観念してくださいって。私には国民に真実を伝える使命があるんですよ」
「エンジンがうるさくて聞こえないな」
「……なんだか無性に『半竜の少女と駆け落ちした異邦の剣士』って記事書きたくなっちゃった」
「たたき斬る」
「やっぱり聞こえてるじゃないですか! このノーラ、意地でもゼンさんたちのこと取材しますから。実は宿泊するホテルは突き止めてあるんです。特派員ノーラからは逃げられませんよ。覚悟してくださいね」
地面から脚を離し、前屈みになったノーラがアクセルを握る。
おたけびを上げたオートバイは砂埃を巻き上げて発進した。
風を置き去りに遠ざかっていく。
猛進するカウガールは器用に手綱を操って右へ左へ鉄の怪物を傾かせ、自動車と馬車の隙間をくねり抜け、沿岸のカーブを鋭くなぞっていった。
あっというまに二人きりになった。
耳鳴りの余韻が収まる。
肩に置かれていたゼンの手を、ディアは「もう平気だぞ」とどけた。
「ちょっと立ちくらみしただけだ」
「電報局でフロレンツさんに現地到着の報告をしてきます。師匠は」
「海で待ってる」
「わかりました。すぐ戻りますから」
引き潮にさらわれるかのように、ディアは海辺へと吸い寄せられていった。
ゼンが電報局から帰ってきたとき、彼女は浜辺で膝を抱え、水平線の彼方に食い入っていた。日差しに温められた真砂の踏み心地が気に入ったのか、靴を脱いで裸足になっていた。ゼンは彼女の隣に片ひざを立てて座った。
交わす言葉もなく海の声に耳を傾ける。
寄せては返す波の動きが淡々と繰り返される。
穏やかに波打つ澄んだ海上でヨットが揺れている。真っ白な帆がまぶしい。
遠くには青く霞む孤島。アークトゥルスが『竜王国』と称して占拠している無人島である。飛竜が島の上空を旋回している。
これから起こる出来事などつゆも知らず、時間は世界を包んでゆったりと流れている。
声の消えた時間をたっぷり費やしてから、ディアは言った。
「人間と竜って、そんなに違うもんなのか」
「僕らは竜と接する機会が多いですから」
「面と向かって『共食い』って言われたのもきつかった」
「あのテロリストの詭弁を真に受けているのですか」
「ヒトがヒトを殺したら死刑だ。黒狼だって同族は狩らない」
「戦時中の戦闘行為における殺人は罪にはなりません。野生動物も繁殖や縄張り争いで同族を殺します。それ以前に、僕らはもっと原始的な理由で竜を狩っています」
灯台付近の波止場で観光客たちが釣りを楽しんでいる。
釣り糸を垂らしていた釣り人の男が手ごたえを感じて立ち上がり、しなる釣竿を思い切り引き上げて魚との格闘をはじめる。
大胆不敵な野良猫がバケツから釣り餌を盗んでいく。釣り人はろくに気づかず、魚との一騎打ちに夢中である。
長い戦いの末、釣り人が魚を海面から引っ張りあげた。
ぷつり。
釣り糸が切れ、釣り上げられた魚は中空に解き放たれる。
機会をうかがっていた上空の海鳥が鋭く滑空し、海面に叩きつけられる間際の魚をさらっていった。
「わかってる。わかってるぞ。わたしたちは生きるために竜を狩ってる。ゼン、いつもそう言ってるもんな。竜狩りをしていたからこそゼンと出会えたんだから、わたしは悔いてないぞ。ゼンと二人で竜狩りができて、この100年で一番しあわせだ」
「大げさです」
「本心だぞ」
白い歯を見せた、屈託のない笑顔。
それからディアは腹に手を当てながらゼンにはにかんだ。
「ケーキ、やっぱり食べればよかった。おなか減ったな」
「急におなかが減ったんですね」
「照れ隠しって言いたいのか? わたしはそういうの平気だぞ」
「冗談です。露店でソーセージでも買って食べながらホテルに向かいましょう」
「あははっ、照れてるのはゼンのほうだったな。やっぱりゼンはからかい甲斐があるな」
海辺の街をゼンとディアは並んで歩く。
帝都と比べてまだまだ馬車の数が自動車を勝っている。晴れ空の下、地面を叩く蹄鉄の音がさわやかな郷愁をもたらす。
白で統一された旧世代の建物の足元で木組みの露天が軒を連ねており、地元民と旅行者で盛況している。編みカゴに山積みの果物や貝や穀物、ずらりと日干しされた魚を見物しながら二人はホテルへと足を運んだのであった。
串に刺さったソーセージをかじって半分に減らすディア。
「へこたれてる時間は終わりだ。アークトゥルスを必ず説得するぞ。さっきの半竜は頑固そうだけど、悪いヤツじゃなかった。きっとわかってくれるはずだ。今回は『竜狩り』じゃないんだ。なっ、そうだろ? ゼン」
ディアはよぎる不安を空元気で振り払おうとしていた。
その夜もゼンは熟睡を妨げられた。
ホテルの二階に部屋を借りていた彼は、窓に固いものがぶつかる音で目を覚ましたのであった。
月明かりにきらめく黒い海を背に、ベランダでノーラがウィンクしていた。




